はてなキーワード: 国歌斉唱とは
ひさしぶりに気持ちの悪いコラムを読んだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110602/220377/
そもそも「日本の公立学校の」先生にならなければ、判決の影響は避けられるよね。
私立の学校で、式典で国旗掲揚も国歌斉唱もないところもあるし、
インターナショナルスクールの式典で日本の国旗国歌を強制しているわけじゃない。
そういうとこ探せばいいのに。
小中学生くらいで音楽の教科書の君が代の上に関係ないプリント貼らされて、
歴史の授業で「日本は悪いことをした」って教科書に書いてないこと刷り込まれて、
それは果たして「公立学校の教育」としてどうなのよ?っていう話だよね。
これが教育現場で通っちゃまずいよ。
なんとなく重要そうな所を太字にしてみた。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した。
最高裁は平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。
1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、東京都教育委員会から戒告処分を受けた。19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。
同小法廷は判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。起立を命じた職務命令について「個人の歴史観や世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」と指摘した。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
その上で、「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」との判断を示した。
判決は4人の裁判官の全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。竹内行夫裁判官は「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」とした。
1審東京地裁判決は21年1月、職務命令の違憲性を否定したが、「起立しなかったのは1回だけで不採用は裁量権の乱用にあたる」として都に約210万円の賠償を命じた。2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した。
だ、そうな。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00682.htm
東京都立高校の卒業式で、校長による国歌の起立斉唱命令に従わず、定年後の再雇用選考で不合格にされた元都立高教員の申谷(さるや)雄二さん(64)が、命令は「思想・良心の自由」を保障した憲法に反するとして、都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決が30日、最高裁第2小法廷であった。
須藤正彦裁判長は、起立斉唱命令について「特定の思想の告白などを強制したものとは言えず、思想・良心の自由を侵害しない」とする初の合憲判断を示し、上告を棄却した。申谷さんの敗訴が確定した。
入学、卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱を巡り、最高裁は2007年2月、音楽教諭に君が代のピアノ伴奏を命じた校長の命令を合憲としたが、起立斉唱命令を巡る最高裁判決は初めて。
64歳かー。
「戦前の軍国主義との関係で国歌の斉唱を否定的に受け止めている者にとっては、思想や良心の自由に対する間接的な制約になるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201105300242.html
君が代訴訟、起立命じる職務命令「合憲」 最高裁初判断
卒業式で君が代斉唱時の起立を命じた校長の職務命令が「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないかが争点となった訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、「憲法に違反しない」とする初めての判断を示した。
訴えていたのは、東京都立高校の元教諭の男性(64)。2004年3月の卒業式で「国歌斉唱の際は、国旗の日の丸に向かって起立するように」と校長から命じられたが、起立しなかったことから戒告処分を受けた。07年3月に定年退職する前に「嘱託員」としての再雇用を申請したが、不採用とされたため、都に損害賠償などを求めて提訴した。
一審・東京地裁判決(09年1月)は、職務命令は合憲としながら、04年3月以降は職務命令に従っていた点などを考慮して「裁量権の逸脱」と判断し、約210万円の支払いを都に命じた。一方、二審・東京高裁判決(09年10月)は、「都には広範な裁量権がある」として元教諭が逆転敗訴したため、元教諭が上告していた。
「再雇用の拒否が裁量権の逸脱、乱用にあたるか」などの争点については、すでに第二小法廷が上告審として受理しない決定をしており、今回の判決は「職務命令が憲法に違反するか」だけが争点として残っていた。第二小法廷はこの日の判決の中で「合憲」と判断をしたうえで、損害賠償などを求める元教諭側の上告を棄却した。
この訴訟とは別に、市立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた音楽教諭が都教育委員会に処分取り消しを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷が07年2月、「伴奏を命じた職務命令は合憲」との判断を示している。
そういう視点じゃないんだよね。
「公務員(公立学校の教師も含む)が『俺それ嫌いだから』って理由で仕事をサボってよいかどうか」なんだよ。
そもそも国歌斉唱・国旗掲揚の際に起立しろという命令が職務として正当なものだという判決は、もう何度も高等裁判所や最高裁判所で出まくってる。それこそ両手じゃ数え切れないくらいにね。
それをおかしいと思うのは各自の自由だが、現実は違うって事だ。
赤信号が「止まれ」なのはおかしい(好きな色で進めばいいじゃないか)、車道が左側通行なのはおかしい(好きな車線で走ればいいじゃないか)、大半のトイレや公衆浴場が男女で分けられているのはおかしい(好きな所を利用すればいいじゃないか)、ってのと同レベルなんだよ。「公務員が起立を強制されるのはおかしい」ってのは。
なんでまた義務化とか余計なことをするんだろ。
有権者から選ばれた議員や首長というものは、有権者が納めた税金の使い道を決めるのが仕事。
つまり、税金で雇われてる彼ら公務員が仕事をさぼっていたら処罰するのも彼らの仕事の一つなわけ。
特に大阪あたりはこのサボタージュが各地で長い間横行しているらしいので、是正するために締め付けを厳しくするべきだと知事は考えているわけよ。
ああ、誰ひとりとして金髪どころか茶髪もいなかったし、ピアスもしてなかった。
キャミソールも一度もみたことがない。
ホットパンツも見たことがなかった。
ブルマはたくさん見たけどな。
学校指定のジャージか、おとなしい普通の格好して登校してたし、前髪は眉毛に掛からない程度に切ってたよ。
記憶が確かなら、毎朝15分ほど朝のクラス会の前に校庭でなにかやってた。
教室に戻る時は行進みたいなのをしてたと思う。
水曜はやっぱり校庭に整列して校歌斉唱と国歌斉唱。あと校長以外の人が話をしたり。今週は交通安全週間でどうとか、あいさつ運動だからどうとか。
一応国旗は上がるし国歌は流れたけど、別に整列したりはしなかった。
金曜日は忘れた。
中学校に入ったらずいぶんぬるくなって、月曜の朝礼だけは校庭に全校生徒が集まって校長の話と国旗掲揚と国歌斉唱があったけど、火曜から金曜は教室のスピーカーから国歌が流れるだけだったな。
一応掲揚塔の方向を向いて歌ってたが。
小中高と全部公立だったけど。
暇だったといえばその通り。
というか小学生なんて暇なんじゃないの?
追記
放送委員のメインの仕事は毎朝の国歌を流すことと、給食の時間に音楽を流すことだった。
教育従順県で毎日国旗掲揚と国歌斉唱があった小学校中学校だったけど、思想の強制と思ったことはないんだけど、なんでそう熱くなるんかな?
たとえばさ、生徒の髪型とか服装ってすごく制限されてるじゃん。
国旗国歌はルールではないんだから強制されるのはおかしい!って言うんでしょう?
じゃあそれをルール化しようって話じゃないの?
それもダメといわれたら、国旗国歌を強制されない学校に再就職するしかないんじゃないかな。
ルール化するのも思想良心の自由を侵害してるとか言われたらさ、俺だってあんな制服きたくなかったし、それに関しては侵害してないわけ?
軍服を思わせるけど、それに関してはオッケーなわけ?
左の教師ってなぜかジャージ着用が好きだけど(卒業式とか入学式でもジャージとか)、スーツも元々は軍服だからとかそういうの考えての行動?
国歌斉唱なんかないよ。
国歌斉唱やってる学校は、一部の右寄りの教師の影響が強い学校とかじゃないの?
むしろ強制的に歌わされる方が怖い。
起立命令を「他人の内心まで踏み込」んでいるという発想自体がそもそものポイントなわけだ。
ただボケッと馬鹿面下げて突っ立っとけばいいし、命令自体もそれ以上の事を要求していない。教職員に求めている事は「起立しろ」以上でも以下でもないんだよ。
だから彼らの訴えを門前払いしてる判決は、どれもこれも「たかが立つだけの事にお前ら騒ぎすぎ。つか仕事サボんな」としか答えてない。
起立なんて、入学式や卒業式なんかじゃ色んなシーンでやる。たとえば「開会の言葉」で校長が登壇した時とか。普通に「一同起立!礼!」やるでしょ。
だから「どうして国歌斉唱・国旗掲揚の時だけ拒むの?」という当たり前の疑問に、彼らは一度も回答出来た事がない。
つまり「国歌斉唱・国旗掲揚の時に起立を強要される事によって損なわれるもの」はマボロシなわけ。
「思想信条の自由」って風呂敷に包まれてる事もあるけど中身はただの空気。なーんにも入ってない。
そんなマボロシをあたかも実在する何かであるかのように言い立てるから、「じゃあそのマボロシをここに出せ」「その風呂敷を開けてみろ」と判事に言われて彼らはいつも負ける。
東京都の表現規制条例と大阪府の国歌斉唱問題。どちらも似たようなことを感じてしまうな。
なんていうか、どうしてそこまでしないと駄目なのかがわからん。
どうして条約を制定してまでゾーニングを押し付けなければならないのか。
どうして脅迫してまで国歌斉唱時の起立を促さなけえればならないのか。
どうしてこうも極端な対立になってしまっているのか。そこがわからん。
このままの流れが続くと、たぶん五歳の子供が逮捕されたアメリカのようになってしまうよ。
信念とか信条とか、そういった強靭な拠り所に寄り添って人生を謳歌するのが悪いとは言わないけどもさ、あんただけのユートピアを作っては貰いたくないんだよね。
権力とか圧力とか、そういった強大な仮想的と対峙して生活してもらっても別段構いはしないけどもさ、ナルシズムに酔っただけの英雄気取りは見てて痛いんだよね。
無論、東京都と府の教員の側だけに限らないんだけどもさ。やり過ぎだもん、実際。
曲げられない思いとか、内に秘めとけば十分じゃん。手が届く範囲だと、したくなっちゃうんですかね。学者と同じか。アスリートなんかと同じなのか。
可能性がある限り、それを求めたいのか。
ああ、面倒くさい。もしそうなのなら、いやきっとそうなんだろうけど、そういう「やりたい」思いに下支えされているものなのだとしたら、もう反論のしようがない。勝手にやってくれと言わざるをえない。
そこまではいい。厄介なのは、そういったことを認めてしまうと、こちらとしても動かざるを得ないということにある。実に億劫だ。ならやらなければいいのだけれど、やらないと現状が変わってしまう。決着がついてしまう。
いや、激流に身を負かしてしまってもいいのかもしれない。当事者意識を排除してしまえば、そう言った態度をとればいい。それが一番楽そう。でも、違和感だけは残るんだよね。
鬱屈としてる感じ。現状維持派だけじゃなく、みんながみんな鬱屈としているのかもしれない。
何にだろう。よくわからないけど、みんないろいろなことにぶち当たってるんだろうな。いつもいつもぶち当たっていて、すごく身動きが取りづらくて、ストレスが溜まってるんだろう。
どうしてなんだろう。生きづらい社会だなんて言い古された昨今だけど、どうしてそんな社会になってしまったんだろう。
不景気だから? 経済がよくなると、社会は幸福になるの? そもそも社会の幸福って何? 社会の幸福は個人の幸福に結びつくものなの? 個人の幸福って社会の幸福にフィードバックされるものなの?
より幸福な社会を作ろうって、一番最初に誰かが思い始めたとする。なぜならその人がそう思ったその社会には、その人が満足できるだけの幸福が満ちていなかったからだ。
その人はより良い幸福を求めて、何度も何度もすり合わせを続けてきた。繰り返し続けた結果が現在の社会だ。僕らはまだ幸福な社会を求めているんだろうか。それって無理だと思うんだけどな。
幸福な社会と、社会の幸福は別物だ。幸福な社会ってのは、社会の幸福も個人の幸福も含まれた総体だ。要は理想郷。全てが最適化されていて、十分なフリースペースが確保されている、そんな存在だ。生きていける。生きていける……。
そう言えば、さだまさしは生きることは大体辛いことだって言ってた。ならどうして生きるんだろう、なんて野暮なことは聞くまい。その前に存在してしまっているのだから、仕方がないもの。
仕方がない。諦めかあ。諦めが蔓延してるから、こんな社会なのかしらん。そんなはずはないだろうけどなあ。
理想郷ってどんなんなのだろうね。たぶん、今のままの人間は生きていない空間なんだろうな。
脱線した挙句乱文になってしまった。綺麗にまとめてもない。そもそも初めからそんなものは用意してない。
ここらでやめとこう。
「テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」(1999年、チェチェン武装勢力に関して)
「ソ連が恋しくない者には心(心臓)がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」(2000年)
「日本は、不倫や近親相姦を題材とした小説を紙幣に印刷して流通させるほど社会が堕落したのか」(2000年7月、沖縄サミットで日本の首相の森喜朗が二千円紙幣を各国首脳に配布した時に)
「あれは沈んだ」(2000年9月、ロシアの原子力潜水艦クルスクが沈み、乗員118人が死亡した事件について)
「我々の敵はテロリストでなく、ジャーナリストだ」(2001年5月)
「もしあなたがイスラム過激派になりたくて割礼が必要ならモスクワに招待する」 (2002年11月、「チェチェン住民を抹殺しようというのか」というフランス記者の質問に対して)
「(地球温暖化のおかげで)毛皮のコートを買う金も節約できる」(2003年9月、気候変動会議の開幕式で)
「国歌演奏中は行儀良くするように。歌詞を知らないなら、せめてガムを噛むなと選手に伝えて欲しい」(2004年6月、サッカー欧州選手権・ロシア対スペイン戦開始前の国歌斉唱で)
「謝罪は1回すれば十分だ」(2005年5月、第二次世界大戦の際にソ連とドイツが密約を交わしソ連のバルト三国併合を取り決めたことに対して)
「バルト三国はロシアの小銭」(2005年5月、ソ連によるバルト三国支配への批判に対して)
「かわいくてついやってしまった」(2006年7月、クレムリン宮殿の中庭で少年のシャツをめくって腹にキスするというスキャンダルを起こす。後にこう釈明)
「中世のように、汚職する公務員は手を切り落としてしまえばいい」(2008年3月、ロシア国内の汚職の横行に関して)
「医者を送り込んで始末しなければならない」(2008年7月、ロシアの石炭大手企業であるメチェル社によるダンピングと脱税疑惑に関して)
「睾丸を縛ってつるし上げてやる」(2008年8月、南オセチア紛争の際、グルジアの大統領ミヘイル・サアカシュヴィリへ向けて)
社会人になって一年がたとうと言うのに全然だめ。そんなことも知らないの?なんてしょっちゅう言われるし、態度も悪いと指摘される。
技術職で慣れないせいかなんなのか、電話対応やお客さんの応対などが苦手。わかりやすいことならいいけど、イレギュラーなことを言われると考える時間を稼ぐために、ただ相手の言葉を反復してるだけの時とかある。何回もかしこまりました!って言ってるし。
名刺交換もいまいちよくわからない。国歌斉唱の場面でタイミングもわからないし、歌詞もあやふやだからなんとなく勢いでごまかす、みたいな、そういうノリ。
お茶も出し方がよくわからない。本に書いてあるとおりにやると、応接間が狭いのでおかしなことになっちゃいそうで、このへんもなんとなくごまかしているところがある。
先輩と喋っていても時々、ボロが出るというか、なんかもうそういうときが一番つらい。全然噛み合わない。だいたい言いたいことと違う受け取り方をされる。私は今まで生きててそんなことがなかったし、相手もいろんな人とやり取りをしててコミュニケーションに困っている様子はないから、たぶん言葉以上のことを想像してくれているのかなと思う。喋るのがヘタという印象と、私はそんなこと言うやつだって思われてるんだろう。
軌道修正を試みて、ビジネスマナーとか社会人一年目の心構えとか、本を買ったり雑誌を読んだり、一人で練習したりもした。先輩方の発言などから職場での私のふるまいを想像して、変えようともしてみた。けれど、それほど効果が出ていないのに、時間だけは過ぎていくので、「いつまでたってもだめな子」になっていっている。八方塞だ。
みんなはどこで常識を身につけているんだろうか。
フランス:「フランス人とは何か」サルコジ政権が問い ゆがむ論議、広がる反発
<世の中ナビ ワイド NEWS NAVIGATOR 国際>
◇「崇高な運動」か「移民・イスラム排斥」か
「フランス人とは何か」。そんな根源的な国民論議がフランスで続いている。国民の10人に1人が移民(不法移民も含む)であるという現実を前に、保守派のサルコジ政権が「フランス人を定義し、国民の誇りを再確認しよう」と呼び掛けた。フランス語を話す、国歌を歌える、伝統的な政教分離主義を守る、などさまざまな意見が出る一方で「こうした論議自体、移民やイスラム教徒の排斥につながる」との反発も強くなっている。【パリ福原直樹】
◇国歌斉唱は義務?
政府が昨年10月、国民に求めた論議のテーマは「仏国民とは何か」「フランスや仏国民のアイデンティティー(価値観など)を移民がどう共有するか」の2点。移民省は全国約450カ所で討論集会を開く一方、インターネットの公設サイトでも意見を求めている。2月にも政府報告を行う予定だ。
サイトには既に5万人が意見を寄せた。それによると仏国民の定義として、▽フランスを愛し国是の自由・平等・博愛の精神を信奉する▽(政教分離などを記載した)憲法を順守する▽キリスト教の伝統を受け入れる……などが出された。
政府はその一方で、「若者に年1回、国歌の斉唱を義務付ける」「仏語や共和国の精神を学ぶ機会を設ける」などの政策を提案した。移民らがフランスの価値観を理解する一助にしたいという。
◇保守派からも批判
だが、論議開始以降「反移民感情をあおるだけだ」との批判が、野党第1党・社会党や知識人、移民の間に広がった。フランスの移民は「外国で生まれた外国人で市民権取得などを目指して永続的にフランスに居住する者」との定義があり、仏国籍を取得した者も含まれる。
人口約6100万のフランスには、不法移民を除くこうした移民が約500万人居住し、イスラム教徒も約600万人(移民との重複あり)いて、同化政策は仏社会で大きな問題となってきた。
こうしたことから論議のテーマの設定自体が「移民やイスラム教徒にフランスの価値観を押し付けるものだ」との批判を呼んだ。社会党のオブリ第1書記は「(移民排斥の論議につなげることで)政府は移民に(失業などの)社会問題の責任を押し付けようとしている」と指摘した。
保守派からも批判が出た。ジュペ元首相は「論議は国内の対立、特にイスラム教徒への反感をあおった」と発言。ドビルパン前首相も「こんな重大なテーマを経済危機で団結すべき時に持ち出すべきではない」と異を唱えた。
一方、全仏組織の「イスラム教徒会議」幹部は「論議は(イスラム批判という)本末転倒の方向に向かう」と懸念を表明。「サルコジ大統領は3月の地方選を前に(ナショナリズムをあおり)移民排斥を求める極右票の取り込みを狙った」(野党・緑の党など)との指摘もあり、世論調査でも72%が「地方選を念頭にした論議」と見なした。
◇相次ぐ問題発言
これらの懸念は当を得ていたとも言えそうだ。国民論議の集会で、政府の家族問題担当長官は「フランスの若いイスラム教徒に望むのは職を見つけ、俗語を使わず、帽子を逆向きにかぶらないことだ」と発言した。「イスラム教との共存の可能性」を問う質問への回答だったが、これは「イスラム教徒への中傷であり、国民論議はイスラム(排除)が目的だ」(社会党など)と厳しい批判を招いた。
また仏東北部での集会では、与党「国民運動連合」の地方幹部が「(移民は)何もせず金だけもらっている」「国民論議は必要であり(移民に)反撃する時だ」と述べた。一方、与党幹部は「仏国内のモスク(イスラム礼拝所)と、キリスト教聖堂の数が等しくなれば、この国はもうフランスではなくなる」と語ったと報じられた。
「フランスのアイデンティティー確立」は、07年大統領選でのサルコジ大統領の公約で、大統領は国民論議を「フランスとは何かを知る崇高な運動」と強調している。だが当初、論議を支持した中立系のルモンド紙は、最近の社説で「論議は悪い方向に向かっている」と主張。社会党同様、論議の中止を求める立場に転換している。
はてな界隈では「はてサヨ」なる言葉があるぐらい、右翼とか左翼とかという単語はバズワードなので、
そもそもそれぞれどういう思想を指すのが適当なのかについて、整理してみた。
フランス革命政権において、非特権階級の利益を代表する勢力(=共和派・革新派)を左翼、それに対して旧体制における受益者の利益を代表する勢力(=保守派)を右翼と言ったことから(議会の座席の位置取りに由来)
持たざる者である左翼が、(平等志向の)分配を要求し、持てる者である右翼が非分配を主張するという構図が一般的。
左翼は(理想主義的な)平和志向が強く、右翼は好戦的とは限らないが、交戦権自体は主張する。
ただし、これに関しては例外は多い。
自民党のやってきたことは「右」路線なのは間違いない。(陳情によるボトムアップは正に「右」の手法)
しかし徐々にボトムアップの「ボトム」が経団連に代表される巨大企業になっていったことで、義理と人情の代表ではなくなった為、
小泉手法のような奇策に走らざるを得なくなり、そのあとは政権を失ってしまったのだと思う。
ここで重要なのは、陳情をしてくる相手が票をまとめられる存在であり続けたなら惨敗にはならなかったという事ではないかと思う。
企業トップの利益がその従業員、および取引先企業の利益と決定的にかけ離れてしまっているからこそ、自民党路線は民衆の支持を得られなくなってしまった。
また、一方で、企業の側も、(国内)政治による利益誘導がどうしてもと言うほど重要ではなくなっているからこそ、票をまとめられるような待遇と政治への要求をしなくなったのでは無いかとも思える。
もはや舞台は国内の議会政治がメインではなくなったのだと言う事で、もう議会の中での勢力争いそのものも時代遅れになっている。
民主党が「左翼政党」かと聞かれれば、微妙だと言わざるをえない。
なぜなら、左翼は最適社会の構築の為にこそ奔走するのであって、それに「友愛」が必要な筈はないからだ。
どちらかと言えば「人情」を謳う(日本的で穏健な)右翼の手法に近いが、「友愛」は外国に向けても謳われているところが違う。
推測するに、「全体」の範囲を「地球」に拡大した上での、経済的分配を伴わない「最適化」のツールとして言っているのではないか。
新種の左翼だとしても、多分200年は早い(かりに方向性があっていたとして)。
・ネトウヨが有名に。
・頻繁に誹謗中傷が飛び交う
・しかし余り極端な左翼論者が多いようには見えない
・ナチュラルに右翼な発言の人が散見される(そしてホッテントリ入り)
・個人ブログでの左翼な発言は目立ちにくい?(ホッテントリ入りはあまりしない)
2007年度に病気休職した小中高校などの教職員は前年度比414人増の8069人だったことが25日、文部科学省調査で分かった。うち、精神疾患の休職は62%の4995人で、いずれも過去最多を更新した。
調査は都道府県と政令市の教育委員会が対象。文科省は「子どもだけでなく、保護者への対応など、教員の忙しさが増していることが背景にある。教員の増員や悩みを相談しあえる環境づくりなど対策を進めたい」としている。
また、わいせつ行為などによる処分者は164人で、うち免職は94人。被害者は、処分された教員が勤務する学校の児童生徒が42%で、「体に触る」が40件で最も多かった。
体罰での処分は371人で、学校別は中学校42%、時間帯は授業中29%だった。国旗掲揚時に起立せず、国歌斉唱の拒否などが理由の処分は54人で、東京都では2人が停職になった。部活動費の着服など公費の取り扱いをめぐる処分は76人だった。
飲酒運転による処分は81人で、いずれも免職もしくは停職の重い処分だった。
07年度に懲戒処分や訓告などを受けたのは全国で1万7482人と前年の約4倍。道教委が導入した「査定昇給制度」などをめぐり教職員組合がストライキ、約1万3600人が処分を受けたことが影響した。
本当に教師ってわりにあわないよ。
なんで教師なんて目指すんだろ。
問) その問題はいいですけれども、大臣はこの会見場で国旗を掲揚すると同時に、野中官房長官談話にあるように国歌の斉唱・演奏、これをやるという考えですか。
答) ここでは別に歌を歌うということは、私はやってもいいけれども、皆さん方に強制するとまた裁判か何か起こってややこしくなるから、その時は考えて…。
問) だったらやっぱり国旗も同じように考えた方がよろしいんじゃないですか。
答) 国旗というのは常に設置されているものであって、歌というのは必要な時に歌うものであって、じゃあ国務大臣は一日起きている時は24時間歌を歌っていなきゃいけないのみたいな話になっちゃいますから、国旗の役割と国歌の役割というのは違うんですから、記者会見をやる時に国歌斉唱するなんていうことは全く考えておりません。
私は高2ぐらいまで君が代を歌えませんでした。
小学校高学年ぐらいのときに
学校行事の時には国旗掲揚、国歌斉唱することという話が持ち上がっていましたが
私の通っていた学校のある地域では、それに反対する人が多いようです。
小学校ではどういう考え方かはわかりませんでしたが
君が代はいつか歌えるようになるからと教えてもらいませんでした。
中学校ははっきりとした態度でした。
予行練習で国歌斉唱のときに立つと後で呼ばれて
強制じゃないから歌わなくていいんだよと言われたのでした。
目立ちたくないし面倒だったので素直に従いました。
けれど君が代はどこから歌い出して、どうやって終わるのかが
なんかちょっと難しいのです。
君が代が歌えない私は、そこで初めて
歌わなくてもいいですが何もない人は歌うこと」
と言われました。
それまでは「歌わない」という前提の上に「歌う」という選択肢があったのですが
高校では反対です。
つまり、私は初めて自分以外の人が君が代を歌えることを知ったのです。
この時の衝撃はとても大きくて今でもたまにぼんやり思い返すのですが、
大学の友達にもバイト先の人にもあんまり上手に説明できないです。
すごく恥ずかしくて、居たたまれなくて、
歌ってないことがバレないか冷や冷やしたことが誰にも伝わりません。
なんかそんな話を思い出しました。