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2024-07-16

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忠致は頼朝の実父殺しという重罪を負う身であったが、頼朝から寛大にも「懸命に働いたならば美濃尾張をやる」と言われたため、その言葉通り懸命に働いたという。

しか平家追討後に頼朝覇権を握ると、その父の仇として追われる身となり、最後頼朝の命によって処刑されたという。

その折には「約束通り、身の終わり(美濃尾張)をくれてやる」と言われたと伝えられている。

2024-07-15

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「昼食時は1人で座り、服装をばかにされていた」。高校同級生米メディアに、容疑者毎日のようにいじめられていたと振り返った。

別の同級生は「人の悪口を言わない良い子で、こんな事件を起こすとは思えなかった」と話した。

2024-07-09

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臨死体験が起こると、まず暗いトンネルの中に浮かんでいる自分に気付き、その次に「光」を見るという体験をする者が多い。

この「光」は死んだ肉親の姿や宗教的人物の形をとる事もある。

体験者の多くはこの光に包み込まれ保護されているという感覚を抱く。

この「光」恋人家族から感じるものとは比較にならないほどの愛情を持っているように感じられるため、遭遇後に精神的な変容を遂げる体験者が多い。

ある体験者は「自分のすべてを知りつくされ、理解され、受け入れられ、赦され、完全に愛しぬかれた」と述べている。

2024-07-08

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猫が丸くなっているときに本当に眠っているのか、狸寝入りかを見極めるには耳を観察すれば良い。

熟睡しているときには耳は音に反応しない。

しかし、狸寝入りでは、新しい音源に対して意識が集中すると耳がその方向に動く。

これは反射だから止めようがない。

2024-07-07

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私が高校合格した時、毒ママンがひとりで喜んで、私の高校テレホンカードを自慢げに近所に配り歩いているのを見て、死にたくなったのを思い出しました。

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衆議院議員小沢一郎は、「本人たちは『誰の迷惑にもなっていない』と言うかもしれないが、

親の稼ぎで食わせて貰って、公的サービス享受している。

病気でもないのに他人寄生して生きているなど、とんでもない話だ」と不快感を示し、

続けて「彼ら自身問題だが、何よりも厳しくせずにただ甘やかしている親たちが問題だ。

親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期が来ると冷たく突き放して巣立ちさせる。

それが出来ないニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」などの持論を展開した。

2024-07-06

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日本の道100選(にほんのみちひゃくせん)は、道の日の制定を記念して、1986年度および1987年度に、建設省と「道の日実行委員会により制定された、日本の特色ある優れた道路104本である

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浄土真宗では「冥福を祈る」という表現を用いません。

ひねくれた見方しますと「故人の冥福祈ります」ということは「死後の暗闇の世界で迷っているあなたが、幸せになれますように」という意味になります

浄土真宗では阿弥陀仏より「必ず救うぞ」「浄土に生まれさせてさとりを得させるぞ」という呼びかけがあり、それに順ってお念仏を称えます

そのような方に向かって「あなたが暗闇の世界に生まれしまたかもしれない」と心配して祈ることはかえって失礼にあたるのではないでしょうか。

ですから、代わりに「哀悼の意を表す」という表現を用いればよろしいかと思います

これならば浄土真宗教義とはぶつかりません。

その他、「安らかに眠る」という表現も用いません。

故人は浄土眠るわけではありません。

さとりをひらいた後はこの世界に還ってこられ、私たち真実に導きいれようとはたらきかけ続けてくださいます

故人の死後の幸福を祈るということは追善供養ということになります

簡単説明すると、善い行いをして功徳を積み、それを故人へと回向して(分け与えて)救うということです。

浄土真宗では煩悩まみれの私たちにそれは不可能であると考えます

故人を救うのは阿弥陀仏の力であり、人の力ではありません。

また、親鸞聖人は『正信念仏偈』の中で阿弥陀仏の徳を「無礙光」(何ものにもさえぎられることのない光)と讃えられています

人の力では救うこともできないし、またどんな煩悩もその救いを妨げることはできない。

人は阿弥陀仏におまかせするしかないということになるのだと思います

2024-07-04

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信じる人には、必ず疑いがあるからだ。

例えば「父は男だと信じている」という子供はいない。

一緒に風呂に入って知っているからだ。

火傷をした人が、「火は熱いと信じている」とも言わない。

熱いとハッキリしているかである

かに世間では、信じる人は、疑っていないというのが常識だろう。

しかし、疑う余地がないことは「信じる」とは言わないで、「知っている」という。

信じる人には、実は疑心があるからである

2024-07-03

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「1劫」の長さは、100年に一度天女が高い岩山に舞い降りてきて羽衣で頂上を撫でて、その摩擦によって岩山が消滅する時間である

数字にすると43億2000万年とされそれが億回積み重なるので「億劫」は43京2000兆年となる。

2024-07-01

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蒲生(後の苻生)は幼い頃から無法な行いを繰り返しており、祖父の蒲洪(後の苻洪)からは強く忌み嫌われていた。

まれた頃から隻眼であり、彼が幼少の頃に蒲洪はふざけて侍者へ「片目の子は片方からしか涙を流さないと聞いているが、まことかね?」と問うと、

怒った蒲生は刀で自らを刺して血を流すと、「これもまさか涙と言うのですかな」と言い放った。

苻生は隻眼であったので『不足、不具、少、無、缺、傷、残、毀、偏、隻』と言う文字使用を禁じ、これを犯した者は左右の側近でも処刑され、その数は記録出来ないほどであった。

苻生が即位して幾ばくもしない内に、殺された人間は后妃・公卿下僕隷に至るまでゆうに500人を越え、

截脛(膝から下を斬り落とす)・拉脅(わき腹を圧し潰す)・鋸頸(頸を鋸で斬り落とす)・刳胎(胎児を抉り取る)の刑に処される者が相次いだ。

治世の末年には、その数は千をはるかに越えたという。

苻生は群臣と共に太極殿において宴会を開き、右司馬の辛牢が酒監となった。

宴もたけなわとなると、音楽が奏でられ、苻生自ら歌を詠み、場を楽しませた。

だが、苻生は辛牢が酒を飲んでいないのを見ると「酒が進んでいない者がどうしてこの席に座っているか!」と怒り、辛牢を射殺した。

苻生は夜に棗を多く食し、朝になると体調を崩したので、太医令の程延を呼び寄せて診断させた。

程延は「陛下はどこも悪くありません。ただナツメを食べ過ぎただけです」と答えると、

苻生は怒って「汝は聖人でもないのに、どうして我がナツメを食べたと思うか!」と言い、これを殺害した。

苻生は左右の側近へ「我が天下に臨んでいることについて、汝は外からどのようにきいているかね」と問うと、

側近は「聖明なる陛下が世を治めるおかげで、賞罰は明確となり、天下は太平謳歌しております」と言うと、

苻生は激怒して「汝は我に媚びを売るか!」と言い、斬り殺した。

洛陽伽藍記に「苻生は勇を好み酒を嗜んだとはいえ、仁にしてでたらめに人を殺すようなことはなかった。

その統治を観るに凶暴とはいえないものであったのに、史書には天下の悪を全て帰している」という真逆人物評が載っている。

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中世イングランドでは、大逆罪を犯した者は、首吊り内臓抉り・四つ裂きの刑という残酷方法処刑された。

まず罪人を縛り首にして、事切れる直前に縄を切って蘇生させる。

次に生殖器を絶ち、腹を裂いて内臓露出させ、辛うじて息のある罪人に見せ付ける。

最後斬首して絶命させた後、四肢解体して晒し者にした。

陪審員は全ての被告に対し有罪を認め、首席判事のジョン・ポファムは大逆罪を宣告した。

法務総裁エドワードコークは、「被告は馬に引き回され、性器は切断されて目の前で焼かれ、腸や心臓は抜き取られるだろう。その後断頭され、体をバラバラにして晒され、いずれ鳥の餌になるだろう。」と述べた。

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ハモダメニナツテシマツタ、毎日モナク號泣シテ居ルヤウナ次第ダ

僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガツテ居タノハ君モ知ツテルダロー。

ソレガ病人ニナツテシマツタノダカラ殘念デタマラナイノダガ、

君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヤウナ氣ニナツテ愉快デタマラヌ。

若シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)

倫敦ノ燒芋ノ味ハドンナカ聞キタイ。

僕ハ迚モ君ニ再會スルコトハ出來ヌト思フ。

萬一出來タトシテモ其時ハ話モ出來ナクナツテルデアロー

實ハ僕ハ生キテヰルノガ苦シイノダ。

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ウサギは、自分の食べる草を与えるわけにはいかないので、

自分身体の肉を差し上げようと考えて、バラモンが来たときに、

あなたは、行って薪を集め、火をおこしてから私に知らせてください。私は火の中に飛び込んで私の肉を差し上げます」と言って、

バラモンがおこした炭火の中へ飛び込むときに、

「私の毛の中に生き物がいたら、それらが死ぬことがないように」

と三度身体を振ってから炭火の中へ身をなげました。

ところが、その火はウサギの毛を1本も焼くことなく、まるで雪の中に入ったようであった、といいます

サッカ(帝釈天)は、ウサギの優れた行いが永遠に知られるようにと、山を搾って汁を取り、円い月面にウサギの姿を描きました。

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世の中は 一つ叶えば また二つ 三つ四つ五つ むつかしの世や

上見れば 欲しい欲しいの 星だらけ 笠着て暮らせ おのが心に

ほととぎす 自由自在に 聞く里は 酒屋へ三里 豆腐屋へ二里

鴬が 法華経を説くと いうならば 雀は忠忠 烏は孝孝

聞けや人 忠とあしたに 雀の子 孝と夕べに 鴉鳴くなり

一生は 旅の山路と 思うべし 平地は少し 峠たくさん

月々に 月見る月の 多けれど 月見る月は この月の月

忌めば忌む 忌まねば忌まぬ 忌むという 文字は己が 心なりけり

今今と 今という間に 今ぞなく 今という間に 今ぞ過ぎ行く

堪忍の なる堪忍は 誰もする ならぬ堪忍 するが堪忍

語るなと 人に語れば その人は また語るなと 語る世の中

人をのみ 渡し渡して おのが身は 岸に上がらぬ 渡し守かな

笛吹かず 太鼓たか獅子舞の 後足になる 人もあるなり

ぶらぶらと 暮らすようでも ひょうたんは 胸のあたりに 締めくくりあり

おちぶれて 袖になみだの かかる時 ひとのこころの 奥ぞしらるる

急がずば ぬれざらましを 旅びとの あとより晴るる 野路村雨

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苦の存在は悪い、そして

快の存在は良い

苦の不在は良い

快の不在は、こうした不在がその人にとって剥奪意味する人がいない場合に限り、悪くはない

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ぼく「21時退勤したいです」

店長「じゃあシフト20:30までで、21時まで片付けやってもらってって感じかな」

ぼく「じゃあ20:30までのシフト20:30に上がってもいいんですか?」

店長20:30まで仕事するならシフト20時までだけど?」

ぼく「社会って厳しいんだなあ〜」

2024-06-30

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古代より暦の必要性から時間や方位などに六十進法が使われており、

中でも60の約数の一つである12はそれらを構成する基準の数として、12か月や12時間12方位などのようにしばしば用いられてきた。

生活に広く根付いた基数の12に対し、12より一つ多く素数である13は、その調和を乱すものとして不吉な数と考えられた。

西洋では、多くの建物で13階を作ることが忌避される。

12階の一つ上は、12A階もしくは12b階、12半階と呼んだり、13階を飛ばして14階にしたりする(中国など地域によっては14も忌み数とみなし、12階の次は15階とするケースも存在する)。

アメリカ合衆国建国時の州の数が13(独立十三州)であるため、当初は建国に縁のある吉数とされていた。

同国の1ドル紙幣の裏面や国章には、「13葉ついたオリーブの枝と13本の矢を掴む鷲」や鷲の胸にある「13本の縦縞模様(ストライプ)が描かれた盾」、

さらに「13の星」、「13層のピラミッド」など13に因んだものがあしらわれている。

現在アメリカ合衆国国旗の横縞も13本である

しかし、その後の13にまつわる凶事や様々な迷信等により現在では忌み数となっている。

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1850年代以降からヒバロー族のツァンツァの風習は金を求めて南アメリカ大陸奥地に進出したヨーロッパ人の知るところとなり、

観光客や好事家たちは競ってヒバロー族を相手干し首交易を始めた。

これらの需要の結果として、ヒバロー族は交易目的とした干し首制作と他部族との戦争を行うようになった。

1930年代には干し首一つは約25ドル取り引きされていた。

また、ヒバロー族は干し首を獲得するための戦争銃器使用するようになり、必要な銃と弾薬干し首交易により白人から入手された。

ペルーおよびエクアドル政府干し首交易禁止する法律を制定するまで、これらの交易は続いた。

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キミは特別存在ではないんだよ

だって60億分の1なんだぜ俺が俺である確率

それに親父の精子の数だけ分母が増えて…

から俺は特別人間なんだ!!!」

とか真顔で言われたら、ああなんて不幸なんだ、としか思えない

この世界はそんな確率で生まれてくる人が

60億もいる奇跡なんだから

まれてきた時点でキミの奇跡は終わりです

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若いアカウントばっかりフォローしてるおっさんは、自分学生時代を思い出して欲しい。

年代同士で楽しく喋ってるとき、好きでもないおじさんおばさんが介入してきたらどう感じたか

歳を考えようよ。育った時代がまるで違うことを認識しようよ。

よっぽどニッチ趣味を共有してでもいない限り、"仲間"にはなれないんだよ。

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