程度の低い批判はまじゴミ。程度の高い批判はお金出してでもしてもらいたいもの。
ちなみに程度の低い批判の相手を頼んでもないのにするのもゴミ。
大変同意。そして、
フリーとショートプログラム、あるいは野球と素振り、と言わず、別競技と喩えたところは秀逸であると思いました。
今日は意外と冷えるね。
40過ぎて離婚して、途方に暮れたけど、意外にも新しい友達がたくさん出来て驚いてる。
今の時代はちょっとした偶然の出合いを、SNS を介して継続させられるので、
仕事の責任が重く忙しい人でも、気楽な友達が作れるものだ。40過ぎてるのに、
手当たり次第 SNS アカウントを作ったり使っていなかったのを復活させて、活用している。
つくづくありがたい時代だと思う。
寿命よりたった数十年程早く命を絶つか
増田は俺か。
いまは、寿命までたった数十年のことだから、と思って我慢して生きることにしている。
うちは、俺が元増田に近くて、兄貴はちょうど逆(結婚しても実家第一)だ。弟はその中間くらい。
だから、育て方とかそういうのだけではないと思う(3人兄弟で、育て方にそれほど差はなかった…というより、一般的に言ってかなりないように気をつけて育ててくれたと思う)。個体差とか相性とでもいうほかない。難しいね。
って思ったから書くよ。
「夏は暑い、だから汗をかく。服の組み合わせもシンプルだし。だから私は夏が好き」
「夏は暑い、だから汗をかく。服の組み合わせもシンプルだし。だから私は夏が嫌い」
会話だと、相手の話を聞いている時に、
肯定なのか否定なのかが確定するまで0.5秒なり1秒なりの時間がある。
すると、その時間を使って
「たぶん肯定だな」とか予想できるようになる。
相手が何を言おうとしてるのかが予測できるようになる。
すると、文章の途中まで話して相手に理解させる話法が成立するようになる
「なんで移動したの?」
「ほら、あの席に座ってる人ってさ・・・」
「あー、なるほどw」
みたいなのとか。
日本語に比べると、
「相手が肯定しようとしてるのか、否定しようとしてるのか」
その環境で会話してると、
「全部言わなくても、内容を察してくれる」そんな力を
相手が持っている可能性は低いと思う訳です
言い換えれば
空気を読む力ってのは日本語(ないしは同じような語順の言葉を母語とする人達)に比べると
育ちにくいんじゃねーのかな?ってことです。
「日本人は『no problem』って言っても大丈夫じゃない事がある。意味が判らないよ」
ここに原因があるんじゃないのかな、って思って
増田に書いてみました。
おしまい。
批判や文句が日頃の癖になってる人間は、えてして誰かの権益を受けて生活している人間。
逆に、批判される立場の人間というのは権益を与える側に立っている事が多い。
子供が親に文句言ったりスネたりするのと同じ。聞く相手がいて始めて成立してる依存関係。
逆の立場になって同じ事をされれば嫌な思いをするのが分かるし、みっともないから、普通は大人になればやらない。
アレは一生なおらないと思う。周囲が手の施しようが無いから放置されてああなっちゃったんだし、鬼女のような人間は関わらないに越したことはない。
社会に対して何の責任も負っていない「お子さま」ならば、『結婚』は恋愛と同じく二人だけの問題で、同棲と何も変わりません。
ですが、社会に対して一定の責任を負う「大人」ならば、自分の隣にいる人間を「妻(夫)です」と宣言しないのは、不誠実で無責任な態度だと見なされます。
ちなみに、本人らが望もうが望むまいが、社会には勝手に「事実婚」「内縁」「事実上の婚約状態」などとジャンル分けされ、それなりの法的責任を負わされますので、現状「同棲してるのに結婚しない状態」には、デメリットだけありメリットがないんです。
これだけの「義務」がありながら、家族としての保護はなく、税法上の控除もなければ、財産も保護されません。「子ども」ができるはずもないゲイやレズビアンのカップルでさえ、「結婚」という制度にどれほど憧れているか、一緒に住んでいる人間が法的には赤の他人だということが社会的にどれほど不安定で不安なことか、少し調べたりしてみることをお薦めしますよ。
彼が「メリットなんてなくても、二人がそれでいいならいいじゃん!」とか「結婚という法的形式で縛ることで二人の愛はむしろ純粋ではなくなってしまう」といった「ロマンチック」な恋愛観に基づいて結婚に後ろ向きなのだとすると、上記のような現実問題と向き合って貰うのがよいかと思います。「まだ年貢の納め時じゃねえ」とか思ってるなら、同棲している相手が結婚を望んでいる時点でもう「年貢の納め時」だと納得して貰うほかありません。
また、あまり考えたくない想定ですが、彼が結婚にまつわるなんらかのマイナス事情(たとえば、言ってないけど×1であるとか、実は婚姻外子がいるとか)がある、というケースも、数パーセントでしょうが存在しますし(当然ながら、それは相手から見たあなたについても同じ)、そういう事情の一切を含めてクリアにするという意味でも、法的な手続きを踏むことは将来にわたって関係を継続していく上で重要な手続きであると思われます。
子供の頃、いざ首を吊ってみた人がぶら下がってから後悔した、という、これとそっくりのエピソードを
子供の頃父親から風呂の中で聞かされた。記憶は定かではないが、いつのまにか、
「苦しいから自殺なんかやめとけよ」という親からのメッセージに思えた。
(今思い返すと、若い頃親父も苦しいことが会って、自殺を真剣に考えたことがあるからこそ、
そういうエピソードを知っていたのかもしれない、と思う。)
自分が鬱病で苦しんでた頃、死にたいと思うと、その親父の言葉が浮かんできて、自殺は思いとどまった。
その後15年、苦しいことも多いけど、生きてて良かったと思えることも少なくなかった。
STAP細胞で脚光を浴びた後も言動をいぶかる声があり、トレードマークとなった白衣代わりのかっぽう着について「医学や研究の現場ではありえない。首もとが大きく開いていることから、衣服の繊維や何らかの菌などが実験対象に紛れる恐れがあるため、研究者は注意をはらって襟付きの白衣を着る。細かいところに注意が向かないタイプなのかなとも思った」と指摘する医療関係者も。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140315/dms1403151459004-n3.htm
そんなわけねえだろ
白衣着ずにやる人もいっぱいいるし、病院でも割烹着みたいなガウン着て処置することあるし
■人類を救済するための壮大な計画…
エヴァはセカンドインパクト、鎧武はプロジェクトアーク、スカラーシステム
主要登場人物たちの思惑がてんでバラバラで、みんな腹に一物もっていて、
人付き合いが苦手で、なかなか社会でまともにやって行けずにいる
一度人生踏み外すと、もう終わりみたいな世の中だけど
人付き合いが苦手で要領も悪いけど、こんな俺らでも、出来ることがあるなら
何かの役に立つことがあるなら、それをやりたいと思ってるんだけどね
そういうの止めてもらえませんか
第一に、そういうのを実践してるのが透けて見えた時に
って凄い気分が悪いです
「操られてるふりをすればいいのかな?」
なのかも知れないけど
バレない可能性は低いと思うよ
「この人凄いな」って感じたら
普通にしてて下さい
「この人、魅力的だな」
って言うなら
しょぼくてしょぼくて小さく見えます
「多くを語らない事で〜」
自然体が一番だと思うよ
で、結果を出してれば部下は付いて来るし
魅力的なら人は集まって来るよ
宜しくお願いします
「本来の」とか「本能」とかは慎重に使って欲しいなあ。
子供の育成に自分の時間も金銭も費やすのは嫌いな人も結構いるのではないか。
極端な話、多くの人が性的魅力を感じる人なら、
性行為をやるだけやって、子育てには関わらず、育った結果だけを見るとか
やろうと思えばできるんじゃ。
(数を打てるだけ打って、その中の多くが苦しみ続けたり死んだりしても、
結果的に生き残って成功するのがいくらかはいれば子孫は残っていくわけだから。)
数は少ないかもしれないがそういうのは目を引くな。
俺も昔はそうだった
奥の深い言葉に感動し
「○○の社長が言ってたんだけど」
などと「自己啓発やってますアピール」を挟みながらの演説をして
気持ちよくなってた
「なるほどー」なんて言われて気分良くなってた
「何でもカワイイって言う女って何なの?」
男のこの癖もかなり格好悪いんじゃねーかと思い始めた
気持ちよく語ってた昔を思い出して恥ずかしくなる
の青少年への悪影響って詳細にはどんなことが考えられてるんだろうな。
色々考えてみたが、他と比較して特別にひどい悪影響は思いつかなかった。