はてなキーワード: 慶應とは
金がある奴が行くのは慶應と早稲田。あとは地方旧帝とMARCH系医学部。
東大は教育に金かけてるやつが多いかというとそういうことはない。そりゃ地方から東京に子供をやれる程度の余裕は必要だけど、実際は奨学金とかバイトとかで学生はキツキツだよ。卒業時に数百万の借金をこさえてるやつも何人もいる。また、東大は学部入試受けてないから何とも言えないけど、問題の質としては予備校で金かけるよりも地頭を問われてるように見えたけどね。早稲田と慶應はその点、いいところのボンボンが多いし、問題も無駄に凝ってるから予備校での対策が効いたかも(すくなくとも10ン年前に理工学部に入った経験からすると)。
ちきりん(ID:Chikirin)は個人情報をほとんど出さないことで有名で、その正体はいまだ謎に包まれていますが、東京都内の国立大学法学部出身ということは、自ら明らかにしています。
しかし、東京都内に国立大学法学部は(ア)東京大学法学部と(イ)一橋大学法学部の2つしかありません。
そして、関西出身のちきりんが一橋に行くことは考えにくいので、一部では、東大(法学部)卒ではないか、という憶測が流れています(http://anond.hatelabo.jp/20111126194612、http://anond.hatelabo.jp/20111126194612など)
ちきりんは、医師の父に関心を持ってもらうために、「医療過誤の刑事責任」という卒論を書いたそうです(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110210)
法学部というのは、一般的に、卒業論文が必修ではありません。東大法学部も卒論は必修ではありません。
もちろん、東大法学部でも、自主的に卒論を書くことはできますが、わざわざそんな面倒なことをする人はほとんどいません。
さらに、ちきりんが表明する一橋大学への見方は、常にバカにしたものです。
(例1)東大京大は一流企業並の時価総額並の価値があるし、慶應にはブランドがあるが、東工大と一橋は大した値段はつかない(四大学連合の東工大がとばっちりを受けている)(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100318)
(例2)「国立大学の統廃合私案」として、一橋大は民営化するか、慶應に身売りするのも悪くないと提案(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090303)
(例3)一橋大学は知名度が低いから、東京にあることをわかりやすくするため“東京一橋大学"に改名しかねない(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080906)
しかし、普通東大出身者は、一橋大学を表立ってバカにしたりしません。
もちろん、東大出身者の中には、内心、東大以外の大学の出身者をバカにしている人が、結構な割合でいるのは事実ですが、ちきりんが「許される方向、許されない方向」(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120827)でいうように、「世の中には(もしくは私たちの深層意識には)、対象物のどちらが上でどちらが下かというヒエラルキー意識があり、下が上を馬鹿にするのは“許される”が、上が下を馬鹿にするのは“許されない”と考えている人が多い」ため、そのような言動はタブーになっているのです。
ちきりんのブログはリアル知人も読んでいるそうですが、日本の証券会社を経て、外資系の会社で働いていたちきりんの知人の中には当然一橋大出身者もいることでしょう。
そのような知人も見ているブログで、一橋大をバカにすることができるのは、一橋大出身者だけです。自虐は許されるのです。逆に、東大出身者が一橋をバカにすることは許されないことです。
かわいそうに、研究室にこもってしまって、価値観が凝り固まってしまったんだね。
これから研究室の外に出て行って、色んな人と話をして、多様なものの見方を身に付けるといいよ。
まず、あなたが言っているリファレンス通りに実装すればいいだけ、というのは、正直僕も同感だ。
まぁ、だからなに?っていう話なんだけど。
次に、大概のITベンチャーが発想だけで、技術的にはあるものを組み合わせて出来るものだからクソっていう話なんだけど。
これは、正直、問題にするべきところを完全に間違えているよね。
技術って、あくまでツールで、目的を達成するために使うものでしかないんだよ。
技術的に幾ら素晴らしいことをやったとしても、その結果為されたものが下らないことならば、それは下らないという評価を受けることになる。
慶應の人たちは、技術的にはイマイチかもしれないけど、新しい発想をして、今ある問題を解決しようとしていく意思があるんなら、それは良い事じゃないかな。
書くこと: 23~26歳までの私の職歴
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BだかCランクくらいの大学に入って4年で卒業。教職免許は途中でやめたので取れてなかった。
そこそこ大手のSIerに入社。色々と楽しかったりやりがい感じたりもしたが、1年も経たずに不眠や嘔吐などの症状が現れ、休職。ちなみにそれまでの人生、鬱っぽい兆候などは一切なし。明るい人間と自他共に思っていたけれどもなるときはなるものらしい。
タイトルにはニートと書いてあるが正確には休職。何もしなかったが、休職はじめた段階で、復帰したとしてもすぐに教員に転職しようと思っていたので、頭働かなくて何もしない日々の中、教員免許取得のための手はずだけはしっかりこなした。具体的には、23歳冬の段階で教育実習の申込は行っていた。(実際実習を行う2年前に申請が必要)
半年程、休職手当で食いつないで、病院からも寛解っぽいから薬止めてみようと言われ、ちょうど24歳になる頃(夏)にすぐに退職。たまたま知り合いが、IT系のアルバイトを探していたので食いつく。この仕事は自分にとても合っていて、楽しいし学ぶことも多かった。
秋から大学入学準備。1年間で教職免許を取るためには通信か特別課程のある大学に通う必要があり、教科的に通信じゃ取れなかった。首都圏で教職の特別課程があるのは慶應と工学院。どちらかに入った。
4月からアルバイト(ほぼフルタイム、但し在宅ありだったので拘束時間は長くない)しつつ、大学に通う。前期は水、金、土と通っていたが、後期は水と土午前だけ。大学自体は仕事との兼ね合いでつらいこともなかった。ただ、採用試験が夏なので、そのための勉強があるため、4月~7月はそれなりにシャキッと学んだ。
それと教育実習。その期間は仕事は一切できなかったので休みをもらった。元々、「教員になるまで」という形で雇ってもらっていたので休むことは了承してもらえた。
そんな25歳、私学適正試験と公立1つだけ受験。元々、2、3年受験し続ける予定だったので最初はあんまり受けないでいいと考えた。ところが公立の試験をあっさりパスして、採用となった。4月から公務員となる。今年で26歳になる。
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真面目真面目して生きてくると、ちょっとつまずいたときにまるで詰んだかのように絶望的な気分になったりするけれども、積み重ねてきたものは掘り出してみると案外使えます。今月までのこのアルバイト(高待遇、かなりフレックス)に就けたのは、学生時代になんとなく勉強していた英語のおかげです。受験1年目であっさり合格できたのは、大学4年間科目問わず塾講師をしていたので一般教養に強かったおかげです。以前の就活で面接等を沢山練習したのも勿論役立ったはずです。教員免許が1年で取れたのは、学部生時代に、途中で投げ出しはしたものの必要単位の半分以上を取得していて、専門の単位を沢山取っていたおかげです。
なんとなく絶望感を抱く事態になってしまったとき、自分の積み重ねてきたものを少し掘り返してみませんか。案外、いろんなものが可能性が見えてくると思います。
外部組の塾員(慶應OBのことね)だけど、SFCはやっぱり別環境の人たちという感覚はあったなあ。
三田を出た自分たちは、リスクを考えるのが得意だから保守的で、上に従うことが長期的に得だと判断するから駒としては使いやすいと思う。
ただ、リスクを考えないことは無謀ではあるけど、(一部の)成功者になるためには必要だと思うこともある。
友人でSFCから某外資の日本法人に行ってあれこれ有名なプロジェクトを立ち上げてる奴とか、きっとコンサバティブな会社でサラリーマンやってたらドロップアウトしてたはず。
都内です。
早稲田11000人、慶應7000人、東大3500人、他旧帝大+一橋+東工大+神戸大+筑波で30000人くらいかな?
良くわからないけど、確かにこの辺りの大学に入学すればそれなりに安泰だとは思う。
で、思うんだけど、それ未満の人たちは大学受験でも頑張らなかったのに、なんで大学に入学してから何もやってないのか?ってこと。
僕が大学に入学したころから、不景気と就職難は言われてるわけで、兄貴の友達とか氷河期世代だったからワープアなんて大勢周りにいた。
何もやらなければ、ひどい結果になるのはわかりきってたことなのに、なんでバイトにかまけて、ワールドカップみて騒いでるんだろう?
実際、日大とかの人でも、大学受験の反省を踏まえて簿記2級、宅建、行政書士みたいなヘボ資格とってれば銀行くらいからは内定貰ってる。
中堅以下の私大は、資格講座が凄く充実してて、教育機関としてのコストパフォーマンスは高い。
でも、彼らは利用しないんだ。
手遅れになって、4年生の前期の中頃に、あわててどうにかしてくれって駆けこむ。
暴飲暴食と酒とタバコで癌になってから医者に泣きつく感じ。わかるかなあ。
僕は、彼らが就職に前向きとは到底思えないんだ。
そういう意味じゃない。
いわゆる偏差値というものは、その言葉の意味が独り歩きし、「偏差値の高い大学」「偏差値の低い大学」というような使われ方をしている。
そういうのは本来学部学科までみるのが当然の筋なのだが、実際はもはやそういう目線はあまりされない。
つまり、慶應で偏差値の低い学部学科に入るのと、日大で偏差値の高い学部学科に入るのとでは、どうあれ結局慶應義塾に入ったことが評価される。
なぜなら、慶應は「偏差値の高い大学」で、他方日大は「偏差値の低い大学(バカが通う)」というイメージが強いから。
親や高校も、生徒がやりたいことをさせることより、「どの大学に入ったか」を重点においている。「どんな研究をしたいか」なんてのは、二の次だ。
というより、どんな研究をするかなんてのは贅沢な悩みとみなされていると言っていい。