はてなキーワード: スカイダイビングとは
わかる。自分も実家サイドの事情でアラサーで実家暮らしだったとき、しょっちゅう親から「あの人(テレビに映ってる素人親子の親など)、同い年じゃん」とか「あの子(小学生時代の友人)の子ども来年小学生だよ」とか半笑いで言われ続けてた。
親としては冗談というかそういうコミニュケーションの取り方なんだろうなと分かりつつも非常に不快だったので、一度、そう言われた時に「なんでいちいちそういうこと言うの?結婚してほしいってこと?孫が見たいっていう意味?それをしろと強制してる?」と真正面から真剣に聞いてみたことある。
最初は「え〜?笑」とはぐらかしていたけど、きちんと「いや笑い事じゃなくて。どういう意図で言ってるのか知りたいと言ったら、「結婚してほしいと思ってるわけじゃないよ」と返ってきて、それ以降こういうことはほとんど言われなくなった。
世代的なものも大いにあると思うから、こういう「ツッコミ」が良い笑い話、潤滑なコミニュケーションだと勘違いしているのかもしれない。
自分は中学くらいのときから、親がたとえば同性愛などについて偏見を言ったりしたときに、その考えはこういう理由で良くないと説明したり、いとこに「子どもはまだ?」などと言ったときに、その発言は失礼だと説明したり、世代的にピンと来てなさそうだったけど長年根気強く言い続けてきたから、少しは親の考え方も変わってきていたのかもしれない。
それと同じように、自分は結婚しない可能性もあるし、孫はできない可能性もある、ということも何度も何度も言い続けてた。
最初は、いわゆる自虐ネタのように思っていたみたいだけど、何度も真剣に言うので、まあそういう人もいるのかもしれないとふんわりと納得していったみたいだった。
悪気はないのだろうなとは思うけど、スカイダイビングやパソコンゲームをまったくしたことがない・したいとも思っていない人がいるように、結婚しない・したいと思っていない人がいること、自分の親くらいには理解してほしいなとは思う。
断られすぎておかしくなりそうだった時期があって
その時にこっちから「仮面夫婦として子供は二人で協力して育てよう、でもお互い異性として認識するのはもうおしまいにしよう」って言ったんだよね
最初からSEXする関係じゃなければ誘って断られて傷つくってループにハマることはないと思ったから
妻は驚いてた
妻としてはSEXが嫌というよりは特にしたいことでもないしなければいないでいいものだから、登山とかスカイダイビングに誘われるようなもので疲れるし面倒だから断っていたと
そこで、性的に受け入れてもらえることが男にとってどれくらい重要なことかとか
するならどのくらいの頻度がいいのかとか色々話し合った
それ以来態度が軟化して、月に一度くらいはするようになった
少し前に、会社に行けなくなりました。
いわゆる「鬱」というやつです。
今まで、鬱になる奴は甘えとか煽ってた私がです。
そこで、重い腰を上げて精神科で診療を受けて抗うつ薬を処方してもらった。
そして処方された抗うつ薬を飲んでみた。
思考がポジティブになり、行動的になり、活動力が上がり、アメリカ人もびっくりの Yes we can 状態になったわけ。
念のため休職の申請をしていたから、せっかくだし色々とやってみようと、
サーフィン始めちゃったり、スカイダイビングやってみたり、人生が楽しいのなんのって本当にすごい
婚活パーティーに参加してみれば、話が楽しくて明るくて笑顔がいいとか言われてモテるわモテるわ。
これはイケるか?と思って馬券を買ってみたら紙切れになるわ、クソが!
効果がヤバすぎる
そうやって飲み会やら遊び歩いてたら、さすがに月の出費が目に余るようになったから、これはまずいなと思って3か月で休職を切り上げて仕事復帰したわけ。
で、会社に出社するようになったら、仕事の能率は高くなるわ、次々に仕事を巻き取っていくわで、評価爆上がり
もうWebに蔓延するクソアフィリエイトかと思うくらいの好循環でびっくりだわ
これだけは言える。
ネガティブなやつ、ポジティブになりたいやつ、仕事がうまくいってないやつ、私生活に不満があるやつは、絶対に抗うつ薬を飲め!!
ダイエットサプリやら、脱毛サロンやら、ハゲ治療薬やら、そんなものに金を使うな。まずは抗うつ薬を飲め!
国立大教育学部の小学校社会科の先生になる専攻で入学したけど、
高校ではマンガ家めざして同人誌も出してて、フィギュアのフルスクラッチもやりたいなと思ってたので
卒業には全く必要のない美術の先生を養成するコースの塑像(人体を粘土で作る)の授業を受けてた。
最初の課題(学生同士でペア組んでお互いの顔を作る)で自分には立体の才能が全く無いと思い知らされて、ペアの顔を完成させた段階でフェードアウトして単位は得られなかったが。
思い返せば、教育学部って専攻(教科)ごとに多種多様な研究室の教授・講師の授業があって、もっといろんな授業を無駄に受けとけばよかったなと、社会人になった今更思う。
サークルもいろんなことをやってみたいと、漫研以外にスカイダイビング部・スキューバダイビング部の新勧説明会に参加したけど、遠征や装備に金かかるので貧乏学生の俺には無理だった。
あ、先生にはなってません。
失敗したというか、そもそも成功するかどうかわからない雑さだったので生きている。
それは本気で死ぬ気ではなかったのでは、と思われるだろうが、後にも先にもあんなに「死」に取り憑かれたことはないし、本当に病的に死ぬ気だったのだと自分ではわかる。
当時の自分は、社会人一年目で、新卒の人間も自分の他に一人しかおらず、あまり職場に馴染めず鬱々としていた。
こう書いてしまうとさもありなんと思われるだろうが、それ自体は別に死ぬほどのことではなかった。
仕事の代わりに趣味が充実していたし、楽しいこともいろいろあったし、明確なパワハラがあったわけでもない。
なんとなく職場のことは好きではないが、やってることはまあ嫌いでもなかった。
なかったのだが、色々なストレスが自覚もないまま積み上がっていたらしい。
食事の席で珍しく酒を飲み、少々酔い、気分良く話していたはずが、気がついたら父親と口論になっていた。
なんでそんなことになったのか、全く思い出せない。実際、ものすごく些細な話だったのだと思う。
不機嫌に別れて家に帰った。帰り着いて、風呂に入って、なんでかわからんがめちゃめちゃに泣いて、時間はすでに深夜だった。
あまりにも突然急に、あっ、死のう、と思った。
自分で言うのもなんだけど、正直昔からメンタルが強いほうではなかった。人生のうち半分以上を「死にてぇ〜」と思いながら生きていた。
と言いつつ痛いのも苦しいのも辛いのも嫌なので自傷行為などノーサンキューだった。
生きていたけれども、「死にたい」じゃなくて「死のう」となったのはその時だけだ。
WEBで今できる死に方を検索した。できるだけ苦しみが少ない方法。それらしいのを見つけた。これだと思った。
親しくしてもらっている大家さんに迷惑がかかるとか、今まさに近くに来ている両親のこととかも考えた。
胸が痛むような気持ちを遥かに上回って「死んじゃうんだからどうでもいいじゃん」と思った。
誰かが困っても、泣いても、死んだ後だからどうでもいい。
そのころ私は趣味のWEBサイトを運営していて、そこそこ閲覧もされていた。
親しくなった友人も、慕ってくれる閲覧者もいた。
当時はまだ個人サイトを作る人間も多く、そしてなんらかの理由で更新が止まってしまったところも多かった。
いつかまた更新されるかも、という期待の残る跡地は切ないので、自分がサイトを閉じる日が来たら、ちゃんとその旨を掲示して、これまで見てくれた人への丁寧な感謝の文章を書こうと、ずっと前から決めていた。
お知らせのための新規ページを準備して、文章を2行くらい書いたところで思った。
「これもやっぱり死んじゃうんだからどうでもいいじゃん」
この瞬間の確信は、今思うだに異常だった。
周りが聞いたら些細なことかもしれないけれど、当時の自分の一番の矜持とかこだわりみたいなものが、バツンと切られて散ってしまった。
スイッチが入る、という表現が一番近い。切るのではなく、入るのだ。「死のう」という方向に入ってしまう。
恨んだ人間も、お礼を言いたい人間もそこそこいたけれど、それも全部どうでもよくなってしまった。だから遺書も書こうとしてやめた。
面倒くささのほうが圧倒的に上回っていた。
詳しい方法は書かないが、死に損なって障害が残るのは絶対に避けたかったので、そうなる確率が低い方法をとった。
実行する直前で、就活中に軽い不眠になった時期があり、一時的に処方されていた睡眠導入剤のあまりがあった(このときかかっていたのは普通の内科だった)のを思い出した。
全部飲んでしまおうかと思ったが、胃洗浄などになったら死ぬより辛いという話を聞いていたので、普通より効果が出るだろう、くらいの量だけ口にして首を吊った。
死にたいけれど苦しみたくはない自分が本当におかしかった。けれど、死んでしまえたらもうそういうことも考えないんで済むんだな、と思った。
頭がぼんやりしてきて、手と足の感覚がなくなったとき、ものすごい解放感だった。
死ぬとわかっただけでこんなに楽になるのなら、もっと早く思いついておけばよかったと思った。そのあたりで意識が途切れた。
目が覚めたら翌日の朝で、床にすごい体勢で倒れており、身体中がばきばきに痛くて、首には紐の跡が残っていた。
要は紐の結び方が甘くて、主に薬の効果で意識が飛んだあとに自重で解けて、そのまま床で寝ていたらしいのだけれども、起きたら「死のう」の気持ちは吹っ飛んでいた。
びっくりした。死にたくなくなったことではなく、あんなにも盲目的に死のうとしていた自分のことが、まったくもってわからなかった。
魔がさすとか、憑き物とかいうけど、ほんとそんな感じだった。あまりにも明確に「どうかしていた」。
自分のしでかしたことが怖すぎて、トイレで吐いた。ついでにめちゃくちゃ腹が痛くなって困惑していたら、普段の周期より1週間も早く生理が来ており愕然とした。
(一部の女性には、ホルモン作用により生理前の時期に鬱に近い状態になってしまうPMDDという症例があるのだが、このとき生理周期が狂ったことも含め、なんらかのホルモンバランスの不調が原因で、それだった可能性がなくはない)(ただ、一因ではあるかもしれないがそれだけではないし、それが理由とも限らない)
首を吊った紐は捨てた。気に入っていたワンピースのベルトリボンだった。悲しくて怖くて服も捨てた。もう一度泣いた。
仕事は休んで心療内科に行って、薬をもらった。首の残った紐のあとは、夜には消えていた。翌日は普通に仕事に行った。次の日も、その次の日も普通に行った。
で、それでなにが言いたいかというと、人はあまりに突然死に取り憑かれて、急に死んでしまうことがあるだろうということである。
ミステリとかで「あの人は近々こういう予定があって楽しみにしていたから自殺なんてありえない」みたいなシーンを良く見かけるが、結論として全然ありうる。
どんな予定があっても、約束があっても、「死のう」は突然やってくる。
あと、死ぬ前に思い悩んでいたことがあったのではとか、誰かに相談はできなかったのか、みたいな話も出てくる。
もちろん誰かに相談したくて、それができなくて思い詰めて、確固たる意志で自死を選んでしまった人も多いと思う。
でも、自分が悩んでいる自覚もなく、ある日突然「死のう」が顔を出すこともある。
このときよりも「死にたい」出来事なんていくらでもあったのに、それが現れたのは、本当になんでもないはずの夜だった。
人は準備がなくても、杜撰でも、衝動的でも、一瞬の気の迷いでも、タイミングが重なれば、死ぬときは死んでしまうのだ。
たとえそれが自死であろうが、突然の事故と同じくらいに、本人だってわけもわからず、死んでしまうことは、たぶんある。
だから、他人の死に対し、できればあまり物語を見ようとしないでほしい。
もちろん、なんらかの明確な理由で追い詰められた際に、その解明が必要とされる場面もあるだろうけれども、本人や周囲の意思が示されていない限りは。
そしてもし、そんな事故みたいな「死のう」が来たときに、この文章を思い出して、「ああ、今自分はそういう状態で、本当に一過性のものかもしれない」と思えることがあればいいなとも思う。それは私のエゴだけれども。
どちらにしても夜は深いこと考えないで寝たほうがいい。
【追記】
この出来事の前後でなにか変わったことは特になく、びっくりするほど普通の日常が続いているけれども、その何年か後にバンジージャンプやったときにはこのときの何百倍も生まれ変わった清々しい気持ちになったので、最近人生くさくさしてるなと思う人で健康上の問題がなければやるといいと思います。コロナ明けたらスカイダイビングもやりたいんだよな。
臨死つったら言い過ぎだけど。スカイダイビングだったりスキューバダイビングだったりロッククライミングだったり、ちゃんとやってりゃ安全だけど一歩間違うとアウト系エクストリームスポーツ体験してみれば?結構満たされるよ。