はてなキーワード: 三韓とは
200年の三韓征伐のあと、後漢が朝鮮半島に帯方郡を作ったとき、日本には邪馬台国が作られました
ところが職を失った征伐軍のモンゴル系鮮卑らが蜂起して後漢を分裂させ、海を渡って邪馬台国も制圧しました。これが古墳人と呼ばれており当初の古墳は彩色古墳でした
卑弥呼が没すると軍を挙げて近畿を制圧しますが、このあたりが記録が殆ど無い空白の4世紀です
鮮卑は中国で晋や北魏を建て、近畿では朝鮮族を起用して飛鳥京を建てます(蘇我馬子です)
唐の時代になると日本の朝鮮族は平城京を建設しましたが、鮮卑は中国の晋書、日本の記紀などの半偽書を書かせました
記紀では中国元号が始まる紀元前140年ぐらいに日本元号も始めて、古墳時代も天皇がいたことにしました
実際は初代神武から仲哀または15代応神までは、邪馬台国を制圧した鮮卑軍団であり、鉱業技術がありました(木材防腐剤の朱砂を扱うためスサノオと呼ばれます)
卑弥呼(神功皇后、天照大神)を妻にし、死後は新羅人と思われる大神比義を使って応神を祖とする八幡神(宇佐神社)を創始したと見られています
のち、飛鳥奈良の朝鮮族は仏教化することで八幡神の侵攻を防ごうとしましたが、八幡神は壬申の乱のころ近畿に入り込み、法隆寺に火を掛けたりしたので、おそrかう朝鮮族と漢族の古事記及び日本書紀は、邪馬台国戦争は伏せた状態で書かせられたと見られます
1.神武天皇
2.綏靖天皇
3.安寧天皇
4.懿徳天皇
5.孝昭天皇
6.孝安天皇
7.孝元天皇
8.孝元天皇
実在する可能性のある初めての天皇。大物主神を祭り、疫病を治めた。武埴安彦の乱を鎮圧し、各地に四道将軍を派遣。戸口を調査し課役を課した。
愛妻が兄狭穂彦王の乱に連座し焼死する憂き目に遭った。伊勢神宮を建立した。彼の代に相撲や埴輪が誕生したとされる。
13.成務天皇
国郡県邑を定めた。
14.仲哀天皇
熊襲より先に新羅を討つべしと言う神託を無視したため、病没した
15.応神天皇
神功皇后の三韓征伐中に誕生。彼の治世に大和政権は国力を伸ばし、倭の五王讃と同一視される。八幡神として祭られる。
16.仁徳天皇
民の貧しさを嘆き3年間一切の税を廃した。好色であったため木崎の嫉妬に悩まされた。倭の五王讃と同一視される。
帝位を狙う住吉仲皇子に暗殺されかけるも、端歯別王(後の反正天皇)にこれを殺させ即位。国内情勢調査のため国史を設置した。倭の五王讃と同一視される。
18.反正天皇
身長3mで綺麗な歯並びの美男子であったとされる。倭の五王珍と同一視される。
刑部を定め、死傷の混乱を避けるため盟神探湯を行った。倭の五王斉と同一視される。
允恭天皇の皇子を暗殺して即位。大草香王を殺して妻を娶るが、その息子の眉輪王に殺された。倭の五王興と同一視される。
21.雄略天皇
眉輪王と履中天皇の子を殺して即位。渡来人を重用して王権を強化した。倭の五王武と同一視される。
22.清寧天皇
履中天皇の孫。父を雄略天皇に殺されたため、播磨に逃れたが、清寧天皇に迎えられ即位した。
25.武烈天皇
妊婦の腹を裂く、人を木に登らせて殺す等の暴君であったとされる。
慈悲深い君主であったが、朝鮮での日本の勢力が弱体化し、磐井の乱が起るなどその治世は乱れた。
30.敏達天皇(572~585)
任那復興を目指して新羅と交渉、国内では物部氏と組んで排仏運動を進めた。
初めて仏教を受け入れた天皇。その治世は物部氏と蘇我氏の対立が激しく、天皇の崩御直後に物部氏が滅んだ。
32.崇峻天皇(587~592)
34.舒明天皇(629~641)
35.皇極天皇(642~645)
女帝。在位中に乙巳の変が起きる。弟の孝德天皇に日本初の譲位を行った。
36.孝德天皇(645~654)
37.斉明天皇(655~661)
皇極天皇の重祚。阿倍比羅夫に蝦夷を討たせた。百済救済のため軍を派遣し、自ら九州に赴き現地で死去した。
38.天智天皇(668~671)
40.天武天皇(673~686)
甥の弘文天皇を倒して即位。八色の姓を創始、律令の制定、国史の編纂など律令国家の確立に尽力した。
41.持統天皇(690~697)
女帝。天武天皇の妃。夫の制作を引き継ぎ、飛鳥洗御原令を制定し、藤原京を造営した。
42.文武天皇(697~707)
大宝律令を制定した。
43.元明天皇(707~715)
女帝。平城京に遷都し、風土記・古事記を編纂、和同開珎を鋳造した。
46.孝謙天皇(749~758)
女帝。その治世に奈良の大仏が完成し、鑑真が来日した。藤原仲麻呂を重用したため、橘奈良麻呂の変が起きた。
47.淳仁天皇(758~764)
孝謙上皇が道鏡を寵愛すると、藤原仲麻呂と結託して乱を起こすが敗れ淡路島に流された。
48.称徳天皇(764~770)
孝謙天皇の重祚。在位中は道鏡の専横が激しく、宇佐八幡神託事件が起きた。
50.桓武天皇(781~806)
平安京に遷都。空海・最澄を登用した。勘解由使の設置、兵役の廃止など農民の負担軽減に努めたが、蝦夷討伐には財力を惜しまなかった。
講演会:韓国併合100年 高橋・東大大学院教授、富山で /富山
◇「謝罪と補償」最初の一歩に
◇「南北分断、無関係でない」
韓国併合100年にちなんだ連続講座の一環として、哲学者の高橋哲哉・東大大学院教授の講演会「私たちの『戦後責任』とは?」が富山市で開かれた。
講座は市民グループ「コリア・プロジェクト@富山」が4月から開催し、先月27日の高橋教授が5回目。今回は日韓が真の信頼関係を築く方策を探るのが目的で、約110人が聴講した。
高橋教授はまず、北朝鮮の韓国砲撃事件について「朝鮮半島の南北分断は日本の植民地支配と無関係ではない」と指摘。砲撃後に朝鮮学校の授業料無償化適用手続きが停止されたことで、「通学する子どもたちへの差別を助長する」と政府を批判した。
更に、石川啄木が併合を憂いて詠んだ短歌と、逆に併合を喜ぶ小学生の作文などを紹介。「啄木は例外的で、ほとんどの日本人は小学生から福沢諭吉まで併合を歓迎していた」と述べた。その根底には当時の小学校で教えられた神功皇后の三韓征伐など、朝鮮支配を正当化する神話的な教育があったことなどを挙げた。
日本の朝鮮半島支配を巡っては、菅直人首相が今夏、反省とおわびを表明した。だが従軍慰安婦や強制連行問題など戦後補償に関しては、ほとんどの裁判で原告側が敗訴するなど解決していない。
高橋教授は、日本が何をしてきたのかを若い世代に伝え、みんなで責任を考える必要性をアピール。植民地支配を反省する世界的な流れを紹介し、「日本の(謝罪と補償という)最初の一歩をグローバルスタンダードにしよう」と呼びかけた。
◇
連続講座の最終回は、来月22日午後1時半、富山市湊入船町の県民共生センターサンフォルテ303で。「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ、心に刻む会」の谷川透さんが「戦後補償 その全体像と解決への道」と題して話す。参加費1000円。詳細は、同会の堀江さん(090・5175・3756)。【青山郁子】
まだこんなのが生き残ってるってのが凄いよな。