はてなキーワード: 朝鮮学校とは
私は基本的人権を理解していないが、ほとんどの日本人も基本的人権を理解していないと思う。
高校無償化問題だ。朝鮮学校の生徒は無償化される権利があると考えているらしい。
当然、弁護士が付き、専門的に正しく主張しているのだろう。
よく分からないので、例え話をしたい。
私は多くのお金を持っている。これを、近所の子供に分け与えることにする。
近所に子供は100人いた。そのうち1人は私自身と国籍が違うので、あげないことにした。
問題があるのだろうか。
自分自身の財産を誰に対して処分するかは、その人の自由であると思う。
日本国は、日本の主権の及ぶ範囲に住む人から、税金を取る。日本国は、その範囲の内の秩序を保ち、住む人はその恩恵を受けるからだろう。
注:加筆修正しました
最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネットで同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人が韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。
なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。
いや、こんなにもアニメや漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイや二次創作に興味を持って腐女子や腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。
そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。
というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。
倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様の夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから。公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います。時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。
けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。
実はこの作家さんは、コバルト文庫で金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都の物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネットで検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。
さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である。東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルト・ノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島を舞台に仙人や精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮風ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。
『金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人や外国人が北朝鮮国内の金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズの物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーローは新羅の英雄金庚信である。
ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿な子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本とアメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。
金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。
彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本と北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校のお祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。
そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説のコバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティの価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議で土下座までしたそうな。ましてやBLをや。
まぁ、BLを書くときと少女小説やラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbassoや秋月こお、榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。
ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。
ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山、中国語では長白山)の守護仙人(精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。
studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲームや乙女ゲームのシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画の原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルのカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。
そのサイトの大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会いと恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである。
『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。
しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。
ところで、この物語の攻めは、大阪出身で関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身、ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的な関西人という印象を受けた。
神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまうパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。
BL小説家、檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台はアジア・オセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。
正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。
受けの母親は日本人の医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。
というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティや朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。
なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である。米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートなバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。
『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台は飛鳥時代の日本で、有名どころでは葛城皇子(中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。
主人公(受け)は、百済からの渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人と渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである。
職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。
日本が舞台なのにあえて渡来人のカップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本の渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。
もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。
ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。
ハテブやツイッター、増田2ちゃんねるでコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。
恐縮です。ありがとう。
自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田にしました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから。
私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目しています。ラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから、日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。
確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合、女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教をベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本や日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。
ネットで読める作品もるし書店や図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。
全然関係ないけど、最近アメリカのスラッシュが翻訳されて日本の書店の店頭に並び始めましたよね。日本語で海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。
皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。
韓国人は日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。
確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。
創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロ、アマアマ、ラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています。
講演会:韓国併合100年 高橋・東大大学院教授、富山で /富山
◇「謝罪と補償」最初の一歩に
◇「南北分断、無関係でない」
韓国併合100年にちなんだ連続講座の一環として、哲学者の高橋哲哉・東大大学院教授の講演会「私たちの『戦後責任』とは?」が富山市で開かれた。
講座は市民グループ「コリア・プロジェクト@富山」が4月から開催し、先月27日の高橋教授が5回目。今回は日韓が真の信頼関係を築く方策を探るのが目的で、約110人が聴講した。
高橋教授はまず、北朝鮮の韓国砲撃事件について「朝鮮半島の南北分断は日本の植民地支配と無関係ではない」と指摘。砲撃後に朝鮮学校の授業料無償化適用手続きが停止されたことで、「通学する子どもたちへの差別を助長する」と政府を批判した。
更に、石川啄木が併合を憂いて詠んだ短歌と、逆に併合を喜ぶ小学生の作文などを紹介。「啄木は例外的で、ほとんどの日本人は小学生から福沢諭吉まで併合を歓迎していた」と述べた。その根底には当時の小学校で教えられた神功皇后の三韓征伐など、朝鮮支配を正当化する神話的な教育があったことなどを挙げた。
日本の朝鮮半島支配を巡っては、菅直人首相が今夏、反省とおわびを表明した。だが従軍慰安婦や強制連行問題など戦後補償に関しては、ほとんどの裁判で原告側が敗訴するなど解決していない。
高橋教授は、日本が何をしてきたのかを若い世代に伝え、みんなで責任を考える必要性をアピール。植民地支配を反省する世界的な流れを紹介し、「日本の(謝罪と補償という)最初の一歩をグローバルスタンダードにしよう」と呼びかけた。
◇
連続講座の最終回は、来月22日午後1時半、富山市湊入船町の県民共生センターサンフォルテ303で。「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ、心に刻む会」の谷川透さんが「戦後補償 その全体像と解決への道」と題して話す。参加費1000円。詳細は、同会の堀江さん(090・5175・3756)。【青山郁子】
まだこんなのが生き残ってるってのが凄いよな。
http://anond.hatelabo.jp/20101129154043
君は
「学校教育は一人一人の人間に与えられるべき機会であるから、それを平等にするべき。
それが朝鮮人であっても。国家間の争いと子供の教育は連携してはいけない。」っていう考え方なんだよね?
私は
「ある国家崇拝を枢軸としている国家と連携をとって行われる国内の教育機関がで行われる教育に強制的な国家崇拝が含まれていて、その教育機関の内容は倫理的に許される範囲で自由にやっても構わない。」と考えている。迷惑な考え方(右とか左とかじゃなくてもっと酷い奴だよ。道の真ん中に爆弾仕掛けましょう。とかね。そういうの)じゃなかったら別にいいと思うから、「他の子供達同様に無償化の対象にする。」というのはいい。OK。個人的には無償化は外国人向け学校とかだけじゃなくて私立の学校に自ら進んでる高校生にまで適用されてるのがおかしいと思ってるが、この話とそれは別。アメスクや私学も無償化対象なら、朝鮮人学校も無償化対象にしてOKなんだ。これに異論はない。ただ「その国家が同盟国に敵対を意思表示して更に反人道的な声明を発表している。尚かつ自国の動向(この場合砲撃とかね)を是とするなら、そこと連携を取る機関(教育機関を含む)に日本という国の財を平等に支援するべきではない。」「ある国家と同盟国家間の争いと、その国家への教育機関に対する経済的制裁は連携してもある程度は仕方ない。」という考えな。全く違う考えなんだよ。経済的制裁にその国家と連携をとる学校への支援停止も含めて良い、と思ってる。混ぜている訳では全くない。私の中では朝鮮人学校への支援停止と万景望号の入国禁止等と同じラインにある。それを「混ぜている」って捉える事もできるね。ただし、これはれっきとした制裁なんだよ。先のポストで私が混ぜているっていったのは、日本が国家に対して制裁を加えるために当然として行ってることを、子供の教育機会への不平等が起きている、と問題を「混ぜて」批判している人が多いという点。この二つの「混ぜている」はある側面からいったら同じものにも見えがちだけど、全く違うものを「混ぜている」よね?分かるかな?
ただ、教育内容に対して日本側は爆薬を作ったりテロを起こそうとしてるんでなければ、弾圧を与えるべきないんだよ。民族学校の授業内容を取りつぶすべきとか考えていない。民族伝承を阻害するのは本当に人としてやっちゃいけないこと。そういう教育内容の介入を日本は行ってないでしょ?経済的制裁だけでしょう。何でやってはいけない?朝鮮籍の子供達の教育機会の損失には全く至っていない。北朝鮮という国家がもっと歩み寄る努力をすれば全く問題が起きなかった所なんだよ。
正直私には君の考えは似非平和主義にも見えるんだけど、だからこそ理解できないかと歩み寄ってるつもり。君の考えが理解したいから朝鮮学校はどういうものなのか理解に誤りがないか、そういう情報を求めているのに全く掲示すらない。あと、朝鮮学校に通う子供達が同じ民族教育が行われている韓国の学校に移るのになんの問題があるのか、ちゃんと説明して欲しい。全くそれに対する返答がない。チョコと煎餅を例に出してる理由もわからないの?考え方の好みが違うだけなんだだよ。国家間の争いに子供の教育機会が連携しちゃ行けないっていう人が居ることもわかるけど、私はその考え方は違うと思ってて、自分の考えを書いただけ。意見は人それぞれ違うんだから、態々引用や太字を使って意見を変えさせようという説得に掛かるんだったら、その前に私の書いている事を理解してから返答が欲しい。全く理解しないで自分の意見だけぶつけてくるのは品性として如何かと思う。国家間の問題が発生しているのに、子供が可哀想という理由で付和雷同して無償化の支援金が得られないのを批判するのは間違ってる。その民族ベースの学校に通いたい子供達にも「韓国人学校に行く」という選択肢があるのにもかかわらず、ね。
どうだろうか。
比較するなら、「仮に中国がベトナム国境で砲撃事件を起こしたら中華系の民族学校へ通う者への就学支援金の交付を停止するか?」とか、「仮にフランスがスペインとの間に砲撃事件を起こしたらフランス系の民族学校へ通う者への就学支援金の交付を停止するか?」とかだよ。
あるいは、「仮に今回砲撃事件を起こしたのが北朝鮮ではなく韓国だったら、韓国学校を対象外にしたか?」ってこと。
日本政府はどれもしない、ってのは眼に見えてるけどね。
なんで朝鮮学校に無償化対象停止になったらそんなに怒り出すんだろう。
他の学校を対象にしても、怒る人はそれなりにいるだろさ。でもね、日本政府は、朝鮮学校にしかこういう制裁はしないんだよ。「北朝鮮に関係あることは無条件に叩いていい」って規範が日本にあるからできることだから。
アメリカンスクールに無償化対象の延期とか停止を日本の政府が決めたとしても
こんなに大騒ぎにはならないと思うな。
成る程。つまり、第二次世界大戦の時に米国で日系人が迫害受けたけれど、彼らは米国人だから正しくない、っていうのと同じだよね。
真っ先に切るべきカードではない事は理解したけどじゃあ朝鮮という経済制裁をすればミサイル打ち込んでくるような国に対して日本は何をもって非難の意を表すべきだと思う?結構手は出尽くしてると思うんだけどな。そもそも彼らのご先祖が日本に来たときは存在してなかった「北朝鮮」っていう看板を掲げている民族学校が何故大事なのかがもうちょっと理解したいのでなんかいい情報や説明をよろしく。なんで韓国人学校じゃなくて朝鮮学校に拘るのか、ちょっと理解が薄いんで。
あと、
それでは北朝鮮と変わらない。
ってあったけど、北朝鮮じゃ日本人学校なんてないでしょ。もし作ろうものなら支援なんて考えられもしないでしょ。
日本は朝鮮学校を今取りつぶそうともしてないし、国籍が朝鮮の人々を強制退去させようともしてない。今日本の社会で朝鮮籍で生活してる事を許容している。
それだけでも全然違うよ。逆のことできないでしょ。日本人が向こうに行ったら生活どころか通信すらできないでしょ。
戦争を起こそうとしている(まあもう起きているんだが)朝鮮への流通、金融機関、団体への制裁と同時に、教育機関に国として制裁を入れるのが筋が悪いとは私は思わない。
それがたまたま、今回無償化対象の移行期間に起きただけ。その問題を混ぜてる人があまりにも多すぎる。
私は、私達がある程度の規制を受けながらも米国や欧州で暮らす選択肢があるのと同じように、彼らが自分の起源としないと自覚しながら日本という社会で生きていく選択肢があるのは悪い事じゃないと思う。もっとも、戦争を起こそうとして他人を脅かさせる朝鮮という国の籍より、韓国籍の方がもっと悪く無いと思うだろうけどね。
通常時なら許されていいにも拘らず、制裁だからNGにするのはダメと言ってるのに、煎餅もチョコもない。
それらの選別は、そうしたことを度外視して行われ、通常時にOKならOKであるべき。
北朝鮮の行動の結果、朝鮮学校も変化したのだとすれば、それらは「制裁」だからではなく「変化」したから対象外とするのが筋で、
個人的には各種外国人学校および私立の高等学校に対する無償化措置もおかしいと思ってるから北朝鮮の学校もいれなくたっていいんじゃね。とも思ってる。
あと洗脳教育って何?http://anond.hatelabo.jp/20101129121756も答えてくれてるけど、日本の学校だと考え方に自由はあるでしょ。
ある程度の考え方(キリスト教とか仏教とか倫理的なもの)は子供の教育効果を増強するためにあってもいいと思うけど、北朝鮮の学校教育って「将軍様が何をやっても偉いんです!」とか、教室には毛沢東よろしく金親子飾ってるっていう感じの稚拙というか強迫的教育課程が義務づけられている様にしか報道されてないし、中にいる人はそれ以外の思想を口に出来るの自由あるの?金日成馬鹿にしたらおこられるんじゃないの?別に仏教系の学校やキリスト教の学校で親鸞やヨハネを馬鹿にしたって怒られないし、ぶっちゃけ仏教徒でもキリスト教徒でなくてもOKだし。まあそれらを象徴するものに落書きしたり破損させたらそれはどこだって怒られるだろうけど。
その上で北朝鮮の連中は21世紀になった今でも「俺等の無差別攻撃正しいんだぜなんてたって被害者軍関係者☆だぜ」 っていうのを言い出すんだぜ。北朝鮮方式の教育を受けて、その中で思想を鍛錬して、ブラッシュアップを重ねて、国の難関をくぐり抜けて政府代表者になった人が全世界に向けてそういう事を言い出しちゃう。「反人間的な対応」をする教育=北朝鮮独自の民族教育だと思われているわけ。日本にある朝鮮学校の皆様は自分の所では民族学校だけど、そういう教育はしてないと立証しない限りアウトじゃね?
韓国学校はそういう変な思想(金日成将軍様万歳!的)教育は無さそうなので、民族教育ならそっちでもいいじゃないかと思う。ダメなの?
日本はこういう所に入ったら転校したりって逃げられるんだよ。
朝鮮学校もやたら金親子万歳的な所と、出来るだけその土地の社会と調和をはかりましょうという所と分かれてて教育方針違うなって思ったら逃げれるの??そんなこと無いんじゃないの?寧ろ興味あるな。
国際社会にとしての反人間的な声明に対する国家への意思表示として、関連教育を行う学校へ経済制裁を起こすのがあり。という積もりで書いた。
国内の多様な教育のあり方にと、それに対する無償化に対する議論は又別だと思う。それは一緒にするべきではない。
個人的にhan_orgさんのツイートから出てくる考え方は納得出来ることが多いから好きなんだが、
朝鮮学校への無償化対象に対する考え方はどうもしっくりこない。相容れないんだ。まあチョコが好きと煎餅が好き、位の違いだと思ってる。
延坪島砲撃映像を即時公開した南鮮と、尖閣沖衝突事件の映像を未だに公開しない日本の差。
国家間の問題は、外交交渉によって解決するしかない。その際に後ろ盾となるのは、平和的な交渉であれば国際世論であり、軍事的な交渉であれば兵力である。
この現実に対し、尖閣諸島沖衝突事件において日本の政府与党は、国内の裁判法規を盾に、国際世論への工作を放棄し、中国に捏造されてしまった。
その首魁に対して問責決議案が出されるようであるが、未だに、国際世論に対する工作を放棄した事についての、説明がなされていない。裁判の証拠物件になったから公開できないとか、中国人船員・船長の釈放は検察の判断といった言い訳はでているが、一番肝心の、国益を背負っている立場にある者としての行動において、失敗と判断ミスがあった事について、明確な認識が無い。認識していないのだから、謝罪や説明の必要を感じていないし、不信任や問責を言いがかりであると反発するのである。
延坪島砲撃の発生以後の情報についても、政府与党が外されているのは、能力が無いという事から、情報を報告しても、まともな判断はなされず、状況を見守るとか、重大な関心を持って注視するといった、時間稼ぎが出てくるだけだからである。時間の無駄でしかない。ましてや、その情報が総連や民潭や中国に漏洩するとなれば、マスコミが報道するレベル以上の情報は隠匿しておくという事になる。
万年野党で、他人のやっている事に難癖をつけるだけしかやってこなかったから、政権についても、何も出来ないで見ているだけとなる。何も出来ないだけなら無害だが、野党時代のコネクションで情報を漏洩するとなれば、報告できるのはマスコミが報道しているのと同じ情報だけとなる。政権与党にさえなれば、無条件で信頼されて重要な情報が上がってくると思っていたのであろう。
それにしてもである。日本人が拉致されているのに、朝鮮学校を無償化すると言い、南鮮に対する無差別砲撃はけしからんから無償化を止めるというのでは、政府・与党にとっては日本人の拉致被害者よりも、南鮮人の方が価値が高いという事になる。さらに、朝鮮学校の無償化は止めるが、朝鮮王朝儀軌の贈呈は止めないようである。ソウルが焼け野原になる時に一緒に失われてしまうほうが、あの民族にはお似合いなのかもしれない。
南鮮の立場を全面的に支持するとか口走っているようであるが、竹島の不法占拠がある限り、南鮮は敵国である。今は、朝鮮動乱の再開に際し、日本に中立を維持して欲しければ、竹島を解決する事であると、交渉を捻じ込むべきタイミングである。
そのときの思いつきや個人的な思い込みで暴走し、周りの反応の激しさに驚いて、何とか理由をつけようとして、かえってドツボにはまっていくというのは、芸人がやる分には構わないが、政治家が国益を浪費してやっている姿というのは、腹立たしいだけである。
民間企業で働いた経験があれば、多少は交渉事の経験も積めるのであろうが、国益を背負って、暴力機関である軍隊をちらつかせた交渉は、マフィアや暴力団同士の交渉に限りなく近い。普通の民間企業では、そういった能力は磨かれないであろう。綺麗事で済むなら王制で十分であり、綺麗事ではすまないから、民選議員制度が運用されているという自覚が無いから、世界情勢における日本の立場や状況の分析が出来ず、マヌケを晒しているのに、それに気がつかないのである。
Aかな。
「朝鮮学校無償化を仕分けの対象にしてその分を防衛費に廻しましょう。」「そうしましょう。」というのもパターンに加えて欲しい。
http://b.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/
http://b.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/
と、この辺を見て思った。
朝鮮人のガキがそれ以外の学校ではなく朝鮮学校を選んだ、という条件下でいくらかのカネを払う必要がある、というのがある程度大事なのはわからんでもない。
本人たちにとってはカネがかかるわけだし、朝鮮人の懐事情が気になるマニアがいるとしても不思議じゃないからな。
ただ、だ。
朝鮮人のカネがいくらか使われる、ということをそんなに気にする御仁が、その原因となっている(と明確に言われている)「朝鮮人が何人かブチ殺された件」についてとくに気にしているそぶりも見せないというのが分からない。
選択で回避可能の月数万円のコスト(もちろん今までちゃんと払えていた)と、朝鮮人の貴重な命(もちろん二度と戻ってこない)、さらに言えばそれを奪う独裁国家(もちろんさらにブチ殺す可能性がある)、どれがより声をあげるにふさわしいかといえば、常識的には「少なくともコストの話ではない」となりそうなものだ。
【追記】
考えてみると、朝鮮学校に日本からカネが入ってこないのは嫌だが、韓国人がいくら死のうと関係ない、という立場は確かにあるな。ひょっとしてそういうこと?
【追記2】
常駐なんかしてないよ。だいたいサヨククラスタなんか知ったこっちゃない。
というか、軍人ならまだしも民間人までブチ殺されてる状況で声を上げないのがサヨクなわけないと思うんだが。
こっちがあげたのは「わけの分からない人」のサンプルであって、サヨクのサンプルじゃない。
【追記3】☆
ここがツリーの大本だよ。URLも張ってあるよね?