はてなキーワード: 劇場型犯罪とは
フィクションをフィクションとして楽しませる普通の小説とかなら有り得ないことを書こうが面白ければそれでいい。
一方、嘘を本当にあったことして書く場合には、有り得ないことが書かれてる箇所って萎える要素でしかない。
たとえばもしも半沢直樹が小説として発表されるのではなく、主人公を視点に置いた自分語りの形式※に書き換えて「俺の身に起こったこと」という体で増田に発表しても全く伸びないだろう。実際の大企業で不正融資からの倍返しみたいな劇場型犯罪もびっくりな華麗なことはまず起きないから。
社会人としての経験に照らせば「嘘松」とブコメを残すにも値しない。したがってホッテントリに入らない。伸びない。
伸びて燃える嘘松を量産するには真偽が微妙で賛否両論を巻き起こしはてな村住民に同士討ちを起こさせるようなものでなければならないのだ。
そういうなさそうでありそうなことを書いていくためにはある程度社会に揉まれる必要があると思う。でないとたちまち露骨な虚構を書いてしまってボロが出るだろう。
ようするに、以前そこそこバズった増田にあった「たしかに俺は、父親はごく普通の石油王で母親はごく普通のCEOという平凡な家庭に生まれ、MITを主席で卒業し~」みたいなバズりそうな言葉を単純に記号のように並べただけみたいなものは駄目なのだ。人生経験か発想力のいずれかが薄っぺらい人という事実ばかりが透けて見えるから。
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※主人公以外の人間の会話文の主人公を指す認証を増田に変えて、地の文の主人公を三人称的に指してる箇所を一人称に書き換えるようなことを言っているのだが、なんかそういう意味を端的に表す言葉があった気がするけど忘れた
未だに、なんもしらんCS専攻の学生に嘘吹きこんで日本IT業界という地獄に叩きこんでる、どこから金貰ってそんな、爆弾テロよりはた迷惑な無差別テロレベルの迷惑行為を続けてる
IT系のニュースサイトやブログ、記事を書いてる元エンジニアたちが口をそろえて言う「TRON開発チームが全員日航機事故で死んでいなければ、日本のIT業界はこんなブラック業界になっていなかった」っていう言説
シグマの時代よりちょっと前から、すでに35歳定年説や客先常駐によるエンジニアの大量の心身障害による廃人化、人売りによる使い捨て、パワハラなんてレベルじゃないコンプライアンス無視のエンジニア軽視、オマケに組み込みやメインフレームは山奥常駐で人権も何もない、スキルも一度変なところに当たればつかずに陳腐化→速攻スキル遅れで底辺化待ったなしは始まっていたし、当時でも業界内では問題になってた
息が長い(とされている)インフラ系ですら、80年代から90年代前半は20代だった層がごっそりいない時点で、ちょっとおかしいって業界で働いてる増田なら疑問に思ったことがあるはずだ、あの当時CS専攻だった人間なんて、超一握りの理系エリートレベルだったんだからな
そもそもTRONプロジェクトが成功していたとしたって、まずマイクロソフト含め、アメリカには逆立ちしたって勝てなかっただろうってのは、今勉強すればよくわかると思う
そんで、そういう反論が現役側から出れば、今度は「金子勇氏はブロックチェーン技術のひながたさえあの時代に作ってた、彼が生きていれば日本のIT業界は…」とかいいつつ故人でさえ金儲けにタネに利用して、セコく舌を一枚増やして口をそろえていうわけだ
「でもIT業界には無限の需要があって将来性もあるから、これからどんどん就職すべき!」ってね
こういう奴等もはや、狂って通り魔する大量殺人犯よりタチ悪いから、マジで捕まえてくんねえかな、というか天罰が当たって物凄い苦しい死に方してほしい
顔も知らん人間を冤罪に仕立てておいて、警察相手に劇場型犯罪起こすレベルのアノニマスですらやらん様なサイバーテロリストさえ排出するくらいモラルハザードきわまった業界に将来性なんてあるかよカス
その名も「ワンニャン時空伝」は、個人的に旧ドラえもんのラストを飾るに相応しいんじゃないかと今でも思ってる。
その前まではロボット王国とか太陽王伝説とか風の勇者とか古い奴だと、パラレル西遊記とかアニマル惑星、日本誕生みたいに
おどろおどろしいのもあるけれど、それはそれとして名作ではある。
というのも新ドラえもんの映画は確かに面白いんだけど、ちょっと物足りない。
そもそも何度も見返したくならない。
何故かは分からないけれど、少なくとも旧ドラ映画のようなワクワク感や安心感、泣ける場面とかが極端に少ないからだと思う。
シムラー後ろ後ろみたくスネオやジャイアンが後ろを振り返った瞬間の驚愕や恐怖が、今のドラえもんには致命的なまでに不足しがちだった。
夢幻三剣士では、のび太を含む多くのレギュラーキャラクターが死んだり石化したけど、今のドラえもんにはそれがまるでない。
この場面ではこうしないと、と思う場面で何もなかったりするのが今のドラえもんだから、雲の王国みたいにドラえもんが一人ガスタンクに突撃しちゃう
皆の危険が危ない(笑)状況下で涙を誘う決死行が、皆で協力して敵に立ち向かうだけの陳腐な話になりがちで、そのせいか中々新ドラえもんを認められない自分がいる。
旧ドラえもんが終わったのは悲しかったけど、一方で〆が素晴らしい終わり方だったと今でも思ってる。
名探偵コナンも監督変わる前と後とじゃ、全然作風も展開も違うし、二転三転した大事件に更に大きな山があると見せたのは第一期、やたら爆発とか大事故、震災風味の割に事件自体はかなりショボいのが第二期、第三期はそれよりも更に題材とか展開も悪い。
話を戻すが、旧ドラえもんの名作率は異様に高い。
それは何故かというと、ドラえもん本来の面白さに加え、原作者が事あるごとに環境問題や社会・宗教・政治をテーマにしたプロパガンダをドラえもんの世界に巧く馴染ませてる事にあると思う。
それは宮崎駿のジブリとそれ以外のジブリの違いと同じだと考える。
漠然としたものだが、はっきりしたテーマが掲げられているからである。
宮崎ジブリのそれは、大人たちが忘れた子供時代の感動や喜怒哀楽の描写が織り交ぜられている。
昔はこうだった、あの家の裏手には○○といった動物がいて伝説があって、民話があってといった具合に話の展開のしやすさがかなり丁寧で複雑で繊細だと言う事だ。
要は子供の時不思議だったものが大人になるとそうでもなくなる感覚を風刺したものに近い。
同じくドラえもんにも何故この問題が起きたのか、という原因探しをして最後にはどうすればこの問題をこれからずっと考えていけるのかを作中で問い、視聴者にも解かせようという試みが為されているのだ。
例えば、アニマル惑星では環境問題を挙げて人間が犯し続ける環境汚染をどうすれば解決できるかを諭し、雲の王国では動物の密猟や自分勝手な森林伐採をどうすれば辞めさせられるかを考えさせるといった塩梅である。
旧ドラえもんにはそうした未来へ問いかける問題をテーマにした物が多い。
逆に新ドラえもんには華やかさやスペクタルの大きさや劇場型犯罪やらに重点を置きすぎてドラえもんが人間の子供達と一緒に考えながら、
そんな彼らだからこそ、ああいうサイトを即作るという発想をして即実行できるわけだがね。
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50608598.html
「良識のかたまり」のような人だと、まず、「犯罪予告に注目を集めさせる」という発想自体を、アウトと思うからね。
「良識人」は、ミシェル・フーコーの言う意味でのパノプティコンを作ることを考える。
パノプティコンの囚人である一般人が、監獄塔に立っている気分になれるのは、デザインとして間違っている。
予告.in は、劇場型犯罪にとってのうってつけの舞台装置になるからね。発想としてはこれまでの彼らのやってきたことと通底している。
囚人は、あくまでも見えない看守が見張っているかもしれない、ということに怯えて規律を内面化しなくてはいけないのだが、
予告.in は、まさに、自分の予告で他人が釣れたかどうかを確認できるうってつけの装置なんだよね。
大多数の犯罪予告は、まさに犯罪を実行せんとしているから問題になっているわけじゃなくて、
予告そのもので人々が怯え、避難するという害を引き起こしたことで威力業務妨害に問われているわけで。
Hamachiya2 が予告.out を作ったのは、まさに裏返して単純な劇場を提供することになっていて、予告.inの欺瞞を全部暴きたててくれたよ。本人が意識しているかどうかはともかく。