はてなキーワード: ハンバーガーとは
英語には今でも Hamburger steak sandwich という言い方は有って使われているし、その意味は元々は「ハンブルク風ステーキを使ったサンドイッチ」でしょうし、それを省略したのが Hamburger sandwich でしょうし、これは今でも結構普通に使われているようだし、それがまた省略されて短くなったのが hamburger (いわゆるハンバーガー)でしょうね。自明の部分は省略されがち。それでじゅうぶん通じるから。
ここまで来ると最早ハンブルクとの関連は薄いので、hamburger から新しい造語 burger/バーガー が出来てきて、Burger King とか モスバーガー(MOS BURGER)とかチーズバーガー(cheeseburger) とか広く使われ始めるわけですよね。これなら Hamburger steak も hamburger patty も使ってなくても全然問題ないから、今後もっと広がりそうですね。
hamburgerの-erは、英語ではなく、ドイツ語の接尾辞。
Berlin→Berlinerのように、地名に付けて形容詞化したり、「ベルリン住人」みたいな名詞を作ったりする。
(英語では、-(i)an、-ish、-eseなどに相当)
元々は「ハンブルクの丸い肉」的な料理名だったものが、前半部分だけ生き残って現在に至る。
ちなみにhamburgerは本来、パティの部分(つまり日本語でいう「ハンバーグ」)のみを指す言葉なので、丸くこねて焼いたひき肉が入っていない料理は、何で挟んでいても「ハンバーガー」ではない(「フィッシュバーガー」「エビバーガー」などは意味的には成立しない)。英語話者の意見も聞きたいところだが、ハンバーグをごはんで挟んでいるものは、「ごはんバーガー」と呼んで差し支えないのではないかと思う。
ごはんバーガーという表現はアメリカ言語学的には確かに誤った使用法なのかもしれない
知見者からはドイツ語起源であること、エンカウントなどの用例など
しかし我々アメリカジンとしてはアメリカ語としてのハンバーガーは
あくまでハンバーグのerという事に誇りを持っているわけであります。
五平餅状、もしくはきりたんぽ状のごはんに挟むよう切り替える事により
正しい名称に近づけていくよう当該企業には指導を心がけていく所存であります。
また今回の件について調査する中でカニバーガー、コロッケバーガーなども
あらあらぽてと
あらぽてと
ごはんバーガーより遥か以前からチーズバーガーその他の何とかバーガーはありました。そして、それら以前から、ハンバーガーの略語としてのバーガーはありました。Burger King とか burger breath とか。
何が言いたいかというと、日本語のバーガーも英語の burger も共にハンバーガーの略語としての地位をだいぶ前から確立していたということです。
で、バーガーがハンバーガーの略語として確立してたのであれば、チーズバーガーもごはんバーガーも何らおかしくはない造語でしょ。要するにチーズハンバーガーやごはんハンバーガーの略語に過ぎないわけで。
ハンブルクにerをハンブルガー、ミュンヘンにerを付けてミュンヘナー、地名にerが付くと「その土地の、風の」みたいな意味になる。フランクフルターとかも。ウインナーも
1. そういう質問があるかどうか
「どんな男性が好みなんですか」「どんな恋愛をしますか」「どんな恋愛に憧れますか」「理想の恋人像」みたいなのをインタビューとかで延々聞かれてたらそりゃ嫌になるんじゃないの
一般人でもどんな人が好きなのか、どんな恋人なのかとかは友達同士の会話でするだろ 増田がしないなら別にそれはそれでいいが
体質的にベジタリアンだが「肉料理はなにが好きですか」「ハンバーガーと寿司どっちが好きですか」みたいな質問を肉を食う前提で悪気なく日常的に延々とされるとかみたいなもんでそりゃいい加減ウンザリするんじゃないの お互いのためにも「申し訳ないが自分はそうではないんでその質問は意味がないんでやめてくれませんかね」と言っておくのは周りの人も仕事相手もやりやすくなってなんにも悪いことはないと思うんだけど逆に黙ってることにメリットなんかある?
お台場のユニコーン、上海のフリーダムに続き、福岡にはνがたつそうです。
ですが、ただ等身大のなにかを建設しても、もう正直飽きちゃいました。
そこでこれらに特殊な演出を考え、さらに続く第四第五の等身大も考えてみました。
アニメのシールドファンネルを再現した小型ドローンが飛び回る。
見にきた人全員の顔に三つの穴が開き始める。
臍の緒が売られており健康になれる。
しかし野菜ジュースとハンバーガーは健康に良くないので売っていない。
GTMの可動音は映画館で観るために最適化されているためBlu-rayは発売されない。
人間が磔にされる姿は現実で見るには残酷すぎるためBlu-rayしか発売されない。
一つ、天気のいい日に布団を干すこと
一つ、道を歩く時には車に気をつけること
一つ、他人の力を頼りにしないこと
一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと
を宣誓しないと見れない。
エヴァで一番面白いシーンはサッポロポテトをドカ食いするシーンなのでサッポロポテトがたくさん売ってる。
逆なのかな?
この仮説は多分正しくて、統計のやり方によってはこれ一本でこの話は終わるだろう。
ハンバーガーを食べ過ぎた次の日のウンコは消化しきれなかった動物性脂肪と科学的な調味物質が組み合わさった独特のマクドナルド臭がウンコから漂ってくるものだ。
それと同じように、日本人が日常的にご飯を摂取することで、日本人のウンコからはご飯の匂いが立ち上りやすいだけなのだと結論づけることは出来る。
が、ハンバーガーウンコを出した直後にハンバーガーを食べても「ウンコと同じ匂いじゃね?」と感じることはあっても「この匂いはウンコの匂いだ」と感じることはない。
日本人の脳に「ウンコ」として刷り込まれ学習された匂いと、ある種のご飯が醸し出すベチャベチャとして湿っぽくもどこかすえて炊きあがったような匂い、その両者の一致はあまりにも親しすぎるのだ。
そもそも人間が感じ取れる匂いの種類ってどれぐらいあるんだろう。
ただ間違いなく言えるのはご飯はたまにウンコの匂いがするってことだ。
匂いのやたら強い割り箸だったり、金属臭のキツイスプーンと組み合わされることでウンコとして完成する感じはある。
つまりはご飯がウンコ臭いとき、ご飯が担当しているのは「水気」「香ばしさ」「食品臭」などのいわば「負のシズル感」とも言える部分であり、それに食器が放つ「非食品臭」が混ざることでウンコが誕生するのだろうか?
水分と温度を伴った空間の中で物質の状態を変化させ、それらを強烈な蒸気と共に完成させる。
その結果として作り出される高温で高エネルギーな物質は雑菌たちにとって格好の繁殖地となり、毎秒毎秒生命活動を繰り返すことで雑菌は排泄物としてゲオスミン臭などを残していく。
人間のウンコとは人体に住まう小さな命の作り出したウンコの集合体でもあるのだ。
そしてご飯もまた、その表面上に置いて無数の細菌達が毎秒毎秒刻一刻とその数を増やしながらウンコを繰り返している。
いわば全ての食品は雑菌のウンコまみれであり、人糞との違いはそのウンコの濃度の違いでしかないとも言える。
音を表現するデシベルが対数刻みなのは人体が感じ取る感覚が対数刻みだからであるからだが、それは視覚や嗅覚でも同じである。
それはある匂い物質のある濃度に対して人間が感じる匂いを1とするとき、100分の1の匂い物質に対して人間が感じる臭さは100分の1よりも大きいということだ。
ご飯や割り箸の表面に集った微生物たちの微生物ウンコの密度が人間のウンコの何万分の1まで下がれば人体はその匂いを感じ取らずに済むのだろうか?
その答は「食品の匂いがウンコから遠ざかればそっちにかき消されることが出来る」と結論付けられるのではないだろうか?
つまる所、ある種のご飯からウンコの匂いがするのはやはり「そのご飯はウンコの匂いがするので、全ての食品が必然的に纏ってしまうウンコっぽい匂いを自分の匂いでかき消すことが出来ない」ということなのではないだろうか?
つまり、やはり「ご飯は時折うんこっぽい」というのは是なのだ。
白米至上主義の日本国民としては非常に悲しい結論だが、この現実から逃げていては日本食に発展の未来はないだろう。
受け入れよう。