はてなキーワード: 公言とは
差別によって問題になるのは、いくつかあって、まずは、公正にしなければならない社会的立場の機関が公正にしないこと、つまり入試や入社試験で肌の色や国籍で跳ねられる、とかがダメ
あとは、差別を理由に相手に不当な要求を飲ませようとすること、つまり飛行機の座席が黒人の隣だったから、黒人をつまみ出せ、とか、俺の席をファーストクラスに変えろ、とか、そういうのが不当な要求だからダメ
飛行機に乗ったら黒人の席の隣だったので、嫌だから飛行機乗らずに帰った、というのは差別なんだけど誰にも不当な要求をしていないから何も問題はない
朝鮮人街に家を買うなんて嫌だから家はその街に買わない、というのも差別だけど自分の家をどこに買うのも自由だから問題ない
自分はこの街に家を買いたいけど、周りが朝鮮人だらけだから全員追い出せ、とかやると問題のある差別で悪
同様に、交際相手を身長で選ぼうが人種で選ぼうが出生で選ぼうが個人の自由なので、全て差別だけど何も問題はない
愛し合ってる2人なのに、人種が違うからとか肌の色が違うからという理由で、親や第三者が別れさせようとしたり結婚を認めなかったりするのは悪い差別だよ
まあ親なら悪い度は多少グレーな気もするけどね
交際相手を差別なく選ぼうとすると条件を出して公募式にするしかない
将来ビジョンとか家事力とか金銭感覚に関する試験や面接をして、点数をつけて優劣をつけるしか差別じゃなく交際相手を選ぶなんてできないよ
もちろんその試験で、顔や体型や年齢や人種を審査に入れてはいけないよ
顔が好みじゃないから付き合えない、は差別だけど問題ある?ないよね
あっ、あともうひとつ悪なのは自分の差別心、差別的価値観を公言して被差別者を攻撃すること
これはヘイトスピーチというやつ
自分が朝鮮人街に家を買わないのは自由だけど、「あの街は朝鮮人だらけだから近寄るな」とか公言したらアウトだね
それは悪
「オッパイで女性を選ぶ」と公言したことで、距離を取る友達は、その友達が「駄目」。
でも友達にも友達を選ぶ自由はあるから、「オッパイで女性を選ぶ」と公言したことで友達を無くしても仕方がない、とは言えるでしょう。公言していいけれど友達をなくす覚悟は必要、ということです。
それに関連して「オッパイの大きさで女を選んだことを、公言してもいい」って意見があった。
これがオレには理解できない。「公言していい」の意味する所がわからんのだ。
恥ずかしながら日本語の読解力に自信がない。一般常識にも胸を張れるほど明るくない。
悩んでるのはオレだけかも知れないが、頭のいい人たちが増田には沢山いるので、どうか教えてほしい。
もし仮にオレが実名アカウントで、オッパイが大きい女性を恋人にしたいって公言したとする。
そして仮に、大学からの女友達・男友達が全員が距離を置きだして疎遠になったとしよう。
その場合はどうなの?
① そんな事態は現実的に起こりえないから安心しろ、距離を置かれたりはしないぞ、という意味の「いい」
② 友達をやめてしまう連中が悪なのであって、そんな友達などいなくなっても、ひとりぼっちになっても「いい」
お前の言った事はただの「お前の個人的な好み」なんだから社会的な物差しで優劣を決めているわけでもなくルッキズムになんら抵触しない 一切問題ない
ルッキズムのほとんどが人選の場での個人的好みの反映だろうが♠️
「優しい人が好き」とか「真面目な人が好き」とかと言っていることは何ら変わりないんだよ
ソイツにとっちゃ好みの異性を測るのに大事な物差しが性格だっただけで、お前にとってはおっぱいが基準ならそれで何の問題もねーの
それらはルッキズムじゃないじゃん♣️
「黒人以外の人が好き」「フクシマ出身者以外が好き」「シスジェンダーが好き」
会社名を背負ったアカウント持ってる部下がそういう思想だって知ったら、
お前は公言を許すんだよな? やってみろよ
ポイントは♠️と♣️の所にある
♠️ルッキズムに抵触するのは何か、「社会的な物差しで優劣を決める」は何を意味するのか。俺は批判したが、この部分のお前の説明が足りてないと感じるね。説得したいなら更に突っ込んで主張してみろ
♣️ルッキズムと性格の好みを区別するのは何か。それは、合理性だ
ロシア人だからと言って職責を果たす上でマイナスになる合理的な理由はないから、ロシア人を入社面接で弾くのは偏見に基づく差別だ。恋人や結婚で幸せな共同生活を営む上で優しさや真面目さの合理性は明白だ。しかしオッパイの大きさがなんの意味がある? ただの偏見以上のなんであると言うんだ??
お前の言った事はただの「お前の個人的な好み」なんだから社会的な物差しで優劣を決めているわけでもなくルッキズムになんら抵触しない 一切問題な
アンガジュマンを曲解すると、巨乳好きを個として公言することで巨乳が全となる社会へと働きかけていることになるのではないか。
おっぱい。
なんで「公言」の「公」だけ分解して話を広げてるんだよおかしいだろ
「公」か「私」かの話なんてしてないの!「公言」!
こうげん
【公言】
《名・ス他》
公然と言うこと。みんなの前でおおっぴらに言うこと。
「―してはばからない」
別に現実の女性をオッパイを理由に選んでもいいが、それを相手に伝えたり周囲に公言するときは相手がどう受け止めるか一度考えたほうがいいぞって話
巨乳が好きでも貧乳が好きでも高身長が好きでも低身長が好きでもデカケツが好きでもムチムチ太ももが好きでもいいんだよ好きに公言しろ
お前の言った事はただの「お前の個人的な好み」なんだから社会的な物差しで優劣を決めているわけでもなくルッキズムになんら抵触しない 一切問題ない
「優しい人が好き」とか「真面目な人が好き」とかと言っていることは何ら変わりないんだよ
ソイツにとっちゃ好みの異性を測るのに大事な物差しが性格だっただけで、お前にとってはおっぱいが基準ならそれで何の問題もねーの
「巨乳好きを公言する人はなんかヤダ」っていうお前の言う「好き」と同じレベルで嫌ってる奴がいるだけ
お前を止めるものは何もないんだ 好きに言え
ガキ産んだから世界の半分を知ったったとか言ってるけどそれはさすがにおまえの世界は狭すぎるだろ、って話だよね。
多分こういう単純な人間には想像も出来ないんだろうけど、世界にはいろんな人が住んでてそれぞれ全く違う人生を送っているわけよ。ガキを生んだ人間も産んでない人間もそれぞれ全く違う人生を送ってて、ガキを生んだ自分ひとりの人生だけで他のガキを生んだ人の人生もガキを生んでない人の人生も測れるわけはないわけ。どう考えても。おまえがガキを生んだっていう体験はおまえだけの体験で、それを知っても世界の半分なんて分かるわけないわけよ。おまえが知ったのは「おまえの世界」の半分で、自分自身の世界さえガキ産まなかったら半分も知らなかったんだとしたら、それはおまえの頭が悪すぎるってだけの話なのよね。
そんでな、自分のガキ産んだだけで「他の人間の世界」も半分知ったと思ってるなら、それはただ頭の悪い勘違いだからあまり公言しないようにな? この人頭悪いのかな?と思われるだけだから。
で、このようなごくごく常識的な、普通の人間なら当然知っているようなことを話して聞かせると逆ギレして「年金ガー」とか言いだす頭の悪いのが思いの外多いんだけど、オレが年金を受給できるのはオレが保険料を納めて年金制度の維持に貢献してきたからで、おまえのガキが保険料を納めるのもオレのためじゃなくてそのガキが将来年金を受給するためなんだわ。自分のためにやってんの。自分のためにやってることを「あなたのため」とか言いだすのはもうモラのハラだから。しかも年金制度に貢献するのは保険料を納めてる人で「その人間を生産した人」じゃねーんだわ。自分の子供の手柄を自分のことのように言うんじゃない。恥ずかしくないのか? だいたいおまえがガキが出来たのも自分がなんかイイコトしたからだろうが。自分のためにやった事を「社会のため」とか言いだすんじゃないよ、図々しい。むしろ社会のためを考えたらおまえのような低級国民は繁殖しない方がいいんだから。おまえのガキは貢献どころか生ポ受給者になって社会にぶら下がる可能性の方が高いのよ?おまえのガキだから。「おまえはガキなんか持たずにもっと優秀な国民の繁殖に協力しろ」とか言われたらヤだろ? それをおまえが望んだ通り繁殖の機会を与えていただいてるのにガキ産んだだけで役に立ってるとかね。もう今年の「いつから勘違いしていたんだ?」大賞よ。
とまあこのように本人もうすうす勘づいてるんだけどなるべく見ないように目を背けていた現実にやんわりと目を向けてあげると「生物として」とかあたかも「自分自身の無価値さが繁殖という生命の目的を達することによって補完される」みたいなスルドイ頭の悪さを開陳するレア珍獣も稀によくいるんだけど、おまえは創造論者か! キリスト教原理主義者か! 生命に目的などないしデザインも設計も戦略もない。複製をつくれば複製が残り、つくらなければ残らず、複製を二個以上作れば数が増えていく。それらは単なる事実であってそこには正誤も善悪も優劣も勝敗もない。生命にとって「残る」は単に「残る」であって「勝ち」ではないし、「数が増える」は単に「数が増える」であって「善」ではないのである。複製が残ることが嬉しいと感じる者がいるのと全く同じようにそんなことは嬉しくもなんともない者もいる。正誤はない。複製をつくれば複製が残るというだけだ。複製を残すのが嬉しいものは存分に嬉しがればいいことだろう。そこでガキを生むやつが「自分が嬉しい」だけでなく「人間として正しい」とか「社会的に上」とか「生物として優」とか「他者から価値を与えられたい」のはなんなんだろう? まあ本人がそうすることで幸せならそれでいいんだろうが「親の劣等感や無価値感を補填するために使われる子供」というのはそこそこ不幸になるんではないだろうか?
まあそれもオレのガキじゃないからどうでもいいんだけどね。とことん不幸になっても。ガキの親にとってもどうでもいいんだろう。自分が嬉しければ。