はてなキーワード: 三段目とは
近年、なでしこジャパンや
全世界に多大な感動を与えてきましたが、
名を刻もうとしております。
彼の名は、、、
「岡崎 慎司」
優勝など夢のまた夢と言われた弱小チーム、
「レスター・シティ」
に所属し、並み居る強豪チームを抑え、
とうとう優勝を目の前にしております。
これがどれだけ凄い事かと申しますと、
現地イングランドでは様々な賭け事と比べられ
「エルヴィス・プレスリーが生きていた」
とまぁ冗談はさておきと言いたい所ですが、
それぐらい凄い事が、今や現実になろうと
そんな“ありえない話”が今まさに、
起きようとしているというのに、
来ないのではないのでしょうか。
それもまぁ仕方がない事なのでしょう。
スポーツ・競技を取っても
比べようがないのでございます。
島国にはなかなか伝わりにくいのでしょう。
この話の痛快さは、その感覚を肌で感じて、
その凄さが腑に落ちてくる所にあるわけで、
するのが難しい話でもございます。
しかし、しいて上げるとすれば、
団体競技と個人競技の差はあれど、
大相撲を例に話を聞いて頂くと、
とまぁ、前置きが長くなりましたが、
少々お付き合いを。。。
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「まったくこの忙しい時にあいつは
なにやってやがんだい。
もう昼にもなろうってのに、あの野郎は。
まったく。。。
やっと来やがった。
何してたんだい!
それに狐の紋なんて入れちまって。
それになんだい、月も沈んでるってのに、
目の下にクマなんてつくっちまって、
その眠そうな顔は!」
「いゃいゃ大将、“ツキ”が沈んだどころか、
“ツキ”が回ってきたんですよ!」
「何言ってんだい!
それになんだい、
そのいでたち、そのトゲトゲしい履物は?」
「これはスパイクってもんでして」
「あぁもういい! スパに行こうが、
八百屋に行こうが構いやしねぇ!
えぇ!しかしなんだい、
こんな遅くに来やがって。え?」
凄い事が起きたんですよ!」
「近い近いよ!なんだい!なんなんだい!
そんなに興奮して!え?
狐を馬に乗せたような」
「え?何処ですか?
馬の上に狐が乗ってるなんて
サーカスみたいですね!」
「馬鹿野郎。“狐を馬に乗せたような”
ってことわざがあるんだよ。
ほんとにお前は。。。
で、何があったんだい?」
「そうなんですよ!大将! とうとう
“れすたあ関”が今場所で
優勝しそうなんですよ!
あれよあれよと、
「そりゃあ凄いじゃねえか!
俺も相撲には興味ねえが、
その“れすたあ関”っつう横綱は!」
「大将はわかっちゃいないなぁ〜」
「なんだい、虎の威を借る狐みてえに!
何が違うってんだい!」
「大将!虎の胃を刈るなんておぞましい、、、」
「お前のその、人の話で威張った態度を
表したことわざだよ、、、
で何が違うってんだい?」
「大将この“れすたあ関”ってのが、
実は横綱じゃないんですよ!」
「そしたら、大関か?」
「いゃいゃ」
「それが、前頭!
それも、この“れすたあ関”は、
それはそれは長い下積み時代を
足袋すら履く事を許されない年が何年も続き、
履けるようになり、、、」
「それで、そのトゲトゲしい履物を
履くようになるのか?」
「・・・」
「話の続きなんですが、前頭に上がっても、
なかなか日の目を見ない日々が続いた、
苦労人なんですよ。
それが今場所は違いましたよ!
半分を折り返した時点でも、
なるだろうと、、、
待遇差があった“れすたあ関”が、
幕下になってまだ間もない
“れすたあ関”が!」
「次の大一番で優勝が決まるかも
しれないんですよ!」
「おう!それは目出度い!
それで!それで!、
それで次の相手は誰なんだい!」
「雷電関なんですよ!」
「雷電関って、、、
雷電関、、、」
「大将!やだなぁ、まだまだ早いですよ!
優勝を決めた後にして下さいよ!
そんな“きつねにつままれる”顔するのは。」
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いくつかあるそうです。確率で比べると、
がしっくりくるのではないでしょうか。
結果を残してきたと理解していただければと
思います。
この文書が1人でも多くの
サッカーに詳しくない
老若男女の方々の元に届き、
今世紀最大と言っても過言ではない
共有するキッカケになれば幸いと存じます。
せっかくの夢物語。
青い狐軍団に化かされるのも悪くないのでは?
いいのではないでしょうか?
あなただけのウリはと訊かれ)
本稿はTVアニメ『マイ・リトル・ポニー 〜トモダチは魔法〜』の二次創作作品「How Applejack Won the war」についての解説である。
~How Applejack Won the War~ 完成版 ‐ ニコニコ動画:GINZA
すでに動画up主による訳詞がついているため、これだけ観ても楽しめる。
しかし元動画作者の Sherclop Pones の特徴として「偏執的なまでに韻を踏む」の他に「やたらダブルミーニングを込めたがる」というのもあり、翻訳動画だけではカバーしきれない、あるいは観ててわかりにくいところが多々存在する。
以下ではそうしたスキマを解説していきたい。訳はだいたいオリジナルであるが、ところどころでリンク先動画主のGED氏の訳を大いに参考にさせてもらった。この場を借りて謝意を表したい。
一日目
開戦だ
さあ、ジョニーよ銃をとれ*
訓練所で射撃練習だ
三段目(Come on Johnny get your gun)の元ネタは当然反戦小説『ジョニーは戦場へ行った』(さらにその元ネタとなった軍歌『オーヴァー・ゼア』)。
四段目の「訓練所」は fruit camp 、新兵訓練所である Boot camp (昔流行ったアレ)とかけてある。
行進しよう
集結ポイントへ
お嬢様みたいにさ
エージェント・オレンジ? まあ、待ちなって
三段目: i’m speaking fancy too. は第二シーズン六話「恐怖のキューティー・マーク」より。フランス語のキューティーマークが発現したアップルブルームに対してアップルジャックが言ったセリフ。日本語版放送時には「妹がザマス言葉になっちゃった!」と訳された。なぜこのセリフが引用されたかといえば、前段の歌詞 Rendez-vous が「集結地点」を表すフランス語だから。
四段目: Agent Orange? エージェント・オレンジはベトナム戦争時に、森林ゲリラに悩まされたアメリカ軍が木々を根こそぎ除去するためにばら撒いた悪名高き除草剤。含有されていた有害物質が後々までベトナムの人びとに深刻な影響を与えた。
二日目
仕事は多い
ラリティもがんばってる
地面を均して、納屋を建てる
五段目: Raze the field, raise this barn. - 第三シーズン八話「Apple Family Reunion」の劇中歌より。原曲の raise(建物を建てる)と、 raze(破壊する)をかけている。
ここまでは
楽勝だ
市民に死傷者は出たけれど
撃ちてしやまぬ
戦友の手を取りド-シ-ドと踊ろう
五段目: do-si-do とはスクウェアダンスやポルカの基本ステップ。元はフランス語。
新兵たちよ
良心の呵責などいらぬ
家族と結べ、戦債を売れ
条約を結べ、戦歌を歌え
一段目: Draft horse そのまま訳せば「徴募(Draft)された馬」だが、同時にアメリカのばん馬にあたるゴツいお馬さん(Draft horse)にもかかっている。
三段目: alpha, bravo, charley-horse アルファ、ブラボー、チャーリーは、軍隊で使用されるコールサイン。それに charley-horse すなわち「こむら返り」をかけている。
四段目、五段目: Family bonding, selling bonds, Signing treaties, singing songs 日本語訳動画うぷ主のGED氏は「一家団結、戦時公債、条約締結、軍歌斉唱」と訳している。名訳である。
上昇!
投下!
支援部隊がすぐ駆けつけるはずさ
五段目: 『マイ・リトル・ポニー』のオープニングにおいて、主人公のトワイライトは毎回気球に乗って登場する。
三日目
沖に出よう
静かな海でたったひとり
自分の罪に思い巡らす
寝てるなよ
終わってないよ
戦いのときだ、総員甲板へ
やつらの戦艦を沈めて
ジューシーに焼きあげろ
五段目: Burn them to a Honeycrisp ハニークリスプはりんごの品種。パリッとしたジューシーな食感が特徴。
降伏だと?
まだ殺りたんねえな
あのチキンどもを追い立てろ
やつらにくれてやる厩舎などない
捕虜は取るな、皆殺しだ!!
四日目
戦争に勝った
紅く甘美な勝利だね
三段目: Loyal to my apple corp 作曲者である Sherclop Pones の人気シリーズ動画「Friendship is Witchcraft」でアップルジャックとレインボーダッシュのエレメントが入れ替わってしまい、アップルジャックが「忠誠」のエレメントになってしまったことがあった。
戦の馬たちよ
誇りを高く持て
ドアに飾った勲章が
私の勝利を語ってくれる!
三段目: Freedom isn't Everfree: 『マイ・リトル・ポニー』本編に出てくる Everfree forest という地名が、アメリカの右翼が好きなフレーズ Freedom isn’t free. 「自由はタダじゃない」にかかっている。
伊藤計劃が皮肉を込めて描き、死後にまで作動する「悪ふざけ」のプログラムを残し、そして「悪ふざけ/本気」としてそれを実行する/せざるをえない、この社会そのものを相対化するプロジェクトであるのだと、ぼくは考えています。そこで必要なのは、きっと怒りではなく、(冷めた)笑いの共有なのではないかと思います。
伊藤計劃以後とは何か? - the deconstruKction of right http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20140323/1395596751
『伊藤計劃以後』が単なる商業的意味だけを持つバズワードに過ぎないことを聞いてもないのに語りはじめ、
ひとりの男が脳髄から絞り出した知的生産物を「人が死んで悲しい!感動!」のパッケージに詰めて売ることを深夜にセコセコ正当化し、
「早川書房さんの販売戦略は間違ってない!!!」とワンワン声で吠えまわり、
同業者に窘められた挙句Togetterに書き散らかされた通りすがりのツイートへの全方向大反論宣言をブチ上げた気鋭の新人営業マン、違ったSF評論家・
藤田直哉大先生のおかげで、あなたのおっしゃる怒りを越えたところにある冷めた笑いというものが理解できそうです。あはは。ばっかじゃねえの?
先日のエントリに対する「反論」とされたこのエントリーに目を通したとき、書き手が何を考えているのかわからなかった。
何を言っているのかということはわかる。主張は3つだ。
「伊藤計劃はその死を贈与した」
おいおいマジかよと俺じゃなくても思っただろうし、事実ボロクソに怒られてるみたいなので、この点については今更突っこむ意味がない。
伊藤計劃が自らの死後に何を託し、何を期待したのかは一読者にとって知る術がない以上言及できないが、
特に一段目、三段目の言は……物語の作り手に対してこれ以上の侮辱はちょっと思いつかない。
これに肉薄できるのは先月の大学生×SFのトークイベントに参加した読書人大賞の推薦文投稿者(※この賞は推薦者の読書感想文への投票で決定する)が言ってた
「こういうのよくないと思うんだけど、死んだ作者の物語をないまぜに折り込むと決勝の書評合戦で勝てるんスよねェ〜」くらいか。まあいいけど。
伊藤計劃や『ヨハネスブルグの天使たち』について語るときに彼らの口から決まって出てくるのが
「これはぼくたちの社会だ!!」というほんっとになんのヒネリも個性もないクッソつまらない笑えない一言なのだけれど、読書感想文の宿題やってんじゃないんだからさ。
で、さいきょうのどくしょかんそうぶんけっていせんを通過したさいきょうのどくしょかんそうぶんの書き手がポロッとこぼしたのがさきの言葉なんだよ。ほんと。アホくせえ。
藤田大先生もいらしたんでしたっけね、このイベント? ええっと壇上に。いやーほんとすごいよすごい。あれがお前たちが生み出した怪物の人形だよ。
いやーそれにしてもアニメ化も決定したしどんどん売れるね。次は嵐主演で伊藤計劃の闘病映画だね!
てめえ如きに教わらなくとも諦め方も笑い方も、呆れ倒したあとにくる虚しさだって知っている。
それでも俺は怒るんだよ。
概要は以下
http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok7_ken.htm
「賢者タイム」 とは、男性が 「オナニー」 を終えて (射精終了、いわゆる「抜いた後」)、それまでのめくるめく興奮のるつぼ、怒濤の感情の爆発から一転、冷静で沈着で脱力もした状態、魂の抜け殻のようになったその時間のことです。 「聖人タイム」、あるいは 「スーパー賢者タイム」「ハイパー賢者タイム」「賢者モード」「賢者状態」 などとも呼びます。
それまではオカズとなる 「18禁」 な H雑誌や動画、妄想などで、はちきれんばかりになった股間と脳みそが、「その瞬間」 からすうっと潮が引くかのように落ち着いて、若干の「やっちまった…」みたいな後悔をしつつ、出したものの処理をする数分間でしょうか。 とりわけ直後からの1分間はあらゆる煩悩が完全に浄化され、まるで悟りを開ききった仏様のような無欲無我の境地に達しているといっても過言ではありません。
それまで愛しくてたまらなかったエロ本や動画が急にどうでもよくなったり興味が失せたりするのもこの瞬間で、まぁ実際に相手のいるセックスならパートナーに配慮したりもしますし、雑誌や 「同人誌」 なんかは手元に残ったりもしますが、パソコンの動画や画像なんかは、「もうこれでやることはないだろう…消すか」なんて消したり、ネットサーフィンで掘り当てたサイトのブックマークをせずにブラウザを閉じたりします。 とりわけその動画や画像が過激で変態的でドロドロぐちょぐちょなものであればあるほど、事後はうっとうしく感じたり、時には嫌悪感すら覚えたりするものです。
特に三段目の部分。事後にファイルをわざわざ削除するという発想がよく分からない。それこそPC内のファイルは本やビデオテープ、DVDと違って物理的な実体を持たないんだから、ファイル自体を目に付かない場所に移動させておけば何の不都合も無いのに。何故わざわざ削除しようとするのだろうか?ファイルを削除するという事は、そのファイルが二度と手に入らないリスクを冒すことでもあり、将来再入手する際に前回と同等に近いコスト(時間的、金銭的)を支払う事を意味しているわけだが、そういう事すらもどうでも良くなるくらいに「悟りを開」いてしまうものなのか?
「賢者タイム」に共感する男性諸氏の意見を乞いたい。ちなみに俺も男。基本的に拾った画像、動画の類はよほど不快なもの(グロや極端にマニアックな嗜好のもの)以外は削除した覚えが無い。