はてなキーワード: ホッテントリとは
最近のブコメ、とにかく女尊男卑というか男性を蔑みたい工作が盛んだと思うんだけど、そのせいで普通のニュースすらなんか変な勘繰りをする様になってしまったって話で。
「手足に鎖の生徒」と「集団レイプ」、女性たちが証言する中国の収容施設の内側
https://www.cnn.co.jp/world/35166769.html
実際の真偽はわからなくて、でもまあおそらくこれは本当のことなんだろうなとは思うんだけど、いやこれはまた男性を蔑みたい一派が適当なデマでっち上げて書いた記事なんじゃないかとほんの一瞬頭をよぎるようになってしまったのよ。
まさかそのままこの記事はフェイクニュースだ、デマだと騒ぎ立てたりブコメに荒唐無稽なこと書いたりはしないよ?
でもほんの一瞬、ほんの一瞬だけそんなことを考えちゃうんだよね。そんな馬鹿なことがあるわけないと思いつつ。
そんな人ほかにいない?
はてブで検索すると海外の反応宇宙アンテナというのが大量に出てくる
ホッテントリにはでてこないが検索汚染にはなっているので通報したがBANされない
運営はこんな露骨なスパムアカウントをいつまで放置する気なんだ?
みんなで通報してほしい。
またこれについての記事がホッテントリ入りしてたのを見た。件のツイートを「差別扇動だ」と断じているやつ。
「「井戸に毒」をネタとして消費してしまうことは、ジェノサイドという事象の軽視」という説明は理解出来る。それゆえ件のツイートが不謹慎だということには、各方面概ね反論はないと思う。でも、やっぱり「差別扇動」には結び付けられないんじゃないか?
この記事は、件のツイートが「バイデン食い逃げ」ネタを背景にしていることと、誤解を招きにくい荒唐無稽な内容であることまでは指摘している。でも、このツイートのジョーク要素は決してそれだけじゃない。「井戸に毒」等というデマを持ち出すレイシストの卑しい行為を、その荒唐無稽ぶりを最大限強調して真似ることで風刺しているわけだ。そこには明らかにレイシズムへの批判的眼差しがある。さらに、ネット上の嫌韓層とQアノン層が重なっていることまで見抜いたうえでの皮肉だ。これは特定のマイノリティを笑うものでも、虐殺の歴史を笑うものではなく、言ってしまえばネトウヨ仕草を批判的に笑いものにしているのである。この側面がもっと強調されてもよくないか?
人は他害的な存在を排除するよりもむしろ受け入れる傾向がある。日頃増田達は「他害性」をめぐって極めて攻撃的な弁舌を振るう。例えば性加害。社会的な立場を利用した加害。そういった加害性、つまり他害的な行為についてはてなー達は大いに否定し、社会においてそれらを排除することを望む。少なくともそのような言説を頻りに持ち出している。
とは言え、実際のところ現実において人は他害性を否定するどころか、他害性を大いに受け入れている。
このような言い方はデタラメであり逆説を弄する姿勢だという誹りを受けるだろうが、事実は増田らの言説とは逆である。以下説明を行っていく。
社会において排除されるのは、他害性を持つ存在ではなく、むしろ他害的傾向を持たない存在ばかりである。
他害性はコミュニティから排斥される条件としてではなく、むしろコミュニティにおいて受容される条件として見做されているのである。例えば、会社のポストに就いている幾らかの人間を想像してみて欲しい。全く他害的な性質を持たない人間がいるだろうか? 否である。
あるいは、イジメの構造も好例となり得る。イジメは必ず多数者により少数者に向かって行われ、その逆はあり得ない。つまり、イジメという行為の構造は、「コミュニティに属する人間の多くが他害性を受容している」ことに本質を置いているのである。これは何故なのか?
ごく単純に言って、他害的傾向を持った人間を排除しようとすると、その他害性の被害に遭う可能性があるからである。他害的な性質を持った他者を排除しようとすることで、報復に遭う可能性があるからである。だからこそ人は他害的な存在を受け入れるのだ。
また、ここで逆転的現象が生じることになる。つまり、人は他害的であるからこそ他者を受け入れるようになるのである。
他害的である他者を受け入れなければ、他害性による被害に遭う可能性が生まれる。だからこそ、他害性を持った他者を人は積極的に受け入れるようになるのだ。他害性はむしろこの場合、人間関係における受容の条件にさえ当て嵌まっているのである。一方で他害性を持たない存在はコミュニティから排除される。コミュニティに受け入れられるのは他害性を備えた他者だけだからである。そのため、人間は本能的に、システマティックに他害性を持つ他者のみをコミュニティへと受容し、他害性を持たない他者のみをコミュニティから排除することになる。
多くの人間はこの逆転に気付いていない。それはシステムだからである。システムに思考は必要無く、反省も必要ないからである。
とは言え、他害的な他者を受容することは、無意識化においてストレスを人間に与えることになる。それは当然のことだ。あくまで、人は他害的な他者を、自分がその他害性の標的にならないためだけに受容するからである。では、そのストレスはどのようにして解消されるのか?
つまり、他害的ではない者に対してストレスが向けられるのである。何故ならば、そのようなストレスを他害的で無い者に向けたとしても、そのような他者は他害性を発揮しないからである。つまりは、そのような他者からの報復を受けない(受けにくい)からである。このような他害性の逆転現象は現実において大いに散見される。繰り返すように、学校や会社におけるイジメ行為などが正にそれであり、また、増田においてもそれらの傾向は如実である。ホッテントリには往々にしてこの「他害性のある他者から受けるストレスを解消するために、他害性の少ない他者をターゲットにして言説を展開する」という主旨の記事が上がる。
「間違えた体で生まれた…」6歳の園児が明かした“性別への違和感“ 無断で市がホームページに公開(関西テレビ) - Yahoo!ニュース
幼児は性別をまず「所属」として捉えると聞いた。クラスをさらに分けるとき、分類として「男の子はこっち、女の子はこっち」と性別を用いるためらしい。「かわいい服は女の子」は親でなくても社会に刷り込まれるよね
要するに、社会の方が性別をある意味、強制している、と考える人がかなり多いようである。
ところが、トランスジェンダーの人たちはそんな風には全く思っていない。
トランスジェンダーにも様々な人はいるけれど、代表的なトランスジェンダーの言う性別違和は、ずっと本人自身に根ざしているものであり、社会が刷り込んだものではない、と思っている。
MtF(MtFを代表例とするが、FtMにしてもいい)な人がよく言うのは、「私は女性です!」である。
彼女らは、好き好んで自己性を主張しているのではなく、自分が女性である、としか本心で思ってないからそう言っているのだ。
MtFは女性になりたい人、では絶対にない。生物学的にも女性になりたいと思っていたとしても、彼女らは生物学的性別が真の女性とは認めておらず、正真正銘の女性なのである。
散々このことは以前に調べて、いろんな人がいるのも知っている。イギリスでは性別変更を繰り返す人だっている。あるいは性別がわからない人もいるようである。
それらの人たちの「内心」それ自体は知ることができないため、物質的客観的な診断方法もないため、外部からは信じる以外に今のところ方法がないが、心と肉体の性別が反対になっていたり、よくわからない状態になっていることは、ほんとにあるとしか考えることはできない。
私も散々考察したけど、非常にこれは理屈では理解し難い状態なのである。
いずれにせよ、「ジェンダー」なるものは、実際には、生得的・先天的に人に備わっている何かに基づいているのであって、決して後天的に社会が与えるものを無意識で享受してる、わけではない、としか言いようがないのだ。
正直、何がどうなってるのかさっぱりわからないけど、事実としてそうなのだとしか考えることはできない。
MtFは最初から(生まれた時からと言う意味ではないことに注意。成長につれて気づくことがほとんどだから)女性なのである。
だから女性的なものを選びたがり、女性っぽく振る舞おうとするのである。
まず私は、1200万に達しない貧乏サラリーマンである。なので別に高所得者のから再配分するのは問題ないと思っている。
それでも、この政策はあまりにも酷い。それは、これが5000円以上に強い「子育てには支援しない」というメッセージ性を持つからだ。
https://shel-kimura.com/2021/02/03/898/
の「控除から手当」をしっておいて欲しい。
「手当てするから控除を無くしますと言っておいて手当てを無くすのは詐欺」というのは正にその通りで、全く道理が通らず、これは政府の子育て支援に対して信用を無くさせる政策である。これにより、絶対子育て支援しないマンという印象付けに成功するわけである。スゴイ!
更に、人は得られたはずのものを失うことは、元々得られなかったよりも悲しみを感じる。例えば、一万円をもらった後一万円を亡くすのは一万円を最初から手にいれなかったよりも深い悲しみを感じる。その悲しみは2.5倍らしい。
児童手当は控除に比べると非常にシンプルでいくら貰ったか分かりやすく貰えないことも逆に分かりやすい。そのため、貰えないことに対して感じる損失額は見かけより多く感じると思われる。また、たがだか5000円というが、不公平感を感じるには十分な金額である。例えば会社が合併したとしよう。同じ職場で働いてても
他方は毎日300円の食事手当てが出て、他方はでなかったらどうだろうか?同じ仕事をしていても手当てが違うとなったとき会社から大事にされてないと思っても仕方がないのではなかろうか。
このように、たがだか5000円で子育て支援とは反対方向のメッセージを増幅させる児童手当は愚策である。
さっさと累進課税増やしとけば良かったんだよ。