はてなキーワード: 夫婦別姓賛成とは
最初に言っておくが、俺は選択的夫婦別姓制度を導入することについては、賛成の立場である。
特に反対する理由が思い浮かばないからであるが(どうせ関係ないし…)、世間的、特に保守系の人々にはそうでもないらしい。
ここでは俺が夫婦別姓賛成に至った経緯・考え方を書き残しておこうと思う。
まず俺は、夫婦別姓を認めないのは、夫婦で別々の名字を名乗りたい人達への権利侵害である、と考えた。
俺は自分の権利が大事なので、他人の権利も出来うる限り認めないと、というのが賛成の主な動機という訳だ。(さらにオタク・KKO・非モテである俺が夫婦別姓に賛意を示すことで、その筋からの叩きが減るという寸法よ)
ただ、(今の状態は)権利侵害だから(夫婦別姓は)当然認められるべき、という単純な話では当然ない。
極端な例をあげる。
俺が『盗みたい、殺したい、犯したい』という欲求を持っていたとする。それらの行為は俺の権利として認められるか?
もちろん認められるわけがない。何故かと言ったら諸説あると思うが、俺が考えるのは第一に、それらの行為がより重い他者の権利の侵害であるという点。そして俺に(限らないが)殺しの権利を与えた場合の、社会の損害や負担が全く釣り合わないから、の二点が大きいと思う。
要は、権利と権利がぶつかる場合はより重い方の権利侵害を解消するように動けば良いし、権利を認めることで何らかの不利益が生じる場合、権利を侵害してまで守るべき益かを考えればいい。
この考えに基づいて、俺が今まで見聞きしたことのある夫婦別姓への反対意見が、夫婦別姓を認めないという権利侵害に見合うかどうか実際に突き合わせてみる。
それはさておき、この意見に関しては別姓を認めることで生じる他の権利への侵害も社会的な損害も非常に曖昧糢糊としており、論ずるのが難しい。
まあ強いて言えば、選択的夫婦別姓は家族が同じ名字であることで一体感を得たい人達の権利を何も侵害するものではないから、敢えて認めないのは一方的な権利侵害でしかない。
よって夫婦別姓は認められるべきということで良いだろう。
これは少し難しい。夫婦同姓を選択したいのに実質出来ないというのは、まさに権利侵害だからだ。
ただ、その様な状況に陥るというのは確定した事実ではないし、陥るとしても夫婦別姓を認めることは要因のひとつでしかない。(そもそも認めたら同姓を圧迫するほど別姓が支持されてるなら法で禁ずるのもどうかという気はする)
本当に権利侵害によってしか守られない権利なのかという点も検証されていないし、起こるかもわからない権利侵害に基づいて特定の権利の制限をするというのはやはり筋が通らないだろう。
夫婦どちらかの姓を名乗らせる。子供が大きくなったら好きな方を名乗って良いことにする。
夫婦別姓を認めることで初めて生じる問題の様に言われているが、現状だって夫婦はどちらかの姓を選ばねばならず、その時点で混乱が起きているはずである。
まして生まれるかもわからない子供のために親の権利を制限しようというのは妥当ではない。
とりあえずこんなところかな。他に主だった反対意見があれば教えて欲しい。
選択的夫婦別姓論はどこまでいっても感情論でしかない。選択的夫婦別姓賛成派(以下、別姓派とする)、反対派(以下、同姓派とする)双方の主張はそれぞれ価値観の違いでしかないため、議論の土台が無い。議論の土台がないため、議論が進まず感情の殴り合いでしかなくなっている。見苦しい。そこで本増田では折衷案として強制的夫婦新姓を提案する。強制的夫婦新姓により同姓派の考える家族の絆や伝統的家族観は守られ、さらに別姓派が指摘する様々な問題を解決するための議論のきっかけが生まれる。
現状、同姓派と別姓派の争点は主に以下のものとなっている。
特に最初の2つに関しては完全にただの価値観の違いであり、まともな議論をすることは非常に難しい。後半2つに関しても同姓派からの妥協案や指摘に対し別姓派は主たる主張を持っていない。
日本の結婚・戸籍システムは家父長制の流れを受け継いでおり、そこから男女差別的な部分を切り捨てていって今の形となっている。結婚をすると、夫婦は双方自分がもともと所属していた戸籍から抜けて新たな戸籍を一緒に作る。つまり戸籍=家族ともいえる。この際にこの戸籍=家族の記号として姓を決める。本来この姓というのは家族の記号であって個人の記号ではない。一つの姓のもとに家族が集まるというのが現在の日本の家族の考え方である。つまり改姓によりアイデンティティが喪失するというのは日本の家族観からしてそもそも間違いなのだ。別姓派はこれは120年しか続いていないので伝統ではないという主張をするが、120年も続いていたことを伝統でないと主張するのは少し無理がある。
これを踏まえた上で家族の絆と姓に関して議論をすることは無意味であることが分かる。家族の絆が無くなるか無くならないかという議論はどちらかが勝つことは不可能であるから議論する意味がないのだ。同姓派が家族の絆という時、先述した伝統的家族観―同じ姓のもとに集まる者たちが(核)家族―のことを意味しているのであろう。
この家族観を維持したまま夫婦の片方だけに負担を強いない方法がある。それは強制的に新姓とすることだ。新たな戸籍=家族を作る際に全く新しい姓の生成を義務付けるといったものである。こうすれば夫婦どちらも改姓をせざるを得なくなり、名義変更のコスト撤廃へと話が進んでいくことであろう。
そもそも名義変更に手間がかかるのは旧時代の遺物でしかない。なぜ自分の姓をキープすることで社会に合わせようとするのか。社会の方を新しくするべきではないのか。同姓派の主張するように通称利用可能な法整備を進めれば最初はそれで十分ではないのか。結婚した人が全員改姓する社会になると名義変更コスト撤廃への動きはより活発になるだろう。選択的夫婦別姓が実現したところで同姓にしたい人にはそのコストは残ったままなので幸せになる人は少ない。しかし強制的夫婦同姓であれば皆が幸せになれる。どうだ。
現行の同性制度でも選択的夫婦別姓制度でもどちらにもメリット・デメリットあるし、世の中の多くの人が望む方に合わせればそれで良くない?
法制度やコストの面で現実的ではないけど、分かりやすく国民投票で決められたらそれが一番理想的だわ。
なんていうか夫婦別姓賛成派の意見も反対派の意見も、単純な数で見た民意を覆して”必ずしもそうでなくてはならない”って言えるほどの『正しさ』に依拠する意見には感じないんだよなー。
反対派の言う家制度だとか分かりやすさだとかアイデンティティだとかも、仮に賛成派が多い世の中だったらその多くの人の意見を押さえつけてまで守らなきゃいけないモノだとは思わない。
逆に、賛成派の言う、苗字変更の手間だとか圧倒的な女性の変更率の高さだとかも、究極的には夫婦で話し合って、変えるのが嫌なら自分の苗字を守り抜けば良いんだから、仮に反対派が多い世の中だったら自分の我儘に社会をつき合わせるなよとしか感じない。
どっちが便利で気持ちが良いかなー? くらいの話題に対して、さもどちらかの意見だけが絶対的に正しくてそれに反する考えは『悪』とでも言うようなテンションで議論(笑)とかしてる人たち見るとアホくせーって思っちゃうんだよね。
自分の考える理想的な制度の良さを説いて、自陣の意見への賛同者を増やそうとするくらいのノリなら良いと思うけど。
ただ、俺のうろ覚えの記憶だと、条件付き賛成みたい意見も多かった覚えがあるし、細かいルール次第では賛否の傾きも変わりそうだけど。
ただその理由も、俺は漫画も小説もアニメも映画も好きで、そういうフィクションにおいて苗字って言うのはけっこう重要なファクターになることが多いから家族での苗字統一制度はなくならないでほしいなーって思うからってだけだ。
「違う苗字のキャラが実は両親の離婚で苗字が変わっていただけで本当は兄弟だったんだ!」なんて展開や、「奴らは○○の一族……」みたいな設定も、家族の別姓がまかり通ったら弱くなっちゃうじゃない?
こんな完全に好みのレベルの意見に論理に基づく正しさがないのは明らかだ。
でも所詮、夫婦別姓問題自体が好みの問題だと思っているから、俺は世論調査で聞かれたら躊躇いなく反対と答えるし、もしも投票で制度を決められるなら堂々と反対票を投じる。
一方で、世の中の多数が夫婦別姓を望むのなら、往生際悪く自分の我儘でしかない反対意見を通そうなんて風には考えない。
この程度の問題、今を生きる人々の好みで決めちゃって良いと思うんだけどなー。