はてなキーワード: 戦争法とは
「戦争法、反対!」
「戦争できる国、反対!」
「徴兵制、反対!」
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日本共産党 大勝!
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共産主義国家成立!
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「共産党の一党支配だよ!」(安倍の独裁はあれだけ許さないと言ってたのに)
「独裁だよ! そもそも独裁以外は目指してないからね」(同上)
「党設立時から目指してた、共産軍ができたよ!」(自衛隊どころじゃねえな。人を殺せるよね)
「当然、徴兵制だよ! 老人は役に立たないから若者からね!」(え?! 若者を戦場に送るな!って言ってたよね?)
「デモはだめだよ! 言論思想の自由はないからね!」(ありゃりゃ?? 共産主義、ひどし!)
「正義? 勝ったほうが正義だよ!」(やっぱり、あんたら嘘つきだった)
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結局、戦争する国になるじゃねえか。
だけど、共産主義国家にだけはなってほしくねえ。
【例】
1997年にフランスで刊行された「共産主義黒書」に殺害された犠牲者数の国・地域別の一覧を提示。
ソ連 2,000万人
中国 6,500万人
ベトナム 100万人
北朝鮮 200万人
カンボジア 200万人
東欧 100万人
ラテンアメリカ 15万人
アフリカ 170万人
アフガニスタン 150万人
人を殺すことは罪になるのか?
罪にならない殺人が存在していたとしても、殺されるときはどんな人でも苦しむだろう。
人を殺し、苦しみを与えることに、一体どんな価値があるのだろうか?
謎は深まるばかりである。
ベン・ブルース・ブレイクニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年 - 1963年3月4日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人・法律家。東京裁判においては、東郷茂徳、梅津美治郎の弁護人を務めた。
開廷早々の管轄権問題では、国際法に戦争に関する法規があることから戦争は犯罪ではないと主張し、検察側立証段階では、有効な反対尋問を行った。
「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。
我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。
何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。
個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。
それは殺人罪ではない。
たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)
キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。
我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。
原爆を投下した者がいる。
この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。
その者達が裁いているのだ。
と発言、
1947年3月3日にも、イギリスとソ連のパリ不戦条約違反を主張するとともに、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第四項が禁止する兵器だと指摘した。
更に、太平洋戦争段階の外交部門の主任を務めた山本熊一を証人に立たせて、「近衛手記」や野村吉三郎電報を駆使し、日本が日米交渉に最後まで努力したことを立証しようとした。
また、米国議会の真珠湾攻撃調査の委員会での証言や、開戦当時諜報担当だったブラットン陸軍大佐を証人に立たせてアメリカの電報傍受の事実を指摘した。
2015年の流行語大賞の候補が発表になりましたね。はてなでの反応を見る限り、聞いたこと無い、政治的な用語に偏り過ぎという意見が多かったように思います。そもそも、この賞の正式名称は新語・流行語大賞なので、流行語の方はともかく新語の方は知らなくても仕方ないのかもしれませんが、候補となった言葉を自分が知らないだけなのか、世間では普及しているのかが気になったので、Tahoo知恵袋で検索して、検索結果の件数をランキングにしてみました。どうぞ。
という訳で、2015年最も流行した流行語は「チャレンジ」でした!という訳にはいかないですね。ここでのチャレンジは東芝の件を下敷きのしているのに、一般的な頑張るという意味のチャンジを含むこの検索結果数で順位を決めても仕方がない。エンブレム、花火も一般過ぎて参考にならない。固有名詞っぽくてランキングが高いのは、その次からのモラハラ、マイナンバー、北陸新幹線、大阪都構想、ドローン、戦争法案あたりでしょうか。たくさん政治用語入れたのに、安全保障関連はあまり順位高くないですね。これで、戦争法案が大賞を獲ったら政治的との謗りは免れないのではないでしょうか。
順位 | 検索語 | 件数 |
1位 | チャレンジ | 208611件 |
2位 | エンブレム | 30189件 |
3位 | 火花 | 20036件 |
4位 | モラハラ | 16363件 |
5位 | マイナンバー | 12135件 |
6位 | 北陸新幹線 | 10214件 |
7位 | 大阪都構想 | 7688件 |
8位 | 粛々と | 6201件 |
9位 | ドローン | 4369件 |
10位 | 戦争法案 | 3849件 |
11位 | シールズ | 3577件 |
12位 | ルーティン | 3415件 |
13位 | レッテル貼り | 2541件 |
14位 | ラブライバー | 2026件 |
15位 | ラッスンゴレライ | 1994件 |
16位 | 白紙撤回 | 1818件 |
17位 | SEALDs | 1286件 |
18位 | 爆買い | 1069件 |
19位 | トリプルスリー | 1021件 |
20位 | あったかいんだから | 937件 |
21位 | スーパームーン | 872件 |
22位 | インバウンド | 799件 |
23位 | テロに屈しない | 378件 |
24位 | ラッスン | 355件 |
25位 | フレネミー | 345件 |
26位 | ドラゲナイ | 259件 |
27位 | 存立危機事態 | 254件 |
28位 | はい、論破! | 185件 |
29位 | おにぎらず | 170件 |
30位 | 駆けつけ警護 | 146件 |
31位 | 下流老人 | 97件 |
32位 | I am not ABE | 97件 |
33位 | ミニマリスト | 91件 |
34位 | 早く質問しろよ | 88件 |
35位 | サードウェーブ | 74件 |
36位 | I AM KENJI | 69件 |
37位 | プロ彼女 | 56件 |
38位 | オワハラ | 54件 |
39位 | 結果にコミットする | 53件 |
40位 | 1億総活躍社会 | 46件 |
41位 | 五郎丸ポーズ | 44件 |
42位 | アベ政治を許さない | 42件 |
43位 | 上級国民 | 35件 |
44位 | 自民党、感じ悪いよね | 30件 |
45位 | 切れ目のない対応 | 28件 |
46位 | まいにち、修造! | 23件 |
47位 | 福山ロス | 21件 |
48位 | アゴクイ | 15件 |
49位 | 国民の理解が深まっていない | 9件 |
50位 | ましゃロス | 8件 |
51位 | 刀剣女子 | 7件 |
52位 | 安心して下さい、穿いてますよ | 6件 |
53位 | とりま、廃案 | 2件 |
先日、『選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと』という文章を書いた。
予想外の反響を得て、驚くとともに、うれしくも思う。
そもそも記事を書くきっかけとなったサイバーメガネさんも、さっそく内容をフォローするように
『無党派層はコスパが悪くて当てにならない』というエントリを書いてくださった。
なぜ、反響があったかといえば、おそらく、あの頃の自分と同じように選挙の現場を見たことがなく、
「なぜ、反感を買うだけなのに、選挙カーは騒音をまき散らしているのだろう」と疑問に思っていた人が多かったのだろう。
中には、「ああいうばあさんは、もうすぐいなくなるだろう」という趣旨のコメントもあったが、僕はそうは思わない。
そもそも、あれはまだ橋本龍太郎が総理大臣をやっていた頃の話だ。
つまり、かれこれ20年近く前の話なのだが、その後も状況にさほど大きな変化はなかったことは、いくつかのブコメを見るだけでも分かる。
次の20年で変わるかといえば、そうでもないだろう。なぜそう思うかを、書いていこうと思う。
あの頃、「無党派層」という言葉はすでにメディアに登場していた。
(wikiによれば、大阪府知事に横山ノック、東京都知事に青島幸男が当選するという「珍事」が起きた時に注目され、流行語大賞をとったそうである。
その前に「日本新党ブーム」を経て、細川内閣が誕生したころには、まだメディアではメジャーな言葉ではなかったのか)。
無党派層に心情が近かった当時の僕も、「ああいうばあさんみたいなタイプの人は、いずれいなくなるのだろう」と思っていた。
だが、少なくとも20年程度では、いなくならなかった。
思い起こしてみれば、あの当時から、「応援しているのに、なぜウチのほうに選挙カーがこないのか」と苦情をいうのは、必ずしも年寄とは限らなかったのだ。
その渦中に身を投じてみれば分かるが、選挙というのは一種の「お祭り」である。
であれば、選挙カーという「神輿」は、自分の家の近所に来てくれたほうが楽しかろう。
お祭りというのは、参加する者にとっては楽しかろうが、部外者にとっては迷惑で騒々しいだけだ。ハロウィンを見ればわかる。
最近、高知県では、新住民からの「よさこい祭りの練習の騒音がうるさい」という苦情が増えて、祭りの伝統を守りたい人々は対応に苦慮しているらしい。
祭に参加して騒ぎたい人々と、外側にいて「うるさい」と感じる人とは、どうしても対立する。
それは、祭りのルーツがどうとか、そんなこととは、おそらく関係がない。
僕はあの頃、お祭りに参加して盛り上がるのは年寄りのやることだと思っていた。
だが、実際にはそうでもなかった。
古臭い祭りにはそっぽを向いても、なにか面白そうな新しいお祭りあれば、こぞって参加するという人たちが、世の中には相当程度いるのだ。
既成政党による「ドブ板選挙祭り」にはそっぽを向いている若者が、国会議事堂前でSEALDs祭に参加したって、なんの不思議もない。
お祭りといえば、あの選挙事務所でバイトをしていたとき、幹部がにわかに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあった。
総裁とは誰のことなのか、僕はにわかに判じかねたが、それは当時、自民党総裁にして総理大臣でもあった橋本龍太郎のことであった。
事務所の関係者は「総理」でも「首相」でも、ましてや「ハシリュウ」でもなく、「総裁」と呼んでいた。
総裁が応援しに来てくれるということは、つまり、その候補者や選挙区を党本部が重視している証拠なのだが、、
橋本龍太郎という人は日本の歴代総理には珍しく、その端正なルックスで女性人気がきわめて高かった。
慶応大学在学中に第一期東宝ニューフェイスに誘われたこともあるというから、「政治家にしてはイケてる」というレベルではない。
当然、「集客力」も高く、事務所としては、願ってもない応援弁士なのである。
今でいえば、小泉進次郎の人気が、近いものがあるのかもしれない。
当日は、それはもう「お祭り騒ぎ」だった。バイトも支持者も大勢駆り出された。
事務所の幹部は警察官やSPと打ち合わせに余念がなく、事務所の司令塔たる候補者の長女は、誇らしげな顔をしていた。
実際、当時の橋本龍太郎は、「本日、○時に、橋本龍太郎総裁が、応援演説に来られます!!」と呼びかければ、
「エッ、うそ!? マジ? こんなトコにハシモトソーリがくるの? じゃ、ちょっと見ていこうかな」
などと騒ぐほどの人気があった。
「もし、総裁が演説している最中に暴漢が襲いかかって、それをウチの先生が体を張って守って、ケガして運ばれたりしたら、明日の新聞の一面になりますかね?」
「ああ。そうなったら先生は、もう当選確実だな。お前、いっちょやってみるか?」
僕らは、大分親しくなった事務所の下っ端幹部と、そんな軽口をたたいたりした。
定刻になると、ちょうどライブの最前列でファンを押さえるスタッフのように、バイトや運動員が群衆を抑えている前に、黒塗りの車列が到着した。
SPに囲まれながら降り立った橋本龍太郎は、思った以上に背が低かったが、確かに二枚目だった。
「世の中には、選挙になると、消費税率は下げて福祉の水準は上げるなどと、夢のようなことを訴える政党もありますが、
私には、そんな魔法使いのようなお約束をすることはできません」
などと語りかけるイヤミな調子には、好き好きがあっただろうけれど。
当日、街頭には大勢の支持者が動員されていたけれど、それを上回る人々が足を止めた。
それがきっかけで自民党候補者に投票したひともいるのではないだろうか?
だが、なにより、事務所に集う人々は、「総裁が来てくれた」「予想以上に人が集まった」という事実に興奮し、
例のばあさんは、街頭には来ていなかっただろうが、
「自分の支持する先生のために、橋本さんが応援に来てくれた」という事実に喜びを感じ、
ますます「近所の人に、投票してくれるように頼む」という彼女なりの方法で、お祭りを楽しんだことだろう。
「お祭りだなんて、とんでもない。選挙というのは、冷静に過去の実績や提示された政策を比較検討して、適切な候補者に投票すべきだ」
という人もいるだろう。それは、おそらく正論だ。
だが、そういう正論を唱える人たちが、政策とやらにどの程度つうじているのか。
数多ある課題の、すべての軽重を判断して、どれが適切な政策が判断することが、果たして可能なのか。
それに、どんなに「政策」が素晴らしかったとて、口先だけでは何とでもいえる。
政策はもちろんのこと、きちんと有権者に呼びかけ、汗を流している人を選ぶべきではないのか、という話にもなる。
そもそも政策など判断しかねるという大多数の人は、「難しいことは分からないけれど、あの人ならば大丈夫」という人に、判断を託すことになろう。
そして、「あの人=政策を作成、判断し、実行する人」というのは、つまり「権力者」だ。
かつての世の中では、文字通り血で血を洗う抗争をくぐり抜け、数多の屍の上に生き残った者が権力を握ったのだろうが、
そんなことで無闇に人の命が奪われるのはよろしくないということで、選挙というお祭りで権力者を選ぶようになったというのが、つまり民主政治なのだと思う。
「あの、お偉い先生も、私の一票があるから、大きな顔をしていられる」「私の一票のために、頭を下げてくれる」
そのことに喜びを感じられる人が、選挙というお祭りに参加する。
選挙カーを待ちわびる老人(のような人)とは、そういう人たちではないかと思うのだ。
そして、「お祭り」を利用して権力を上りつめようとする人間は、冷めた傍観者たちに参加を促すよりも、
「お祭り気質」な人たちを盛り上げることに注力した方が、効率が良いことを知っている。
時に、「権力者」という個人ではなくて、「戦争法案をつぶす」とか、そういう思想だが理念だか、そんなようなものを「ご神体」にしてお祭りが催されることもあろう。
多分、それがSEALDsだ。
彼らは初期の目的を達することはできなかったが、多分、世の中を意図的に動かそうと思えば、お祭りのような手段を使ってエネルギーを結集することが必要なのだと思う。
そんなこととは関係なしに、僕らから全く見えないどこかで、いつのまにか物事が決まっていく世の中は、多分、今の世より住みにくかろう。
僕はそんな世の中に住みたくないし、世の多くの人が、そう望んでいると思う。
だから僕は、「選挙カーを待ちわびる老人(のような人)」は、そう簡単に消えないと思うのだ。
消えるべきではない、といえるかもしれない。
選挙のやり方は変わっていけば、騒音をまき散らす選挙カーのような方法は使われなくもなるだろう。
選挙ではないけれど、今もネットでは、「炎上」という名のお祭り騒ぎが日夜開催され、それに参加する人もいれば、眉を顰める人もいる。
僕の粗末な頭では具体的に想像できないけれど、仮にネット選挙が今より進化したとしても、
選挙カーの連呼とは違う種類の「騒音」に悩まされ、うっとうしくなる日がくるのだろう。
ところで、僕はハロウィンに仮装して参加したことがない。今後もたぶん、参加することはないだろう。
だが、心の片隅に、あの、屈託なく仮装して楽しんでいる人たちを羨ましく思う気持ちがないかと聞かれると、全くないとは言い切れない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
なんとかふぇーすみたいな人もいれば、ありむーみたいのもいるのが艦これ界隈。ただまあ、悪目立ちするのはなんとかふぇーすみたいな人よね。
という意見があったので言わせてもらうと。
有村さんは毎日Twitter上で、旧日本軍の蛮行愚行を検証し世に広く知らしめる活動をしているわけですけれども。
だからといって、そもそもの艦これ支持という原罪が免責されるわけではないという寸法ですよね。
善き左翼の態度として許されるたったひとつの道は、その有村さんを「艦これのことしかつぶやかない。悪人ではないけど無益」とアンフォローした北守さんやクーコさんの方法。
ただひとつ。それだけなんですよ。
有村さんは生まれつきの脳機能の特徴から、艦これの艦娘に対して性慾を制御できないというキャラクターと、同人誌による収入を断つわけにはいかないという、差し迫った経済的理由から、止むを得ず、ああした矛盾を自分のなかに飼い慣らさざるを得ないという、そういう病理なんだよ。
在特会のメンバーが、外国人排斥デモの帰り道に捨て犬を拾ったら善人なのかという話。
蛭子能収だって戦争法案反対とか言っておきながら、日本財団に億単位で献金しているわけだ。
有村さんが奨学金を踏み倒しながらDMMに天文学的な単位の課金をしているという事実は、いわば脱税して作った金を森喜朗に献金しているのと完全に同一。
それだけは言いたかった。
悲しい手紙になりました。
"はじめに、SEALDsとは、「Student Emergency Action for Liberal Democracy s」。日本語で言うと、「自由と民主主義のための学生緊急行動」です。
私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えて繋がっています。"
と述べていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150915-00003690-bengocom-soci
この演説で、SEALDsの中にも改憲派がいるのだと初めて知って驚いた人もいるだろう。
つまり、「安保法案に対して反対」という一点によって無党派が集まった団体だということだ。
多くの人は、彼の言葉を信じて、これが彼らの活動の根本にあると受け取っているはずだ。
"別にSEALDsは戦争法案廃案のために立ち上がった団体ではねえですよ。もとの目的は改憲阻止" と明確にぶっちゃけている。
https://twitter.com/ILLMATIC_UCD/status/657101498933899265
こんな重要な点について、主要メンバーの奥田愛基と牛田悦正が語っていることには明らかな矛盾がある。
これだけ各種メディアで話題になっている団体についてこうも矛盾があるのに、なぜそれが語られないのか。
それはSEALDsという団体が明らかする公式的で明確な政治的主張はないというしかないからだ。
もちろん、「安倍が嫌い」「戦争反対」「戦争法案反対」というような緩やかな主張のつながりはあるが、具体的な公式見解はない。
なぜなら、彼らはリーダーを持たず、「SEALDsの公式見解」というものは存在しないからだ。
SEALDsに所属するメンバーがデモでそれぞれの意見を発表したり、インタビューに答えたりするわけだが、それはそれぞれ個人の意見なだけだ。
「肩を組んで酒を飲めば戦争はなくなる」とか「スイス軍的なものなら認めてもいい」とか発言はあっても、それはただの個人の意見なだけだ。
あるデモでのあるスピーカーの発言について異論を唱えたとしても、それは別にSEALDsとしての見解ではないということで大きな議論には決して発展しない。
例えば、あなたはSEALDsが「自衛隊が違憲か合憲か」どのようなスタンスを示しているか答えられるだろうか。
答えられないだろう。
これだけ安保法案の話題の中心にあり続けた団体が「自衛隊が違憲か合憲か」についてどう捉えているかということも、誰も知らない。
誰も分からずに、議論が進んでいたわけだ。何の前提も共有しないまま議論が進み、終わった。
これは安保賛成派にとっても、反対派にとっても不幸なことだったと思う。
SEALDsがリーダーを持たず、公式見解を持たないというのは意図的にやっていることで、チェ・ゲバラのゲリラ軍に学んでいるらしいということは各種インタビューで述べられている。
それは響きはかっこいいし、ゆるやかで大きなつながりを生んだことにつながったことは間違いないのだけど、
その結果、団体としての具体的な主張が明らかにされず、議論の前提が共有されない状況を招いているのは明らかだ。
もはや大きなムーブメントとなった今、具体的に議論をすすめていくうえで、具体的なイシューに対する団体としての公式見解が具体的に何なのか明らかにしなければ、議論は全て無駄になる。
だから、もう「無党派の集まり」などという欺瞞を捨てるべきだ。
あるいは、「自衛隊は合憲/違憲と捉えているのか」を明らかにしなければ、憲法と軍事の関係についてどう議論を進めればいいのだろう。
というか、何が議論されてきたのだろう。
なぜSEALDsが「自衛隊が違憲か合憲か」考えているかも分からずに、僕らはSEALDsに賛成したり反対したりしてきたのだろう。