はてなキーワード: 念仏とは
駅伝で体が動かなくなったのに四つん這いで必死にタスキをつないだ選手の話、
どの記事のブクマだったか「選手の素晴らしい闘志に感動した」などと書いてるのがあった。
これっていわゆる感動ポルノそのものなんだけど、いくつも星がついてて、こんなふざけた奴らが複数でいるかと大いに笑えた。
自分一人だけなら将来のことを考えて棄権するところを、仲間がいるから棄権できず無理を通さざるを得なかったのに
実情も知らない、ろくに運動しないような無責任な奴らが、なぁにが「感動した」だ、バーカ!
駅伝に限らず、常に故障の危険と隣り合わせなスポーツ選手はいっぱいいて
客が勝手に抱く期待という圧力、そして仲間内で足手まといになるわけにはいかないという圧力が彼らを故障まで追い詰める。
もちろん、そんな圧力に負けない鋼の心の人たちもいるかもしれない。
だけど、真面目で努力家の選手たち、特に集団スポーツ選手達は多かれ少なかれ、
そんな圧力に晒され、精神的に圧迫されている事を隠してそのスポーツに打ち込んでいる。
一見優雅そうに見えて水中で必死に足びれ動かしてる白鳥のように。
上記のブクマを見た時に頭に思い浮かんだのは、特攻隊に感動する人たちのことだ。そっくりじゃね?
この度、ひっでぇ題名の(よりによって「紀」を使うか?!)本を出版される嘘八百田さんが思いっきり美化しまくった本を読んで感動する奴ら。
他者からの圧力で命を懸けざるを得なかった他人の行動に「素晴らしい」「感動した」とか言ってる奴ら、
ぜひとも「素晴らしい」「感動した」と大いに褒めたたえて差し上げ……たら奴らと同じになるから、念仏の一つでもあげて差し上げるさ。
「出家して俗世を捨てて厳しい修行をしたり、たくさんある戒律や律法を守ったりすれば天国に行ける」という思想には納得感があるけど、古代や中世の日々の生活で精一杯の厳しい世界でそうした生き方ができるのは、お金持ちや高位聖職者だけというのが現実だった。
つまり難行系の教義だと、お金持ちと高位聖職者しか天国に行けないということになりがち。ということで、「○○するだけで天国に行ける」という教義の分派活動が生まれる。
キリスト教が「○○しろ、○○してはいけない」という定めがほとんどなくて、神を信じさえすれば救われるという教義なのは、当時のユダヤ教が律法重視のファリサイ派が主流派で、それへの改革運動がイエス・キリストの活動だったから。
もっとも、カトリックがあれこれ定めを勝手に付け加えたので、ルターがまた軌道修正せざるを得なかったけど。
「ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)
働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。
でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら
おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。
はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」
念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)
心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。
だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」
「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。
昔親友だった。
今は縁を切られている。
きっかけは私の妊娠。不妊で悩んでいて、先に妊娠した妹も疎んでいた。
彼女は20年前に上京して東京に住み始めてからおかしくなった。
昔はどちらかというと自分で何かを作るタイプだったのだが、物に囲まれたらあっという間に自分を見失ってしまった。
きらびやかな物で自分を飾り立てることに執心するようになり、一時は高額化粧品の販売員になったりしていた。
親友のよしみだし、ノルマの達成のためにと付き合いで何度か買ってやった。美顔器を勧めてきたあたりで買うのはやめた。
そのうちに、よくあるパターンで紐男と付き合い出し、結婚ステータスが欲しかった彼女はその男とは別れ、今度は社長クラスと付き合って結婚したいと考えるようになる。この時期私は凡人の夫と結婚している。
いんたーねっつに詳しい諸氏は、この危うさに勘付くと思う。
羽振りのいい時期はすぐに終わった。
それで、ご主人は今や情報商材を売りつけるコンサル()に転身した。
定期的にどこかの箱を借りて、数人のアドバイザー()とともに、稼げる方法!!のセミナーを開いている。
彼女はというと、オーガニック、マクロビ、まあそっち系に走り出した。妊娠を夢見て。
この手のアレに狂い出した人はどういう経緯を辿ってこうなってしまうのか、ブラックボックスだったが、なるほどね。
今は私とは関わらない世界にいる。ありがたいことだ。