はてなキーワード: むしろ邪魔とは
強固ではない。「成人済」は自称だし、システムを迂回して自己判断で「成人だな」と通していることになるので、却って脆弱化している可能性もある。まあ現状Webサービス側の年齢登録も詐称はできて本人確認あるわけじゃないけど。
それ以外にも、逆効果になりえると言うことはこっちの記事にも書いたので読んでみて。
それから、条例というのはその自治体ベースで取り締まるもので、市民が協力的になるのは悪いことじゃないが、県どころか国も分からんネット上でいち市民にあらゆる条例を把握させて取り締まる役を演じさせるのは無理があるだろう。だからサービスにビルトインされているコンプラシステムに委ねるのがスマートだし、適当な理解での自警団ごっこはむしろ邪魔では。仕事が過剰だったり不足だったり何が正しいのかも分からなくなる。私人ではなく法人であればそのへんも網羅してコンプラ遵守の配慮をしたほうがスムーズに事が運ぶだろうが、なんで自分を政府や自治体や大企業と同列の存在と思いたがるんだろう。お客が勝手に店員をやりだすような倒錯を感じる。
職場に、夫婦ともに40代、共働きで子供はなし、って人たちがいる
旦那さんのほうが俺の部署におり、すげーイイ人で、なおかつ結構稼いでいる
奥さんもたぶん同じくらい稼いでいる
安定した職でもある
最近家を建てたっつうことで、ちょっと前におたずねしたんだが、モデルハウスか?ってくらいキレイで、メチャいい家だった
保護したっつう犬を飼っていて、その犬がまた元野良とは思えんくらいカワイイ
金あり、イイ家あり、イイ犬あり、本人たちもステキ
すげえいいと思う 憧れる
これどうなんだ 俺はとりあえずそこには無言及を貫いているし、職場の人もみんなそう
わりとデリカシーない系のこと(太った?とか)をバシバシいう上司でさえ、彼の子供事情については一切言及しない
俺は個人的には子供っていらねえし、むしろ邪魔だよな!なんて思っている人間なので、「子供もいないし、奥さんと夫婦水入らずでこの家に住めるってマジでいいですね!」みたいなことを本心から思うし、言いたいんだが、子供がほしいけど無理だった的な事情の場合、殺人的な空気になること必至
実は俺が気にしすぎなだけで、全然言及オーケーだったりすんのか?
でも、犬の話してるときなんかも、子供の話題にはマジで誰も一切触れないんだもんな
ああーー嫌だ
俺はDINKS最高じゃないすか、みたいな話がしたいんだ
でもDINKS最高じゃないすか、つった瞬間にムチャクチャ空気が凍りついたら嫌すぎる
どっちなんだ どっちスタンスなんだ
敵を倒すことだけ考えていればよかったから、むしろ思考が単純で声がでかい人が重宝されたのじゃ。
あの頃はフェミニストのふりしておけば気に入らないやつの悪口いくら言っても許されたので楽しかった。
でも、今みたいに「フェミニズムでも間違ってたら批判される」という状況になった時は頭の悪い人はむしろ邪魔になってしもうたのよ。
昔はよかった。
一緒に乱暴にオス死ね殺すって叫んでればちやほやしてもらえた時が一番楽しかった。
もう最近ちょっとでも発言ミスったらすぐ反撃されるしつまんない。
あの人5年前ならもっとSHINEできたのに。
歴史って大嫌い。歴史って「昔から居るコテハン」みたいなイメージ。理由もわからないルール(昔そういう事象があったから)を押し付けてくるって感じ。知らねぇっつうの。
だから、今回のサークル文化の消滅も知らねぇって話。新しいサークルが生まれるために、古いサークルの歴史なんてむしろ邪魔じゃん。
あと図書館もあんなにいらないと思う。市町村ごとに図書館があるなんて無駄(学校や研究所付属の図書館だけあればいい)だし、図書館のせいで書籍(一般書)の売上はだいぶ減っているので、図書を作る側にもダメージがある。つまり、文化の誕生にダメージがある。
むしろ、図書館から図書を減らし、勉強スペースを増やした「学習館」みたいなものを作るべき。自宅に勉強スペースの無いかわいそうな子供たちのために。
みたいな言説に負けてんじゃん
で論破できる言説ではあるけど、相手が馬鹿すぎて通じてないじゃん
本来リベラルが言いたいのって、「1人1人を尊重しましょう」ってのでしょ
マイノリティも含めて1人1人を尊重すれば、結果的に多様性が保たれ、育まれるってだけで。
多様性のある集団の副産物として、今までになかった商品だとか、誰も取りこぼさない行政サービスだとかがあげられるかもしれないけどこれも本質じゃないでしょ。あくまで副産物。
なんのために多様性のある集団を作るかって、いい商品を作るためじゃなくて、「普通と違う人」も他の人と同じように集団に属せるようにするためでしょ。
で、そういう社会では今まで「普通の人」とされていた人、普通でなくては排除されるからと普通のフリをしていた人、抑圧されていた人々も自分らしく生きられるんでしょ。みんなが幸せになって、めでたしめでたしと。
本来の目的は、差別主義者をコテンパンにすることじゃなくて、みんなが幸せになることでしょ。
で、最初の「差別する人もいるのが多様性」ってのに立ち返ると、たしかにそれは多様性だけど本来の目的である「みんなが尊重されて幸せ」は達成されてないわけだろ。
多様性って言葉にひきづられて、何でだか知らねえけど「生物多様性」「遺伝的多様性」とごちゃ混ぜにした奴が、「障害者は遺伝的多様性の観点で有用なんだ」とか優生学方面に飛ぶ奴もいるし。
多様性をお題目にするからこうなるんだよ。障害者も健常者も有用であろうがなかろうが幸せになるべきというのが出発点の筈だろ。
「いきなりわけもわからず裏世界に連れて行かれたのに帰る方法とか考えないんだなぁ」
「それどころか水着に着替えて遊ぶ気満々とか緊張感無いなぁ」
「これまで散々な目にあってるきたのによく呑気に裏世界の海によく入れるなぁ」
「前回の米軍の人たちどうなったのかなぁ」
「そのビール缶の文字、おかしなことになってるけど飲んで大丈夫なの?」
みたいなツッコミはおいておくとして、そもそもお約束のように入る水着回温泉回自体が必要かって話。物語の構成上必要性の無いサービス回はむしろ邪魔じゃないかと思った。(同じことをアニメがっこうぐらし!の水着回でも感じた)
制作上の都合を考えれば「装飾の多い服より肌を露出させた方が作画が楽」「お約束入れておけばお前ら嬉しいんだろみたいな雑な脚本が許される」「緊張続きだと疲れるから緩急を入れる」みたいな理由が予想されるけど、こういう作品に関してはむしろ緊張感が無い回の方がハズレ感強くて不要なんじゃないかと思った。
学歴しょぼいし大した稼ぎじゃないけど収入的には多分地方在住としては同年代の平均よりちょっと上くらいの稼ぎ。
こんなレベルでも、住んでる家は駅近会社徒歩圏内で良い感じのところ発掘できたから独り身としては不満ないし、
自炊だから食費も割と好きなもの食べても大した金額にはならん。
サブスクで映画見たって金は減らないし、これが全部GEOでのレンタルに代わったって金額はたかがしれてるだろう。
ゲーム買ったところで積みゲーが増えるだけだし、PCのスペックは多分これ以上上げても仕方ないレベル。
服は何年か前に無印だかのテーラードジャケットの中古品をメルカリで何着か買ってずっと着回してるけど全く不満ない。
多分服を増やしても出かける前に悩む時間が増してむしろ邪魔に感じるかもしれない。
そんな日常を送っていて月末にクレカの明細を確認するとどうにも生命維持活動費用以外にほぼ費やされてないことに気づく。
多分、趣味であるデジタルコンテンツはほとんどお金がかからないものが中心だから生活保護受給者の方がよっぽど生活にお金を費やしてるレベルだと思う。
新卒時から比べると100万以上給料上がったはずなのに生活水準も心の余裕も何もかも代わってない。
住んでる家が会社から徒歩15分の1Kから徒歩5分の1DKに変わったくらい。
いやこれもしかして200万上がったって300万上がっても、住居が1DKから2LDKに変わるくらいでその他はほぼ変わらないんじゃって、まあ多分そうだろうな。
最近そんなに欲しくもなかった低温調理器とルンバのパチもんみたいなのを買ったがタンスの肥やしが増えただけだった。
働けば給料が振り込まれて、お金を使わなきゃ当然貯金は貯まっていく。
時間とエネルギーと金だけは有り余ってるけど、余った時間にエネルギーをぶつける先がないからただただ貴重で有限なエネルギーが時間経過で蒸発して雲散霧消していくのをただ見ていくことしかできないもどかしさを感じる。
日に日に無駄に年だけとっていく自分の姿に焦燥感だけが強くなる。
こういう余ったエネルギーとかお金って本当は愛する女性とか子供に費やすべきものなんだろうな。
子供の頃の俺は親に面倒をかけてたんじゃなくて、本当は俺が親に面倒をかけさせてあげてたんだなって、大人になってからなんとなくわかったよ。
本当は、一人で生きていけないか弱い女性を扶養するだけの都合のいい理解のあるATMでもいいから、誰かのために生きる人生歩みたかった。
自分は、何者にもなれなかった。
騎士の格好して剣で殴り合うっていうスポーツ化した向こうの剣道みたいなやつで。
そこから個人戦を見てみたんだけど、向かい合った両名が剣を振りかざして鎧の頭をポコポコ殴り合ってんです。
そんで、効果ないなと思ったんでしょう。いきなりタックルに入って(!)
これ西洋鎧着たMMAじゃないかと。もう鎧着てる意味がないんです。
鎧の隙間から刺しても危険なのでできないし、禁止されてるんでしょうね。
こんなのもう念慮せざるを得ないわけで。
騎士のことをですよ。
もうなによと。
もうなんにょ。
騎士念慮。
で、団体戦もあるわけです。
これがまた念慮の塊で。
集団戦とはいえ戦争の模擬ですから、仁義無用のデスマッチ感が出てくるんです。
最初は入り乱れて剣で叩きあってんですけど、そのうち人数が減ってくるんですね。
そんで、片方のチームが個人を羽交い締めにして、残りのやつをの腹を剣で殴り始めるんです。
殴られたやつがオアフッとかいいながら、しんどそうにあえいでるわけです。
一昔前のコントか! と。
終盤はスポーツ性まるでなしですよ。
こんなのねえ、念慮しないわけにいかないでしょ。
もう試合にならんねんよ?
ならねんょ?
騎士念慮。
これ漫画とか映画とかの話なんだけど、過度のディティールってのはエンタメにとってむしろ邪魔なんだよね。
小説で言うと、「車から降りた」って言えば済むものを、「取っ手を引いて、ドアを開けて、そっと地面に降りると、叩きつけるようにドアを閉めた」とか言い出すとやはり字幅を取るし、字幅ととった分読みにくい文章になるし、テンポが悪くなる。車の降り方がキャラクターの性格描写やストーリー進行に関係あるなら、もちろん描写すべきなんだけど、メインの進行に関係ない細かいことは基本的に省くべきだとされている。
メインの面白さに関係ない要素だったら、生活表現はただの「縛り」になってしまう。
ただのメインの面白さにとって必要ない数字をステータスにぶち込んで、それを生活表現にしてしまうのはやめたほうがいい。
でも逆に言ったら、ゲームは詰め込める容量が漫画や映画よりも圧倒的に大きいので、生活を面白さの一部としてデザインすることはできるんじゃあないのか。
ff15はキャンプで飯が食いたいがために美味しそうなご飯のグラフィックに凝ったわけだけど、あれなんかはグラに凝ったり釣りに絡めたりすることで、キャンプ自体がメインを面白さだぞ、そうするぞっていう方針だったわけだしな最初から。
あと思いついたのは、ブレワイだな。あのゲームは実はマックス回復さえ作っておけば他のアイテムのために料理をする必要はないわけだけど、大量のレシピが用意されている。レシピをみつけることが、あのゲームがメインの面白さにしてる世界探索の一部だったから、それで成り立っているし必要だと思える訳だね。
なんかそういう事を考えるべきなんだと思う。