はてなキーワード: 社会学者とは
ああ、オヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。
キミが生まれた20年前、偉大なる社会主義国家、ソヴィエト連邦が消えた。ベルリンの壁崩壊から2年後のクリスマスに、かって革命を夢見た全共闘世代は涙したものだ。
新聞には「資本主義が勝利したのではない。アメリカの一極支配は必ずや滅ぶ」と投書が載った。
人民を革命へと駆り立てたのは、資産家や資本主義社会への反発、不信、抵抗。ゆるやかな社会改良による解決がないわけじゃないのに、プロレタリア独裁を宣言し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。ロシア民謡は小学校の教科書にも採用されたほどだ。
全共闘運動に詳しい社会学者の小熊英二さんは毎年、大学の授業で『共産党宣言』を読ませ、感想を問うてきた。ここ数年「暴力的なだけじゃないか」「私有財産の何が悪いのかわからない」と、批判的な意見が増えているという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、国家がノルマを課したころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
ソヴィエトはどこへ行ったのか。
全共闘世代の仙谷由人さんには「かつて若者は暴力装置であった」と言われそうだ。
「大学解体」と「自己否定」のスローガンで機動隊と攻防戦を繰り広げたのは過去。大学全入時代で自己実現を勘違いする若者に、暴力で社会を変革するエネルギーはない、と仙石さんは語る。
革命を夢見るよりも、自己責任を受け入れて、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。
なるほどね。いくら「若者よもっと立ち上がれ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。
でも、言わせてもらう。
私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。
だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。
ともあれ、おめでとう。
C-PTSD者の作ったblogやサイトを見ていると、恋愛を重視してる人が多かったりする。そして、必ず理解してくれる人がいますとか言う。
実際、病的に親密な対人関係を求めていたところはある。残念なことに、その行動故に更に悪化したのだが。
女性は救われやすい印象。C-PTSD者はズブズブの依存関係に陥る。女性の場合はこの行動の延長線上で、「良い人」に出会えて救われやすいと思う。
男性の場合は強い。福祉関係などを仕事にして過去を晴らすかのように、社会と闘っている人が多い傾向があると思う。
診断名を僭称したいのなら「境界性パーソナリティ障害」が良いんじゃないですかね。
主に社会学者や政治議論好きが、ネット上で被害について語ってたりする。
見ているとわりと癒されたりする。
何故って、一見やさしいから。
「(政治的な)敵」を名指しして、奴らがあなた方の敵だった、奴らを消し去れば社会はよくなる。
と語ってるから。
誰もそんなことを言ってくれなかったから、政治のフィルタを通して語りかけてくる政治屋だけがやさしく見える。
やさしくしてくれて、ずっと恨んでいた敵を非難までしてくれたら飛び付いてしまうのもやむなし、である。
「個人的なことは政治的なこと」とか言ってたりする。でもこれは動員の言葉だ。
当事者は政治屋を必要としてないが、政治屋は当事者を必要としている。
具体的に言えば当事者が必要としているのは感情的に適切な関係であって、政治屋が必要としているのは政治的に用いれる道具だ。
この齟齬があるから、気の毒な当事者が政治に取り込まれていく。政治はパンとサーカスしか与えない。
詰んでるからどうでもいい。
今回は@watarlooは話題にならなかった、というだけで。
可能ならば働きたい、可能ならば専業主婦 http://blogos.com/article/18782/
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20111203/p1
を読んで思ったこと。薄っぺらいなー。
クレーマー対応したことがない人からすれば、クレーマーはクレーマーでしかないのだろう。
せいぜいしぶとさとか、声の大きさ(暴力の雰囲気)を元に、ものすごいクレーマーかそうでないクレーマーかを区別するくらいだと思う。
「ものすごいクレーマー」といったところで、自分はちょっと気分が悪くなる程度で責任はないから気軽なものだ。
むしろ、上の記事のようにブログのネタになるぞ、と喜ぶ人さえいるのだろう。
「うわぁ」と嘆いてみせる俺格好良いっすね。しかめ面してブログを書いただけで何か仕事したつもりとか社会に貢献したつもりとかだったらウケる。
「うわあ」と思ったなら仲介に乗り出してくれてもいいのよ?上の人はおそらく考えもしなかっただろうけれど。
いつぞやの痴漢をみかけて延々としたり顔で分析している社会学者みたいなのもいたけれど、まぁお気楽なもんだと思います。
大阪では「自分の利害が絡めば」仲介してくれる人いるんだけどね・・・。
あ、別に上の人が悪いって言ってるんじゃないよ? それが普通であって、期待しすぎてもがっかりするだからしてないよ?ほんとだよ?
でも、私らからしたら、「普通の人」ってクレーマーと紙一重で、そう大きな違いはないと思ってるんですよね。
あんまり無邪気に「クレーマー」と自分を分けて考えてる人は、まぁ幸せに生きてるんだろうな、とニマニマしますということくらいかな。
引用先のクレーマーは忙しい時でなければまぁよくあるタイプで、危険度でいえば大したことはない。
誰が見てもやばいくらいに手に負えない客はむしろ楽だ。
「ものすごいクズ」の対処の責任は私にはないし、屑だと思える相手なら、杓子定規に対応しても心が痛まない。
私らは、システムの範囲内でできる限り誠実であろうとはするだけだ。システムの範囲外の人でもいい人ならば多少気を使う。
だが、システムの外側かつ態度の悪いクズ人間にはただ突っぱねるだけ。
困ったら上司に投げればいい。本当のクズ相手なら上司に投げても怒られない。
そんなことより私らにとって一番問題なのは、
似たようなクレームが大量に寄せられるときだ。それがつまらない些細なことで、かつこちらで対応できないようなことだとすごく困る。
子供のおもちゃ関係とか、システムのインストール周り、それから故障などは精神的にかなりクるものがある。
大事なのはこうしたクレームを減らすことおよび、クレームが来ても重大な問題にならないようにすることだ。
だから
「どういう理由でクレームをかけてくるのか」
「クレームをする人はどういうことがわかっていないのか、誤解されやすいのか」
「深刻なクレームになりやすいのはどういう問題か」
などが意識される。
もちろん門外不出なのでここでは書かない
とにかく数とリスクだ。
数を減らすことが大事。あとリスクがでかいものを避ける工夫だ。
ちなみに最大のリスクは「システムとして決められていること」そのものを無視したり乗り越えることを要求されることである。
システムを揺さぶることは許されない。そういうのを無邪気に要求する人が一番危険なのだ。
たとえばデカイ損害が起こって100万円要求されたとしても、システム側に金額で対応する仕組みがあればある程度は許容される。
しかし、「一切金銭面での解決を禁じる」となっている場合、要求が50円だったとしてもそれはすごいリスクが高い。値引きとかもそう。
最近アウトレットで買い物するのに慣れたせいか、量販店での買い物でクレームつけて値引き要求する客もたまにいるが、
そういう場合は、全額返金して商品を引きとってでも応じない。それがシステム的な対応である。
そのくらい対応をシステム化しているから、経験のない人間でもクレーム対応ができるのである。そのありがたみを理解すべきである。
ちなみに「全額返金して商品を引きとる」と言ったらたいてい引っ込む。
個人と個人のやり取りであればもっといい代替案を示せるが、それを量販店の、量産型クレーム対応者に求める奴は、阿呆である。
×野家で、牛肉があるんだからとメニューにないものを頼むバカがいるか?
超高級ホテルでコースメニューをやめて牛丼を頼むことはできるかもしれんが、×野家でコース料理を頼むことはできないんだよ。
そういう訳で、このコメントは論外。
そういうことができないのが現状であり、そのシステムの是非を論じるならともかく、
大して現状を把握しないで適当に喋ってるのがまるわかりで不愉快。
中途半端な理解で、理解者、擁護者として振る舞う人って、ある意味敵以上に厄介だと私は思う。
私は、システム側を何とかして欲しいと思うけれど、こういう人が中間管理職とかにいると「現場で何とかしろ」で話が進まなくなるのだ。のだ。
その意味で、クレームの対応は昔と比べるとはるかに楽になっているらしい。
昔のクレーマーは、そもそも「システム」の存在を考慮できない人が多かった。
こちらはシステムの存在を前提に、自分に許された範囲内で対応をする。要するにこちらはただのシステムの端末にすぎない。
ところが、相手は自分を決定権をもった人だと思っている。
そのために、こちらの「誠意」とか「人情」に訴える人が多かった。
前提自体がわかってない。わかろうとしない。
無効としてはまっとうに交渉をしているつもりでも、こちらとしてはただのボケ老人の戯言と同じだ。
今でもたまにいるけれど、「ボケ老人」のカテゴリに該当する人は本当に大変だ。
えーと話が飛びまくってわかりにくくなったのでまとめ。
システムを揺らがすのは第一に数。
第二に無邪気にシステムからの逸脱を求めてくる客。「裸の王様」における子供やね。
あれ一見良い話みたいだけれど、ただの考えなしで言ったなら最悪だよ。「王様は裸だと言った子供はその後どうなったのか」をよむといいよ。
fromdusktildawn?という人が言ってるのは「ものすごいクズ」というのはそういうのを指すのであって
そんな事言ってたら、はてブなんかとうの昔に潰れているでしょう。私は潰れるべきだと思ってるけどね!!
たぶんいろんな側面の話がまじりあっててこの話は面倒。
あと、初詣に行っても信仰心は芽生えない、ってのは必ずしも正しくないと思うよ。日本人の宗教観は柔軟だけど、信仰心がユビキタス(宗教用語としての)に存在するため見えづらいだけだと思う。内心どうでもいいと思ってるなら、初詣なんかいかないよ。
先日「うつみ宮土理の発言は何が問題だったのか」って記事書いた者です。
似たような声掛け事例が発生していると聞いて。さすがにもういちいち説明はしないけど、少しテーマをズラして書いてみる。
http://hamusoku.com/archives/4989875.html
△「相談者の意図を汲み取って社会学者の知識経験を基に回答するんじゃなくて相談を論破しようとしてるんだよねコレ。わけがわからないよ」
△テレビでウケそうな偏向キャラだけど一発屋としてすり減らされて消えていきそう。
△なんだこの社会学者(笑)は。文章が気持ち悪い。完全に質問者を下にみてるな。回答もただのオナニーみたいな内容だし、なんだこれ
×フェミニストってこんなに程度が低いんだな(笑
×フェミニストは非常に怖いという話。
××これはひどいww フェミニストほど偏見にみちていて、性差別的な考え方を持った人っていないと思う。と、田嶋陽子や上野千鶴子を見てると思ってしまう。こういう人たち、たいてい話の根拠が主観的なんだよね
う~ん。自分の頭では何一つ考えているように見えない。
いや、周りのノリに合わせるべく必死でその余裕が無いのかもしれない。気の毒な話だ。
この人たちの普段のタイムラインおよびフォロワーを見てみたい。
(これから先は「おまえの親の顔みたいわ」ではなく「お前のTwitterのフォロワーがみたいわ」になりそう)
ちゃんと読めてないのに、読めているつもりで書き込みしているのではないか。だから浮いてしまう。
空気を読める人と読めない人の差はどの辺にあるのかと考えてみたが、どうも「空気を半分しか読めてない人」が流されているのではないかと考えた。
「空気をよめ」ってのはもう日常的に使われるようになった言葉であるが、この空気って二種類があると思う。
(さらに細かく分けることも可能だろうけれど、今回の話は二種類の分類で十分だろう)
そして、この二種類には明確な主従関係があり、主を押さえれば従もうまくいく。大事なのは主の空気を読むことだ。
上に挙げたようなコメントを書いている子は、従の側しか理解できてない様な気がする。
瞬間的に生じる曖昧な空気、力の流れとか雰囲気のようなものを読むのは得意なのかもしれない。
しかし、場の設定とか文脈という、もう少し大きな、そして具体的であるために変わらない、基礎的な部分がわからないようだ。
多分本人たちは精一杯空気を読んだコメントを書いているつもりなのだろう。
でもちゃんと理解して書いてるという印象を与えない。フワフワした、根拠のない感情の垂れ流し。
それじゃあ空気読んでることにならない。むしろそういう中途半端な空気読みは一番危険だと思う。
ちなみに、問題にしているのは×の人たちではなく△の人たちね。
×の人たちは、完全に空気が読めない人たち。この人達は、最初から空気読むつもりがないから自己認識と実際が一致してる。OK.
でも△の人たちは、俺は問題をわかってるぞと思い込んでいる。でもそうじゃないよ、ってことをどうにか認識出来るといいのだけれど。
私自身は上野千鶴子の回答およびその姿勢って最後の一行以外問題ないと思うんだよね。
いや、ある意味最後の一行も必要ななかったけど問題とするほどのコトはないと思ってる。
うつみ宮土理の件とは全く違う話なんだけれど、こういうのって区別つかないのかなぁ。
すぐ哲学者とか社会学者の「名前」を引用したがる人って・・・どこのすけさんかくさんだよ。
いや、いや、すけさんかくさんのばあいはまだご本人うしろに控えてるからいいけど
せめて、せめて「ハーバーマスでも読めば」じゃなくて
「ハーバーマスはこう言っている。~~ではない、と」って言い方をしてくれないカナ。
そうじゃないと、自分の脳内で、毒舌の百科辞書に置換されるので萌えないゴミにしか見えなくなる。
何か喋ったらすぐ
「デリダだったらあなたの意見に失笑するでしょうね」とか反応返ってくるのマジ気持ち悪いんですよ。
え、今俺だれとしゃべってるの。デリダさん?それってデリダさんに許可とってやってんのか?みかじめ料はらってんの?
もし本物だとしよう。それならそれで、もうちょい自分の言葉に説得力があるかを気にしてくれんかなぁ。
「僕は東大卒で作家志望なんです。5年後にはビッグになるから投資してくんない?」っていう結婚詐欺師のほうがまだなんぼか信用できる。
「ここの@~~がこういうことを言っとるんですが、それって正しいんですかね」と。
togetterにまとめても「あーあいつ哲学わかってるつもりなだけの中二病だから放っておけ」ってスルーされるし。
わかるんだけど、わたしこういう気持ち悪いの駄目なんですよ。ブロックしてもまだ気持ち悪さが取れない。
なんとかならんかな。
http://twitter.com/hazuma/status/49768039494856704
東京人は東京に留まる。水食糧からは放射性物質が検出それ続けるが、それにも慣れていく。数年後微妙に小児の癌発生率があがったという報道が出るが、それも誤差の範囲でなんとなく曖昧に。そうやって日常は回復されるが、西日本や海外から見たらそれそのものが異常。そんな感じになるのではないか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/hazuma/status/49768039494856704
pulltop-birth 2011/03/21
uduki_45 twitter, 東浩紀, 東北地方太平洋沖地震, デマ 2011/03/21
niccoro 地震, twitter, 東浩紀 ここ一年ほどで僕の中でのこの人の評価はがりがり下がっていったがここに来て底値に達した。こんな酷い自己正当化があるかよ。 2011/03/215 clicks
kaoruo *東浩紀, これはひどい なぜこの人がもてはやされていたのか大いなる疑問。 2011/03/2120 clicks
white_rose これはひどい 逃げた人が言うんですか。逃げること自体はいいけどさ、黙ってたら。/一時的に?戻ってきてるらしい 2011/03/21
ken1rou これは晒されるべき 2011/03/21
te2u そんなに怖いなら、日本から出た方がいい。 2011/03/214 clicks
ohsamu こういうのセカイ系っていうんでしたっけ? 2011/03/2117 clicks
chateaudif 地震, これはひどい 自分を正当化するために、どこまで人を貶めるのだろう。 2011/03/2148 clicks1 RT
klaftwerk twitter, ネタ, 東浩紀, 東北地方太平洋沖地震 晒し者にするためブクマ。どの面下げて関東に戻られるか非常に楽しみなんですが。 2011/03/21
Cujo baka, これは恥ずかしい, これはひどい, 記事がひどい 次に出すSF小説のプロットですか? 2011/03/21
takanofumio twitter, 東浩紀 ひらたく言うと「ピカの毒が伝染る」ってことですね? 2011/03/21
andre1977 \(山手線脳)/ 2011/03/214 clicks
fdblues9 twitter, ; ええぇ。;創作ですよね? 2011/03/21
zaikabou 流石、作家先生は創作がおじょうず。ひょーろんかには出来ない所業 2011/03/21
BEW @hazuma 2011/03/21
andalusia これはひどい 2011/03/21
md2tak 「その朝が来るなら私達はその朝にむかっていきよう」「私達は血を吐きつつ、繰り返し繰り返しその朝を越えてとぶ鳥だ!!」 2011/03/21
zenibuta 2011/03/21
xGat6 Tn5B Twitter / hiroki azuma: 東京人は東京に留まる。水食糧からは放射性物質が検出そ ... 2011/03/21
nessko 猪瀬直樹>ツイッター上に誤った情報が流れていますが、東京の水道は安全です。詳しくは http://bit.ly/gypOac (http://twitter.com/inosenaoki/status/49767334977609729) 2011/03/21
sauvage ネタ, Twitter, 東浩紀, これはひどい 東京だとギスギスしてるから云々って言い訳してた筈なのに、ただのダメな人ではないの(笑) だめだこりゃ。西浩紀ってあだ名は完全に正当だったw 2011/03/21
gakusi *ニュース, なんだかなあ とにかく意味がわからない。大丈夫なのか……? 2011/03/21
emiladamas twitter 2011/03/21
MWAVE これはひどい, 地震 AERA表紙の防毒マスクがダメなら、これもダメだろ→ 2011/03/2126 clicks
mujisoshina 事実がどうあれ、本人がそう思っているのであれば疎開するしかないよなあ。どうせ周りにどうこう言われたって安心出来ないんでしょ。 2011/03/21
FUKAMACHI これはひどい 海外では、「日本人の誇り」だのなんだのと調子こいてるけれど、国内ではこれ。こんなのが持て囃されていたと思うと、誇りどころか恥辱そのもの。 2011/03/21468 clicks1 RT 16 @toronei 僕この人、出始めの頃からどうして世の中に出れたのか不思議で仕方なかったんですが、どうしてなんですかね?RT @ash0966: [これはひどい]海外では、「日本人の誇り」だのなんだのと調子こいてるけれど、国内ではこれ。こんなのが持て囃さ…
@toronei 僕この人、出始めの頃からどうして世の中に出れたのか不思議で仕方なかったんですが、どうしてなんですかね?RT @ash0966: [これはひどい]海外では、「日本人の誇り」だのなんだのと調子こいてるけれど、国内ではこれ。こんなのが持て囃さ…
ore_de_work 電車のホームで一日三人轢かれて死ぬのは異常、ホームで並ぶの異常、土曜に吉本やってないのは異常、人大杉て弾幕ゲーできないのが異常、食い物屋で行列←異常 2011/03/21
welpherd 東浩紀 変に間違った理屈をこねくりまわしているので動物以下だと思う 2011/03/21
itotto twitter もっとまともな人かと思ってた 2011/03/2116 clicks
susahadeth52623 あたまがわるい, これはひどい, デマ, Twitter 別に疎開するのは自由だけど捨て台詞を残さなくても・・・戻ってこれなくなるよ。 2011/03/2116 clicks
nmun 2011/03/21
rikuo 東北地方太平洋沖地震 2011/03/21
machida77 何を言っているんだこのバカは…。 2011/03/21
mobanama temp 全略。何言い出すかわからんので自制。 2011/03/21
Midas 「東京生まれの娘さんは遺伝子異常だから嫁に行けないと差別されるようになる(事故後に逃げた奴も『誤差』の範囲内)」が抜けてんじやないのwww 2011/03/21
okoppe8 自分=社会の図式が崩れたとき、社会学者としての命は終わってしまうらしい。脆いものだな…。 2011/03/21
frivolousman 終了 尊敬してたんだよ。ひどいもんだね。/放射能がこわい人へ→「ローマの放射線量東京の6倍」http://p.tl/B6kW「放射性物質にさらされた世代」 http://p.tl/w9Mh 2011/03/21
kyo_ju 東浩紀 カンニング学生に「誰か注意した方がいい」というだけで自分は何もしなかった件を思い出すけど、太宰メソッド発動しないと人に何も言えない人なんだろうな。娘さんへの教育もそんな感じなのかしら。 2011/03/21
otokinoki この発言はさすがに科学的な根拠がなさすぎるかと思います/自説に固執するあまりハルマゲドンを起こそうとしたオウム真理教と変わらなくなっています/もう事故を望んでる?/モヒカン刈り&肩パッドを準備中? 2011/03/2141 clicks
p260-2001fp 最初にID部分を読まなかった私が悪うございました 2011/03/21
ochamecool 太陽系外に行くと良い 知り合いも海外逃亡して同じこと言っている。 2011/03/21
oldriver 何でそう思ったのだろう?一般的な情報ソースを無視する理由は何だろう?/ブコメ見て思うのは、臆病であること自体を嘲笑するのは良くないね。逃げたい人は逃げられることが大切。ウソの垂れ流しは良くないけど。 2011/03/21
Mamoru-Chiba 災害, twitter 2011/03/21
daybeforeyesterday アハハ 2011/03/21
zonia ひと 2011/03/2111 clicks
LethalDose YouはShock。 2011/03/21
ncc1701 「放射能が怖くて逃げた」って認めたようなもんじゃないか。/どんなタイミングで、どんな口実作って東京に戻ってくるか期待せざるをえない。 2011/03/21
kabatana 自己肯定化のために不安をあおるのは後ろめたい証拠。今は一刻も早くよりよい日常を想起させるメッセージを送るべき時。発言に力がある人は特にね。上を向いて歩こう。 2011/03/21
bt-shouichi Twitter, あたまがわるい, 東浩紀 なんで「俺は怖いから疎開した」で済まさず、「怖がらないやつらのほうが異常」となるのか/これを読む限り、もう東京に足を踏み入れることはなさそうだな。万が一戻ってきたら…嘲うw 2011/03/21
a-lex666 2011/03/21
trinh そこまでして自分と家族を疎開させたことを社会全体と関連させたいのか。最初に言ってた様に、他所様は知らんけど、娘が不安だから伊豆に行った。それでいいじゃん。 2011/03/21
hokuto-hei ネタ, 東浩紀 じゃ東京にもどってこなくて良いから 2011/03/21
Pz-4 そろそろお母さんにtwitterを取り上げられる時期。 2011/03/21 21
a8888 ネタ かなりテンパってるね。しかし、その土地に対する愛着のある人って海外でもそんな珍しくないのに。 2011/03/21
hyaknihyak 2011/03/21
k-takahashi ネタ 『水食糧からは放射性物質が検出それ続けるが、それにも慣れていく。数年後微妙に小児の癌発生率があがったという報道が出る』 東浩紀がこういった、という記録として。 2011/03/216 clicks
ghostbass 行くとしたら鳥取島根あたりだけどね…玄海あるしね… 2011/03/215 clicks
kouchi203 これはヤバい, 地震, 天才 ようするに、東京に住んでる人はアホと言いたいのか。 2011/03/21
REV 動物化 2011/03/2130 clicks 15
T-3don # |ω・)……, twitter 度しがたい。 2011/03/21
ublftbo 何を言っているのだろうか 2011/03/21
抜粋すんのめんどくさいから全部載せた。全部ヒドイってわけではないからね。
僕個人としては東浩紀の創作する「東京人異質未来」という差別目線的な予想図に対して、まあひどいかな、とは思うんだよね。<そういう未来になれば>だけどね。
実際それ自体もまた既に福島県の人が差別されているらしい記事もあるわけで、そういう未来はあるのではないかと考えている。
で、そういう主張をするうえで差別的な表現を利用するのは当然といえば当然で。それは「東京人」というムラ社会的区分にも顕れているわけだ。
僕が気になるのはどちらかというとブコメの方で、優越感を得るために東浩紀を利用するというか、さも避難したのを負け犬かのように非難する構図というものがみえてくるわけで。
読み違えてる人も多いだろうけど、あれは東浩紀個人の思想であるかというのはわからないんだよね。その点が池田信夫と本質的に違う。あいつは確信的ダダ漏れだから叩かれてもしょうがないけども。叩きたい人にとってはそんなものはどうでもいいのだろうけど。
これはやはり実名であることの弊害なんだろうか、気持ち悪い人間が多いなあと感じた。こういう人が論理武装してんだからおっかねー国だよ日本は。気持ち悪い。もっとも実名出さない時点で気持ち悪いといえば気持ち悪いか。
というかああいうのを「逃げ」と笑って、その上でなにか言えば叩く奴ってほんと何がしたいんだろう。こういう人って疎開についても同種の感情を抱くのだろうか。子供でも?子供なら仕方ないとして、では保護者は?離れたい人なら誰でもいいならどうなんだ?また我慢大会かよ、鎖自慢でもしてろって。
火災報知器の普及率は、「義務化済自治体」でも70%程度らしい。
耐震診断は、新宿区で「診断への補助金制度」を用意しても、実施者はゼロだったらしい。
中央区で「高齢者が民間賃貸住宅への入居をあっせんする窓口」を用意したが、
(孤独死されると困るので、貸さない、という民間家主のハードルが高かった)
「政策目標を、いかに住民等に実現してもらうのか?」という「政策実現テクニック」が
あまりにも「下手」じゃないか?
お役所は「●●した人には、半額補助金出します」的な政策テクニックが大好きだが、
そういうテクニックが、果たして「最少費用で、最大の政策効果を上げる」のに適切な手法だろうか?
自分だったら、
「●●したい人、自分の負担上限額を書いて応募してください」として、「入札」させる。
耐震診断であれば、予算枠5億円であれば、「自己負担割合が高くてもいいから耐震診断したい」
という人から順番に、予算枠5億円使い切るまでの人に耐震補助を実施する。
役所が勝手に「補助率は半額」と決めて実施ゼロになるより、よほど有効に予算が使われる。
「いかに政府・自治体の政策を実現するか?」というテクニック論について、
政策実現の方法学、とでも、言えばいいのか。
よく経済学者や社会学者が日本沈没を唱えては、周りから大げさ過ぎと叩かれる構図がバブル崩壊以降20年続いてきたが、
そろそろいい加減に日本沈没するだろう。終わってるだろうこの状況。こんな時分に日本沈没を唱える学者が少ないのはどういうわけか?
もはや日本オワタと声高に叫ぶ気力もないと見える。だいたい借金1000兆円の借金大国ニッポン。
俺が小学校のころから借金大国借金大国と言われてきたが、そろそろいい加減に限界きてるだろ。
冷静に考えたら1000兆円なんて返せるわけがない。それなのに、自民党民主党のくだらない党派争いしてるのはくだらないとおもわんかね?
足早に日本を見捨てて海外移住している奴が今後勝ち組。これはマジ話。消費税11%になる話もあるが50%にしても100%にしても無理だわ。
なのに、自民党民主党のくだらない党派争い。どっちが政権とっても国民は難癖つけて支持率10%台まで下落して辞意表明の繰り返し。
愚の骨頂。これじゃどんな有能な人が就いても同じ。3年はやらせないと。まあどんな有能な人がいても日本は終わりだがな。
追記:食糧自給率も40%。日本の農業に未来は無い。いざとなったら真っ先に沈没するのが日本。世界恐慌来たら一発ジエンド。
雇用、福祉の問題とか考えて国民に媚びてる政治家ども。それよりもっと考えることあるだろ。財政をなぜ考えない。
1000兆円の借金という現実から逃避し続ける政治家たち。日本はもう終わり。今後食糧問題が深刻化する。
国民たちはあまり知らない。当たり前の食べ物が20年後には確実に姿を消す。そのとき日本はどうするのか?今からではもう遅い。
政治家たちも手遅れだと分かっているから放置しているのかも。食の安全も危ない。なんでもセンセーショナルに騒ぎ立てるマスコミが
「東大卒・早稲田法科大学院卒の入社希望者をエントリーシート段階で落としてやった、少し優越感」と
しかし、中小企業などでは、「あなたはウチに来るには、あまりにも高学歴過ぎる」と
「おことわり」するケースは、案外多いらしい。
思うに、日本の「中小企業が多い産業構造」に対して、「あまりにも大学を作りすぎ」てしまい、
「社会が必要とする学歴比率」に対して「オーバースペックなまでに社会が高学歴化してしまった」
ということはないのか?
今までであれば、「若者の高学歴化は、当然必要な政策・望ましい政策である」という
「疑いようがない公理」があって、「受入側こそ、高学歴を使いこなせるよう、職種の高次化を
進めるべきだ」との論調が主流であった。
しかし、逆の発想として、「職種の高次化がなかなか進まないのであれば、若者の『行き過ぎた』
高学歴化の方を抑える」方が、現実に即した政策にならないのか?
高卒比率が増えると、一見年収が低く抑えられて「不利」に見えるが、
生涯勤労年数は「大卒比で4年は増える」(1割増える)ので、実は生涯トータルで見れば大差ないのでは?
加えて、年金加入年数も増えるので、その点でも有利。
また、実質的に親が負担している大学教育コストも「不要」になるので、「親子連結家計」で見れば、
なによりも、第一子の親になる年齢が30代⇒20代と若くなるので、
大卒だと「30代で第一子作り⇒体力・精神的に参ってしまって、子供は1人だけ」
のようなところが、高卒だと「20代で第一子作り⇒体力・精神的に余裕があるので第2子も」
となり易い。
そろそろ、「大学進学率が高いほど、望ましい社会だ」という「社会学者・政治家の常識」を
疑ってかかってはどうか?
そういうことなのかもしらんけど、それって本当にそうなってるの?
若者が誰かに憧れて、生き方までコピーする、って少なくとも戦後半世紀はずーっと続いてきた長期トレンドで、若者の本質に近いと思うんだけど。もしそれが無くなってるとしたらもっと注目されてもいい、凄い変化だよね?
「多様化してるから今の少年が真似したくなる対象が分散してて目立たない」ってだけで「小さなカリスマはたくさんいる」っていうだけのことなら、若者の本質が変化したわけじゃないから、あってもいい話なのかもしれないけど。うーん、ホントのところはどうなんだろう?社会学者とか電通とか調査してないのかな?
http://twitter.com/zaway/status/22888381585
それは、未来の経済社会のあり方についての「ビジョン」についてである。それを堺屋太一は「知価社会」とよび、ドラッカーは「知識社会」と呼ぶ。キーワードは「脱工業化」、そして「知」だ。従来型の産業構造の転換が求められているという議論は、今も日本で話題になっているが、これは新しいようで古い。そこで今回は、彼らの著作の紹介を通じて、過去の議論をざっと見てみようと思う。
当時はかなりの反響があった。鉄鋼やエレクトロニクスなど日本の製造業が絶頂期にあった中、周囲からのひんしゅくを恐れずに堂々と脱工業社会の到来を予言した。ある意味で、時代を先取りしすぎた本と言えるかもしれない。
まず著者は、古代以来の世界史の「精神史」的側面を振り返りつつ、現在の世界が直面している変化を位置づける。むかしは、カネや領土を追い求めた「物質」尊重型の古代文明(ローマ帝国や中国の漢王朝のような)、古代の巨大帝国が崩壊すると今度は、信仰に篤く慎まやかな生活をおくる「精神」尊重型の中世が到来した。それが、産業革命以後の近代ではまた「物質」を追い求める時代へと転換した。その意味では、現代社会の価値観は古代帝国が基底にある。
しかし、足下ではこれが中性的な「精神」尊重型の社会に立ち戻る動きが見られる。2度の石油ショックが起こり、これで資源が有限であることに人々は気づき、環境意識が高まっている。「このまま大量生産、大量消費を続けたら我々はまずいのではないか」、そうみんなが確実に思い始めている。この流れの延長線上にある社会の姿と位置づけるのが、「知価社会」である。
知価社会とは「デザイン性やブランド・イメージ、高度な技術、あるいは特定の機能の創出といったことが、物財やサービス価格の中で大きな比重を占めるようになる社会」と定義する。ここで、単に情報産業、サービス産業などという特定の業種転換より広い意味をもっていることに注意したい。むしろ、強調されているのは製品としての「コモディティ」の終焉である。彼は確かにこう書いている。「安い規格品よりも高級なブランド品が、より長く使われる「知価」の部分が肥大化した価格攻勢が一般化する」(文庫版p225)。
すでにアメリカでは知価社会への適応が進んでいる。単純な製造業が衰退する一方、ブラディング、マーケティング、サービス産業の比率が高まっている。翻って、我々日本にとられるべき選択肢は2つ。知価社会への移行を推し進めるか、それとも従来の工業社会の基盤に固執するか、だ。日本が取るであろう道について、彼は製造業での成功体験が忘れられず従来型産業構造維持型の政策を取り続ける可能性は高いと予測している。しかし、その道は安易であり、長期的に有利とは限らない。国際環境の変化に適用できない硬直化に陥る危険性があると警鐘を鳴らし、締めくくる。
原著は1993年刊。この時齢83歳。
ドラッカーといえばマネジメントだが、 本来は政治・社会批評家である。彼がマネジメントの研究に入っていったのは、その思想を実践するための手段としてマネジメントが有効だと気づいたからにすぎない。
彼はまず産業革命が起こった要因について振り返り独特の解釈をする。産業革命を起こったのは、生活水準や資本の変化意外に、1700年以降から変わったある決定的な要因があった。それは職業別組合などの内部のみで、数千年に渡って発展してきた秘伝としての技能が、初めて収集され,体系化され、公開された。技術学校や「百科全書」のような書物によって経験は知識に、徒弟は教科書に、秘伝は方法論に置き換わった。この「知識」こそ、道具,工程、製品への応用の連鎖をうみイノベーションの加速度的な発展を促したものだった。
そして、今、知識の役割はさらに重要になっている。放射線治療機器、CTスキャナ、高度なCVD装置、超高速のスパッタリング装置。今の製造業の基盤になっているこうした生産手段は、労働者の高度な知識があって初めて動く。昔の資本主義がそうであったように、けっして労働者は歯車のように資本家に所有された代替可能な機械ではなくなっている。従来の資本主義にあったような「資本家対労働者」という次元は今や完全に消滅している。今や富の創出の中心は、資本、労働、土地から、人間の知識そのものへと移行している。
ドラッカーは、このような形で変化しつつある社会を「知識社会」と称した。そうした社会では、労働者達の知識を効率的に活用し、いかに収益にむすびつけていくか(これをドラッカーは「知識の生産性」といっている)がこれまで以上に国,産業、企業の競争力にとって重要になってくる(p244)だろう。それはこれまでもそうだったし、これからはさらにそうなっていくだろう。イギリスは過去、CTスキャナ、コンピュータ、抗生物質、ジェット機を開発したが、それを製品やサービスや仕事に転嫁できず、アメリカに抜かれていった。他方、アメリカはアメリカでマイクロチップ、コピー機、工作機械などのパイオニアだったにもかかわらず、日本企業がそれらの市場を奪取するのを指を加えてみるしかなかった。そして、日本は、自らが事業の先鞭をつけたほとんどの主力産業(液晶テレビ、カーナビ、電池)で韓国、中国企業の強烈なキャッチアップを受けている。
では、いかにして知識の生産性を高めることができるのか?それを実現する手段が「組織が成果を生み出す機能を高めること」。つまり、マネジメントなのである。この結節点において、社会学者としてのドラッカーと経営学者としてのドラッカーとががっちりと連結される。
A 最近マイケル・サンデル流行ってるね。あの暴走列車の話なんかさ、哲学の導入の思考実験としては見事なもんだよ。
けどあのネタで自分の美徳の立場を規定しちゃう輩ってのが多いんだよ。
実際にあれに似た事件が起こったら思考実験では考慮されない誤差が重要だったり、
自分が以前に思考実験で規定した美徳の基準に束縛されない選択ができる事が重要だと思うんだよ。
B 「自分が以前規定した美徳の基準に束縛されない選択」をした奴は罪悪感を感じるべきだと思うよ。悪いことは悪いんだ。
A いやそれよりも、自分が規定した言葉の重圧から開放されたほうが正しいものを追う姿勢として正しいはず。
B でも間違えたら悪いよね。
宮台真司が若い頃女百人斬りをしてて、女の浮気相談には「旦那を寝取られるおまえが悪い」と返していた話など
A 平野綾に関しては「自分は処女だ」と明言したわけではないので騙したという確証はないし
宮台がそういう話をしていたのなら物書きとして社会学者として論理的な説明が商売上必要だけど、
仮に間違えたのならそういう人はどこまで責任を取りゃいいの?
B まぁ許してもらえるまで。引退しろってことになるかも。
A じゃルールを守らない奴は全部悪いのね?なるほど思考実験をしましょう
赤信号があります。横断歩道を超えた先にあなたの息子が今にも死にそうな状態で
あなたの持ってる薬を待っています。でも横断歩道には青信号になるまで待っている人だかりで身動きができません。
車は全く走っていません。あなたは正しいことをしている信号待ちの人をじゃまだからと押しのけずに子供のもとまで行きますか?
B 行くかもね。すいません、どいてください、といって。
A じゃあなたは悪いんですね。
B そう。悪いものは悪い。
A マジで!
=略=
A でさ、君、こういう原理主義的な話を他人と延々とやって、君にとってのゴールとメリットって何?
B ゴールは価値感のあわない相手より自分が正しいことを証明すること、メリットは相手を打ち負かすために勉強するモチベーションになる
A 僕とは真逆だよね。僕は話してても楽しくない価値感のあわない人間とは話したくないし、好きな人たちと楽しく話すための方が勉強の
モチベーションになる。こういうと「島宇宙」だとか「何とかクラスタ」とか色々言われるんだけど、別にいいじゃん。社会ために生きているわけじゃねーし。
B 色々言われるんだけど、と意識している時点で気になっているんだよ。
A そう、気にはなっている。ただ君との違いはその人たちと積極的に話すかどうかだね、僕は話したくない。話す必要があるのであればルールを介して事務的に話す。
B 話していて楽しい人ってどんなの?
A 君と話していても楽しいし(※)、友人と好きな映画の話をするときも知識が豊富で論理的に話してくれる人が好きかな。そうじゃない人と映画の話をするときもあって、そういう人は僕が◯◯監督論を語ると物凄く破綻した論法でぐちゃぐちゃにしてくるんだ。
B え?そういう時はその人に論理的に自分の話を聞かせればいいんじゃないの?
A そうできればいいんだけど、物凄く疲れるんだ。積み木崩しで。
そうなるのならもうこういう系統の話はやめて、もっとばかみたいな話をしよう、とか思う。
この人の魅力は別のところにあったりもするので。だからこういうタイプの人は僕の周りにいないけど
個人的に恩人だったりするとね。
B そこで話をするんだよ、論理的に。何でしないの?
A いや、過去に論理的でも何でもない馬鹿話が楽しかったので、あえて面倒くさい冒険をしないんだよ・・・
※このトークにおいてこの時点でのA君は嘘を付いてるが、普段はBくんとの会話を楽しんでいる
****
A君の感想 どこかでこの面倒くさい話切ればよかったけど、疲れてて切れなかった。生き方や正義について議論をするってのは「論破されても考えを曲げない」という心持ち一つで全く無意味になるのを、いい加減わかってよ…
B君の感想 こいつの話はどんだけスタンダードを抱えてるんだ?スタンダード一杯あってもいいじゃないか人間だものってか?ずるいよなぁ、俺みたいな真面目なのがいつも損する。しかも疲れた。
>ひはん 0 【批判】
>(1)物事の可否に検討を加え、評価判定すること。
>「学説―」「―を仰ぐ」
>(2)誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。
1.当然あることとして
創作物を公表すれば批判はあるものである。その際の定型的な文句としては「批判されるのが嫌なら公開するな」と言う言論。これは正当であるし、創作側は批判を覚悟しておくべきだと私は考える。しかし、それは批判をすることの良し悪しとは関係がない。「鍵を締めていなければ泥棒に入られる」「裸の女が歩いていればモラルなんて吹っ飛ぶ」「無防備国家は侵略される」、これは当然起こりうることとして考えなくてはいけないが、泥棒もレイプも良いことではない、当たり前だが私が考えるには悪いことだ。鍵を開けて外に出る家主は泥棒を覚悟すべきだが、泥棒は鍵を開いていることを理由に盗みを働いて良い理由には成らない。同じように創作物を公開すれば批判されるのは当然あることとして創作者は覚悟すべきだが、だからといって批判して良いという物ではないのではないか。
2.批判という手法
創作行為に対して批判をする理由は幾つもある、個人個人で様々であり一概に藻言えない、その中で創作者への好意的な理由として用いられると私が考えるのが「改善させるため」と言う物がある。確かに欠点は指摘されなければ気付かない事もあり、またその指摘が強い物であればより強く受け取ると言える。しかし、改善させるためならば、リクエストとアドバイスという方法もある。「こういう風な方が好きだ」「こうなったら面白そう」そう伝えることにより創作者に道行を示すことも出来る、また「こうした方が良いのではないか」「ここをこうするというやり方もある」そういった提案をすることによって改善を促すことも出来る。これは、どの手法が良いという物ではなく、様々な手法とそのメリットデメリット、中でどの手法を選び、その必要性と優位性。それを考えることが出来るということだ。
3.対人問題と芸術への問題
創作物への批判の良し悪しを考えるときに2つに分けて考える必要があると私は考える。言う相手との人と人と付き合いとして批判することの良し悪しと、批判が創作活動に対して及ぼす良し悪しだ。
対人問題として良し悪しを考えるときに、やはり相手の嫌なことを故意的に行うことを良いとは私は判断しづらい。相手にもよるが、殴られたってマゾヒスト以外喜ばないし、マゾヒストだって誰から殴られたって良い物でもなく、叱られるのであっても親から教師から友人から間柄があってこそ感謝が出来る。無遠慮に見ず知らずの人が乗り込んで嫌なことをしても良くはないと私は感じる。誰にでも良い物ではなく、相手を良く知った上でその人その人に合わせて批判と言う手法が適切であるか考えなくてはいけないのではないか。批判という手法は基本的には良くないと個人的には考える。
創作活動に批判が良い影響を与えるか悪い影響を与えるか。メリットと言えば、よりよき物が生み出される可能性や創作者の欠点が改善される可能性。デメリットで言えば、創作者の意欲が落ちる可能性や創作活動をやめてしまう可能性。メリットに奮起してやる気が上がる可能性もあるが、もちろんデメリットに間違った方向に進んでいく可能性があるが、そういうものは希な物として私は考えている。さて問題なのは創作活動が落ち込むほどに指摘することが、そのデメリットを覆す程にメリットがあるかどうかだ。上に記したように、アドバイスやリクエストという手段がある。より活動を落とさない手法があるのに、批判という手法をとるメリットは無いように私は感じる。
もちろん、受取手は創作物に感想を持つことは当然の権利であり、またその感想を口に出すことにも権利がある。そして、その口に出す感想をどこまでも発信する権利が創作者がそうしたようにある。しかし良し悪しとはまた別にあり、その中で考えなくてはいけないのは口に出す感想をどこまで伝えるのかという問題だ。まず受けて独り言を出すのに何も問題はなく悪いはずがない。次に仲間内で話す、ここで問題になるのは仲間の中に好意的な感想を持っている人を嫌な気持ちにさせる可能性がある、それを意識的に行って良いかどうかは、その仲間内の人と人との関係である。さて創作者に向かって伝える、ネットや出版社が間に入ってることもあるが、例えば目の前に作者が居て「お前の作品は駄目だ」と伝える、蹴っても良いよね。軽く軽く。次に、公に向かって発信する、これは創作物であり、他人を公然とあげつらって良いとは私は言えない。
個人でならともかくとして、他人が関わってくる時には行為が他人に与える力を考えなくてはいけない。嫌な気持ちにさせることを何の状況判断もなしに行うのは浅慮と言える。権利を有していても、その行為をすることが悪いことはあり、行為は時と場所を考えて行わなくてはいけない。
5.出来ることと出来ないことの間に
ネットではとにかくとして、出来ることと出来ないことが判断の基準になっていることを私は多く見る、その次に法律と各々のサイトのルール。「出来るんだからやらせろよ」「やらせたくないなら出来ないようにしろよ」「法律にないじゃん」。語調は私が書きやすい語調であり他意はない。単純に言えば「ウェッブルールもクソ喰らえ」「無断リンク禁止」問題か。可能不可能で言えば、プリントアウトしても無断でリンクしても問題はない。しかし相手を嫌がらせていることが消えるわけでもなく、嫌がっていることを故意的に行う人間性を良いとは個人的には言えない。悪し様に文句を言ったウェッブの人も無断リンクの人達も問題はある。
パソコン通信からインターネットになり、企業や国の公的なサイトと個人サイトやブログがある。個人対個人であり、公人でなく私人であることが最近は特に多くなってきた。インターネットに存在する物は全て公的な存在として考えるべきかどうかは社会学者に任せるとして、個人対個人の場合というのはやはり人付き合いなのだと私は考える。
ネチケットやネットマナーというは基本的に気持ちが悪く一笑に付される存在である。技術も変わり環境もたえず変わりネットには新しい人が絶えず足を踏み込み、共通の感覚というのが未だ成熟していない。自分と相手の間に、どこまで足を踏み込んで良い物なのかおっかなびっくりである。直接出会う人ならばどうするかといえば試行錯誤をしながら足を踏み入れていくところだ。さて創作者とはどうか。ネットにより、以前より際だって創作者と受取手が直接交流することになった。しかし、ニコニコ動画やぴくしぶは、それまでの出版社やプロダクションなどに属していた状況と違い、より個人対個人の交流に成ってきた。それはテレビの前でぶつくさ言ったり、手紙を出すのとは違い、モニターと言うテーブルを挟んだ座談会だ。それを今までと同じように感想を述べて良いか、これは先ほど書いたように時と場合が違うことを思い出さなくてはいけない。ネットマナーやネチケットは分からないが、人と人との付き合い方ぐらいは分かっているものではないのだろうか。
6.駄サイクル(ださいくる)
漫画家、石黒正数先生の作品より。身内で、作る→褒められる→見る→褒める→作る→褒められる、を繰り返すださい駄目なサイクルの事である。これを見るに、批判は必要なように思えてくるが、駄サイクルの問題は閉じた世界で満足していることであり、開いた世界で褒められるならばそれは傑作である。そして無理に批判をしなくても褒めないという手もある。
7.個人的な結論として
創作して公表すれば批判されるものだ。創作者は、それを排除してはいけない。しかしそれは創作者の態度である。受け手の態度はまた別である。創作物を受けたときに批判という手法は良いのかどうなのか。私は積極的にはとるべき態度ではないと考える。さて、しかし、上で記したアドバイスと批判というのは実は曖昧な物である。アドバイスと思っても創作者は不快に思うかも知れないし、どこからどこまでが批判とも言えない。そこで重要なのは受取手の感情で、嫌がらせる目的でやらないことなのだろう。
そして、批判をする側が「制作者はかくあるべき」と言うことを言い訳にしないこと。その言い訳は自身の行為を正当とはしない。ただ独り自身の行為として良し悪しを自身の倫理で考えるべきであるとして、私の考えを締める。
授業コード 5A00602
コース 2
学期名称 通年
曜日時限名称 水6
氏名 西山 茂
宗教運動とは、人間と社会が、希望なきところに希望を持ち、意味なきところに意味を見出し、どうにかして世界を故郷にしようとする集合的な企てである。この演習では、「宗教運動とは何か」について学んだ後に、事例として、戦後の日本で急膨張した創価学会運動を取り上げる。具体的には、急膨張期の創価学会運動を取り扱った優れたルポルタージュ等を読んで議論・発表し合って、宗教運動への社会学的な理解を深めたい。なお、別途、卒論題目の決め方指導も行う。
到達目標:
当該宗教運動が発展してきた社会的背景と運動を指導する側の理念・目標、さらには、運動参加者が運動に託した希望と意味等の間にあるトリアーデについて、一定の宗教社会学的理解に到ることを目標とする。
講義スケジュール 第1〜3回:まず、「宗教運動とは何か」について、複数の宗教社会学者の見解を紹介し、それを巡る議論によって、宗教運動への基礎的認識を深める。
第4〜6回:続けて、配布資料をもとに、日本の新宗教運動についての概括的な知識を身につける。
第7〜9回:第三に、配布資料をもとに、創価学会についての基本的知識を身につける。
第10〜14回:高瀬広居『第三文明の宗教』を読んで、討議・まとめ・発表を行う。
第15〜19回:鶴見俊輔『折伏−創価学会の思想と行動』を読んで、討議・まとめ・発表を行う。
第20〜24回:石田郁夫『創価学会−戦後民衆の思想とエネルギー』を読んで、討議・まとめ・発表を行う。
第25〜28回:演習活動のグループ総括発表と教員指導。なお、その間に、那須でのゼミ合宿を予定している。
指導方法 西山ゼミは、参加者が何でもやりたいことをやれるゼミではなく、教員の専門分野に即した特定のテーマについて学ぶゼミである。したがって、参加者も趣旨に同意した学生が多く、まとまりがある反面、少人数になりやすい傾向がある。
今年度の参加者の人数にもよるが、少なければ1つ、多ければ複数のグループでの討議・まとめを行って、その後、全体での発表と教員指導を行いたい。
もっとも、宗教運動や日本の新宗教運動、創価学会等についての基礎知識の教育は、はじめから、教員による全体指導によって行うこととする。
成績評価の方法 成績評価は、100%、春・秋学期の最後に提出して貰う年2回のレポートの内容をみて行う。ただし、それが水準以下の場合のみ、出欠状態の良否を参照して評価する。
テキスト ①西山茂「変貌する創価学会の今昔」(雑誌『世界』第72 7号、170−181頁,2004年6月)
③鶴見俊輔『折伏−創価学会の思想と行動』(産報,1963 年)
④石田郁夫『創価学会−戦後民衆の思想とエネルギー』(三 一書房,1965年)
参考書 適宜、演習時に指示する。
ポエムみたいになった。が、まあいいや。
ベーシック・インカムの論議がなされているけれど、共通の目的は「この世から貧困による不幸をなくそう」って認識なんだよね。
それであってるよね?
その方法として、全国民に月々、まあたとえば五万円を支給する。
これがベーシックインカム(めんどくせーから以下BIって書く)だ、と。
なんかおかしくないか?
だってさ。
実現方法がいろいろ言われているけれど、相続税を取り上げるだの、政府通貨を発行するだの。それって一回こっきりじゃないの?
たとえば来年、BIが導入されました。
わーいうれしいな。月々五万円も増収だ。
金持ちは涙目だねぇ。相続はチャラになるわ、政府通貨のせいで資産が目減りするわ。
でもそんなの関係ないよね。
次の年も月々五万円が支給された。
偉いね、なんとか続いているんだね。
その次の年も。
わぁい。
……。
あれ?
今月、五万円支給されたけど、うまい棒一本しか買えなかったよ?
そこが謎なんだよ。
毎月毎月、一定額が支給される。確かにそれは良い話だ。一年か二年、この国から飢えで苦しむ人をなくすことはできるだろう。
が、その後はどうなの?
十年二十年たった後も、この国はユートピアでいられるわけ?
「貧困を撲滅しようとしているのにもかかわらず、
どうして持続可能な案じゃないの?」
「貧困をなくすための案のはずなのに、
どうしてすぐに終わっちゃいそうな案なの?」
俺に言わせりゃ、ムセキニンなんだよ。あんたら。東。小飼。誰か知らんけどその他取り巻き。
みんな、短期的な案は語る。一年や二年は、そりゃあ、支給できるだろう。民主党の子供手当とおんなじだ。
でもその後はどうなの?
俺だってそりゃあ、みんな食うために働かなくてもいい社会が理想だよ。
安心して、あくせく働くことに価値を見いださなくても、人生そのものの喜びにひたりたいよ。
でもその基盤は、あくまでしっかりとした、「安定」した物じゃなきゃダメなんだよ。
そして事実、俺は信頼できるものは自分の脳みそしかない、身体しかないと思っている。
そのために働いている。
勉強している。
だからなおのこと、BIみたいな不安定なものに身体をゆだねるわけにゃいかないんだよ。
BIに身体を任せて、自分の脳みそを二番目以下においやることはできないんだ。
そっちのほうがよほどリスクテイクなんだから。
わかるか?
俺は政府を信用してないし、ましてやアルファブロガー、思想家、社会学者(くっ……ぷぷぷっw)なんてものを信用できるわけがない。
信用できないものに、人生の基盤=最低限所得保障を任せるわけにはいかないんだよ。
まあしかし、実現可能性については議論すること自体の意味がないだろう。
それは旗振り役の無責任さを指摘するだけで十分だ。
思うに。
彼らは結局のところ、貧困を撲滅しようなんてことは考えちゃいないのだ。
東、小飼、えっと誰だっけ。ホリエモンか。
みんな成功者だ。
成功したから、はっきり言えば、この先食って行くことに心配していない。
それは収入的な意味じゃなくて、自分の脳から生み出される富、つまり生活基盤の安定を確信しているからだ。
必要なときに稼げばいいと思っている。
そして彼らは事実それができる。
自由に働き、
自由に生き、
自由を謳歌している。
それと同じ喜びを、みんなに味わわせてあげたい!
ああ。
そうだね。
実に博愛的じゃないか。まったく。
政府なんてもんは、他人なんてもんは、あんたらの、自分の脳みそなんかよりも、全然信用しちゃならねぇんだよ。
自由な生き方ができるって言ってBIを煽ったのは誰だ。
この世には無能があふれているんだよ。
そいつらをちゃんと、
おれたちをちゃんと、
永続的に救えるのか。
BIは。
貧困をなくしたいなら、BIの論議はもっと現実的であってください。
百年や二百年の先を語ってください。
一年や二年の話なんかいらない。
百年先のビジョンが欲しい。
しかしそのためには、実現可能な案をつぎつぎ実現することが大事だ。
孫正義が偉かったのは、ビジョンを語り、それを実行したからだ。
孫正義が荒唐無稽な夢想家じゃなかったのは、自らの夢を実現したからだ。
実行が出来ないのは、端的に、思想家の無能だ。
何の思想もないくせに、目先の話をお遊びでしているだけという証明だ。
俺の人生は、
あんたらのお遊びじゃない。
あんたらの議論の道具じゃない。
あんたらが夜な夜な笑いながら議論ごっこをして本を出して印税儲けてアフィリエイトで稼いで講演料をもらって出演料をもらって仕事という名のわけのわからんシンポジウムを開いて悦に浸ってTwitterでぐちゃぐちゃと訳のわからん議論遊びに使って、肩書きを、収入源を、いくつもいくつも増やすための、道具じゃないんだよ。
そういうことなんだよ。
お遊びで、
社会を分析(笑)してブログやら本を書くネタにするためにやっているんなら、
今すぐこの日本から出て行ってくれ。
頼むから。
http://anond.hatelabo.jp/20100205133048
↑増田に投稿された怪しい怪文書。この文書は昔、2chに匿名で大量に投稿されたものだそうです。
驚くことに怪文書の中身は次々に山本氏の自称らしきものと、いくつも一致しました。
(検索の範囲でひっかかったもので確かかは知りません。文句はリンク先にどうぞ。)
まずralph
山本一郎のtwitterアカウントは、つい最近までRalphYumのハンドルを名乗っていました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kirik
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/05/post-cc27.html
ジャーナリスト・神保哲生氏のネット番組で社会学者・宮台真司氏に
「シカゴ大学大学院に行った」と紹介されたとき、肯定も否定もしなかった。
http://fusoshatokiri.seesaa.net/article/3714514.html
http://cmiyc.hp.infoseek.co.jp/src/up0004.jpg
大学では自治会とかを。 僕が文連の委員長もやっていて。 3年の時委員長になって4年の時に後継者いなくてもう一年やって、 そのあと一回留年して、さらにもう一回、合計3年間委員長やってですね。
http://www.keio-j.com/old/interview/43kirikomi1.html
http://www.fusosha.co.jp/senden/2004/048188.php
で、そっちが売れてシリーズ化したんで、なんかオーダーが来たと。
http://d.hatena.ne.jp/tonbo/20051024
「確か、デルは1株2ドル40セントで買いましたが、その後、グングン株価を上げ、結果的に当初の投資金額の1000倍くらいまで跳ね上がりました。」
http://www.geocities.jp/kirikomi1973/Dell/index.html
本人が自称する経歴と一致がいくつかありますが、怪文書が正しいとも正しくないとも断言できません。ただひとついえるのは、
「匿名で悪口をかかれることが多いインターネットの世界で匿名で美談を広げてもらえるなんて運がいい人だ」ってことでしょうか。
http://f.hatena.ne.jp/tsubomi_ugetsu/20090930103606
に関しては、本年7月付けで辞任しています。理由は、少なくとも
この2年ほどは実態がなかったから。
http://column.chbox.jp/home/inoemon/archives/blog/main/2006/09/01_110014.html
http://f.hatena.ne.jp/tsubomi_ugetsu/20090930104514
ふと思ったのですが、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」なのではないでしょうか?
思い出していただきたいのは、麻生政権時代の話です。あの時、私たちはなにかモヤモヤとしたものの中にいたような感覚を感じていたのではないかということです。自分自身に不確定感を感じており、自暴自棄な部分があったり、八方ふさがり感を感じていたり、手応えの無い生を生きている様な感覚を感じていたのではないでしょうか?
つまり、あのまま、自民党政治なり、麻生政権が続いていたとしたら、私たちは、自分たちが溶けてなくなるような感覚に襲われていたのではないかということです。
戦後民主主義というマッカーサーの誘導通り、生きている事にリアリティのない、夢見がちな子供こそが日本人であるということを日本人自身が真面目に実行してしまい、日本人の精神年齢は永遠の12歳に閉じ込められてしまいました。つまり、団塊世代を含めて、子供が多数派になってしまったという現実があると思います。
そして、その結果として、野党が多数派となり、鳩山内閣になったという訳です。
今までは、誰かが(この場合、自民党が)、親のように国民の面倒を見てくれましたから、親に子供が不満をぶつけるように、国民も野党もマスコミも外部からヤジを飛ばしていれば、責任を果たした気分になっていました。しかし、いざ、自分が権力を持ってみると何も出来ていないのが現実としてあります。
鳩山首相というのは、今まで、外部にいた国民や野党やマスコミが……外部にいた人間が、鏡に映った場合にどう見えるかという事の体現者です。彼を無能、正常な精神状態でない、歪んだ笑顔が醜い(そこまで言ってませんね)と責め立てた所で、それは結局、国民自身が自分自身を批判していると言える事が出来るのではないでしょうか。
ですので、結果的にであれ、どうであれ、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」として機能してしまっているというのが実情でしょう。
以前、こんな記事を見ました。
「三国志の中で誰になりたいか?」という記事です。中国では狭義心に富む「関羽」が人気でした。アメリカでは有能で策謀謀略に長けた「曹操」が人気でした。日本では天才軍師の「諸葛孔明」が人気でした。
これが何を表しているかというと、自分の立ちたい立ち位置を表しているのではないでしょうか。
つまり、「トップに立たずに、冴えたアドバイスをする「知恵袋」として活躍したい」というのが日本人の心情な訳です。
これがそのまま、日本人の野党体質に繋がっているのではないかと思います。
例えば、ある社会学者があるジャーナリストをなぜ、実際に著名人をどんどん引き連れて政治工作しないのか?と責め立てる訳です。ジャーナリストは「自分がやりたいことをやりたい」と答えていましたが、要するに、誰も当事者にはなりたくないのです。その社会学者も、孔明的な立ち位置に立ちたくてそんな事を言ったのでしょう。でも、責任は取りたくない訳です。ジャーナリストにしても政治運動の当事者になる事は「やりたい事リスト」の中に入っていない訳です。やはり、孔明的な立ち位置でやっていきたい訳です(その点、勝間女史を悪く言う人がいますが、そういう人達のサバイブ能力は、彼女以下であることは間違いないと思います)。
結局、政治の当事者ではなかった自民党時代の民主党も、国民も、マスコミも、(当事者からすると無責任な)冴えたアドバイスをしたい訳です。何か偉そうな事を言いたい訳です。その欲望が中心にあったのだと思います。
しかし、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」は、日本人をことごとく死地へ向かわせ、容赦なく、当事者にしてしまうでしょう。逃げ切れると考えている団塊世代も例外ではありません。財産に対する猜疑心に否まされ、孤独死してしまう人も多いのではないかと思います。そして、実際、氷河期より就職事情は厳しいですし、経済的な脱出口は見つかっていません。また、ご存じの通り、外交も迷走しています。
多分、日本人がこの通過儀礼を無事乗り切るかは分かりませんが(最悪、中国の植民地だと思っています。もっとも、チベットのように民族浄化されるかも知れませんが)、ある種の諦観と、自身しか当てにならないというサバイブ能力を持たざるを得なくなるでしょう。
レイプ問題を熱く議論するのは結構ですが、現実問題として、全ての男を隔離されている日本より、女性が鉄砲を持ち迷彩服で町中を歩く日本の方がリアリティがあるのではないでしょうか?(現に、アフリカでは似た様な状態の国もあるらしいですし。そして、残念ながら、非常に残念ながら、日本のレイプ発生率は低いのです。いずれにせよ移民は増えると思いますが、容赦なくレイプ発生率もグローバルスタンダードに近づくでしょう)
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