2014-09-02

旧ドラえもんの映画、良い所で終えられたのは今でも凄い事だと思う

その名も「ワンニャン時空伝」は、個人的旧ドラえもんのラストを飾るに相応しいんじゃないかと今でも思ってる。

その前まではロボット王国とか太陽王伝説とか風の勇者とか古い奴だと、パラレル西遊記とかアニマル惑星日本誕生みたいに

おどろおどろしいのもあるけれど、それはそれとして名作ではある。

というのも新ドラえもん映画は確かに面白いんだけど、ちょっと物足りない。

そもそも何度も見返したくならない。

何故かは分からないけれど、少なくとも旧ドラ映画のようなワクワク感や安心感、泣ける場面とかが極端に少ないからだと思う。

シムラー後ろ後ろみたくスネオジャイアンが後ろを振り返った瞬間の驚愕や恐怖が、今のドラえもんには致命的なまでに不足しがちだった。

夢幻剣士では、のび太を含む多くのレギュラーキャラクターが死んだり石化したけど、今のドラえもんにはそれがまるでない。

この場面ではこうしないと、と思う場面で何もなかったりするのが今のドラえもんから、雲の王国みたいにドラえもんが一人ガスタンク突撃ちゃう

皆の危険が危ない(笑)状況下で涙を誘う決死行が、皆で協力して敵に立ち向かうだけの陳腐な話になりがちで、そのせいか中々新ドラえもんを認められない自分がいる。

旧ドラえもんが終わったのは悲しかったけど、一方で〆が素晴らしい終わり方だったと今でも思ってる。

何回でも繰り返し見返したくなるのはその作品が名作だから

名探偵コナン監督変わる前と後とじゃ、全然作風も展開も違うし、二転三転した大事件に更に大きな山があると見せたのは第一期、やたら爆発とか大事故、震災風味の割に事件自体はかなりショボいのが第二期、第三期はそれよりも更に題材とか展開も悪い。

故に筆者が懐古的になってしまうのにはそれなりの理由がある。

話を戻すが、旧ドラえもんの名作率は異様に高い。

それは何故かというと、ドラえもん本来面白さに加え、原作者が事あるごとに環境問題社会宗教政治テーマにしたプロパガンダドラえもん世界に巧く馴染ませてる事にあると思う。

それは宮崎駿ジブリとそれ以外のジブリの違いと同じだと考える。

漠然としたものだが、はっきりしたテーマが掲げられているかである

宮崎ジブリのそれは、大人たちが忘れた子供時代の感動や喜怒哀楽描写が織り交ぜられている。

昔はこうだった、あの家の裏手には○○といった動物がいて伝説があって、民話があってといった具合に話の展開のしやすさがかなり丁寧で複雑で繊細だと言う事だ。

要は子供の時不思議だったものが大人になるとそうでもなくなる感覚を風刺したものに近い。

同じくドラえもんにも何故この問題が起きたのか、という原因探しをして最後にはどうすればこの問題をこれからずっと考えていけるのかを作中で問い、視聴者にも解かせようという試みが為されているのだ。

例えば、アニマル惑星では環境問題を挙げて人間が犯し続ける環境汚染をどうすれば解決できるかを諭し、雲の王国では動物密猟自分勝手森林伐採をどうすれば辞めさせられるかを考えさせるといった塩梅である

旧ドラえもんにはそうした未来へ問いかける問題テーマにした物が多い。

逆に新ドラえもんには華やかさやスペクタルの大きさや劇場型犯罪やらに重点を置きすぎてドラえもん人間の子供達と一緒に考えながら、

どうすれば地球を優しい世界に出来るのかを考える事を忘れてしまっている。

それが結局新ドラえもん旧ドラえもんに追い付けない理由なのではないか、と思っている。

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