2014-03-16

空気を読む力」は母語の文法の影響を受けるのでは?(英語の話も)

って思ったから書くよ。

こういう内容を研究してる人とかいるのかな?

英語圏の人の意見も聞いてみたい。

でも、ネイティブ友達とか居ないのでココに書くぜ。

日本語って肯定・否定が文章の最後に来るでしょう?

「夏は暑い、だから汗をかく。服の組み合わせもシンプルだし。だから私は夏が好き」

「夏は暑い、だから汗をかく。服の組み合わせもシンプルだし。だから私は夏が嫌い」

文章の最後にならないと肯定なのか否定なのかわからない。

上記の文章が不自然なのはあくまで例を出したかたからだよ。

会話だと、相手の話を聞いている時に、

肯定なのか否定なのかが確定するまで0.5秒なり1秒なりの時間がある。

すると、その時間を使って

「たぶん肯定だな」とか予想できるようになる。

相手の表情やら雰囲気やら、形容詞やらから

相手が何を言おうとしてるのかが予測できるようになる。

年齢で言えば小学生高学年から中学生くらいだろうか。

すると、文章の途中まで話して相手に理解させる話法が成立するようになる

「なんで移動したの?」

「ほら、あの席に座ってる人ってさ・・・

「あー、なるほどw」

みたいなのとか。

英語だと肯定否定って文章の最初の方にくるでしょ

英語でも婉曲表現あるけど」ってのは置いておいて。

日本語に比べると、

「相手が肯定しようとしてるのか、否定しようとしてるのか」

を察する時間的猶予は総じて少ないはず。

その環境で会話してると、

「全部言わなくても、内容を察してくれる」そんな力を

相手が持っている可能性は低いと思う訳です

言い換えれば

空気を読む力ってのは日本語(ないしは同じような語順の言葉母語とする人達)に比べると

育ちにくいんじゃねーのかな?ってことです。

日本人は『no problem』って言っても大丈夫じゃない事がある。意味が判らないよ」

って英語ネイティブが言ってる事を聞いた事が有るけど

ここに原因があるんじゃないのかな、って思って

増田に書いてみました。

おしまい

今日洗濯日和だね!

  • うーん。 文語体で話をしていれば、その可能性も無きにしも非ずだけれど、 口語体で普通は話をするから、変わらないような気がするなあ。 結構、日本語も英語もかわんないよ。 今日...

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