はてなキーワード: すばるとは
私用メモ
文学賞 | 締切 | 400字詰め原稿用紙 | 賞金 | 応募総数 | 発表 |
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創元SF短編賞 | 1月10日前後 | 40字×40行換算で10~25枚(原稿用紙ではない) | 規定印税 | 500編前後 | 4月下旬 |
文藝賞 | 3月31日 | 100枚以上400枚以内 | 50万円 | 1800編前後 | 雑誌「文藝」2020年冬季号 |
すばる文学賞 | 3月31日 | 100枚程度から300枚まで | 100万円 | 1400編前後 | 「すばる」11月号 |
新潮新人賞 | 3月31日 | 250枚以内(短篇可) | 50万円 | 2100編前後 | 「新潮」11月号 |
ハヤカワSFコンテスト | 3月31日 | 100~800枚程度 | 100万円 | 400編~500編 | 「SFマガジン」(10月号?) |
日本ファンタジーノベル大賞 | 6月30日 | 300枚以上500枚以下 | 300万円 | 700編前後 | 「小説新潮」2019年12月号 |
文學界新人賞 | 9月30日 | 70枚以上150枚以下 | 50万円 | 2700編以上 | 「文學界」5月号 |
星新一賞 | 9月30日 | 10,000文字以内 | 100万円 | 1500編前後 | 日本経済新聞紙面、公式サイト、3月上旬以降 |
群像新人文学賞 | 10月31日 | 70枚以上250枚以内 | 50万円 | 2000編前後 | 「群像」6月号 |
太宰治賞 | 12月10日 | 50枚から300枚 | 100万円 | 1200編前後 | 5月にPR誌「ちくま」と筑摩書房ホームページ |
オンラインで応募できるところは着々と増えているようだ。
応募総数は直近数年の平均や、データが明らかになっている最後の値をどんぶり勘定したもの。正確ではない。
【追記】原稿用紙は400詰めがほとんど。時折、何文字×何文字で印刷した際に何文字、という指定があることがある。ラノベに多い印象。また、この表を利用したことによる一切の損害については責任を負いかねる。
昴(すばる)とは違う字です!
昂!!
https://i.imgur.com/GoUmIF1.jpg
https://i.imgur.com/dF1be4I.png
https://i.imgur.com/xugYHXq.jpg
その他多くの記事で間違ってる模様
けじめをつけるつもりで書き留めておきます。
乱文です。
ファンクラブサイトで突如公開された、たった1つの文章で世界が変わった2018年4月15日から約3ヶ月。
一点の曇りもない圧倒的アイドル性を惜しげもなく披露した我らが渋谷すばるは、21年ものジャニーズタレント生と、14年もの関ジャニ∞生を華々しく終えました。
最後の3日間、どれを見ても涙を浮かべていた彼のなんでもないように振る舞おうとした姿。
堪えた涙の奥にきらきらと反射する照明の光は、どの番組でも美しく星のように輝いていたのがとても印象的で、きっと一生忘れられません。
最後の演奏「LIFE」で見せた7人の関ジャニ∞としての渾身のパフォーマンスは、今までにない気迫を感じ思わず鳥肌が立ちました。
隅から隅まで、それぞれがそれぞれの想いを込めて歌ったかけがえのない歌でした。
あの日から3ヶ月、関ジャニ∞の強さと、自分がどれだけ関ジャニ∞に心を奪われ、救われてきたかを改めて確認できた良い3ヶ月だったと今では思います。
私事ですが、関ジャニ∞を応援するようになり今年で5年目を迎えます。
彼の21年のアイドル人生のうちたった4分の1ほどでしかないけれど、こんなに出会ったことを心から喜んだアーティストは初めてでした。
大倉さんがラジオで言っていたように、これからも渋谷すばるの面影は消えないし、日常のふとした瞬間に寂しさを感じることはきっとあるし、寂しさをなかったことにはできません。
でもそれ以上に、レンジャーに記されたように6人がこれからを新しいスタートと呼び、一生懸命楽しんで、楽しませるという心強い意志があったから漸くわたしも前向きな気持ちになれました。
札幌公演、目一杯楽しませるつもりならこっちだって目一杯楽しむしかないじゃないですか。なんとか耐えようと思う間もなく、楽しくなるに決まってるじゃないですか。
雨にも負けず風にも負けない雑草魂アイドル根性、とことんつきあいますよ。
本当に大変なのはこれからだけど、決めたことを曲げない真っ直ぐなあなたが、これからどんな風に羽ばたいていくのか、今は楽しみで仕方ありません。
最後に。
オリキのジャニオタ友達に会ったので話を聞いてみたけれど、さすがオリキレベルになると持ってる情報が段違いだった
相手の女の子が誰かも知ってたし、山口君ってRの法則で、実はあーでこーでそーで、相手の女って実はあーでこーでそーなんだよ、ってことまでいろいろ教えてくれた
おそろしい
この子達のレベルになると、アイドル達の住所とかも把握してるので、山口君はどこそこに住んでて、あーでこーで、みたいなこともいろいろ言ってた。こわい。なんでしってんの。
これらの情報をtwitterで喋るような人がいないという団結力が凄い
文春当たりなら知ってると思うけどねーと言ってた
渋谷すばるのジャニーズ退社報道の時も、すばるきゅんが辞めるわけない!とtwitterで言ってたオタがたくさんいたが、あの子達は裏の裏を知らないだけらしい
すばるが辞めるのはだいたい予想ついていたらしい
理由も分かっているようだ
実際に事務所の人と仲良くなって情報仕入れてるレベルのオタクなので言うことが信憑性がありすぎる
ネットには嘘が転がっているように見えて、実際そこまで嘘じゃないんだな、ってのは思った
ジャニオタっていうだけで若干引かれてたから何度も何度もやめようと思ってた。
これからもずっとファンでいよう、って思ったのは昨日が初めてでした。
渋谷すばる脱退の事実が昨日はすっと呑み込めたはずなのに、寝て起きて朝になって現実だったんだって他人事のように思って涙が止まらなくなった。
いろんな人のツイートを見て泣きそうになってちょっとだけ笑ってほっこりしてまた泣きそうになって。
関ジャニ∞の7人の言葉があまりにも誠実でそれがまた関ジャニ∞らしくて嫌なのに嬉しくて。
何かを考えようとするけど何も考えられなくて途方に暮れるってこういう事なのかなってちょっと笑ってまた虚しさだったり悲しさだったり押し寄せてきて。
本当は笑って見送りたいしすばるくんを応援したいんだけど無理で、そんな自分を責めれない自分がいて、ごめんねってちょっとだけ思った。
誰かに何かを話そうとするけど言葉さえ出なくてまだ現実味がわいてないのかな。
いろんな憶測が飛び交ってるけど、ジャニーズ事務所が悪いわけでも6人が悪いわけでもファンが悪いわけでも、もちろんすばるくんが悪いわけでもなくて。
誰に何をどういう言葉で伝えたらいいのかわからなくて、でもやっぱりすばるくんの言葉に嘘がなかったから、すばるくんはすばるくんだったから、今はそれでいい。
安田くんが会見に出れなかったのだけが心残りで、安田くんの怪我を待てなかったのかなって思ったけど週刊誌が先に発表したから急遽って事になったのかと思うと本当に本当に腹立たしい。
あまりに適当な週刊誌の『渋谷すばる関ジャニ∞脱退報道』に呆れる人たち
https://togetter.com/li/1217786
なんてフライデーdisりまくりで、私たちがすばるくんを分かってる!適当なこと書いてるんじゃねえよwwww脱退なんてするわけないじゃんwww
とか言ってたのに
関ジャニ∞の渋谷すばるがグループ脱退と事務所退社を発表。衝撃を受けるファンや以前に番組で言われてたことを思い出すファンも
https://togetter.com/li/1218258
はい死亡。
最初に雑誌をdisっていたジャニオタたちに、ねえどんなきもちwww今どんなきもちwwww適当な報道じゃなかったのwwwとか突撃したい。
でも「もっと調べて書け」なんてドヤ顔で言ってた人はアカウント消しちゃってるからなんかすごいな
>渋谷すばるが今までどうやって生きてきたか、知りもしないバカがこんな記事書くんだろうな
おまえが何わかってんだよwwwww脱退事実だったじゃねえかよwwwwおまえこそなにもしらないで人を馬鹿扱いしてんじゃねえよwww
まとめ作った人は鍵にしてるな
とりあえずジャニオタは自分たちこそがアイドルのことを一番知ってるって勘違いは辞めた方がいいよ
マスコミの方が知ってるに決まってるじゃん
率直にとてもショックだ。辞めないでほしいし、辞めてもどこに行っても頑張ってほしい。
けれど「コンサートにすばる君出さないのはおかしい」。言ってる場合か。
『メンバー仲が良い関ジャニ』『歌声の凄い関ジャニ』『アイドルなのにバンドも真剣な関ジャニ』
関ジャニ∞の武器だったこれらのイメージが全て、一人のメンバーが「真剣に音楽やりたいから脱退した」ことで失われるのだ。
渋谷中心だった歌割もバンドスタイルも全部一から組み立て直さなくてはいけないし、関ジャニ∞に異様に多い「永遠の絆」を歌った楽曲達だって、歌う方も聴く方も今まで通りに受け止めることは出来なくなる。バラエティやコンサートで和気藹藹とする彼らを見る目も少なからず変わってしまうだろう。
致命的な、しかし避けて通れない変化だ。
安定した場所を離れ一人旅立つ渋谷の道もさぞかし険しいだろうが、残されたメンバーが守っていくものは、歩いていく道は、彼と比べて果たしてそれほど平坦なものだろうか。
言葉にしないだけでメンバーの中には「解散」だって視野にあったはずだし、人気も仕事も今の水準を維持出来なくなるのは容易に想像がつく。グループとしての寿命は、確実に減ってしまった。若いアイドルは次々と出てきている。バンドが出来るグループも。関西ノリのグループも。
限られた時間、いつだって勝負のドームツアー。お決まりの感動演出で辞めていく人間に花を持たせている余裕はない。
それはメンバーとスタッフが一番分かっているはずだ。だからこそ早々の6人体勢へのシフトだ。とにかく早急に6人で出来ることを模索しなくてはいけない。これ以上何も失わないために全力でもがかなくてはいけない。関ジャニ∞はまだ死なないと、見せつけなければいけない。世間に、そして誰より渋谷に。
渋谷には海外に行ってしまう前に、6人がもがき苦しむ様を見届ける義務がある。自分が何を奪い、何をなくしたのか。それを見届ける責任がある。
もう15年近くファンです。
去年は例年やってる冬のコンサートがなくて、でも今年の夏コンあるからいいか、楽しみだななんて思ってました。
そして今日、メンバーの1人であり、関ジャニのメインボーカルでもあった渋谷すばるさんが脱退の声明を発表しました。
受け入れられてません。
すばるさんがステージにいないことも、関ジャニの歌を歌わないことも、これから先7人での姿を見られないことも。
怒りはあります。
なんでこのタイミングなんだとか、夏コン終わってからでも良かったんじゃないかとか、15周年まであと少しなのに、とか。
怒りはあるんですよ、でも嫌いになれないんです。
嫌いになれたら楽なんですよ、そこで見切りがつけられる。つけられるのに嫌いになれないんです。好きなんですよ、たとえ関ジャニじゃなくなったとしても、渋谷すばるソロになったとしても、きっとこれから先嫌いになんてなれないんですよ。
だから苦しいんですよ。認めたいけど認められないんですよ。折り合いがつけられないんですよ。
これから先テレビで、ステージで、雑誌でいろんなところで笑う関ジャニ∞を見て、その後ろにすばるさんを見てしまう自分がいると思うんです。それができないんです。辛いんです。
嫌いになれたら楽なのに。
・紅緒様のペットがウザい
・ろくろは悪くないのに雛月の事件は自分のせいとウジウジする所
・すばるのたゆんたゆんおっぱいに鼻血出したけど繭良には無反応な所
・悠斗の中の人が女っぽい
・梅津泰臣OPそのままのシーンが一切ない、というか関わってない
・実は強かったのに頑なに出し惜しみするろくろ
・そのろくろの優柔不断さが原因で亮悟を始めとした陰陽師仲間が苦しめられてるのに棒立ち
・清弦がクズの上声が合ってない
・股間に響かない
・繭良のかませ感
・前回あんなに仲良かったのにリセットされたかのような次回のろくろと紅緒様の関係
・敵がダサいし回を経るごとに弱体化してる
要は見ててイライラするアニメなんですよねえ。紅緒様も繭良も女の子は一様に可愛いんですが何せ股間に響かない。いや響いてたのに段々そんな気分じゃなくなってきた。
雛月寮の女子メンバーがヒロイン級なのにモブだからとイスカ並のモブに厳しいアニメだった事は悲しい以外の感想が生まれなかった。
アニメキャラの百合を好む人が「百合に男を混ぜるのはクソ」とか「同性愛者を異性愛者に矯正しようとするのはクソ」という発言をしてるのをよく見かける。
でもその一方で異性愛者を同性愛者に矯正しようとすることについては喜んで奨励するんだなあって
アイカツスターズの早乙女あこに対する反応をTwitterで見てて思った。
早乙女あこはいわゆるノンケで、男性アイドルであるところの結城すばるが大好きなキャラクターだってことがはっきりと描かれていた。
なのにその事実をことごとく歪めて無理やり同性愛者、レズビアンに仕立て上げようとする感想妄想が多数を占めていて正直引いた。
あこの恋路を応援しよう、あこの人となりを素直に肯定しようなんて感想はほぼ見かけなかった。
結局この人たちキャラクターなんてどうでもよくて百合っていう記号が好きなだけなんだなと思った。
まあ早乙女あこがバイセクシャルだって可能性もゼロではないし妄想するのはもちろん自由なんだけど。
あなたのその早乙女あこに対する発言って、あなたがいつも嫌ってる百合を男根で引き裂く行為とどこが違うの?と思った。
※追記・返信
・別に二次創作で性的志向を勝手に曲げるのが正道だとか言ってない。やることについては否定しないしやりたいなら謙虚な姿勢でいるべきだとは私も思っている。
・一緒なのがわかってて同時に自分にとって嫌な表現の存在も認められるなら良いと思う。
・断言してることで言及してる百合好き達と同列視されるのはちょっと、かなり不服だな。そもそも6話を見た時点でわかりやすく手に取れる事実を書いたに過ぎない。
すばるが好き→恋愛対象は男の子ってごく自然に考えられることだと思うんだけど、そんなに狭量な考え方だろうか?
そんな考え方をするやつは前時代的な性差別者だとか言われるようなら謝る。
1
6月11日に、「絶歌」は発売された。その直後、この本の刊行を報道で知った遺族のうちの一人が、遺憾であるとコメントを発表した。
以来、今日に至るまで、様々な人々が—— 専門家、知識人、芸能人、ライター、クリエイター、etc——、この本についてコメントをしたり、記事を発表している。
少しだけ、どこかで見たような光景だな、と俺は思った。
原発だ。
震災以来、原発というのは、賛成だろうと反対だろうと、何かしらの意見を持たなければならないような問題になった。「どうでもいい」「どっちでもいい」というような態度は許されない。誰しもが原発に対して、真剣に考えなければならない(あるいは、そのフリをしなくてはならない)、そんな風潮が蔓延している。
そんな光景に、どこか似ている、と俺は思った。この本の出版に関して、肯定的だろうと否定的だろうと、有名人(というかライターやクリエイター、芸能人)は、何かしらコメントをしなくてはならない。そんな雰囲気が漂っているような気がした。
また、ネットでもあちこちで、この本のことが言及されている。その内容(というか質)も、原発に関するもの似ている。有意義なものあるけれど、ほとんどが似たり寄ったりな退屈な意見で、特にAmazonのレビューに関しては、まぁ、平均的な人間の平均的な意見が読める、という以上の価値はない。
なんというかまさに「脱法ハーブ、握手会、風営法、放射能、ダサい、ダンス、ダウンロードって言ったら負け」状態だ。
2
俺がこの本を読んだ理由は、端的に言えば好奇心だ。この本が発売されると知ったとき、純粋に読みたいと思った。ただの好奇心。
この際だから、書いてしまおう。俺は小説を書いている。ほとんどの人は知らないと思うが、Amazonで販売出できるKDP(Kindle Direct Publishing)で発表もしている。つまり、創作をする人間として、この本に興味を持った。
この本の元になった事件は、説明するまでもなく、後のフィクションに多大な影響を与えている。俺が知っている範囲だけでも、舞城王太郎や佐藤友哉あたりは確実に影響を受けているだろうし(舞城の『阿修羅ガール』に出てくる鬼畜殺人鬼グルグル魔人を知っているか?)、奥浩哉『GANTZ』に出てくる西なんかは、もうまんまだ。他にも探せばたくさん出てくるだろう。
創作をする人間として、そんな風に後のフィクションに、作家たちに影響を与えた事件の当事者が書いた手記に興味を持つことは、そんなに不思議ではない、と思う。だから手に取った。ただ、これは弁解だ、言い訳だ。下世話な好奇心で読んだ、と言われても反論は出来ない。
(これは余談だが、先述したとおり、この本は6月11日に発売された。ニュースになったのも、その二三日前だったと思う。しかし、振り返って見ると、五月の終わりに、この事件をモデルにした窪美澄「さよなら、ニルヴァーナ」が出ているし、そのちょっと前には、34歳になったとある小説家が事件現場を巡礼(?)するという内容の佐藤友哉「ドグマ34」がすばる4月号に掲載されいてる。偶然か? さらに余談だが去年放映されていた、金城一紀脚本のドラマ「ボーダー」の第三話は、殺人を犯した元少年が手記を出版しようとして遺族に殺されてしまう、といった内容だった。まぁ、偶然だろう)
3
事件当時、俺はまだ小学生だった。けれど、この事件のことは、やはり印象に残っている。
俺は子供のころ、モデルガンが好きで、アクション映画などの銃撃戦のシーンを見てはひとり興奮していた。シュワルツェネッガーがバンバン人間を撃ち殺しているのを観ながら熱狂している俺を見て、母親も心配していた。俺も子供心に「自分は人が死ぬことになにも思わないのか」などと普通のことを普通に思っていた。平均的だ。
そしてこの事件以降、子供によるセンセーショナルな事件は、たびたび起こる。「キレる17歳」などいうキャッチコピーがつき、まるで急に少年犯罪が増えたかのように報道された。
フィクションも影響を受ける。バスジャック事件を題材にした青山真治の映画「ユリイカ」などだ。
開き直るわけではないが、俺は上記の作品たちが好きだ。だから作者に興味があるし、その作者に影響を与えた題材、事件にも興味がある。センセーショナルな事件は、良くも悪くも、フィクションに影響を与えているのだ。
ただ、報道のされ方、ニュースの選ばれ方のせいなのか、はたまた「事実は小説より奇なり」なのか、現実では悲惨なニュースが相次ぐ。自然災害は仕方がないにしても、凡人には理解できない理由で、または理解できないほど身勝手な理由で、色々な事件が起こる。無差別殺人、闇サイト、児童虐待。世紀末を過ぎても、この手のニュースには事欠かない。
「近頃はありきたりのリアリズムに追いつかれそうにも見える」
これは、とある賞の選評の一部だ。とある一作品に向けられた言葉ではあるが、なんだかフィクションがひどくしらけてしまうときに、この言葉がふと思い浮かぶ。
我ながらバカなことを書いているな、とは思う。でも、俺は嫌なのだ。俺はフィクションが好きで、物語が好きで、小説が好きなのだ。だから、読むし、書いている。書いては直して、また書いている。
この本が出たときも、似たようなことを思った。批判が溢れ出ているのに、蓋を開ければベストセラーだ。売れているからって、優れたものじゃないってことは判っている。それは音楽も映画も本も同じだ。
4
そして、この本を読んでみた。内心ドキドキしていた。偉そうな事を言っておきながら、日本の犯罪史上稀に見る(仰々しい枕詞だ)事件を起こした、当事者の手記。正直、影響を受けてしまったらどうしようか、とも思った。俺は本を読む以上、どんな本でも最大限影響を受けるつもりで読んでいる(そうでなければ読む意味なんてない)。ただ、この本だけは、少し怖かった。
しかし、どうだろう。前半はネットで揶揄されている通り、自己陶酔しきった糞ポエムだった。ガラガラのライブハウスで演奏しているクソみたいなバンドの歌詞でも、これよりはほんの少しマシだろう。ただ、文章自体は上手いな、とも思った。読ませる文章だ。特に、後半の面会に来た弟のやり取りの場面では、ちょっとぐっと来た。少しだけ泣きそうにもなった。
でもこれは(ここまで書いておいてなんだが)、所謂ただのお涙頂戴話だ。当たり前の反応というか、けして面白かったというわけではない。
そう、端的に言って「つまらなかった」というのが、この本を読んでの感想だ。
一部で神格化、カリスマと化している「殺人鬼」だが、彼はつまらない、ただの普通の人だったのだ。多くのフィクションに影響を与え、ひとたび本を出版すれば大いに話題になる「あの人」は、普通の人間だった。
前半のあの糞ポエムが、それを象徴している気がした。あの稚拙で過剰な修飾表現は恐らくわざとで、そうやって過剰に飾らなければならないほど、内容は、実は普通なのだ。
これについてはロマンポルシェのロマン優光さんが書いた記事に頷ける箇所があった。
“この本には特にそういうところがないのだ。(性的偏向については代入される対象がおかしいだけで数式は同じなので、対象がいくら理解できなくても根本的に理解できないというわけではない。) 普通の人が普通に想像したような話が続くだけである。 ”
http://bucchinews.com/subcul/5203.html
5
少し前になるが、日曜の午前にやっている「ワイドナショー」という番組で、店の商品に爪楊枝を刺す場面をYouTubeに投稿した少年のニュースをやっていた。
それを観た松本人志が、「全然おもしろくない。声も張ってないし」とコメントしていた。他の出演者は「そこですか?w」といった感じだったが、俺は、松ちゃんはこういうコメントをどんどんしていったほうが良い、と思った。
つまり、つまらないものは、つまらないというべきなのだ。そして、松本人志のようなおもしろい人は、こういうくだらないことをする人間に向かって「全然笑えない。おもしろくない」ともっというべきなのだ。
同じ番組で、松ちゃんは、この本は読まない、といっていた。遺族の方がここまで言うのなら、と。立派な態度だと思う。下世話な好奇心で読むヤツに比べたら、遥かにマシな態度だ。
でも、俺は松ちゃんに読んでほしい。この本を読んで、おもしろくない、と言ってほしい。
「俺に影響受けてるのかもしれへんけど、お前の本、つまんなかったで」と言ってほしいのだ。
舞城でもユヤタンでも乙一でも、こんな本より、俺の小説のほうがおもしろいぜって言ってほしい。なにがベストセラーだ!っていってほしい。
だから、俺は敢えて言う。
自分に取っての本当のことを書いたのかもしれないが、ハッキリ言ってフィクションのほうがおもしろいぜ。普通の理由で普通の狂い方をした普通の人間なんかより、グルグル魔人のほうが狂ってるぜ。なんせウンコパン三世〜♫ デレッデレ〜♫ なのだ。
だから俺は、この本を批判するならおもしろい人たちに、「つまらない!」って言葉こそ、声高に叫んで欲しい。
6
“結局のところ、人生で起こるすべての本当のことは、陳腐で薄っぺらで通俗的なのだ。そうじゃないことは小説の中にしかない。だから小説の中で、つまんないなあと思うとき、わりとそれが人生の本当のことを書いているってのがあって、だから小説って難しい”(舞城王太郎/パッキャラ魔道)
まったくその通りだ。
そんで、つまんない本のことで、
いちいち騒ぐのはやめようぜ。
おわり。