はてなキーワード: 弱虫とは
ちょっと分かるわw
最近流行のV豚と腐女子のビーフも、ビーフとは呼べないほどショボいし
そのショボい争いを見て楽しんでるとかイキってる奴も居るけど(こいつとか→https://anond.hatelabo.jp/20210401211109)
所詮弱虫と弱虫の争いじゃん、アリンコとアリンコが戦ってるの見て何が楽しいの?もっと面白いビーフは幾らでも有るのに
結局弱いオタクくんたちの娯楽でしかないんだよね、本物には怖くて手を出せない
なんつーか、喧嘩慣れしてない坊ちゃんがいきなり喧嘩にナイフ持ち出す(んで自分でケガするw)みたいな危なっかしさがあって「無理すんなよw」って感じなんだよなぁ
ガチで切れても感情的にならないのが全体としての男なんだと思う。
個人としての男性は感情的にもなるけど、男が群れになった場合は、感情という物が抑制される。
そして現実問題としてどう可もなく不可もない状況に落ち着くべきか?という行動を取る。
これは男性の方が理性的とかそういう事ではなく、男の方が気弱という意味で、それが日本社会における群れとしての男性な気がする。
国会でガチギレしてる政治家も、アレは個人としてガチギレしてるんであって、それが理由で国が動く事は少ない。
まぁ国会で「バカヤロー」なんつって解散する事になった先生もおりますが。
子どもの言っていることだから、といって気にしない根性がない。
子どもといっても、未就学児から高校生までさまざまに分類されると思う。だから現場はそれぞれある。
様々な発言を投げかけてくる。投げかけてくる時はまだいい、遠くから廊下から聞こえてくるのだ。
「ムカつく」「つまらない」「うざい」「無理」「きもい」「消えろ」「頼りない」「あいつ嫌だ」「なんか苦手」
声が聞こえてくる。自分のことを言っているというのは分かる。
自分の名前がその言葉と繋がって発言される時、勝手に地獄耳になってしまうのが辛かった。
子どもたちは何かメッセージを持っています。向き合っていれば分かる時が来ます。
もちろん優しい声を持っている子どもいる。救われる時もある。
万人から好かれるなんてことはまずない。自分だって、苦手な人間がいるだろう。
でもね、そういう声を続けて聞いていくと、だんだん本当に自分がひどい人間に思えてくる。
愚かな話だが、子どもたちの何気ない評価が恐ろしく感じてくるのだ。
思春期時代、教室内で、自分がどのように評価されてるのか気になった時のような、狭苦しさと陰湿さが体に張り付いてくる。
まさか、自分が大人になって働く時にこんな感情になるとは思わなかった。
子どもといえ、もうほぼ大人な子たちの独特な眼差しはきつかった。
忙しすぎるとか、そういう要因も色々あるなとは思うが、こういった事がガンッと頭を打ったように出てくることがある。
こんな文章を匿名ダイアリーに書き込む時点でダメ人間だとわかるけど
自分の話はすごい小さい話で、どうしようもない弱虫なんだけどさ。
幼稚園児のひとり娘が、園での「鬼滅の刃ごっこ」に参加するため情報が欲しいらしく、母子で鬼滅の刃について学ぶことになった。
「首を撥ねるシーンが多い」という園ママさんからの事前情報があったので、アニメを全部見ることは避けて、キャラクター名で検索し、見た目や性格、ねづこが鬼になった経緯、「〇〇の呼吸」などを調べて二人で学んだ。
娘は善逸という人がギャグっぽく優しそうでいいと思ったらしい。私もいいと思った。「雷の呼吸強すぎでは……? あの目をつぶってるのは寝てたの?!」といろいろ驚いた。自信がなく弱虫だけど本気出すと強いという、この人にも主人公性があるなと思った。
主題歌と何話かは(怖いシーンは飛ばして)見たけど、黒髪の冨岡という人が見逃してくれたので主人公兄妹が命拾いしたことがわかった。冨岡さんいい人やね。
端本 悟(はしもと さとる、1967年3月23日 - 2018年7月26日)は、オウム真理教の元信徒、元死刑囚。
東京都出身。ホーリーネームはガフヴァ・ラティーリヤ。教団が省庁制を採用した後は自治省のメンバーとなった。
坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件などの実行犯として有罪判決を受け、2007年10月に死刑が確定し、2018年7月26日に執行された。
1988年春、オウム真理教に入信した高校時代の友人を脱会させるために、説得したり話し合ったり、友人の様子を見るためオウムのセミナーに参加し始めた。
当初は「オウムは弱虫の集まりみたいな集団だ」と両親へ話していたが、あっという間に麻原彰晃の説く四無量心・救済などの教えに感化され、同年7月に入信。
入信した直接の契機となったのは新実智光の存在が大きく、彼に高飛車な態度で疑問をぶつけたら、あっけらかんと「入信しましょう」と返され、「すごい悟りの人なのでは」と思ったことだったという。
死刑確定後は再審請求をすることもなく、拘置所では文学・哲学書を読んで過ごしていた。平田信が出頭した際は、彼のことを気にかけていたという。
獄中で「無思考、考えないようにしていた。考えると崩れるのが、わかっていた気がします。」と語ったと伝えられる。
2018年7月6日の麻原の死刑執行後、「わたしは命乞いのようなことはしたくない」「いろんな人に迷惑をかけてしまって申し訳ない」などと話し、接見した弁護士が再審請求を提案しても首を縦に振らなかった。
2人の子供を育てていると、なるほど人間は二種類に分かれるなと思うことがある。もし3人の子供を育てていたら人間は三種類に分かれるなと思うのだろうか、少し気になるが確かめるには残念ながら我が家は貧乏すぎる。
下の子は借りてきた言葉を喋るタイプだ。最近はYouTubeとパワーパフガールズから借りてきてるので口が悪い。でもあまり魂が乗ってないのであまり言われても傷つかない。「やーい、弱虫!」「このへなちょこメガネ!」「お前は私の召使よ!」「クソ雑魚おちんちん!」正直笑ってしまいそうになるが、必死に堪えて注意している。自分のあらかじめ用意されたボキャブラリーから言葉を出しているので会話のラリーのテンポは良く、話していてラクではある。
上の子は自分の気持ちに当てはまる言葉を探して話している感じがする。なのでテンポはあまり良くなく「うーん、、えっとぉ!」が多い。が面白い表現を小さな頃からする。片手で抱っこされるのが嫌な時「2つのお手手でだっこして!」と叫んでいたし、なかなか眠りにつけないときは「うまく目つぶれない!!」パパに自分で食べろと言われて「パパが自分で食べさせて!」
最近でもママのこと好き?と聞くと「うん、でもママって足とか、、あの、、なんか、トゲトゲやん」と話したり。(無駄毛処理をサボっていた)