はてなキーワード: 坂本龍馬とは
人によって差があるように感じられたので、自分が思うネタバレの境界線を上げてみた。
ジャンプの早売りなど、掲載している媒体が展開されるより前に読んで感想をネットにあげる
→完全にネタバレ。すごく嫌
→ネタバレとは言えないけれど、単行本派の人も少なからずいるから、注意書きがあった方が助かる
単行本が出たばかり(3日くらい)
→ネタバレではない。人によっては新刊の内容と書いた方がいいかも?でも文句は言えない。
それ以降
→ネタバレではない。
→原作の内容を言ってもネタバレではない。ただ、ドラマやアニメしか観てないと知っている人に、原作の内容を直接伝えに行くのは、意地が悪い
また、大河ドラマや時代劇などで、脚本を知らなくても、坂本龍馬や織田信長が志半ばで亡くなるのは史実として広く知られているので、ネタバレではない。
まとめると、知っている人がある程度いてもおかしくない状況なら、ネタバレではない、と自分は判断している
知らない人に物語の肝となるところを教えたら、ネタバレというのは間違いないと思います。
「特定の人にお話を伝える」という状況では上記がいちばんネタバレの定義に相応しいと私も思います。
ただ、坂本龍馬や信長が死ぬのは、義務教育中に習い、知っているはずだ、という前提があるので、大人に対して史実はネタバレには該当しないと思っています。
記事で想定していたのは、特定の人に伝えるのではなく、SNSやブログで発信するのにネタバレと注記がいるかどうかという形が近いです。言葉足らずで申し訳ありません。
不特定多数に向けて発信する、という形でネタバレだ!と言われるのはどのあたりか?というのを自分なりに文章にしました。これは、人によって違っても当たり前です。
めちゃくちゃ未来や過去のカレンダー暗記してたり、ながーい桁の暗算してみせるやつとか。
あの人たちが発達障害者とかギフテッドだという確証はないけど、なんでびっくり人間の番組が廃れたかって言ったら「カレンダーも暗算もスマホでできるじゃん」に行き着くんじゃなかろうか。シャッター型記憶の人だって「カメラがあればいいじゃん」となる。
人類史上でそれなりの期間重宝されてきた能力はITの力で必要とされなくなってる。
ブコメのいくつかがそれを指摘している。発達障害者にとって転職とまではいかなくても向いていた職業がどんどん減っている。
この流れが進めば今は”定型発達”側にいる人間だってどんどん不要とされていくよ。最初に切られるのは”言われたことができない人間”で、次は”言われたことしかできない人間”だ。定型発達はアドバンテージでもなんでもなくなる。他の定型発達者にできないユニークなものを創造できる人間だけに価値があるようになる。
それまでにBIが普及すればいいよね。働きたくて尚且つ働くことに価値のある人間だけが”創造”できる世界になったらみんな幸せになれるかな。
坂本龍馬は発達障害者だっただろうというエピソード、当事者である自分も持ち出すのはあまり好きではないがあえて挙げてみる。
龍馬の陰で、龍馬になれなかった無数の向こう見ず人間が当たって砕けて命を散らして、歴史に名も刻まず微々たる成果だけを残していったと思う。
微々たる成果が塵も積もれば山となって、どっかで人類の英知のひとかけらになってるんだと思う。
毎日必死に生きて、よい成果を出そうと働いているのに生み出すのは負の生産だったりすることも多々ある。元増田のように理解して工夫して向き合ってくれる上司に迷惑をかけて、とっとと首にしてくれという自分と食っていくために会社にしがみつく自分がいる。早く死にたいと涙する日がある。