・主人公は男。優秀。
・先輩(中年男性。以下A。)の伝手でロシアか東欧に引っ越してくる。
・先輩の娘(若年女性。以下B。)がダンサーか楽器かやってて、スランプ。
・主人公とBが仲良くなる。
【追記】
ご指摘の通り日々人(アニメ)だった。どうもありがとうございました。
Aはそこにいたのにいなかった。
このオジサンうざい~という話題に挙がらない、中(無)好感度の中年になる。
説教・アドバイス、その他さまざまな謎アプローチがよくここに当てはまる。
この指針を遵守するには、「相手が求めているかどうか」を正しく見極めるスキルが必要。
そして気づくのは「ほとんどの人は、俺に何も求めていない」ということ。
アドバイスも意見も金もチョコレートも、他人の私から急にもらうには不気味なものだ。
とはいえ、なんらかの理由によって誰かにアプローチしたいことはある。
そこでも大事なのは「相手が何を求めているか」ではあるんだが、
それより大切なのは「なぜ・その人に・どんな・アプローチをしたいのか」を自分によく問いかけること。
というのは、自然にしたくなることほど、自分の動機に無自覚になりがちだから。
わかりやすいのは異性関係。とにかく歯止めが効きづらい。。もちろん単純な性欲だけでなく、異性のお気に入りの人から気に入られたい~ってとき、だれでもコントロールに失敗しやすい気がする。周りの友達は男女ともそう。
どうしても何か接触をしたいなら、上記を重々自覚のうえ、ほんの少しずつ、誰からもらってもうれしいものを渡す だけでよい。
・(重すぎない)感謝(だけ)
・(重すぎない)応援(だけ)
・(軽く)存在を気にかける
すぐ余計なアドバイスを付け足したくなりそうなので気を付ける。役に立とうと張り切らなくてよい。
とにかく熱量とかタイミングの波長を合わせることだと思う。合わねーわって思った人に絡まれ続けるのは俺だってつらい。
もし自分の中で熱が高まっているようなら、いっそまったく別の何かに分散させるのがよい。ポメラニアンかいたい
実際にはおじさんだけでなくおばさん、というか老いも若きも男も女もこういったうざい人になってしまう可能性を多少なりとも持っているだろう。
できれば互いにフィードバックを与え合える仲間をもって、こんな感じの指針を胸に、うまい距離感をとれる中年になっていきたい。
ラジオやLPを使いこなして最新のムーブメントを追い続けていた70年代の若者
バブルの荒波という今後この国で二度と起き得ないであろう猛烈な時代を謳歌してきた80年代の若者
インターネットや携帯電話の普及、PCの処理能力の飛躍的向上という世界の変化に適応してきた90年代の若者
な、なるほどー!?
僕の部署の場合は、単位時間当たりの伝票処理枚数とか、生産性の定量的な指標を設定しようと思えばできそうな気がする。
メモリ不足による作業遅延とか、ディスプレイ1枚で画面切り替えの時間ロスとか、体感的には自明過ぎて定量的な説明はいらないと思っていた。
これが一番まともな反応だよな。
思うようにことが進まなかったり、その前に自分自身からやろうと言う気力すらわかなかったり。
お疲れ様です。
最終的に自分がやるしかない。と思えるあなたは自立した素晴らしい方だと思います。
でも、ずっとひとりで頑張るのは、とても体力と気力が必要だと思うので、よかったらたまに息抜きに愚痴でもなんでもイイので書き込みしてください。
「決まってるじゃん」って思ってても伝わらないことが多いから、「全部の」とか「一部の」みたいな修飾語が存在してるんやで。
主語がそもそも存在していない文なら、「あなたは」とか「私は」みたいに主語を付け足しても文章はわかりやすくなるな。
作文って奥が深いよな。
これから時がたつにつれお父様がいないことを実感することが増えていくと思います。
そしてそのあとに少しずつそれを忘れていきます。
だけどそれは悲しいことではないです。
経営陣「なんで新しいパソコンいるの?ないと仕事できないの?……できるよね?やってるよね?金使って楽するなら誰でもできるんだよ!」
嬉しすぎて酒を飲んで、支離滅裂な文章となっているため、真意が伝わるかは不明だが、今思っていることを書き留める。
去年の今頃だろうか、環境に対する不満や人間関係、自分の周りの環境の変化などが相まって、気分が塞ぎ込んだ。
まさか自分が鬱病になるなんてない、と思っていたが、どうやらその症状は、かねてから聞いていた鬱病という症状に近いような気がした。
そんなこんなで心療内科に複数回通院し、カウンセリングを受けたところ、案の定鬱病に近い症状が出ていることが発覚した。
医師は直接鬱病という診断は起こさなかったものの、医師に「私は鬱病なのではないか」と問いかけをしたところ、「正直、それに近い症状は出ている」と言われた。
そこから学校を休んで、今年の4月に、とりあえず学校に行く気持ちになったので、年度初めに大学院には復帰した。
しかしどうもやる気が出ない。
昔取り組んでいた研究テーマについても、まったくもって継続して取り組もうという気持ちがもてず、丁度修士論文を執筆しなければならない年であったこともあり、研究テーマを変える決断をした。
そんなわけで研究テーマを変えて、指導教官も変えて、心機一転やってやるぞ、という気持ちを抱いていたのだが、どうも進まなかった。
そのまま修士論文執筆時期を迎え、流石にそろそろ進捗やべえなあと思いながらも、依然としてやる気が出ない。自分が休んでいる間に成果を出していた同期が自分より上のステージに進んでいたし、周りも成果が出始めている時期だった。
かくいう自分は休んでいる間に進捗が生まれるわけでもなく、成果も生まれていない。
指導教官からは、「気にせず、一からやっていこう」と優しい助言をもらったが、自分の中では同じスタートラインに立っていた仲間がすでに別のステージに居ることが耐えきれず、「自分だってそうなれたかもしれない」という思いを抱いていると、どうも何かに取り組むという気持ちを抱くことが出来なかった。
そんなこんなで、表向きには復帰をしたものの、鬱々とした気持ちを抱いたまま過ごしていたのだが、今日ある日、ひょんな契機をきっかけにやる気が湧いた。
それが直接的に何だったのかを言及することは控えるが、その姿を見て、自分もやってやろうと思えるようになった。
そのとき、何が悪かった、何が自分の心に影響していたのかということも、若干ながら気づくことが出来た気がする。
具体的には「同じトピックについて議論できる仲間が(教員を含め)存在すること」が欠けていた。
それは自分の説明能力の低さだったり、キャンパスや研究室の環境といったところにも由来するかもしれないが、自分の中で、自分のことを理解してくれる人などいないという思いが鬱積して、たまりにたまりこんでしまった結果だったのかもしれない。
これさえ覚えればどんなに正しそうな内容を言っていても人の神経を逆撫でできる文章が書けるぞ。
まず例文。
「増田に人の悪口を書く人って、当人に見つかってしまう可能性を考えていないのかな……?🤔
そういう人ってどんどん周囲から人がいなくなっていくと思うんだけど、本人は理解していないのだろうか……。
すごいな……私だったら絶対に耐えられないな〜。
私はそうならないように気をつけよう」
以上だ。
1. 一文目。言いたいことは疑問系で書くこと。詳しくは後述するが、疑問系にすることでその人間の思考が理解できないというニュアンスを出せる。この顔文字も高ポイントだ。
2. 全体敵に、自分の一意見である、という謙虚なスタンスを崩さないこと。ここを誤ると叩かれがちなので、間違っても主語を大きくしてはいけない。
3. 「すごいな」とにかく理解が及ばない人種であるということを強調する。
4. 「私はそうならないように気をつけよう」。とにかくこれを最後につけることで自分と相手は違う、自分には理解できない相手であるということを再度アピールできる。
自分の一意見であり多様性を認めているようにも一瞬は見えるスタンスだが、明らかに人の悪口であり大抵の場合はおせっかいな内容である。田舎の嫌味なおせっかいババアが新参のよそ者に対して使うイメージがぴったりなので、これを田舎のおせっかいババア文法と名付ける。人を煽りたい時に使ってほしい。