って思ったから書くよ。
「夏は暑い、だから汗をかく。服の組み合わせもシンプルだし。だから私は夏が好き」
「夏は暑い、だから汗をかく。服の組み合わせもシンプルだし。だから私は夏が嫌い」
会話だと、相手の話を聞いている時に、
肯定なのか否定なのかが確定するまで0.5秒なり1秒なりの時間がある。
すると、その時間を使って
「たぶん肯定だな」とか予想できるようになる。
相手が何を言おうとしてるのかが予測できるようになる。
すると、文章の途中まで話して相手に理解させる話法が成立するようになる
「なんで移動したの?」
「ほら、あの席に座ってる人ってさ・・・」
「あー、なるほどw」
みたいなのとか。
日本語に比べると、
「相手が肯定しようとしてるのか、否定しようとしてるのか」
その環境で会話してると、
「全部言わなくても、内容を察してくれる」そんな力を
相手が持っている可能性は低いと思う訳です
言い換えれば
空気を読む力ってのは日本語(ないしは同じような語順の言葉を母語とする人達)に比べると
育ちにくいんじゃねーのかな?ってことです。
「日本人は『no problem』って言っても大丈夫じゃない事がある。意味が判らないよ」
ここに原因があるんじゃないのかな、って思って
増田に書いてみました。
おしまい。
うーん。 文語体で話をしていれば、その可能性も無きにしも非ずだけれど、 口語体で普通は話をするから、変わらないような気がするなあ。 結構、日本語も英語もかわんないよ。 今日...