2024-07-06

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浄土真宗では「冥福を祈る」という表現を用いません。

ひねくれた見方しますと「故人の冥福祈ります」ということは「死後の暗闇の世界で迷っているあなたが、幸せになれますように」という意味になります

浄土真宗では阿弥陀仏より「必ず救うぞ」「浄土に生まれさせてさとりを得させるぞ」という呼びかけがあり、それに順ってお念仏を称えます

そのような方に向かって「あなたが暗闇の世界に生まれしまたかもしれない」と心配して祈ることはかえって失礼にあたるのではないでしょうか。

ですから、代わりに「哀悼の意を表す」という表現を用いればよろしいかと思います

これならば浄土真宗教義とはぶつかりません。

その他、「安らかに眠る」という表現も用いません。

故人は浄土眠るわけではありません。

さとりをひらいた後はこの世界に還ってこられ、私たち真実に導きいれようとはたらきかけ続けてくださいます

故人の死後の幸福を祈るということは追善供養ということになります

簡単説明すると、善い行いをして功徳を積み、それを故人へと回向して(分け与えて)救うということです。

浄土真宗では煩悩まみれの私たちにそれは不可能であると考えます

故人を救うのは阿弥陀仏の力であり、人の力ではありません。

また、親鸞聖人は『正信念仏偈』の中で阿弥陀仏の徳を「無礙光」(何ものにもさえぎられることのない光)と讃えられています

人の力では救うこともできないし、またどんな煩悩もその救いを妨げることはできない。

人は阿弥陀仏におまかせするしかないということになるのだと思います

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