はてなキーワード: 虚業とは
https://anond.hatelabo.jp/20210114104835
リモート葬儀というものは知らず、やる/やらないの二択で考えたが、知っていたら真剣に検討したと思う。
悩み、葬儀はみなで集まったが、感染リスクを恐れながら日数がたち、その心配がほぼなくなってから、ようやく祖母との思い出などを考えられるようになった。
友人の職場の人間で、家族葬だから平気だろうと集まったら、高齢の会葬者からコロナで死者がでて、一族みな自宅待機、という具体的な事例があった。そして職場での事後対応の顛末も聞いていたからだ。
一方、親族の反応は、言葉通りに受け取るべきでないように思う。
自分もITエンジニアであり、高齢者の多い施設に設置し、顧客が操作する端末をつくったことがある。
すると、当たり前に情報機器を使いこなす世代からは、想像もつかないトラブル、破損が頻繁する。
そして、トラブルの主は、かなりの確率で怒り、機械化、IT化を非難する。
ITが分からず、カッコ悪くて若手に聞くにも聞けず、という高齢者が、
恥をかかされた、勝手がわるかったのを、
人のせいにしたくて言っているケースが非常に多いように感じる。
ついていけてない自分、そして遅れて勉強しようともしない自分を、
仏法を大して知らずに語るも然り。
勝手の悪い思いをさせないように、説明するのが少し足りなかったことだろうか。
さて、ではどうしたらよいだろう。
始まる縁があれば終わる縁もある、という僧侶のお話もごもっとも。
僕ならそうするかも。
ただ、お母さんの気持ち、今までの付き合いを考えると、
49日など、どっかで軽くフォローするほうが穏当かな?
故人の関係者、親族とはいえ、自分とは違う考え方の人たちを集め、
そこで、リモート開催という、この厄災下に則した調整、決断をされたと思います。
本当にお疲れ様でした。
祖父がなくなった。
祖父から見て1親等の親族で生きているのは私の母のみであった。そのため葬式の段取りなどは我が家で執り行うことになっており、両親と私で相談した。相談というのも、葬式は執り行って欲しいという祖父の生前の強い要望があったが、コロナのため、どうするか悩ましいという話だった。
リモート葬式の存在を知っていた私は、近くにリモート葬式対応の業者があるのを検索で知り、これを両親に提案したところ、それでいこう、ということになった。
リモート参列者はスマホから動画閲覧で参列できるというもので、誰も現地に来ず、父と母のみ業者の方と最低限のやりとり(祖父の移動時など)を行うものであった。これならできるだけ感染拡大リスクを下げつつ、葬儀自体は執り行えるし、みんな祖父の顔も見られるであろう、と。私は当然リモート葬列だし、親族や交友関係者も含めて全員リモート葬列。
いざやってみると親戚から非難轟々だった。趣旨としては、仏教が台無しになる・スマホを持っていない人の事を考えていない・うちの県では発症者数が少ないのに怖がりすぎ・葬式を切望していた祖父がかわいそう、というものだった。キツい口調ではなく、なんというか諭す様な口調ではあった。
特にリモート葬式を提案した私はかなり顰蹙を買ったようだった。私がフリーランスのプログラマであることから以前からあまり親戚間での評価が高くなかった(プログラマ=IT=Livedoor=虚業、と思われている)ため、その影響もあって余計に印象が悪かったのだと思う。結果的に両親と私がマイルドな絶縁宣言(?)をされてしまったので、両親、特に祖父の子である母には本当に申し訳なく思っている。今考えれば、自分の職業やIT業界がそういった評価をされていることや、葬式というものに対してどこまで神聖で重要に捉えているかなど加味して、別の選択肢を考えるべきだったのかもしれない。
現在の県内陽性者数が少ないのは確かだし、換気の徹底や3蜜回避を徹底した葬式にすれば感染の確率は相当低いというのはわかる。仏教には詳しくないが、葬式にITみたいなのが侵食してくると気持ち悪い、という気持ちも、言われてみればなんとなく想像はできる。ただ、万が一クラスターが発生したときの周囲や医療従事者への影響を考えるとどうしても安全側に倒せるだけ倒したい気持ちが強かった。しかし、親族間ではリモート葬式否定派が多数だったので、これが本当に正しかったのかわからない。変な言い方かもしれないけど、確率や期待値の考え方をすると、一定以上従来の葬式を重要視する人間にとっては、リスクリワードを考えてリスクに見合うという判断になるのかもしれない。
とにかく母が落ち込んでいるのが忍びないし情けない。よくわからんくなってもう30近い大人が部屋で1人リングフィットアドベンチャーしながら泣いてる。
利益のもととなるのが、情報の非対称性であることもあるし、権力?というかスケールメリットのような事業であるがゆえの構造的非対称性由来であることもある。
後者はすごくフィジカルなものを積み重ねた結果だから感覚的に納得できる人が多いだろう。
でも前者の、情報の非対称性って、そんなに悪いことなのか? 情報をもってないからイコール愚だとは俺は思わない。
情報をもっていないからこそ、その商材まわりのことに煩わされずに生活できているメリットがあるわけだよ。
情報から利益を生み出す人々は、日々それを追って知識を吸収して蓄積していくことに人生を費やしている。
たとえその取引の肝となる情報がやり方さえ分かればネットで一瞬で分かるものだったとしても、素人がそれを真似たものと並べて考えちゃいけない。
ピカソが30秒で描いた絵を「100万ドルです」と言った理屈と同じように考えれば分かる。
だから情報の非対称性を、誰でも簡単にその対称側に行ける簡単なものだと錯覚するのは、ビジネスの根幹に対する侮りがあると思ってる。
もっというと、IT系の仕事を虚業だと言うような人たちと同類の誤解と侮蔑があると思う。
悪意的に都合よく隠された情報の非対称性はたしかに市場の失敗を引き起こすとは思うし、槍玉に挙げられる業界は是正の余地があると思う。
だが情報の非対称性がすべて悪だと言わんがごとき人々があふれることは、ビジネス自体が発生しなくなる経済の失敗につながると思う。閉じて完成された自給自足社会の域までもう到達してるなら、それでもいいんだが。