キモっ.....会話交わしてくれただけありがたいと思えよ
悟り🤘(👁👄👁)🤘ウィーーーーーーーー
北風と太陽っぽい
やっぱ醜少女も欲しいよね
@kitamaru
私、無双大好きなんだけど、無双シリーズに出てくる女性キャラがほんとに我慢ならないんだよな……
男性キャラはおっさん~少年、ヤセからデブまで色々取り揃えてるのに、
中でも小喬というキャラは、回を重ねるごとに醜悪なキャラになっていく気がしてならない。
少女の見た目で、無知、未熟を丸出しにしたキャラクターで、周瑜の妻なんだよ……
無双では呉陣営が好きなので(呂蒙先生のキャラが好きなのね)使いたいんだけど、絶対小喬出てくるから嫌になる……
周瑜まで気持ち悪く見えてくるからホントやめてほしいんだよね。
男性キャラはかなりの割合でほぼ全身を覆った衣装であるにも関わらず、女性キャラは肌を露出している割合が高い。
男性であるクラウドは同じ前衛で戦うのに腹のところをがっちりガードしているのに、ティファは腹丸出し。
そこに疑問を感じない人が作った時代でもあったし、それを踏襲したリメイクなのは理解しているが、そこのマイナーチェンジくらいはできたんじゃないか?と思う次第。
そんなことしたら「オレたちのティファは腹を出していなければ」という苦情が来るのだろうけど、
じゃあ、クラウドも腹を出しててくれよ。
腹を出してる理屈を構築して、すべての戦闘キャラは腹を出すスタイルにして欲しいんだよね。
「オレたち(男)は男の腹なんか見たくない!」って言うのなら
「オレたち(女)は女の腹なんか見たくない!」という理屈も成立するし、
「異性(同性でもいいが)の美しく割れた腹筋を見たい」という欲はどちらの性がもっていてもいいじゃんねー。
職業柄色々な大人(特に40代〜60初めぐらいまで)と接して分かったこと。
無理難題を押し付けてくる。こっちは組織だから無理なのに。だから自営業なんだろうね…と諦めはじめた。
あと、その妻もヤバい率高。
常識がない。
僕の好きな仏教系の挿話に「火事で燃えてる家と赤児の話」というのがあって
どんな話かというと、とある家が火事になっているとする――。その燃えている家の、崩れた瓦礫の隙間に赤ん坊が取り残されているとする。赤ん坊はどうやら周囲の状況にあまり気付いていないらしく、指を咥えてぼんやりとした面持ちのままその場に座り込んでいる――。まだ火の手はそれほど近くにまでは来ていないから、何らかの手段を講じれば赤児の命を助けられるかもしれない、みたいな話。
でも、瓦礫でできたスペースは小さくて、その奥まった場所に取り残されている赤児の元へは、大人の体では大きすぎて辿り着くことができない。また、その瓦礫を除けようも、ちょっとしたバランスの変化で瓦礫は崩れ落ちそうに見えるくらい、その均衡は危うい。つまり、その時赤ん坊を助け出す手段としては、赤ん坊自らの力によって瓦礫の外へと這い出してもらうより他に方法がない、という状況である。
さて、この時赤児にアプローチするには幾つか方法があって、この挿話によればその方法は主に二つである。一方に関しては、これは失敗が決定付けられた最も愚鈍な手段であるんだけど――次のようなものだ。
「火事なんだ! すぐ傍にまで火の手がやって来ている。だから早くその場所から逃げ出すんだ。さもないととんでもないことになるぞ!」
当然この方法は赤児の命を救うことができない。それは無論のことで、赤児はまだ大人の冷静な言葉を解するには年齢や知能の発達が不十分で、その言葉を正しく理解することなど到底できないから、正しい指示を送ったところで何の役にも立たないということなのだ。
また、そこにはもう一つ細かい問題というのもあって、この挿話ではそれについて次のように述べている。大人が必死な目をして、必死な声で赤児に対して叫ぶのを見て、むしろ赤児は言うことを聞くどころか怯えて、泣き出して人事不省に陥ってしまうなり、あるいは、間違った方向へと這いずって逃げ出してしまうなり、むしろ事態が悪化する行動を取る結果にしかならないだろう――とこの挿話の語り手は述べるのである。
さて、そのような具合に、「正しい情報を与え、正しい指示を行う」といった方法はこの場合何の役にも立たないことが示された。それどころか、より事態を悪化させることにしかならない、という結論が述べられた。勿論これはあくまで仏教的な挿話の範疇で示唆されていることではあるんだけれども。いずれにせよこちらは失敗にしか傾斜しない、二者のうち一方の愚鈍極まる手段ということであった。
では、もう一方の手段とは何か。
それは、「何か音の出るおもちゃを持って、笑顔で赤児に呼びかける」である。
上手くいけば、赤児はそのおもちゃに興味を示して、出口の方へと這いずって自ら正しい方向へ歩むことができるかもしれない。少なくとも、何ら言語を解さない赤児に向かって、「逃げろ」だの「火事が迫っている」だの叫ぶよりはずっと結果はマシになる筈であろう、とのことであった。因みにこの方法を用いる理由として一つ、さらに重要な前提があって、つまりそれは赤ん坊はよくも悪くも自分自身がおかれている状況に無自覚であるということである。そのため、赤ん坊は火事の危険を知らず、余計な恐怖や危機感によって泣き叫んだり人事不省に陥ったりする心配は今のところ無い――つまりは割と平然としているということが、この第二の手段を更に正当化する理由となるのであった。
時間制限は確かに存在する。火の手が回る前に、迅速な判断が必要な場面ではある。とは言え、自らの膂力によって瓦礫を除けたり、あるいは赤児の取り残された小さな隙間に入り込むといった手段を使えるわけでもなし、正しい指示を送ることは怯えさせるだけで役に立たない――そんな時に用いるべきなのは、本当は「おもちゃの音色と、同時に浮かべられる朗らかな笑顔」なのだというのが、この挿話の結論であった。
賢明な読者の皆様はお気付きであると思うが、この「火の手が迫り今にも崩れそうな家」と、「状況を理解していないし、また言語を解すこともできない、取り残された赤ん坊」は、現世と衆生にそれぞれ対応した比喩となっている。もっと言えば、それは我々の世界と我々自身についての比喩なのだ。
(あるいはこれは、悟りや涅槃(救い)というものと、それを理解できない衆生の対比になっているとも言える。)
いや、こんなこと言ったら気分を害する人もいるかもしれないんですけどね、まあ仏教というか宗教全般は大体そういう通底した考えとか世界観があるのはしゃーない。正しい言葉で語りかけても、衆生は危険を認識するどころか怯えて遠ざかり、尚の事炎の害に遭う可能性が高まるので、何らかの便宜的な他の手段(この場合はおもちゃと笑顔)を講じるべき、というのが、仏教側のスタンスだということでした。まあいずれにせよ昔の人は面白い喩え思いつくなー、とかそういう話なんですねはい。
確かに多いと思うよ。
当事者的にも覚えきれないし、ほとんどの当事者は気にもしていないけどね。
当事者として自己確立してしまえば、どんな言葉で自己定義するとかどうでもよくなるから。
どっちか言うと運動家や研究者(必ずしもLGBTではない)が使っていることが多いと思う。
「わからないもの」をわかろうと四苦八苦してるときに新語って量産される傾向があるし、
LGBT自身というよりその周囲の人が理解するための道具って印象。
あと、自己確立する前の、セクシャリティで悩んでいる人(含むメンヘラ)が使っているかな。
増えすぎの原因には、言葉を作った人間が注目を集められるってのももちろんある。
論文で提案した言葉がバズれば、被引用がっぽり稼げてインパクトファクター上がるし。
一時期レインボートイレみたいな当事者が迷惑がって反対するような提案が自治体の施策として取り上げられたりしたり
あんまり質の良くない、LGBTに詳しいと自称するコンサルタントの活動がずいぶん目立ったし。
ただまあ、それだけ言葉がなかったってのも大きいと思う。
性ってのは主観的な目に見えない部分が多いから、どうしても客観的な言葉にしにくい。
『奇跡の人』のサリバン先生も「言葉は心にとって光以上のもの」って言ってるけれど、言葉がないとどうしてもうまく悩めないのよ。
自分自身の心を見つめるにしろ、人に相談するにしろ、言葉不足は足を思い切り引っ張るから。
最悪LGBTってほどじゃないのに、その言葉しかなかったせいで、自分のこと考えるときに言葉に引っ張られてこの道に迷いこんじゃう人も出る。
10代20代の「自分がよくわからない」モヤモヤを抱えた子が自己確立する上では
もしくは、LGBTじゃない人たちがLGBTを理解する上では有益な面もあるから、一概に新語を否定もしたくないかな。
悩みを通り抜けて自己確立してしまえば、もうそんな言葉は不要になるけれど。
(増田の提案は自己確立済ましてることが前提だから、実は当事者にはあんまり意味ない)
言葉の一つ一つに力が篭ってる
熱狂的な歓声
USA!USA!USA!と言いたくなるようなかっこよさがある。
なのに何故、我が国は細い声でボソボソとそしてだっさいワンボックスカーの上で選挙演説なのだろう?
ダサいなんかダサすぎる
国民も無関心だしね
がんばれよ 政治家よ
「おはようクレヨン」聞いて落ち着く僕を置いてきぼりにするのやめてよ。
この増田を初めて読んだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180719174909
これを書いた人は、いま、どんな気持ちなんだろうか。
お気持ち長文が読みたい。