国民主権で公共において主権者なんだが何を言ってるんだ?権限性の塊。こういう奴らマジで小学校卒業してねえだろ
親父も増田もおつかれさん
大事な部分が分かってないな
自分たちで動物保護団体を作ってその中で厳格なルールで運用するのはその人たちの自由なんだけど
性表現やらに文句付けてる人たちは公共の代表者でも何でもないんだから自分たちの考えの通りに他人を動かす権限なんて無いんだよ
先日、心臓の手術を受けるために手術室へ向かった父が残念なことに帰還できない模様。
正確には手術自体は成功したものの、術後数日が経っても目を覚まさない。
主治医の話を聞くに可能性はいろいろあるが、脳にダメージを受けてしまったようで、よくて植物状態、悪くて脳死らしい。
61歳おめでとう。お疲れ様。今までありがとね。バイバイ、ずっと愛してる。
奇跡が起きるなら、起きてください。
オタク作品の中で一般人に受けてるもの今後求められていくものはポリコレとフェミ化して脱臭された、ただ絵柄が漫画風というだけのキレイなオタク文化だよ
実家ぐらしでも、家庭によっては「本人のことは本人がちゃんとするだろう」くらいの感覚で言わないところもありそうな気が。
というか、ぼかさずいえばうちがそうだった。
金銭的な面で激務にしているなら、いっそ「お風呂入ってる?」とストレートに聞いてみても良いかもしれない。
再度個人的な体験談で申し訳ないが、過去の20時間くらい働いてた時は家に帰ったらとにかく寝たい。
何よりも優先するべきは睡眠。食事もおざなり・・・という時期に、数日お風呂に入らず会社にいった。
んで、そのときの思考は「意外と臭わないからお風呂入ってないとはばれないだろう」的な感じ。
でも、ある日上司から「増田ってさ、お風呂入ってる?」って電話がきた。
これ直接言われたなら上司がその場で「こいつお風呂入ってないな」って思って言ったんだろうって思うけど、そうじゃなくて電話だったんだよ。
その場にいない俺に電話して言うってことは、その上司がいる場で俺の話題が上がったということなんだと察した。
みんな言わないけど、お風呂入ってないってわかってたんだなって。
結局風呂入らない人って、自分が汚くても良いって思考じゃなくて「そもそも汚いと思ってない」というのが正解な気がするんだよな。
意外と周りにバレてないだろうとか、意外と臭くないだろうとか、意外と髪・肌に影響ないだろうって。今思えば全然あるわって思うけど当時はまじで思わなかった。
なので、気付かせてくれて助かったっていうのはあった。
日本のドラマみたいな観ているこっちが恥ずかしくなるような安っぽい演出はないかもしれん…
人類2000年の歴史のあいだ何やってたの?いまだに赤ちゃん精神で結婚してパートナーの女性に支えてもらわないと、すぐ狂っちゃう生き物が2022年末になってもまだ存在してるの?
種の繁栄を生物の目的とするなら、一人では生きられずパートナーを求める方向に選択圧がかかるのは正しいのでは?
本筋はどうでも良いんだけど、そこだけすごく気になってしまった
山本直樹のインタビューを読んで、いつの時代の話だと思ったのだが、はてブでは賞賛する人が多いようで意外だった。
僕らはこっちの棚でやってるから、カーテンを開けなければいいだけ。けど、表現の自由戦士は「カーテンをぶち破れ!」っていうし、もう一方は「カーテンの向こうを潰せ!」って。
既にゲームもアニメもカーテンの中には納まらない経済規模になってるってことを山本直樹も表現規制派も分かっていない。
一般人はオタクを馬鹿にすることが多かったので、オタクはカーテンの中で楽しんでいた。
音楽番組のランキングにアニソンが出てくるとと失笑されるあの空気とか覚えている。
原神やウマ娘といった昔ならオタクゲームとみなされただろうコンテンツが数百億数千億を売り上げている。
abemaがW杯を無料で中継できたのもウマ娘の金があったからと言われている。
東京オリンピックの開会式でもアニメやゲームが前面に出されていた。
映画ではオタクな作風の新海誠が100億越えの興行収入を連発している。
かつてカーテンの中にいたオタクがメインカルチャーになってしまったのだ。
今さらカーテンの中に帰れと言われても不可能な話なのである。。
山本直樹の認識は2000年代初頭までのオタクが馬鹿にされていた時代で止まっている。
そして表現規制派はオタクが馬鹿にされていた2000年代初頭以前に押し戻そうとしているのだ。
ただ自分はアラフォ―のオタクなのだが、正直言うとJR大阪駅の広告が批判されるのはわかる。
艦これとかウマ娘とか女体化して愛でるのって、カーテンの中でやるものだよねという意識が自分にも残っているので、ウマ娘の広告がドーンとあったりすると「あ、大丈夫かな」と反射的に思ったりする。
むしろ若い世代にオタク的なものが広範に受け入れられている状況に戸惑う。
でも、そういう時代なんだよね。
「オタクはカーテンの中に帰れ」というのは「女は専業主婦で家にいろ」と同じように聞こえるんだよね。自分には。
いや、いまさらそれはムリでしょ、そこには戻れないでしょ。
この日記とこの表現の自由規制の話というのは、ほぼ同じ話をしていると思う。すごく似ている。
注:ここでは性表現に関する表現の自由、表現の自由に関する法解釈法運用の話はしないよ(ついでに言うと元増田も含めた一般人には正確な理解が期待できないし。元増田は法について一般人であることは見ればわかる)
この手の団体はいろいろ言われることが多くて、増田も猫を譲り受けるときに家に来られたり個人情報を根掘り葉掘り聞かれたりでかなり辟易したんだけど、ボランティアで中に入ってみたら、そこまでしたくなる気持ちも分かった。それくらい虐待や多頭飼い崩壊の現場の話は酷かった。
性表現を公共に出すな、性表現をノーマライズするな、性表現は女性蔑視だ、とこの手のことにかなり厳しく、性表現に浸かりまくった性依存症気味のオタクは辟易するのかもしれないが、女性に関わっていると、それくらい世間には性犯罪や悪質なセクハラや女性蔑視が多くて酷い。現場と現場から遠い人で感覚に大きな開きがあるという点ですごく共通していると思う。
よく言われる、「そんなに譲渡の条件を厳しくして、条件を緩くすれば助かる命が保健所で処分されてもいいのか」という質問には、彼らはYESと答えると思う。
「そんなに世間をエロに厳しくして、オカズを手に入れにくくなり(女性にもおかずを必要とする人は結構いる)性を発散することが難しくなるかもしれなくてもいいのか」「好きな作品や好きな文化が今までと同じ形で存続できなくてもいいのか」という質問には、彼らは即答でYESと答えると思う。これも全く同じ構図だと思う。
それだけ現実において女性の心理的・肉体的安全性は担保されていない。この世界は性虐待をファンタジーと言い切れる優しくきれいな世界ではない。男性から見て完全に無害でちょっと羽目をはずしただけのファンタジーでも、女性から見たら実際に加害者が教科書にしてたものであり現実に経験する抑圧や虐待の理由であり男性の中に時々見えるミソジニーや偏見の正体であり存続し続ける加害精神の教科書であり現実の被害の反映だから。
現実の悲惨で酷い虐待や生命の尊厳の前には、多少の嗜好品の自由など消し飛んでしまう。
怖すぎるだろ。自分も驚いた。でも女性も、虐待や性加害をしにくるやつがたくさんいて、住所を明かさないようにしたり、顔を出して活動するハードルが高かったり、政治活動や目立つことをすれば性差別とハラスメントに遭い、同じくらい虐待を警戒している。その加害虐待の深さ多さ酷さについて、いまだ想像力が及んでいないから驚くのだ。
こんなの想像の範囲外だし怖すぎる常軌を逸したものだけど、これは女性たちにとっても日常なのだ。
餌やりさんっていうのは、その名の通り野良に餌をあげている人のこと。これだけ聞くと猫好きの人だと思うじゃん?実はそうとも限らなくて、餌をあげる時に猫がワッと寄ってくるのが嬉しくて、つまり承認欲求のためにしている人も多い。だから猫にはなんの愛着もなく、TNR(捕まえて避妊手術をして元の場所に戻すこと)に協力もしないどころか、気まぐれに毒餌をやったりするキチもいるそうだ。多頭飼いも同じように、必ずしも猫好きというわけではないらしい。
こういうのもたくさんいる。つまり、性風俗斡旋業者であり、AV業者であり、女性本人には興味がない、又は女性嫌いだけど肉体にだけ興味がある人だ。女性好きでもなんでもないのに性欲が気持ちよくて、女性に何の愛着もなく信頼関係もなく、利用しようとする人たち。そしてそれを黙認してしまう人々。気まぐれに傷つけるキチも多い。
それくらい虐待に対して敏感になっているし
つまり、こういうこと。