うわ、
また鼻水が出だしてきてヤバいわっ!
ここんところ
体力や免疫力がめっぽう落ちてきている気がするの。
おかげさまで
そのおかげあってか
息切れしなくてよ!
結構これ感じてきてるわ。
走るの楽しくなってくるわね。
もっと走れるようになったら
そんなわけで、
みんなも気を付けてね。
朝は豚汁とご飯で
菜はないけど一汁一菜的な感じよ。
根菜類は冬美味しく頂けるわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
結局何に対しても真剣に取り組むことをしていないお前の責任だろ。
まだ22歳なのに何言ってんだ?
まだまだ時間は嫌になるぐらいあるじゃねーか。
誰もお前に与えてくれないぞ。
教養をアピールする人たちは、「物理」や「数学」、最先端のサイエンスを意識的に教養から外すことで
東大京大レベルの国立大学を卒業した人が教養について説くならわかるが
文章よりも的確に世界の法則を描き出す理系科目から逃げた私立文系たちが
中国人は4000年かけて食を極めとんのやぞ。当たり前やろ。
聞いてもないのに自分語り
書きなぐるんで読みずらいのはご了承。
多々IT業界、というかITを名乗る人売りのブラックな面はググれば出てくるので割愛。
今の会社は2社目。
新卒で入って2年ほどの現場で仲良くなった人から声をかけられて転職。前の会社も今の会社もSESをメインとした人売り企業。
1か月以上前に話をしているのに「認めない」「契約している会社に迷惑かかる」とかほざく始末。
現職に転職する際、前職辞める際に揉めて半年ほど待ってもらった経緯はある。
その時はまだ経験がなかったから2週間で辞められる、会社規則なんて守らなくてもよかったことを知らなった。
どっちの石が真ん中に近いかよほどきわどい場合はメジャーが出てくるけど、それ以外は選手が相互に確認して決めるのとか、基本的に審判の出番がほとんどなくて話し合いで決まっていくのがいいよね。
アラフォーでそれなのか…
じゃあ、運動水で
もっと「何者かになりたい」って思いがあった。「俺はこんなもんじゃないはず」って。
でも今は「俺のできる範囲でがんばろう」って思ってる。
それぞれの人にはそれぞれ、器っていうか、その人なりの生き方があるんだよな。
昔、自分が学生だった頃、今で言うと陰キャと呼ばれてるような奴らの集いが毎日のように教室でありました。彼らは放課後になると、今で言う陰キャの中心的人物が属するクラスの教室に集いました。
当時の作品はよくわかりませんが、いわゆるライトノベルを教室に持ち込んでは黙々と読んでいる人間でした。
私は、ガリ勉野郎でしたので勉強をする自分の横で軟派な表紙をチラつかせて読んでいる隣の男達(中にはちゃんとブックカバーをつけている人もいましたが)を気味悪いと感じながら過ごしていました。
自分は積極的には関わりませんでしたが、今で言う陽キャと言われるクラスの中心的な人たちは積極的にいじり倒していました。
オタク的CDを持ち寄ってきていたのか、今で言う陽キャの集団がそのCDをからかい始めました。その時に、今で言う陰キャの中心的人物が、陽キャの集団に対して「J-POPという流行らせたコンテンツに乗っかっているおまえらにはわからんよ」的な事をいっていたのを思い出します。
その時、初めて今で言う陰キャの人たちを理解しました。彼らは別に反発心や、満たされない日常を不満に思ってオタクをやっているわけではない。自分の無意識な価値観を揺さぶられたような経験でした。
彼らは別にオタクになりたくてなったわけではなく、自分が素晴らしいと思った物を突き詰めるにあたりオタクになっただけなのだと。
それは本質的には数学検定に必死になる自分となんら変わりなく、あくまでもその対象が外の人から評価されるかされないかだけなのだと。(数学検定が外の人から評価されやすい資格かはともかく)
その後、電車男が書籍として販売され、秋葉原がにわかにテレビで特集が組まれ、ニコニコ動画というコンテンツが生まれて、「オタク」はありふれました。
いやでもオタク文化が目に入り、パソコンを触っていればそこそこそういう知識は分かる程度にまとめられたコンテンツは増え、気がつけば水樹奈々は当たり前のように紅白に出場し、小林幸子は「千本桜」を歌うような時代です。
今のオタクは、言ってしまえば「J-POPという流行りに乗っかっている」当時の今で言う陽キャと変わりないのだと思います。
私はスマホゲームを良く嗜み、5chのスマホアプリスレで情報収集をしていますが、上記のことをものすごく感じます。
必ず「セルラン」「覇権」という言葉がどのスレにも出てきます。アニメであれば、「覇権」はよく聞きますよね。私はこの言葉がどうファン達に聞こえるのかわかりませんが、とても無意味ではないかと感じます。
なぜなら、オタクは流行に乗ってやるものじゃないと最初に話したエピソードで感じているからです。
いまでも語られる名作ゲームとしてデモンズソウルを例にあげます。私はデモンズソウルが大好きなのですが、このゲームはもうすぐオンラインが終了するということで最近またキャラを作っては嵐の祭祀場に通っているのですが、このゲームは覇権でもなんでもないですし、そもそも売上もじわ売れですし、どちらかというとダークソウルから入ってきた人のほうが多いのではないかと感じます。覇権でもないゲームなのに、名作として扱われ、ディープなファンがいて、ソウルシリーズとして続いていますよね。
だったら、アニメやスマホゲームで「覇権」「セルラン(円盤の売上)」という言葉が当たり前のようにでてくる現状ほど、オタクが「流行りモノに飛びつく人間」という意味になってしまっていると感じます。
同人誌で、簡単に描く作品を変えてしてしまう同人作家を「いなご」と言いディスる。
おかしなものです。オタク自体が「流行りモノ」を追いかけて移動しているのに、同人作家という発表者が流行りモノ(または流行りモノのついていくユーザー)を追うことを咎めるのは。
今でも真実か冗談かはさておき「なのは完売」という言葉を見かけますが、これほどオタクを象徴する言葉はないと思います。「なのは」という今では覇権でもなんでもないコンテンツが「すぐに売れてしまうコンテンツ」だと認識されているのです。
もちろん、作品を知る機会として「流行り」は重要です。しかし、コンテンツの楽しみ方までもが「流行り」であるようにしか今では感じません。
「オワコン」という言葉があるのがまさにコンテンツの楽しみ方が「流行り」であることの証明でもあります。
私が学生だった頃、教室に来ていた今で言う陰キャ達がどうなっているかは私にはわかりませんが、彼らは当時そうではなかった。私がみた「昔のオタク」像のせいで「今のオタク」がオタクに見えていないだけなのは重々承知していますが、今のオタクは当時の今で言う陽キャと同じ人種にしか見えない。
そして、当時、今で言う陰キャの事を気味悪がってたくせに、アニメやらゲームやらをやっている自分も、ただの「今のオタク」にすぎないのだろう。
どんなスケジュールが入ってるの?