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はてなキーワード: 多神教とは

2019-09-30

anond:20190930144322

奇跡がある世界ってだいたい多神教世界観になってて、

ある神を信じなければ地獄に落ちる(その神以外を信じてる奴も地獄に落ちる)ということになってないからじゃない?

信じないことで無条件にデメリットを被ることがない。

 

あと神を内心で信じるだけでノーリスクメリットが得られるならともかく、そうじゃないじゃん。

神の信徒となって奇跡を得ようとすれば、行動になんらかの制約がかかる。

ファンタジー典型的なやつだと神官戦士武器として刃物をつかってはいかん、みたいなやつ。

 

ならリスク・リターンのバランスを考えて、奇跡を得られなくても信心深くない人間が出てきてもおかしくない。

2019-05-23

anond:20190523112330

創世記9:1により人は善で9:2により人が王で9:3により前項2つの達成のため殺戮が免責されるんやで

多神教徒は9:1と9:2を持たないから9:3の否定は虚無になる

創世記とは / ヴィーガニズムに関して

創世記』(そうせいき、ヘブライ語:בראשית、ギリシア語:Γένεσις、英: Genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教キリスト教聖典で、イスラム教啓典である聖書旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセ著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98

9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。

9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。

9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。

9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。

9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合わたし賠償要求する。いかなる獣から要求する。人間うしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。

9:6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。

9:7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」

http://www.bbbible.com/bbb/bbbge092.html

 日本ではあまり知られていないことだが、ユダヤ教キリスト教イスラム教聖典を共有している。最も古いのが紀元前1300年頃から形を取り始めたユダヤ教で、そこから分派した新興宗教としてキリスト教西暦0年前後に成立している。イスラム教は少し下ってやはりユダヤ教徒の勢力圏で610年頃に成立している。よく「一神教」「多神教」とぼかして言うが、「ユダヤ系」「それ以外」とも言える。

 イスラム教においては創始者ムハンマドの預言が絶対、預言を正確に記したコーラン記述絶対信徒は肉についてイスラム教徒の指定する処理を施したものしか食べない、といったことはよく知られているが、彼らは『創世記』を含む旧約聖書も「異教徒不正確な複写を含んではいるが、われらの神からの預言であることは事実である」というような立場をとる。上の引用はその『創世記』9章による。これは「ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が概ね一致して『定義であり正しい』として受諾している文章なのだ。「生殖は正しい」「獣・鳥・魚は異なるものである」「獣・鳥・魚は人間に与えられた所有物である」「『青草』は『動いている命あるもの』ではない」といったところは(それぞれの宗派において個別解釈明確化されているであろうことはさておき)否定されざるものなのだ

 狂信的ヴィーガニズムドグマは要約すればGenesis 9:1を達成する目的において9:2を根拠に9:3を辞退する、というものだ。彼らの議論は9:3を権利と捉えるか規範と捉えるかとか、そんな辺りであろう。その主張に対して「生殖が正しいとは決まっていない」「人間には農業をする権利などない」「野菜や草やプランクトンにも牛や豚と同じ命がある」と根本から9章丸ごと吹き飛ばす批判を返しても、「すべての宗教が数千年に渡って同意してきた前提に対する批判であり、到底承服もできないどころか、議論する下地すら作れない。笑い飛ばす以外に対処法がない」という対応しか得られないのである。それが正しいか正しくないかではなく、彼らは「俺は旧約聖書信じてないよ」という発言には対応ができないのである

 そしてここは日本であった! ヴィーガン対応ができず成すすべもなく文の壁を立て(彼らの言語には"wall of text"という表現がある)嘆くのみなのであった。旧約聖書先生次回作にご期待下さい(完)

2019-04-02

anond:20190402203922

ムハンマド泥棒したら手足切断やで」

ムハンマド結婚前におまんこしたら鞭打ちやで」

ムハンマド不倫したら石打死刑やで」

ムハンマドホモ石打死刑やで」

ムハンマド「女奴隷となら何人でもおまんこしてもええで」

ムハンマド「妻なら幼女おまんこしてもええで」

ムハンマド「嫁が言うこときかんなら殴ってもええで」

ムハンマドイスラム教から改宗したら死刑やで」

ムハンマド多神教徒は見つけ次第殺せ」

2019-03-20

私はシャルリーだが、私はムスリムではない

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俺は日本人なので行進には参加していないが、当時シャルリーエブド襲撃事件に心を痛め、その気持ちは今も変わらない。

それは対象アッラーであれヤハウェであれ現人神であれその他諸々の多神教の神であれ、瀆神の自由はあると信じるからだ。

殺された無辜ムスリムにはもちろん同情するが、その心情は同列ではない。

私はシャルリーだが、私はムスリムではない。

2019-02-22

キリスト教教会に行きたいんだけど、どうしたらいいん?

俺は普段神社で働いてる。

宗教施設で働く者としてキリスト教勉強もしたいんだけど、いかんせん周りにクリスチャンがいないからどうしていいかからない。

神社仏閣みたいにいつでも空いてるもんなのか、アポイントとったほうがいいのか、多神教信者だけど受け入れてくれるのかとか色々不安

前、インターネット牧師と喋ったことあるんだけど「キリスト教を信じない者は救われない」とか言われて排他的宗教なのかな?って思ってる。だから怖い。

でもちゃんキリスト教勉強がしたくて、牧師と会って喋りたいんだけど、どうしたらいいんだろう?

2019-02-16

anond:20190215025133

ヤハウェという名前起源シナイ山の神で

アッラーという名前起源カーバ神殿主神

両方とも多神教の中の一つを唯一神名前にしてたはずやで

教義上同一の神とか言ってるけど起源は違うし

そもそも世界創造主としての唯一神の名でもなかったんだよなあ

2019-02-15

anond:20190214144735

多神教的には

神が神を否定した所で

はぁ?お前が神なのは構わんが他の神を否定する資格ねーからすっこんでろ

一神教の神は心が狭くてやんなるわー神のくせに懐せまいわーひくわー

くらいのもん

2019-01-18

神様っぽい女の子名前

何かねえかな

全知全能の唯一神じゃなくて多神教の神の内の一柱

大した力は持ってないくせに偉そう

みたいなイメージ

2018-11-16

anond:20181116191502

創作宗教なら有名なものが沢山あるんだけどね

クトゥルフ神話

ハワード・フィリップス・ラヴクラフトに端を発する小説を中心とした架空神話

後の時代創作に大きな影響を残す

一神教文化を背景としたおぞましさを表現している傾向が強く、多神教文化圏では理解しにくい部分もある

日本創作にもよく引用され、クトゥルフ神話を題材とした作品アニメ化されたりもしている

GNU

リチャード・ストールマンに端を発するGNU宣言の後に誕生

フリーソフトウェア運動支持者は狂信的なものもおり、時にその思想から内外で対立することを宗教戦争として揶揄したことからGNU教というジョークが成立

リチャード・ストールマン本人も聖イグヌチウスと名乗りコスプレ披露したこともある

空飛ぶモンスタースパゲッティ

日本ではスパモン教とも略される

北米公教育において進化論と共にインテリジェント・デザイン説(知性ある何かによって生命宇宙の精妙なシステム設計されたとする説)の立場も教えなければならないとする議案に対して、反発する意味を込めて成立した

このインテリジェント・デザイン説の立場とは事実上キリスト教徒立場であり、信教の自由があり為政者特定宗教を贔屓するのは良くないとする学生たちがキリスト教パロディ宗教としてスパモン教を作った

スパモン教徒は「平等のため、スパゲッティモンスター人類を作ったという説も学校教育で教えるべきだ」と主張した

後にオランダにおいて宗教団体として受理され、(神前式のノリの)パスタ婚式も行われた

ツンデレ神釘宮教

日本女性声優釘宮理恵ファンによるサークル性質を持つ創作宗教

ヤマグチノボルライトノベルであるゼロの使い魔に登場するルイズフランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールアニメ版ゼロの使い魔釘宮理恵が演じたことにより釘宮理恵ファンが爆発的に増えたことを由来とする

釘宮理恵の演技に虜となった者を釘宮病揶揄し、釘宮病罹患者はほぼツンデレ神釘宮教信者と見做される

海外日本アニメファンにもKugimiya DiseaseもしくはKugimiya Byouで通じる

(追記)

とろ弁天信仰

東京都八王子市日吉町所在する寺院了法寺住職オタクカルチャーファンだったことにより、了法寺萌え看板を設置したことにより注目を浴び、イラストレーターとろ美デザインとろ弁天作成された

とろ弁天モデルは新護弁財天であり、了法寺自体日蓮宗派ではあるが神仏習合の色を残しており弁財天が祀られていた

2018-10-09

イスラム擁護派、コーランまり読んでない

コーランには棄教者・多神教徒の殺害女性差別同性愛差別家庭内暴力正当化する章句があるのに

なぜ読んでないか過激派するとか思ってるんだろうか

911アルカイダ金持ち高学歴の人だったし

2018-10-08

女はイスラム国多神教徒みたいに性奴隷にされてないぶんだけありがたいと思えよ

ほら、日本人に産まれて嬉しいだろ?

2018-09-09

因果応報という宗教感覚

日本無宗教ではなくて多神教である、ちまたにあふれる宗教イベントを見よ・・・と思っていた。

最近もう一つ気になる事があって仏教の影響だ。

因果応報という仏教思想は意外と日本人に根付いているのではないか?思うことがある。

いじめっ子の子どもが他の子に虐められるのが因果応報というようなコメントを見てのことである。(日帝の子孫には何をしても構わないという反日の人を笑えない)

因果応報辞書で見てみよう。

https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E5%BF%9C%E5%A0%B1/m0u/

いんが-おうほう【因果応報】の意味・使い方

出典:新明解四字熟語辞典三省堂

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。

よく見ると「もと仏教語」と書かれている。

元だろうと現だろうと、行為善悪に応じて、その報いがあるという目に見えない法則というのは宗教的に感じる。

宗教的な感覚を抜きにしたら、あるべき姿や善悪に関わらず起きることは起きるという当たり前の思想になるのではないか

例えば逮捕されなかった殺し屋未来幸せ人生か不幸な人生かは分からない。それを、人を殺したら後で自分自身が苦しむという法則で見なすの因果応報という事だろうか。

これはやはり宗教的な考えではないだろうか。

因果応報という考えが嫌いとか嫌いではないとかそういう話をしたいわけではない。

日本信仰自由が認められているのであって、因果応報共通認識である保証はどこにもない。

だいたい、諺のような類いは正しいのかどうかさっぱり分からないようなものがいくつかあるのだから

2018-05-20

現代日本政治に間接的に関与するのは,馬鹿人間になるのでやるべきではない

現代日本政治に間接的に関与するのは,馬鹿人間になるのでやるべきではないというのが事実だ.

テレビを見ていると,基本的に時の政権極悪人であるように考えるようになり,普段の会話でも政権批判をするように改造される.実際は,良い面も悪い面もありまたどうにもならない制約の下で政治運営されているにすぎないのに,私利私欲で動いているように誤解してしまう.その辺の友人に自分の考えを語っているうちはまだ生暖かい目で見られる程度だがだんだんエスカレートして,デモに参加したり集団に属するようになると,もはや論理の飛躍視野狭窄を抱えたおかし意見を言っている獣となる.

テレビを避けネットに染まると,今度はネトウヨになる.これも行き過ぎると差別主義者になる.ネトウヨへのあまのじゃくからサヨクになると,言動のひどさは変わらないが思想が違う獣になる.

というわけで政治に対して間接的に関与すると,本来政治の実務ではなくて思想面のみにとらわれるようになる.難しい問題だ.かといって関わらないと若者政治への無関心が良くないとか言われる.

から結局日本人多神教みたいな感じのスタンスでいるのが一番良い.理想を求めると新興宗教にはまった人間みたいになるから

2018-05-08

anond:20180508122253

少なくとも二人は神がいるので、多神教宗教だとわかる。多神教古事記でもギリシャ神話でもわかるように、クズエピソードが多くなりがちなのでおかしくない。

2018-03-16

anond:20180316123006

倫理観モラル宗教ではなく、簡単にいうと学校と親で作られてるね

まあ、霊的なものとしては日本人何だかんだで賛成反対問わず天皇重要性を認めてるところがある

実は日本多神教精霊信仰と言われてるけど、ぶっちゃけると天皇の1神教

天皇だけは他の信仰と同列に語るやつがいないのと未だに天皇制が続けられてるのが暗に示してる

2018-02-02

アニメ教」に入ってる奴って本当にいるの? ※追記あり

聖典はなに?神はなに?アニメ信者たちは宗教に定められた通りに日々を過ごしているの?アニメが説いた教えが、アニメ信者たちの考え方や価値判断倫理観の「根底に」存在しているの?

あのなお前らいい加減に文化宗教って言うのやめろ気持ち悪い。確かにアニメはお前らをクソッタレ生活から救いだしたかもしれんが、それはお前とアニメ関係だ。他人アニメに救われたかは当然わからない。お前が救われただけで宗教って言うのはまさしくお前自身エゴだぞ。

人間関係いからって理由宗教やめますとか言ってるやつはそもそも宗教の入口にすら立ってないことを理解しろ宗教ってのはその人の考え方や価値判断倫理観を築き上げていく土台なんだ。「人間関係」って基準の元、作品から価値を見いだしてることについて、あべこべだと感じたことは本当に一度もないのか?

もう一度言う。「アニメ教」に入ってる奴って本当にいるのか?なんだかよくわからないけど抗えないシステムを「宗教」って呼んでるだけなら今すぐやめろ。そして腐った頭でそのシステム名前を探して見せろ。

追記

多神教とか言うやつはあるアニメをクソアニメとけなしつつ別のアニメを良作と褒め称えてることをどう考えているの?それとは別に全てのアニメを恐れ崇め奉っているの?

2017-12-25

anond:20171225103202

単一民族というのがそもそも違うと思うよ。いわゆる多数派日本人だって南方民族北方民族ミックス。

学生時代に教わってたイギリス人先生曰く、日本人宗教観ヨーロッパ的な世界観で見れば

東南アジアから続くアニミズム多神教的)な側面がかなり大きな要素だと感じるみたいだったよ。その上に、大乗仏教的な「規律」が乗っかってきているという感じ。

2017-12-20

劇団 竹の公演『人形を殺す』を見に行った記録

ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。

というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。

(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)

キッカケは、

  https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

この劇団で。

でもって、出演していたキャスト新宿ゴールデン街バイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。

いろいろと話も聞きたかったし。

.

そしたら、その女優さん。

舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。

思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。

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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)

そして、ちょっと前に劇場に行ってきた。

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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。

随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。

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■全体として

いろいろと語りたいことはあるけれど。

まずは。

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      まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。

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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。

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全体のアウトラインとしては。

(もう公演も終わったことだし、ネタバレいいよね?)

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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子ミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。

子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。

回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。

すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。

.

という感じ。

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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。

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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。

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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。

命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。

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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。

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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。

そこに、キリスト教ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……

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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!

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これまたベタワードだけど、他に形容のしようがない。

(どうしても想像が及ばない人は、ここで、

 “もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族自己修復ドラマ

  お得意の悪夢タッチケレン味タップリに撮ったら”

 というのを想像してみてください。

 当たらずといえども遠からずのはず)

.

うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。

「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」

というのがテーマ

そして俺、爆泣き。

.

そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。

.

まず、基本はダイアローグ(1 on 1のトーク)。

モノローグでもポリローグでもなく。

回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグカウントする)

ストーリーライン全体は

.

 隠し子ミツルと長女ツグミの対話

 ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、

   育まれてきたミツルの姿が明かされる

      ↓

 ツグミと長男シュウタの対話

 ーーいまではヤンママシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発

      ↓

 シュウタと連れ子ヒデフミの対話

 ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、

   ここでシュウタの最大にして最後の働きかけが大爆発

.

という大枠の流れに、回想シーンとして

 ・父フトシと母ノリコの外食

  (後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)

 ・フトシとヤスコの逢瀬

 ・堕胎をうながす継母サダコと反発するツグミ

 ・夢の中でシュウタに、出奔という自分ギリギリの選択を明かす母ノリコ

.

といずれも1 on 1。

対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。

(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)

.

というわけでダイアローグ主体の作劇なので。

最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオ後日談が語られることで代替されている。

というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。

.

ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

俺「おおっ! あなたツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」

ラムネさん「んふふ~」

.

と、明確な答えは得られず。

ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。

.

余談。

確かなことは。

無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。

ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。

余談終わり。

.

もう1つ。

ストーリーを裏から支える暗喩のレベルが。

.

 気にしなければ流すこともできる。

 気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。

.

というレベルキッチリ統一してあるのが気持ちいい。

(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)

たとえば。

ミツルツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。

ヒデフミが現在ではロザリオ製造業に努めていて、毎日キリスト十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。

.

いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。

.

そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。

冒頭、中間エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。

.

1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。

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2回目は、うーむ、解釈に困る。

シヴァヴィシュヌガネーシャブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ

BGMはタブラ4つ打ちデトロイトっぽいミニマルテクノ

ことなく、今敏っぽい。

無理して考えれば、愛人ヤスコ隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。

.

というか、ストーリーのキーアイテムがいくつかあって。

1)キリスト教

家族システム自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。

.

2)多神教シャーマニズム

愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズムスピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。

.

3)フトシ人形

元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。

そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。

その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。

.

余談。

この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。

と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。

まじで何か乗り移ってね?

余談終わり。

.

ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング後日談)とスタッフロール

ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。

.

と、合計3回のビデオなんだけど。

うーむ、評価に困る。

なんというか、悪くは無いんだけど。

編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。

芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。

逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。

.

ラムネさん「あのビデオなんですけど~」

俺「おお! ラムネさん! ビデオがなんですか?」

ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」

俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」

.

観劇

で、さてさて。

終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。

.

俺「グスン、あ、あの、最後後日談ビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」

(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)

竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。

あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」

.

え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   ズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

.

そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。

と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。

俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」

竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   またまたズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

.

なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?

.

ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」

俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」

ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」

俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」

ラムネさん「まあ、あのヒト、照れ屋さんですからね~」

.

うーむ。

いろいろと事情はあるようだ。

.

あらためて全体として

というわけで、あらためて全体としては。

.

もう、激烈に良かった!

チケット代の倍くらいのモトは取った!

劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!

という感じ。

.

キャストスタッフについて

本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。

.

  こんな気持ちのいい観劇、生まれて初めて!!!

.

映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル

舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル

フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!

サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!

後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!

.

今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?

.

ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」

.

ですよね~。

照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。

何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、

シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。

ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!

彼らにはノーベル賞ピューリッツァー賞紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。

それくらい気持ちよかった。

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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。

ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー

この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?

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ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」

俺「ふむふむ」

ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」

俺「なるほど」

ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」

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うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。

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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。

キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!

どうなってるんだ!

これ、どうやって集めたの? スカウト? オーディション

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ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」

俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」

ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

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うむ。ノーコメントなり。

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というわけで。

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■石川雄也(フトシ)

一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。

コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル

回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。

劇団竹に所属

地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。

上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。

もっといろんな所で見てみたいと思った。

いやだから見世物小屋の司会とかじゃなくて!

(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)

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■森川武(シュウタ)

長兄ってツラいよな。

いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。

そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。

それは、

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 神はどこにいるのか。

 それは天上界でもオリュンポス山でもない。

 神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する

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ってこと。

わからんけどね。あくまで俺の解釈)

ツグミの嘆きを受け止める。

そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。

ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。

そして俺、爆泣き。

劇団竹に所属

こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。

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ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」

俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」

(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)

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■江花実里(ツグミ

劇団 架空畳に所属。通称ラムネさん。

あれ、おっかしーなー。

つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。

いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンシンママだよ。

彼女の後悔の号泣からストーリーが本格的に回転し始める。

しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。

最初はミツル人生を聞いたとき。

次に自分人生を振り返った時。

最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。

役者ってすっげーな!

でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。

でも、それでいいと思う。

この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。

あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。

「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。

これが彼女のミッション

いや、実に良かった。

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■辻村尚子(ノリコ)

フトシの最初の妻。

夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。

舞台が2018年の設定なので、旦那事業の立ち上げ期が80年代末。

キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの

なんかW浅野時代の浅野温子が乗り移った感じだった。

彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。

つまり天丼なんだけど、

なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。

なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。

劇団 竹に所属

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■大森華恵(サダコ)

フトシの後妻。

うつ病で自殺。

なんというか、いろいろと痛ましい。

(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。

この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。

2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。

そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。

ここでも天丼(繰り返し)が重たい。

なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。

クレジットがないからフリーの役者さんか?

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ところで、ストーリーに挿入される白装束ダンス

石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。

ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。

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佐々木光弘(ヒデフミ)

子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。

わかる。

そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後キャッチボールを決別の儀式として実行する。

と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。

キャッチャーシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。

おそらく板に座布団とか、そういうギミックボールを受けているはず。

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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」

俺「おいマジですかい?」

ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」

俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」

ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」

うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。

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空飛ぶ猫☆魂に所属

みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。

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■森川結美子(ヤスコ

沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス

なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。

ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。

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■山川恭平ミツル

フトシとヤスコの子供(つまり隠し子)。

鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。

朴訥。

観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。

それも当然で。

俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。

キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。

父フトシのハグ。

彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。

この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。

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んー、こんな感じか。

ともかく、全体としては。

この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。

次の公演にも注目して良いです。

自分もそうするし。

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2017-12-09

日本宗教って多神教なの?

キリスト教の神(GOD)と日本の神は違うって常識だよね

GODを「神」と翻訳するから混乱してるけど

日本宗教GODに相当する存在が無いって根拠あるの?

存在しない」ではなく「語られない」だけじゃないの?

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