はてなキーワード: パヨクとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2441772
やー、普段は既存IPの蹂躙を喜んでキャッキャしてる連中がブクマコメントでまたやってんなぁ。
パヨクの差別は綺麗な差別とか、そんな差別は存在しないとでも言いたげな連中が、
んじゃ聞くけどさー、その歪められてるキャラって具体的にどいつの話してんだ?
ネトウヨに過去さんざ詰められた批判をオウム返ししてやり切ったつもりなんだろうけど、一番大事な部分が抜けてんのよ。
結局、「飛影はそんなこと言わない!」にすら到達してねえんだよ、その言及しとるパヨ共はさ。
漫画やアニメに乗っかって批判するなら、まず元になってる作品への敬意があることはマストだろうに。
あそこで露悪的に描かれたキャラが差し込まれたオリキャラだってトコすら読み違えてキャラクターを歪めたどうだらって、そらお前らバカにされるに決まっとるわな、あほくせえ。
またパヨクが票を分裂させようとしてるの?
空が紫色に染まる夕暮れ時、俺は愛国心に燃えながらコンビニのアイスクリームを舐めていた。突然、パヨクの集会が目の前で始まったんだ。奇妙なことに、彼らは全員ピンクの象の着ぐるみを着ていて、「チューチュー」と鳴きながらダンスしていた。
俺は思わず叫んだ。「お前らのチューはストロベリー味なのか?」すると、彼らは一斉に振り向いて、「いいえ、これは憲法9条の味です」と答えた。意味不明だ。
その時、空から巨大な寿司が降ってきて、集会を飲み込んでしまった。俺はアイスを落として叫んだ。「日本の伝統食が左翼を粉砕した!」
しかし、寿司の中から声が聞こえてきた。「我々はサーモンとアボカドの融合により、新たな平和主義を築きます」
俺は混乱して目を覚ました。枕元には「ネトウヨ卒業証書」が置いてあった。いつの間に卒業したんだ?そして、なぜか枕からストロベリーの香りがした。
負の根投与=正のパヨク
いわゆる「パヨク学歴社会」のエリートたちは、自分たちの特権を正当化するためにメリトクラシーを盾にしている。彼らの「能力」なるものは、実際には親のコネや金、運の良さに過ぎない。
高学歴エリートは自分たちが社会を導く使命があると勘違いしている。彼らの狭い世界観で物事を判断し、一般市民の声を無視する傾向がある。
自分の成功を自分だけの力と思い込み、周りの支援や環境の恩恵を無視する。その自己中心的な考え方が、社会の分断を加速させている。
メリトクラシーは、実際には既得権益を守るための口実に過ぎない。能力主義の名の下に、格差を正当化し、固定化している。
エリートたちは、自分たちの仕事こそが価値があると思い込んでいる。しかし、パンデミック時に明らかになったように、社会を支えているのは彼らではなく、現場で働く人々だ。
メリトクラシーは、結局のところ既得権益層が自分たちの地位を守るための方便に過ぎない。真の公平性や社会正義とは程遠い、欺瞞に満ちたシステムだと言える。
ある日、俺はネットの海を漂っていた。そこで目にしたのは、パヨクたちの議論。彼らはまるでモッチモチのほっぺを持っているかのように、柔らかくてふわふわした意見を交わしていた。俺は思わず、「なんでそんなに柔らかいんだ?」と疑問に思った。
俺はネトウヨとして、彼らの主張には一切耳を貸さない。だが、パヨクのほっぺがモッチモチだという事実は否定できない。彼らは「平和」を叫びながらも、時にはその柔らかさが逆に攻撃的に見えることもある。まるで、マシュマロを投げつけているような感覚だ。
ある日、街中で「パヨクの集会」が開催されるという情報を耳にした。興味本位で参加してみることにした。集会では、パヨクたちが熱心に意見を交わし合っていた。その中で、一人のパヨクが近づいてきて、「あなたも一緒に話しませんか?」と声をかけてきた。
俺は少し戸惑いつつも、そのパヨクと向き合った。すると、彼はニコニコしながらほっぺをくっつけてきた。「ほら、これが共感ってやつだよ!」と笑いながら言う。その瞬間、俺は思わず「モッチモチだ!」と叫んでしまった。
結局、俺たちは違う世界に生きている。しかし、その瞬間、パヨクの柔らかなほっぺと自分の硬い心が少しだけ近づいた気がした。だからこそ、俺は今日もネットの海で漂い続ける。モッチモチのほっぺを持つ彼らと、自分自身とのバランスを保ちながら。
そう考えると、ネトウヨとパヨクは一見対立しているようでいて、実はお互いを補完し合う存在なのかもしれない。どちらも必要な要素を持っているからこそ、この世界は面白いのだ。
私は別に自己責任論者ではないので、当然困ったときは政府に頼る権利を最大限に行使するつもりなのですが。
兵庫県にも言えることですが、石川県の馳浩知事をリコールせずに続投させるという「選択をした」「権利を行使しなかった」ということは、やはり石川の方々は馳氏を信任しているのだということですね。その中で、1月1日に起こった震災の瓦礫すら完全に除去できていない状況で起こった今回の水害、自己責任論を取らない方々に対しては同情を禁じえませんが、はたして自民王国石川県にお住いの自己責任論者に対しても同様に同情をするべきなのでしょうか。馳氏を選び続けているのは石川の方々ですので、これからの馳氏の活躍に期待しましょう。
私が以前投稿したポストhttps://anond.hatelabo.jp/20240112200526に対して色々なブコメが付きましたが、「反日韓国カルトの統一教会とずぶずぶの自民党を選び続けてるんなら日本人は棄民されても当然でしょう」という部分に関しては全く触れられてないのは草を禁じえませんでした。大体が、右派のなりすましだとか不謹慎だとか、通報してBANさせろとか。不謹慎と言われても、追記でも述べましたが具体的な文言はどれですか、という話です。逆にそれがないからこそ、きっと多く通報が寄せられたにもかかわらず私は今もぴんぴんしてるわけですが…。そもそも「不謹慎」とか「侮蔑」とか、感情論ですよね?「それってあなたの感想ですよね?」。イラつきに任せて多くの人が何も問題ない私の通報に走ったらしいことからも、政策とか統一教会うんぬんとか、理じゃなくてみんな結局感情で動いてるんだろうなあってことがうかがえます。「だから支持されないんだよ」。でしょうね。
自民党が標榜する自己責任論を当てはめるなら、支援物資もろくに届かないような場所に住んでいるのは自己責任だということになります。イラクに行くのも自己責任なら、能登に居続けるのも自己責任ではないでしょうか。私はそんな世界観しんどいので嫌だと思っていたし匿名顕名問わずそう発信してはいたのですが、そうは思わない人がどうやら多数のようですね。私のような「劣等民」を処分するための思想のような気がして、うすら寒い気持ちをずっと覚えていたのですが、自民王国石川県のみなさんは本当にたくましいなと思っております。
ところで、自民党を支持してらっしゃる方は国防に熱心であるという印象を勝手に抱いているのですが、能登には人は住むべきではないのでしょうか?一部、そんな僻地は捨てろと言う意見もありましたが(これは立憲の米山議員が言ってましたが)、どうお考えですか?政府のリソースを割くだけの地域だと認識してらっしゃるのでしょうか。国防とか全く興味がないのでズレたことを言うかもしれませんが、あそこは比較的、皆さんの大好きな北朝鮮と近いような気がするのですが…。無人の方がよろしいですかね?まあ、自己責任論の帰結として能登が捨てられるということはありえるかもしれません。
みなさん、自分が安全圏にいるときは自己責任論を振りかざすことに疑問を持たないとは思いますが、明日被災するかもしれませんからね。その結果障碍者になったり、生活保護を受けることになったり。私は謙虚でありたいし、いつ自分がそうなるかわからないと思っているのでそういった人たちを叩いたりしたことはありませんでしたが、自己責任論者の方々は実際に自分がそういう立場になったらどうするのかは常々疑問に思っております。小泉氏が首相になったら、解雇され無職になる自己責任論者の方々も増えるかもしれませんが。とはいえそういう人たちはもともと自己責任論者なので、例えば営業職が45歳からリスキリングして人手不足のプログラマとかになるんでしょうね。仮に両腕がもげたとしても。私はそもそも小泉氏のような人を首相候補に挙げないためにも自民党以外に投票をしていたのですが、みんな「反日パヨクは許せない」という感情で動いた結果、今回小泉氏が首相になりそうですね。石川県でも日本全国でも、自分たちの投票行動の結末を受け入れることになりそうです。