大阪でトラックいっぱいに積まれたリンゴが群衆によって奪われた、という話
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1480549589
ずっとパジャマのズボンをはかないで寝てたことがあって、そのときは全然大丈夫だったのに、
創刊三日前のメールマガジンをすでに失敗したことであるかのようにかきたてる人の書き込みを見つけて「えーこのために2ヶ月も3ヶ月も準備してきたのに…流石に失礼じゃないの?」という気持ちになってる。しかも、そんな人にネットの書き込みが優しいかのように言われることに若干イラッとしてる
まぁ、おおよそ誰が書き込んだか想像がつくし、しょっぱなからすごく成功する可能性のほうが低い(多少の相場観はつけてる)だけに、そこはねぇ…うん。
熱意があるかじゃなくて、
極端な話、一夜漬けで山を張るときみたいに台本からぱらぱらっと目についたワードかいつまんだり、
あらすじぐらいしかリサーチしてない状態で想像で書いたような代物でも、
オタの拡大解釈で何とかなってるようなのもあるだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20160101235355
はんちゃんがダメって言ってるのに、他のやつと比べてはんちゃんがマシだから許してやれってアホか。
お前はクソまずい料理が出てきた時に、他のもっとまずい料理の話をして我慢してクエとかいうやつか。
たしかにお前よりははんちゃんのほうがましだが俺の答えはどっちも要らない、だ。わかったか?わかったら消えろ。
お前の主張自体は俺の増田関係ないなら主張してもいいがそれなら俺の増田にトラバするな。お前がやってることは俺にとってはクソリプだ。わかったか?わかったら二度とやるな。
他の大学は知らないが、関東の某国立大学である。今まで3人の講師を見てきた。
講師は全員外国人。文法やら単語やらではなく会話技術を重視してんのかどうかは知らない。
質問に答えようとしても意味がわからない、だから辞書を引こうとしても即答を求めるためそれすら許されない。
講義を行なうかどうかは奴らの機嫌次第である。しかもほぼ毎回遅刻してくる。
学生に対する好き嫌いを隠さない。遅刻どころか出席しないやつに優評価だしたり、毎日出席してる真面目な奴に不可を出したり。
東大や京大のようなところではないけど、大学自体のレベルは低くはないはずなのに、英語の講義がそんなもんだから、大学全体の英語のレベルは高校生以下である。
調布FMで新春アニソン三昧を聞いてアニメソングの良さを再認識した。
音楽は「物語」と「技術」という2つの要素によって構成されている。
音楽は表現の手法なので大部分の音楽は物語を詰め込まれている。
純粋に演奏者や作曲者の技術をアピールすることや聞いていて心地良いことをひたすらに追求した音楽もあるが。
アニメソングのような何らかのテーマソングは物語の部分において非常に有利な立場にいる。
大抵の音楽は表現者のバックグラウンドやその時代時代の情景を切り取ることによって物語性を生み出している。
だけどそれが何を意味しているかに受け手が気づくのには時間がかかる。
もしかしたらずっと聞いていても半分も伝わらないままかも知れない。
それこそ音楽を聞く前から受け手と表現する側の間にどういう物語が歌われているのかが半分ほど共有されている。
たとえばオリンピックのテーマソングなら挑戦する事や努力する事の素晴らしさが歌われるのだろうと予想がつく。
これがアニメソングになるとそこにOPやEDの映像まで付いてくる。
音楽のPVなんて半分ぐらいは何をやっているのか分からないような映像が流れているものだがアニメソングの場合は少なくとも作品の内容と一致したものが流れる。
そして大部分のアニメソングはある程度はその作品のテーマに沿った物語を歌っている。
そのため映像を見ることによって視聴者が受け取る作品のイメージと、その作品のテーマとリンクした歌の内容は自然とリンクしていく。
更にその映像の後で本編が始まるのだ。
本編を見ることで視聴者の中に溜まっていったアニメの物語は次にOPやEDを見るときに歌の中の物語と少しずつ共鳴していく。
そうした行為が十数回(1クールアニメ、または1クール毎に主題歌が変わるアニメの場合の例)に渡って繰り返される。
当然視聴者はただその音楽を聞いた場合とは比較にならない程その音楽の中にある物語を噛み砕くことになる。
時に歌詞の内容を物語の展開とリンクさせ、キャラクターの心情とリンクさせて自分の中でこの歌はこういう事を歌っているのだなと咀嚼していく。
そうして次にその曲を聞くときは聞いている側の頭の引き出しからそうしてそれぞれ向けに調整され終わった物語が音楽に合わせて流れるようになるのだ。
つまりほぼ完全に聞く側が音楽で歌われる物語とシンクロした状態で曲を聞くことが出来るようになってしまうという事なのだ。
何度でも言おう、これは大きな強みだ。
聞く側がほぼ完全に曲の内容を理解して音楽を聞くことなんてそうそうあることじゃない。
そりゃ普段から音楽を聞きまくっている人間ならそれぐらい普通なのかも知れない。
だけど流行りのJーPOPをちびちび聞いているだけの人間たちからしたらそうそうある事ではないのだ。
ただOPとEDを飛ばさないでアニメを見るだけでいつの間にか聞き手は歌詞やメロディーとシンクロ出来る様になる。
元旦の丸々半日をアニメソングに捧げているあいだ150近くものアニメソングを聞いていたものだが、そのうちアニメを見たことがある物のほとんどでその歌詞が何を歌っているのか理解できた。
エルフェンリートみたいな元ネタが小難しい奴はちょっと自信がないけど。
この「理解のしやすさ」こそがアニメソングの大きな魅力だと再認識した。
何度も何度も聴きこんで聴きこんで歌詞を頑張って噛み砕けというのではなく、アニメのテーマを思い出しながら聞いてみればなるほどこういう歌なのだなと理解できる取っ付きやすさ。
音楽にどっぷり浸かっている人達からしたらえっそこまで手取り足取りしないと駄目なのと思うかもしれないけどそうなのだ。
聴きこんで聴きこんで理解するという行為をサポートしてもらわないと正直しんどいのだ。
それをしんどくなくやってくれるアニメソングは実に素晴らしい。
しんどくない余暇の過ごし方が出来るのは本当に素晴らしいよ。
俺が受け入れられないのは、そういうことを全くしていないのに一定以上の成功を収めている人が結構いるからだ。
周りを見ても、メディアを通してでも、そういったことをやってる様子はないし無論ドヤ顔で進める連中もこのなかになんていない。
隠れてやっているのかもしれないが、それなら人に見せるのはなんだかちょっと恥ずかしいこととして当人のなかで位置づけられていることになる。
人間関係、仕事、遊び、恋愛、家庭さまざまなフィールドがあるが、
そのなかで豊かな生活を営んでいる人々は、大抵自分を律するということに特別な意識をもって暮らしていないのではないのか。
もう無意識の次元で着々と物事が上手く進むよう気持ちを整えて行動できる、そんな人間が成功するのではないか。
何か特別なことをこれまでのしみったれた暮らしにねじ込んでもすぐに無理がたたる気がする、
最近のシリアスな海外のRPGとかってどっち選んでも後味悪い選択肢しかなくて、いやもっといい解決法あるだろ!?ってなってそもそもそのクエストをやらないとかある