はてなキーワード: 絶滅とは
職場の飲み会が「嫌い」と回答した人は13.8%、「どちらかといえば嫌い」は17.5%で、合計すると31.3%です。
「好き」(16.2%)と「どちらかといえば好き」(22.6%)の合計38.8%の方が多いという意外な結果となりました。
年代別に見ると、職場の飲み会が「好き」と回答した人がもっとも多いのが30代の22.4%でした。「好き」と「どちらかといえば好き」を合わせた、ポジティブな意見がもっとも多いのは20代で、年代が上がるにつれ下がり、50代がもっとも少ない数値となっています。
引用元 R&Cマガジン「1回の飲み代の平均は4,237円!1,000人調査の結果」 https://www.randcins.jp/fin/special/drinking-party/
50代が飲み会嫌いな理由は色々考えられるけど、今の50代って20代の頃=30年前=1990年代で、まだまだアルハラ・セクハラも横行してただろし、つまり若いころに飲み会でまーキツイ思いさせられてた人も多いだろうから、そりゃ嫌になるよなって感じではある。
あと50代にもなれば職場の出世レースももう逆転は基本的に無いから、社内の勝組50代と落ちこぼれ50代とがはっきりしてて、落ちこぼれ50代はそりゃ職場の飲み会でもチヤホヤしてもらえないだろうしつまらんだろうなと思う。集団において強者側じゃないと肩身が狭いからね。
なお、記事の最後にもあるが、じゃあ20代は何で飲み会好きなのかというと
絶対に強制参加なんて飲み会はほぼ絶滅してるはずだし、そういう世間の変化に感覚がついていけてない40代~50代ブクマカとトラバ増田が古い感覚でブー垂れてるってことよ。
日本人は、また世界の逆鱗に触れて第二の原発を落とされる日、絶滅を願われる日も近いよ
日本人はこういうのを「日本にはおかしな人がいる。他人を変えることはできないから仕方ない。バカな人はどこにでもいる。こいつらはあくまで自分達とは違う、少数派」と言いたいらしいが、その徹底的な他責の感覚は普通ではない。
他国人から見ると、日本に関して発信するのが日本人に見つかると、事あるごとにこの手のキモいリプ欄汚染が発生する。他国人から見ると日本人と言えばこういう人たちという認識。
戦前はせいぜい外交官や観光地の人がブチギレるだけで済んだけど、
いよいよ「日本人は、下劣で無能で知能が低く性格が悪く、人間性がドブのように腐っていて頭がおかしい、絶滅させた方がいいゴミ。正義感のかけらもない。自分に甘く欲深いだけで思考することがない。現実逃避をし続けているので、社会の改善にも参加しない。やることといえば気持ち悪いモテない男のために都合のいい女が安全なセックスママをするアニメを作ってるだけ」
という印象が強くなった。
今までは日本語に阻まれていた(守られていたとも言える)発信力が、ネットによって正しく世界に発信できる環境が整ってきたことで、日本の実態クールジャパンが正しく認識されるようになりつつある。
黒人差別をする人々の背景には、高い犯罪率や暴力的な傾向、男尊女卑、仕事ばかりで子供の世話をしないなど、差別するだけの理由があるのだが、いつも日本人にもそういう人いっぱいいるよな、英語が喋れないから差別されてないだけだ、と思っていた。その問題がGoogleやDeepLによって解決したのだ。
弱者男性を救うべきだとか、他の国にも汚点があるとか、バカや荒らしは構う方も荒らしとか、オモチャのような屁理屈、大学に通ったことが本当にあるのか疑わしいほど、言ってることが思想の体をなしていない。議論にならないことを「当たり前」と考える野蛮な人が沢山いる国家。そんな非常識を言ってる間に、日本人は世界からケガレとして扱われるだろうね。
世界89億人が安全に幸せに暮らせる社会を守るためなら、と、この1億人をいつか浄化しようというのが合理的な結論になってしまうことも、仕方ないかもしれませんよ。(日本人は仕方ないという言葉が大好きですしね)
おれはアラ還おっさんだけど、いまは職場の飲み会というのが絶滅したものの、若い人にもし飲みをつきあってもらったらおれなんかと一緒にいる時間が気の毒でおごるのも普通だと思うし、礼もいらんわ。
googleが「劣化」(単に「ビジネスに寄せた」とか「普通の人に受けるようにした」という可能性もあるとは思っている。)したのか、
どちらなのかはわからないと思っている。
伝わるか分からないけど、昔で言うとたとえばCD-R maniacsみたいな役に立つ野良サイトって、今でもあるのだろうか。
役に立つサイトが絶滅した結果として検索しても出てこなくなったのか、サーチエンジンの問題なのか、自分には判断がつかない。
(サーチエンジンの劣化の結果、野良サイトがアクセスされなくなって消えていき、結果としては、今更サーチエンジンだけを改善しても何も出てこない、というような気はしているけど。)
という改憲案に対する国民投票があり、反対60.2%で否決された。
具体的には、オーストラリアの先住民、すなわちアボリジニとトレス海峡諸島の住民を認識し、彼らの「声」(Voiceという単語が本件のキーワードとなっている)を確立することを目的とし、先住民の代表としての協議体や組織を設立することが提案されていた。また、この「声」は、政府に意見やアドバイスを提供するための協議体として機能することが期待されていた。(ただし、この協議体が最終的な決定権を持つわけではなく、政府が最終的な決定を下す。)
正直この件で反対がこれほど多いことに驚いた。6万年もの先住歴のあるアボリジニを過去数百年で絶滅寸前まで追い詰め、土地を取り上げ、選挙権はおろか職や銀行口座も持つことも許さず、酷い差別をしてきた歴史をオーストラリア人は憲法レベルで認識すべきと言うのは個人的には同意できる。
ただ、投票結果に納得できる部分もある。まず先住民はすでに様々な優遇を受けている。ABSTUDYのような手厚い修学支援や文化保護はその例だ。また例えば政府や多くの企業は先住民用の窓口(Indigenous Helpline)を設けているし、多くの企業の採用フォームには先住民ですか?という質問が出てくる。それらがどの程度先住民の益になっているのかは分からないし、過去の賠償として考えるとまだ足りないくらいかも知れないが、大多数のオーストラリア人は先住民との交友を持たず、一方で日常でこれだけ頻繁に優遇らしきものを目にすると「こんなにして『やってる』のにまだなんかやんのかよ」「これ以上税金投入せんでも俺ら既にようやってるやん!」という気持ちになるのは有り得る話だ。また、我々〇〇系オーストラリア人はアボリジニ虐殺と関係無いのになぜ・・・、という気持ちもあるだろう。
という、驚きはするが納得もできる、それが今回の投票結果への感想。
ところでオーストラリアでは現在、白人系の人口は横ばいに近い一方、先住民の人口は爆発的に増加している。この投票も人口増加による先住民の影響力が高まった為とも言えるのではないか。先述の手厚い待遇も、人口増加とともに負担が大きくなり、継続賛成・反対も大きな問題になるだろう。もしかすると30年もすればオーストラリアは先住民主体政府派と現イギリス系政府派で分断するのかも知れない。もちろんこのまま人口が増えればだが。
新しい考え(一代限りで絶滅)