はてなキーワード: ホッテントリとは
だいたいみんな同じ気持ちなんだけど、
ただ、ひと握り居る、
表向きポリコレに乗っかって、実は利権を確保したいだけの詐欺師、
ストレス解消や売名・炎上商法の為に他人をあざ笑う記事書く荒らし、
そんな連中が書き込むと広まっちゃうのよ。
「私の知人に〜という奴がいた」「私が聞いたところでは〜だった」など
主語を大きくし、下手をすると人類代表のような顔をして書くから
批難される側・被害を受ける側が膨大すぎて、どうしても話が大きくなっちゃう。
特にニコニコだと誰でも目に付く所にニュースリンク貼ってあったり
はてなだとそういう連中の話をホッテントリなんかで取り上げるから更にね。
そしてそのまま放っておくと、
あの待合室にいた男たちよりも自分は劣る存在であること、またそれを女性に認識されること、それを考えてしまうことが恐怖の正体だ。
詰まるところ、底辺まで落ちてもまだ自尊心を保ちたいだけのクズだった。
はじめての風俗で立たないはよくある話だよ
一度目なら、今度こそはと私も思う。二度目なら、またもかと私は呆れる。三度目なら、呆れを超えて苦痛となる。
提案3:胸に顔をうずめさせてもらって息ができないごっこをする
弾まない会話と重苦しい沈黙の中でリクエストできるほどの度胸があるなら今日まで童貞を抱えてはいないとは思うが憶えておきたい。
そういえば胸をまだ触ったことがないことに今頃気付いた。
嬢をアイマスで例えるのやめーや
担当Pには全く申し訳ないが、デレマスで喩えるのは決してネタではなく理に叶ってることがわかった。
単純に180人以上もいるからという訳ではなく、差別化のためにキャラ付けが明快、3属性から絞り込める、という点で引用しやすい。
考え方はちょっと冷徹かなと思うけど、告発の潮流を止めない・定着させるためにはやっぱストーリーは必要だよ。
なにも世の女の人全員が童貞イジメやら何やらやってたわけじゃないんだし。
誰?って感じのパンピーでもプロデュースしてホッテントリに祭り上げるくらいの流れは必要だけど、
それとは別にはぁちゅうは#metoo1発目の轟砲としてはそぐわない弾だったってだけだよ。
ブコメ歴数年くらいだが、最近は週に5つくらいブコメトップになる
多くは☆4くらいのものだが、1つは☆50を超えたりする、月に1度は☆100を超える
500userいく記事で、50userあたりでブコメするし、誰もコメント書いてない記事でもコメント残すから
それで最近、自分の事を覚えてる人もいるんだろうなと思うようになってきた
これは複雑だ
若干嬉しいようでいて、恥ずかしさもある
真面目な100文字ブコメを書く一方で、オチンポとか書いたりもする
棘のある言い方もよくするから、きっとウザいとも思われているはずだ
たまに、既に100userを超えている記事で、目立たないだろうからと辛辣な事を書いたりして
アレは困る
そうなるとやはりウザいと思われてしまうのだろう
すいません、ウザくてすいません
どういう目で見られようが思ったことを包み隠さず適当に書いてイキたい
___
みんな真面目なこと書いてるだろうと思ってオチンチンとか書いたら皆似たこと書いてる時は落ち込む
所詮その程度だよ
自分の考えを整理したり他で言えない愚痴だったり、誰かに読まれることを想定しないで書くのもあるけどさ。
やっぱり多くの人に読んでもらいたいって書くのも多いと思うんだ。
トラバで反応されることもあるけど、それっていつも増田に常駐している人だけだよね。
つまり誰かがブクマしないと多くの人に読まれない構造になってる。
その「誰か」ってたぶん今10人もいないと思う。
その人がいないと遠くのページに流されてしまう。
最近多い「再投稿」「サルベージ」からのホッテントリって、つまりそれタイミングだよね。
せっかくの良文がタイミングの良し悪しで読まれなくなってしまう。
だからと言って個人ブログなんて更に読まれないよね。流されることは無いにしても。
以前似たような増田の反応で、
ファーストブクマカの労力は大変だけど、彼らのブクマだけで0ブクマかホッテントリか左右される。
でも非公開セルクマしても警戒されて2個目がつきにくい。
ファーストブクマカに頼らず多くの人に読んでもらう方法はないだろうか。
noteでやれって言われるかもしれないけど。
これまで基本的にネット界隈(はてな界隈含む)からは好意的な目で見られることの多かった千葉市長であったが、今回のミニストップの件を機に評価が一転、地の底まで堕ちようかとしている。
30代の若き千葉市長はこれまで様々な施策をツイッター上で議論の題材に乗せてきた。市民と直接議論を交わすことでその内容はちょくちょくTogetter等にまとめられ、ネット上でも話題になることが多い。
自分が懸念しているのは、今回の件をターニングポイントに、ネット上では千葉市長のやることなすことが全てが「否定」されること前提で議論が始まることになってしまわないか、ということだ。
やまもといちろうに対するはてなの評価を見ても、基本的にはそれまでほとんどのケースで肯定的に見られた隊長が、あるタイミングを境から何を書いてもはてなユーザーからは否定前提で見られるようになってしまった。ある議論をする際に、発言の内容よりも誰の発言かという点でブコメの方向性が決まってしまうという傾向は、はてなユーザーならよく分かっているだろう。
まあ、やまもといちろうの場合はそのほとんどが内容的にはヨタ話の類なのでどうでもいいんだが、千葉市長の場合は市民の生活に関わる「政策」の話なので問題だ。
これは個人的な感想だが、これまで千葉市長絡みで議論になった政策については、千葉市長の言っていることに理があると思える事がほとんどだった(中には「ん?」と思うことがちょくちょくあったことは否定しない)。千葉市長にまつわるホッテントリのブコメとか見るに、同じ感覚の人は多いのだろうと想像するが、ネットのムードが一気に千葉市長否定に切り替わり、それが至極まっとうな内容でも「千葉市長が提言することなら反対」のような、議論に変なバイアスが発生してしまうことを懸念している。
いや、これまでも朝鮮学校補助金問題あたりを機に、一部のはてサからは千葉市長に関するホッテントリには否定的なことしか書かれないという状況を見てきたのだ。右翼とか左翼とか全然関係ない話題でも基本的には否定しかしない姿は議論もヘッタクレもなくて、正直「なんだかなー」と思っていた。こういうのも一部のはてサくらいなら微笑ましい話で済むが、それがネット全体のムードとして広がると、理性的であるべき議論も千葉市長否定の感情論や無意味な揚げ足取り等が目立ちはじめて議論も有らぬ方向に進んでしまうことも有り得て、こうなるとそれはちょっと怖いなと思っている。
これまで千葉市長はネット上にはファンが多かったので、「千葉市長のやることなすこと全部好意的な目」で見てきた人が、フラットな目で見る切っ掛けになったのならそれはそれで良いことだと思う。ただ、ネットのムードは怖いもので、フラットどころか反動で一気にマイナス前提ばかりの空気感になることは議論の場として健全とは到底思えないので、先に懸念として表明しておく。
※この記事を書いたのは、そもそも自分が千葉市長を最初に知ったのはいつだっけと考えて、そういや↓のTogetterだったっけなと思い出し、もしかしたらこの有意義な提言も今のタイミングの発言だったら市長側が必要以上に否定されてしまうような流れになることも有り得るのではないか、と思ってしまったのが切っ掛けです