はてなキーワード: 絶滅とは
出来るよ。何度も同じ無実の罪で捕まる気が全くしないからな。
話すり替えんなよ。
「気がしない」じゃなくて捧げてくれよ?
物証無しでの「痴漢」認定を提案するのは、無実無関係の男性に汚名を着ることを要求してるのと同義。
拘留とマスメディアはともかく、名前やソーシャルで人が殺せるなら、ましてや君の言うように、女が男を陥れるためにありもしない痴漢被害や冤罪をデッチ上げてるとするなら、とっくに日本の男など絶滅してると思わんかね?
ソーシャルで、しかも本人が特定できる状況で「性犯罪者」扱いされても君は少しの信用も失わないの?
でっち上げを全員が全員やってるわけでもないだろうし、加減しないと叩く相手が居なくなるからチマチマやってるんだろ。3200件のうちどれだけが冤罪が知れたもんじゃない。
それはまあ、屠殺場を即刻閉鎖するのは無理だよね。働いてる人もいるし。
(代用肉が安くなれば自然とそうなるという楽観視がないわけではない)
それもある程度同意できる。
人間は野生から始まって、炭水化物に依存した状態など、様々な栄養上の問題を克服してきたし、産業としての食肉文化から脱却することは可能なはずだ。
これは端的に事実だけど、同時にこれを理由として食肉文化に倫理的な利点を見いだすのは、マッチポンプであろうとも思う。
人間は家畜化した動物たちに明確な責任がある。彼らを野生状態に返すべきではないだろう。
一番の問題は、「食べるために殺す」ことよりも、「殺すために産まれさせる」ことだと俺は思ってる。
あと飼ってる猫とか犬に肉をあげないのはやめたほうがいいと思う。
それはそう。ジビエとか狩猟を俺は否定しない。交通事故で死んだシカとか、むしろ食ってやったほうがいいと思う。動物愛護系のヴィーガンには狩猟をやめろっていう人もいるからややこしくなるけど。
あと、野生の大型動物による生態系の破壊は、そもそも人間がその土地のバランスを崩したために起きてる場合が多いはず。
ヴィーガンは人間の幸福を減ずることを推進しようとしている。すなわち、人間の幸福を軽視している。なぜそうなのか? 貴方がたがありのままの人間を愛せないからだと思う。
他の種を搾取することによる一時的な幸福は正しくないし、必ず代わりが見つかると思ってる。
それはわからないし、ありのままの人間でいたいのもわかるが、そうするには人類は進歩しすぎてると思う。
ペット虐待反対運動なら、俺も賛成するよ? フェイクファー推進や象牙禁輸もまあゆるすわ。しかし社会的な肉食の禁止とは!自分と自分以外の他者の人生を嫌悪してないとその発想は出ないんじゃないか。
その間にあるのって「自分に利益があるかどうか」だけじゃない?
他の人のことはわからないけど、俺はハンコ作るために殺されるゾウは減ってほしいし、死ぬために生まれるオスひよことかにも減ってほしいよ。家畜たちにも幸せになってほしいんだよ。
>>無理である。
>努力はすべき。
よろしいでしょう。そこは同意できる。
強いて言えば、可能であるかどうかの線引きはしてくれないと困る。例えば「屠殺場の閉鎖」などという主張はダメだ。今はまだ代用肉の開発までにとどめてくれ。
>>失われるものが大きい。
>それが何かわからない。
まず人類の健康である。大豆とサプリ食ってればタンパク質は足りる、などという主張は「毎日20キロ走れば毎食マクドナルドでも太らない」に近い欺瞞だ。筋肉は健康の資本であり、ヴィーガン食は筋肉を減少する。すなわち健康を害する。
あと文化である。言うまでもなく料理は文化の重要な地位を占める。子牛が使えないフランス料理、寿司が食えない日本料理に何の意味が?また、代用食がそれらを担えるというのは楽観的すぎる。ハンバーグやサラミや溶けたチーズの代用食なら、まあ100年もすればできようが、しかし刺身は無理だ。分子アセンブラが必要なレベルだ。
そして上記二つによって重要なものが毀損される。人類の幸福である。
>>苦痛が消えない。
>そうだが、やる価値がある。
一定の同意が得られたが、ここでも程度問題で認識の違いがあるように思われる。「恐れ」ではなく、殺さないことで明確に新たな苦痛は生まれる。
例えば、蚕という虫は、いまや人間に家畜化された状況でないと生きていけない生物であるとして有名だ。実は多くの家畜というのはその水準に達している。牛、豚、鶏卵らは、野良に放されればたちまち絶滅する。
あと、兎、鹿、猪、熊、象、鯨などの生き物は、むしろヒトが狩らなければ生態系を破壊することがよく知られる。
>違うし
違うともちろん貴方がたがは言うであろう。
これは僕の持論だ。先に述べたように、ヴィーガンは人間の幸福を減ずることを推進しようとしている。すなわち、人間の幸福を軽視している。なぜそうなのか? 貴方がたがありのままの人間を愛せないからだと思う。
特に、今回やようなデモで極端な主張に走る人たちはそうであるはずだ。ペット虐待反対運動なら、俺も賛成するよ? フェイクファー推進や象牙禁輸もまあゆるすわ。しかし社会的な肉食の禁止とは! 自分と自分以外の他者の人生を嫌悪してないとその発想は出ないんじゃないか。
なぜなら、まず無理である。
全ての苦痛が取り除けるなんて主張してなくて、「苦痛を減らす努力をしよう」と言ってるんだよ。
それは何?
もちろんそうだ。というか、苦痛が消えて無くなるなんて思ってない。
でも少なくとも今ある苦痛の幾らかは減らせるはずだし、それはいいことなんじゃないのか。
これはさすがに違うってわかるよね?
歴史を通して、人間は殺生から自由になろうとしてきたし、同胞を殺すことからは(ようやく)脱却しつつあるよね?
あなた方が本当に望んでいることは人間を地球上から絶滅させることであるから、その試みに譲歩することは倫理政治的に否定されるべきである。
我々は植物共がまき散らした毒物を利用して生きる!これは植物との戦いなのだ。
空気中に大量の酸素を放出して大絶滅を引き起こした生物に対するレジスタンスである。
飼育、屠殺は動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる
同様の理由で動物を利用する衣料品や医薬品を使用するべきではない わかる
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意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わからない
ここに一つの壁がある
狩猟された肉や魚を食べないのはその動物が絶滅する恐れがあるからであって、
肉食動物と同じように狩猟して肉を食うことに倫理的な問題はない
狭いところに閉じ込めて移動の自由を与えず、生まれたばかりの親子を引き離し、食べたくもない餌を大量に詰め込まれ、
生殖の自由を謳歌する前に殺されることがシステム化されているからだ
そしてなぜ植物食が許容されるかというと、植物の命を奪うかどうかではなく、
作物を育てて食べることが彼らの苦痛につながらないと判断できるからだ
もちろん植物の主観など分からないが、植物の生態系から論理的に考えればそうなる