はてなキーワード: モニタリングとは
まぁ、チェルノブイリと同等の条件がもんじゅの機構的に起こりえるかどうかはさておいて、
チェルノブイリみたいに炉心が暴走して爆発四散、事故後に装備無しで現場に突撃、政府が事態を隠蔽し、食物の規制をしないとなると被害は結構大きいな。
福島では発生しなかった急性放射線障害での死者がバンバン出るし、汚染された食物で癌になる奴も出てくる。
この日本で政府が当時のソ連並にいろいろ隠蔽するとなると、住民を武力で情報統制する必要もあるから被害はチェルノブイリの比じゃないな。
鎮火できればいいけど、出来なかった場合、周辺の倉庫が溶けた燃料ごと空気中に拡散する。
そこでも、政府が事態を隠蔽し、食物の規制をしないとなると、関西がどうこうでは済まない思うぜ?
まぁ、機構的にそんなことは起こりはしないから、もんじゅで起こる「最悪の事態」では無いんだがね?
いや、受け入れていると思うよ。たとえ火力発電所に大事故があったとしても、「火力発電所の建設を中止しろ!」という動きにはならないと思う。
はい?
歴史知らなさ過ぎるだろ。
そういったものが発生したから、国は原子力発電へ舵を切ったんだぞ?
避難地域ですら、現状100mSv/Y付近の値で除洗すれば確実に下がるんだよ。
政治的問題と疫学的問題をごっちゃにして、未だに疫学的に問題があると思い込んでいるのが精神衛生の問題になると、
だから、IAEAは日本の原発事故の後処理は大変すばらしいとかわざわざコメント出してるんだよ。
それでも、「自動車事故による死者をゼロにするために、自動車をなくせ!」という意見が通っていないのは、社会が自動車事故の死者を織り込んだ上で利便を受け入れているから。
高齢者の免許返還制度とか、普通免許での中型車の運転が禁止されたりとか、制限は厳しくなっていってますけど?
1つの事故で何百万人単位で健康被害に対する不安を与え、経済被害が国家予算規模になり、諸外国から輸入制限をくらってしまうような事態を引き起こすのは、現状、原発くらいしか考えられないので、特別扱いは当然だろう。
はい?
1つの事故で何百万人単位で健康被害に対する不安を与え、経済被害が国家予算規模になり、諸外国から輸入制限をくらってしまうような事態を引き起こす
事態になっていたと思うんだけどね?
そんな、ほんの数年前のことすら忘却の彼方で考えられないとか。
現状すでに、事態は疫学的問題より政治問題であるため、人的・経済的被害は算出不可能だろ。
疫学的問題だけで行くのなら、避難地域の除洗と低レベル放射線廃棄物の処理で事が足り、震災復興費用の数%振り分けるだけで済む。
食品の輸出・生産も避難地域外のものはモニタリングにより安全に行われており、そのための宣伝費用は必要かもしれないが、国内広告業界に資本が流れるのであれば問題は無い。
どのみち、震災の被害に比べたら被害は相当少ないんだよ。
「何十年かに1回大規模な事故が起こったとしても、経済的にペイできるからいいか」と国民が納得すれば、国も原発と共存できるでしょ。
そして、重要なことだが、今回と同レベルの事故の発生を防ぐために最大限の注力を払うことだ。
スリーマイル、チェルノブイリ、福島第一と事故発生時の共通する要因として「完熟した作業員の不足・不在」が挙げられるため、
原子力事業において作業をするものは全て一定の有資格者とすることが望ましく、そのための組織・設備を作るとか。
発電設備の電源規格の統一を政府(保安院)主導で行うとか、打てる手はまだまだある。
ここまでやって何故原子力に固執するのか?
だから、火力・水力・原子力に電力ソースを分散させることにしたんだよ。
自然エネルギーに転換といっても、高緯度のために風雪被害や四季があり気性が安定しない日本では限界がある。
2011.4.27 19:19
東京電力福島第1原発の事故の影響で基準値を上回る放射性物質が検出され、3月21日から出荷制限されていた栃木県産ホウレンソウの出荷制限が27日、全て解除された。21日には高冷地ホウレンソウの出荷制限が解除されており、これで栃木県産の農産物全ての出荷制限が解除されたことになる。
県農政部によると、県内で採取したホウレンソウの検査で3回連続して基準値を下回ったことから、出荷制限解除の要件がクリアされた。
福田富一知事は「今後もモニタリング調査を継続実施し、『栃木県では安全な農産物以外は絶対に出荷しない』ということを徹底していくので、安心して県産農産物を食べてもらいたい」としている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110427/dst11042719200025-n1.htm
つーか、これはただの愉快犯だろ。
人間に誘奇形性の出る放射線量は致死量並みかそれ以上である時点で、子供の奇形系の写真は放射線が原因じゃねーし、そもそもGoogleの検索結果のリンクだし。
37Bq/kgっても核種によるだろ。重金属系なら、誰であれ食うのは御免だ。
スリーマイル島に関しては、動植物しか写真が探せなかったのか、人間の写真は無い。
ただ、公式レポートでは動植物の誘奇形性に関しては見当たらないし、自然の範疇だったって事だろ。
ウィンズケールは、火災時の被爆量より、それ以前の放射性廃液垂れ流しの結果である可能性が高い。
緊急停止ではなく、一日の需要カーブに追従させるような自由度はないってこと。
できたとしても、出力を変動させまくると常に一番ベストな状態で発電するより、耐久性や安全性が落ちてしまう。
せいぜい冬は弱めに夏は強めにくらいの自由度。
火力はそれに比べれば、一日の需要カーブに追従させ気味に出来る程度の自由度があるけど
キビキビ出力を変化できるわけじゃないし、変化させるとロスが出るから完璧ではない。
なんでロスがでるのかは、熱機関って大抵そういうものだろ?一番燃費のいい状態ってのがある。
再熱サイクルや熱電変換でできるだけ無駄を少なくする進化の余地はまだまだある。
火力なら燃料にメタンハイドレートや天然ガスも使えるし、ガス系は石炭石油にくらべて排出するCo2も少ないからな。
今朝、夢を見た。それは自分の今置かれている状況がいかに私を救ってくれたかを示すものだった。
祖母が死ぬ直前という設定だった。
ヒステリック・深情け・延期癖、無関心・趣味への過度の没頭、暴力・コミュニケーション能力欠如、甘え・自殺企図の繰り返し・盗癖、被害妄想・視野狭窄、自己中心的・KY、過度な技術者気質。
数年前まで、私はそのほぼ全てに染まっていた。そして自分がそういう状況だったと、今この日記を書くまで思い出しもしなかった。
しかし、今のある程度まともな人格は、今の彼女と、自分を下宿してくれている祖母のおかげである。
彼女は、合理的に考えること、自分のモニタリング、ジョークや他のたくさんのことを教えてくれた。
祖母は、私の中にある、バランスの取れた様々な人格を草の根レベルから手直しすることを手伝ってくれていた。
イコライザーのおかしなプリセットをひとつひとつ直していくという感じだ。家族のことを客観的に見られるようになったのも、精神的に落ち着いていると回りから評価されるようになったのも、かなり祖母のおかげである。
私はそういう先天的なひどい人格を、この2人に頼ることでうまく調節してきたわけだ。
そこに今日の夢である。家族の中でまともな人がひとりも居なくなってしまう。と恐怖感を覚えた。
生きている間に、イコライザーの設定を覚えていかなくてはならない。強くそう思う。
それに恩返しもしたい。
・水が飲みたいと、戸口を叩いていた女は言った。もう随分と何も飲食していないのだという。こちらと人里離れた山小屋住まいだから、人に分け与えるほどの食料など持ち合わせていない。女が水だけを要求してくれてありがたかった。真夜中の真っ暗闇の森のど真ん中で、ごくごくと喉を鳴らした女はにっこり微笑み礼を言うと、そのまま闇の中に溶けていった。夏虫が鳴いている。べったりと背筋に汗をかいてしまっていた。
・犬を殺してしまったんだそうだ。泣きじゃくる歳の離れた弟は、どれだけあやそうとも泣き止む気配を見せなかった。埒が明かない。疲れてきたので背伸びをした。一体何があったんだ。何度も答えが返ってこなかった問いをもう一度口にしていた。眦を二三度拭ってから、しゃっくりと一度、それからようやく弟はもごもごと何かを言い始めた。溜息が出る。面倒くさいと空を見上げたら快晴だった。
・生え育った手のひらの上で、少女は胡坐をかいていた。しばらく経つと親指と人差し指の間から足を投げ出してぷらぷらさせ、またしばらく経つと今度はやわらかく曲がった中指に背を預けて瞼を閉じた。荒涼とした周囲には、乾いた風鳴りばかりが響いている。手羽のように尖った枝先を細々と伸ばす枯れ木が、もぞもぞと幹を揺らしていた。少女は本を読んでいる。ハードカバーの、分厚い本だった。背表紙には解読不明な文字が並んでいる。無論、それは中身にしても同じで、少女は意味のわからない記号の羅列を熱心に、ときには嬉々として読み続けていた。やがてひとつの章を読み終えた。重たい本を閉じ、胸の上に置く。再び目を閉じた。てのひらがぐしゃりと少女を潰した。
・その日、少年は無闇に声が大きかった。話している相手が顔をしかめてしまうほど大音量で、叫ぶようにして会話をしていた。また、少年はどうやらこちらの言葉が理解できていないようでもあった。どれだけ文章を変えてどうなったのかと訊ねてみても、ずっと同じ事ばかりを、昨日変な夢を見たんだ、としか口にしなかった。やがて、ある医者が少年に適切な診断を下した。いわく、今少年の耳には大量の音食い虫が潜んでいて、そのせいで耳が聞こえなくなってしまっているのだと。ためしに小型カメラで少年の耳の穴をのぞいてみれば、モニタリングしているテレビに黒光りする無数の蠢きを確認することができた。音食い虫を殺すためには、完全なる静寂を用意しなければならない。医者に言われると、少年を気の毒に思っていた人々は一様に口をつぐんだ。物音ひとつ立てないように、彫像のように固まった。車も動かさない。電気を使うものは全て電源を落としてしまった。少年は石の世界でひとりぼっちになった。
・タバコが好きで好きでたまらなくて、とうとう調理して食べるようになった。目玉焼きに降りかけてみたり、炊きたてのご飯に混ぜ込んでみた。どれもこれもそれなりにうまかったのだが、一番気に入ったのが煮出しタバコであった。お茶のように、珈琲のように、タバコの葉に熱湯を注いで飲むのである。これがなかなかに効いた。苦味で舌は麻痺し、喉は痺れ、胃は爛れていくかのようだった。鼻腔に強烈なにおいが通り抜け、あやうく気を失いかけた。最高に気持ちが良かった。よく臨死体験をしたなどという者がいるが、そう言った人たちもこの快楽を味わっていたのではないだろうかと思った。そしてそうなのだとすれば、彼らはあまりにも意地汚い人間であるように思えた。このような快楽を経験しておきながら、それをわが身ひとつだけの実体験に留めておこうなどという考えが理解できない。どうして周囲に広めようとしないのだろうか。共有してこその財ではないか。憤然とした気持ちでタバコをばらし、粉末を茶漉しにあけた。熱湯を注ぐ。芳醇な香りをいっぱいに吸い込んでから、一息に飲み込んだ。
・割れたコップに男が映った。散り散りになった破片のひとつひとつに、そいつはにやにや顔で写りこんでいた。君も変なヤツだね。そいつが話しかけてくる。わざわざガラスのコップを七つも割ってさ。一体何がしたかったんだい。思いっきり叩きつける訳でもなく、あくまで自然に割れたように見せかけるのには随分と苦労したんじゃないのかい。そのとおりだ。全てのガラスを同じ場所で、誰が見ても不自然と映らないように割り続けてきたのだ。投げつける訳でもなく、高いところから落とすのでもなく、持ち寄ったガラスをことごとくその場で割り続けたのだった。わからないね。君はいったい何がしたかったんだい。そうにやにや顔が言うので、お前には関係ないと答えてやった。だからさっさと消えやがれ。魂が消えるように、ぽつりぽつりとにやにや顔は消えていった。ガラスの破片の中に溶けていった。本当に君も変なヤツだね。そう言って最後までにやにやしていたそいつは消滅した。逆剥けた大地に囲まれて、素足のまま歩き出す。
・びっくりした。そしたら、右目と舌べらが落っこちてしまった。とんでもない痛みを感じながら、真っ赤に染まっていく地面に晒された右目と舌ベラを見下ろす。さっきまで、右手で押さえている窪みにはまっていたはずの球体はぼんやりと視線を上げてきていて、指の間から、そしてぽかんと開けた口から鮮血を滴らせているわたしを観察しているようだった。観察。そうだ、わたしは観察をしていたのだった。その最中に悲しくなって、怒りっぽくなって、しばらく気分が落ち込んで、最後にびっくりしてしまった。びっくりしてしまったから、右目と舌ベラを落っことしてしまった。参った。全部わたしの問題だ。とにかくいまは右目を拾ってはめよう。そして舌も口に含んでいよう。思い左手を伸ばそうとしたらばしゃんと音がした。左手も落ちてしまった。肩からどんちゃんと。ぶしゅうっと壮大な音を立てて血が噴き出し始める。どうにかしなくちゃ。あせればあせるほど頭は混乱していく。もうあたりは一面に血の海だった。血の池地獄って、一体誰の血の中を泳いでいるんだろう。白血球とか赤血球とか、そういったものにとっては毎日が血の池地獄なんじゃないだろうか。考えていたら、膝から下が潰れてしまった。血に倒れこむ。頬を強打して顔をしかめてから、右目が私を観察していることに気がついた。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201003030255.html
学校側はいじめが行われていないか以前から定期的に生徒へアンケートしているが、自殺前の2月8日実施分で、女子生徒からは特に訴えはなかったという。学校側は1日に臨時保護者会を開き、了解を得たうえで2日、2年生と、同じ部に所属する1、3年生の生徒から聞き取りをしたが、いじめの事実は出てきていないとしている。調査については今後も続けるとしている。
調査をつづけるのはいいけど、それ意味あるのかなぁと。
以前から漠然と思っていたけど、この記事を読んではっきりわかった。
いじめがあるかどうかのアンケートだの聞き取りとったモニタリングなんて意味ないよ。
「いじめはありますか」なんて愚問。「朝ごはん毎日食べてますか」と同じくらいナンセンス。
現在進行形でいじめられている立場からすれば、意味ないどころか、「あります」と学校側に伝えて
学校側が対応でもとろうものならその途端に危害が増す可能性があるし、傍観者としても、学校側に知られることで逆にいじめが過酷になりはしないかと考えてしまうので、結局、いじめの事実を報告するインセンティブは極めて低いと思う。「いじめはないと思う」という認知が引き出されるだけ。本当の事実を聞き出すには、何時何分何をしていた、ぐらいの尋問が必要。
昔はさぁ、おおらかだったので、放課後の世界を先生と生徒が共有できた。だからある程度は、生徒同士の交友関係についてそれなりに把握していたし、携帯電話やメールなどもなかったから、いじめのツールはもっと可視的なものが多かった。例えばいじめられる側がどんなあだ名をつけられているかも知ることができたし、なんとなく様子をみていればわかったケースが多かったし、介入のタイミングも測ることができた。現場がみえるというのは大切な要素。
ところが、今はメールや携帯端末を通じたコミュニケーションの実態がほとんどみえない。
もし、学校側からはみえないコミュニケーションのなかにいじめの実態があるのだとすれば、それを監視する方法は、生徒のプライバシーにいっそう踏み込んでゆくしかないと思う。しかしそれは限界があるはず、法的にも、また技術的にも。昨今、他人の子供を叱っただけで「あんた何様ですか」と罵られることがある時代。
近年のいじめの深刻さは、恐らく進化し続ける情報ツールがますますプライバシー侵害機能を充実させている点にあるように思う。かつて写メールが登場したときに、直感的に危惧はしていたが、いじめる側にとってはより快適になり、いじめられる側にとってはますます地獄に、そして監視する側にとってはプライバシーに踏み込めないので手をこまねいている、というのが実情ではないかと思う。
そんな状況にあっても、保護者は学校にモニタリングを要求し、対応を怠っていれば糾弾するかもしれない。
と被害者の保護者は訴える。でもやっぱり難しいよね、現実には。
それに、自分の子供なんだからまずは親のほうで子供がサインを出していないか監督する責任があると思うよ。親だったら自分の子供のプライバシーに学校以上に踏み込めるわけでしょ。
学校側にできることって、ほとんど無意味なモニタリングじゃなくて、たぶん
子供がいじめをしにくい環境を整備する取り組みをつづけることなんじゃないかな。
携帯電話を全面禁止するのもひとつだし、ケーススタディをして人の痛みってなんだろうという学びの機会をつくるのもひとつだし。
でも、不幸にしていじめはなくならないかもしれない。
でも、それは学校がちゃんと監視していれば防げたのかというとそれは違うんじゃないかなと思うのですよね。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/loan_moratorium/?1254222095
中小企業に対して返済のモラトリアムをもうけることは、経済学上2つの大きな問題がある。
学部生でもわかるような、このロジックに気付けない鳩山や亀井は大学で何を学んだのだろう。
問題点を整理しよう。
①貸し出す期間が長くなり回収不能となるリスクが高まる
②期日に返せないという信用力の低下により金融機関は消極的な融資を行う
これが何故問題となるか、誰でもわかるように説明しよう。
順に見ていこう。
①これは単純に貸し出し期間が長ければ長いほど、利率は高くなるので貸出先の返済額は増える。
例えば、100万円を10年貸すのと100年貸すのでは利率は違う。長ければ長いほど返済されなくなるリスクは高まるので利率は高くなる。
したがって、モラトリアムは企業から回収不能となる可能性が高くなることを示し、またそのリスクがあることを示す。
これによって、金融機関は回収を早めるか、貸し出しを渋るか、利率を上げるかしてそのリスクを補填する。
その結果、企業にとってメリットのはずのモラトリアムはかえって悪影響を与えることは明白である。
返済額は増えて、融資は滞り、回収を迫られるために自由な経営ができなくなりモニタリングされるのである。
仮に、政策としてリスクを政府が保証する仕組みにすれば、その財源は税金で補填するわけだが、その場合別の問題がでてくる。
税金を取られたあなたは、企業と金融機関の間に何の利害関係もないにも関わらず、一方的に金が取られるのだ。
国債でファイナンスしても、結局利息は税金でファイナンスするほか無いのだから、結果は同じように取られ損することに変わりは無い。
これぞ友愛。
そこにモラトリアムをもうけるということは金融機関が融資先から回収しにくい環境ができあがるということ。
現在わが国では、取り付け騒ぎなどは起こることはないにしても、返済が滞るような融資先に融資することは避けたい。
したがって、民間が融資しないような中小企業には政府系金融機関が融資することに仕組みとしてなっている。
ところが、その投資先は融資されにくい企業や回収が難しくても必要とされる企業に融資され、生産性の向上や経済成長という観点からは非効率な投資といえる。
そんな非効率な分配を促進するような制度が法案として出され、首相がそれを後押しするようなことを言うのはソビエトくらいだろう。
【「重要な欠陥があり、内部統制は有効でない。」と評価結果に記載した会社(56社)について】
*
(1)「重要な欠陥」と判断した理由として、内部統制報告書に記載された例
(注)一部要約しており、内部統制報告書の記載そのものではないことに注意してください。また、開示例であり、当該内容が「重要な欠陥」に該当するかどうかは、会社の規模、事業の状況や取り巻く環境等により異なることに留意が必要です。
o
○全社的な内部統制
+ 当社は、財務報告に関するリスクの評価と対応を実施していない。
+ 前代表取締役が社内規定による職務分掌や承認手続を無視し、独断で約束手形の振り出しを行った。
+ 前取締役が、定められた取締役会の承認を得ずに債務保証を行った。
+ 内部統制の基本的要素である「統制環境」「情報と伝達」「モニタリング」に不備がある。
o
+ 子会社の繰延税金資産の回収可能性の判断の適用を誤り、さらに、それに対する牽制が十分機能しなかった。
+ 在外統括会社の「傘下会社に対するモニタリング」が適切に実施されなかったため、海外子会社による不適切な会計処理が行われた。
+ 当期の決算作業についての決算手順書等が整備、運用されていない。連結決算のために必要となる情報の収集に不足がみられる。開示資料の作成に際し、責任者による査閲等が実施されていない。
+ 連結決算及び開示に係るマニュアル・チェックリストが適切に作成されておらず、グループ会社への情報伝達、役割分担、数値検証等一連の処理手続にて、適正な査閲、分析及び監視する内部統制手続が不十分。
+ 決算処理手続における処理内容及び会計基準の適用の検討とその承認手続の運用が不十分であったため、たな卸資産への諸掛り経費の配賦計算、連結決算における未実現利益消去に伴う繰延税金資産の計上等について誤りがあった。
o
+ 営業部門において、適正な売上計上に必要な契約内容の確認及び承認手続の運用が不十分であったため、当期の売上高について重要な修正を行うことになった。
+ 輸入原材料仕入プロセス及び在庫管理プロセスの一部において、適正な仕入計上及び在庫計上に必要な承認手続の運用が不十分であったため、当期の買掛金及び棚卸資産について重要な修正を行うことになった。
+ 新規の非定型取引に係る業務プロセス並びに固定資産の減損会計及び税効果会計に係る業務プロセスにおいて、能力のある経理担当者によって適切に査閲、分析及び監視する内部統制が有効でない。
+ 連結子会社の売上プロセスにおいて、商慣習上顧客との間に契約書が一部未締結であったり、売上の基礎となる納品の事実を証する書類等を取り交わすことなく業務を遂行していたことが発見された。
+ システムの保守及び運用の管理を適正に行うため、「運用・保守管理規程」を定めて遵守することが義務づけられているが、コンピュータデータの保全手続において、当該規程の運用が不十分であったため、同データの一部が消失し、会計データの修復作業を行った。ただし、バックアップデータ復元作業のテスト実施が十分でなく、バックアップデータ消失のリスクを予見できなかった。
*
(2)評価結果に「重要な欠陥があり、内部統制が有効でない。」と記載した56社のうち、事業年度の末日後に重要な欠陥を是正するために実施した措置を記載し、かつ、内部統制報告書提出日までに、重要な欠陥が是正されたと記載した会社が11社ありました。
(注)事業年度の末日後内部統制報告書の提出日までに、記載した「重要な欠陥」を是正するために実施された措置がある場合には、その内容を付記事項に記載することができることになっています(内部統制府令第1号様式記載上の注意)。
*
(3)56社の内部統制報告書に対する内部統制監査報告書における監査人の意見は、55社が無限定適正意見、1社が意見不表明でした。
(注)監査人は、会社の内部統制の評価結果等を監査し意見を述べることになっています。例えば、「重要な欠陥があり、内部統制が有効でない。」と評価した会社の評価結果を適正であると判断した場合には、「適正意見」を表明することになります。
*
(4)評価結果に「重要な欠陥があり、内部統制が有効でない。」と記載した56社の財務諸表に対する監査報告書の監査意見は、54社が無限定適正意見、1社が限定付適正意見、1社が意見不表明でした。
→これは無理だろ。むしろ、既にほぼ実現している量子暗号が実用化されて、国家機密とかは暗号化が完璧になりそう。
→日本でやっていないだけで、韓国では既に社会保険番号というIDで国民総背番号制やっている。韓国のサイトでユーザ登録しようとすると、社会保険番号入力欄があって何書けばいいのかわからずあせる。
生涯IDは不変。
あらゆるものがタグ化。
→バーコードで十分じゃね?RFIDが今より普及するかもしれんが。
全員が自宅勤務。
→それはないだろう。むしろ、情報セキュリティが厳しくなって、仕事を家に持ち帰れず、会社でしか仕事が出来ない方が普通になると思う。
テレビ電話の機能が大幅に上昇。
→機能の上昇より、テレビ電話と普通の電話で通話料が代わらなくなる方が可能性が高いのでは。
→音声から文字列への変換は、既に実用レベルで出来ている。パソコンでも普通に動く。キーボード入力は、数十年後でも、二つ理由で残ると思う。一つは、喫茶店とか公の場では、みんなが喋って音声入力したら、うるさくてたまらないから、キーボード入力の方が向いている。もう一つは、音声入力が完璧でも、人間が言いよどんだときに、「~まで戻って」とか口で説明するより、Backspace押した方が早い。
→身振り入力より、マウス入力の方が多くの人にとって楽だと思う。手話入力がOSに標準装備されるようにはなるかもね。
すべての乗り物は共有財産となり、最小のコスト、かつ最速で目的地に着けるようになる。
→共産主義ですか(笑)まぁ、無料自転車があるぐらいだから、無料車ぐらいは町を走っていて欲しいが。それより、高齢化社会だけど地方では車がないと生きていけない、というニーズから、自動車の自動操縦が一般化すると思う。
→これは、普通にありそうだ。
あらゆる言語がお互いにリアルタイムで翻訳できるため、言語の違いに意味がなくなる。外国語の授業がなくなり、英会話教室は軒並み廃業
→まさしく俺の専門なんだけど、うーん、どうかなぁ。数十年後なら、「外国人に道を聞かれて答える」みたいな英会話なら、携帯端末でリアルタイム翻訳できていてもおかしくない。ただ、巷の英会話教室は、英会話がやりたいというよりもビジネスで英語を使いたい人のためにあるわけだ。ビジネスで英語を使う場合、結局、「訳し間違い」や「発言し間違い」の責任を誰かに取ってもらわないといけないから、やっぱり、英語力は必要になるだろうね。ただ、必要とされる英語力のレベルや種類は変わってくるかもしれない。
遺伝子の解析によって将来罹患する疾病の内容や時期がわかるため、予防医療が急速に発達。
→まぁ、そうなると思うけど・・・むしろ、遺伝子の解析によって、個人で医療負担額が変わる、とかいう方が先になると思う。
→一人でやるゲームは残ると思う。テトリスとかソリティアとか、別に、オンラインになってもらっても困るし。
オンラインゲームのインターフェースがすべてのアプリケーションのインターフェースを侵食する。
→何がいいたいのかわからん。
→「すべて」っていう言葉を気軽に使いすぎ。まぁ、ネットでの出会いが今より普通になるとは思うけど。
CPUの演算があまりにも早いため、プログラムの効率性がどうでもよくなる。
→「僕も若い頃、計算機の進化が早いから将来アルゴリズムの高速化の研究は廃れるかなぁ、と思いつつ、アルゴリズムの高速化の研究を30年やったけど、どうやら、世の中そうはならないみたいです。」離散アルゴリズムの第一人者の教授の言葉。結構感動した。
それに対して通信速度はそれほど上がらないため、ローカルでできることはローカルでやろうとすることが増える。
ユーザの挙動が常にモニタリングできるので、インターフェースの問題点の解決が異様にはやい
→これも、何がいいたいのかよくわからない。
→それはありえると思う。
画像解析技術と検索によって、誰がどこにいるかがすぐにわかる。
→画像解析技術が進歩しても、肝心の画像データがないとどうにもならないぞ。監視カメラが増えるかどうかは、技術じゃなくて社会の問題だろう。衛星写真から個人を特定するのは、物理的に限界があるだろう。ただ、「この点の人物を追跡しろ」みたいなことは出来る(あるいは、既に出来ている)と思うけどね。
社会のシミュレータが発達するので、政府が施策を打つまえに何が起こるのかがわかるようになる。
→経済分野に関しては、既に色々なシミュレーションを官僚(と日本銀行)がやって(政治家はバカだから)、対策を練っているのだろう。ただ、「地球シミュレータ」みたいに、政府が出資して「日本社会シミュレータ」とかいうプラットフォームを作り大学や研究所に研究を公募して、その上で色々な政策を実施してみる・・・ということはありえると思う。もっとも、そういうシミュレーションは、大抵の場合、為政者に「専門家チームの意見です」って報告がわたるだけで、専門家やシミュレーションを信頼しない為政者を選んでしまえば、シミュレーション技術がいくら進歩しても無駄。終わり。
天気予報が100%当たる。
→精度はあがるだろうが、原理的に100%あたるのはありえない。
検索エンジンがより進化し、あらゆる疑問に対して答えることができるようになる。
→自然文検索は、既に大御所がGoogleに対抗してやろうとして、Microsoftに買収された。Googleは、内部ではもちろん自然文検索の研究もやっていると思うが、外面的には自然文検索よりもキーワード検索の向上の方に注力する、と表明していて、それはたぶん正しい判断。
状況を判断して、自分が知りたいと思う前に必要な情報を教えてくれる。
→これは、ありえる。
数十年後の前提で回答。
生涯IDは不変。
あらゆるものがタグ化。
全員が自宅勤務。
テレビ電話の機能が大幅に上昇。
すべての乗り物は共有財産となり、最小のコスト、かつ最速で目的地に着けるようになる。
遺伝子の解析によって将来罹患する疾病の内容や時期がわかるため、予防医療が急速に発達。
オンラインゲームのインターフェースがすべてのアプリケーションのインターフェースを侵食する。
CPUの演算があまりにも早いため、プログラムの効率性がどうでもよくなる。
それに対して通信速度はそれほど上がらないため、ローカルでできることはローカルでやろうとすることが増える。
画像解析技術と検索によって、誰がどこにいるかがすぐにわかる。
社会のシミュレータが発達するので、政府が施策を打つまえに何が起こるのかがわかるようになる。
天気予報が100%当たる。
http://anond.hatelabo.jp/20081214010628
どう考えてもって、どう考えたんです? 何か根拠を元にしてるわけですか? 素朴な疑問。
いや俺も正直、大気汚染問題について真面目に調べたことはないんだけど(宿題かな)、どうなんだろう?
都内の汚染物質の濃度は改善傾向みたいですね。ベンゼンこの10年で半減とか、これ賞賛されるべきいいニュースじゃなかったりしないかしら。
都道府県別の死因の傾向。大都市圏で大気汚染の影響が出ているかといろいろ眺めてみたが、よくわからない。もちろんこんなことで何か素人判断するのは十中八九間違ってると思うが……。
世界規模での調査の結果、間違った思いこみを修正するためのがん予防キャンペーンが必要であること示した
多くの人々ががんの原因について、比較的影響の小さい環境要因を大げさに怖がり、がんのリスク要因として明確にわかっている行動要因の影響を小さく見積もるという間違った思いこみを持っている。
・ 豊かな国では、飲酒よりストレス(57%)や大気汚染(78%)のほうが大きなリスクと見なされている。しかしながらストレスががんの原因になるとは認識されていないし大気汚染は飲酒に比べれば僅かな寄与しかない。
・ 一般論として、全ての国の人々は、過体重などのようなよく知られたがんのリスク要因でも自分でコントロールできるものより、大気汚染のような自分がコントロールできないものをがんの原因と認めたがる。
このあたりを見て、どうも大気汚染のリスクは誇張されているようだぞと判断しているのですが。いや、大気汚染問題に詳しい人には怒られると思うんだけどね、たぶん。がん以外のこともあるし。
一方の受動喫煙。壷からのコピペでアレだけど、こんな感じらしいんだけど。
・フランスで2007年にレストランやホテルやカジノでの喫煙を禁止して以降心筋梗塞による救急患者が15%減
イタリアでも同様の結果
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20080227#p3
・アイルランドの禁煙法施行で、非喫煙者の従業員の健康状態が劇的に改善
http://www.kin-en.info/release_070514.html
http://web.archive.org/web/20070814075657/http://www.metamedica.com/news2000/2000121701.html
・スコットランド 禁煙法により心臓発作の入院が1年間で17%減
http://www.drakahige.com/NEWS/DAILY/2007/2007121001.shtml
http://www.nosmoke55.jp/data/0706who_shs_matuzaki.html
・屋内禁煙法施行1年後の自己申告調査で、アイルランドのバー従業員の呼吸器症状が16.7%減っていた。
・カリフォルニア州における調査では、バー禁煙法の施行前と比べて、施行後8週間で
バーの従業員の呼吸器症状が59%、粘膜刺激症状が78%減った。
・ニュージーランドの2002年の調査では、禁煙のオフィスで働く労働者の呼吸器症状と粘膜刺激症状は、
・スコットランドで2006年に屋内の全面禁煙法が執行されて以後、バーの従業員は、呼吸器症状が減り、
呼吸機能が改善し、全身の炎症所見が正常化した。気管支喘息を患っている従業員では気管支の炎症が減り、
生活の質が向上した。
・米国のモンタナ州へレナとコロラド州プエブロでは、職場と公衆の集まる施設を全面禁煙にするという強力な
法令が施行されてから、イタリアのピードモントと同様に、心臓発作(心筋梗塞)の発生率が平均20%[g]減った。
あと、「リスキー・ビジネス」p.322あたりを読むと、米有名タバコ会社が、「大気汚染の問題を強調して、環境タバコ煙(ETS)問題など取るに足りないと思わせる」工作をやっていたとか。「説得力をもたせるため、ある程度バランスをとってETS問題も論じないといけないが、全体的に望ましい方向にもっていく……コンサルタントには重要な科学会議にはかならず出席するよう求めている。科学界や世論を動かすのに利用できそうな会議すべてに」云々。すごく……きなくさいです。
あとは、カリフォルニア州がタバコの煙を大気汚染物質に認定したりしてますね。
日本で路上から喫煙規制がかかってるのは、人口密度、鉄道社会(駅周辺の混雑)、通勤時に多い男性の喫煙率の高さなどで説明がつくと思いますよ。
それと、女性の喫煙増えてますよね。なんか最近露骨に若い女性をターゲットにした新商品が出てるじゃないですか。あれ見て勝手に青筋立ててるんだけど。男性喫煙率が他国並みに下がる頃には他国と同じ傾向になってしまってそうだ。
つーか感覚的な話をすると、ほぼ透明無臭の排ガスより、目に見えて悪臭のするタバコの煙のほうが普通にヤですけどね、俺。タバコ片手のバイクが通り過ぎていったりすると、タバコの匂いのほうが圧倒的に鼻につきますもん。最近は昔のように黒煙を吐くクルマもあまり見かけなくなったし、そうなるとなおのこと昔と同じ煙と臭いを出してるタバコが突出するというか。
社会において実質的に機能している「学歴主義」って、会社の書類選考上のスクリーニングだけでしょう。
面接過程にはいったら、学歴よりももっと生の情報がたくさんあるんだから、人事担当者が合理的であるかぎりは、非学歴的な情報のほうが重要視されるものとおもわれます。でなければ、そんな会社はすぐにつぶれてしまう。
いわんや入社後のキャリアをや。「能力がないのに学歴だけはあるひとばかりが昇進していく」というのはルサンチマンゆえそれが目につくだけで、それが大勢であるとはとてもおもわれません。でなければ、やはり、そんな会社はつぶれてしまうでしょう。
商売人というものをあまりなめないほうがいい。
学歴のことでいじめられた、とか、そういう話もあるかもしれませんが、そういう社会意識上の対立はミクロな政治的対決によって乗り越えていくしかないわけで、ここでは、給料やポストといった客観的地位を決める上で学歴というものが効いているかどうか、ということだけを考慮にいれます。
ついでにいうと、それが学歴によって決まっているとしても、それだけでは問題になりません。問題となるのは、そうした選抜が、社会的に見て非効率であったり、不公平であったりする場合のみです。
ここでは「社会において実質的に機能している『学歴主義』って、会社の書類選考上のスクリーニングだけ」だということにして、この点についてのみ考えてみましょう。これ以外の場合については今回は考慮しません(たんなる予想ですが、これ以外の問題はすべてルサンチマンによる色眼鏡でしょうね)。
この場合、学歴主義批判の第一答弁はつぎのようなものになるはずです:書類選考上のたんなるシグナルにすぎない学歴で候補者を切り捨てるなんてけしからん!
この主張に対する反対答弁はこうなるでしょう:入社時にシグナルとして使われていることなんてはじめからわかってるんだから、そのシグナルを身につけられるようにがんばっておけばよかったじゃない。
話をイメージしやすくするため、ここでは「書類選考上有利なシグナルを身につける」=「良い大学にはいる」ということにしておきましょう。
この反対答弁を生き延びられる学歴主義批判はほとんど存在しないと思います。「学歴が重要だなんてことははじめからわかりきっていたことなのに、なんでそれを手に入れておかなかったの」。そうではないですか?
この反対答弁を生き延びることのできる学歴主義批判はふたつだけだと思います:(1)入試で必要なスキルと社会人に必要なスキルはちがうのに、入試で人々を選抜するなんて、社会的に見て非効率だ、(2)お金のある家庭のひとほどいい教育を受けられて、いい大学にすすめる。これは不公平だ。
問題は、かくして、「良い大学にはいる上で社会的な非効率性や不公平は生じているか?」という問いへと移ることになります。
現行の大学入試は社会人になって役立つスキルをもった人間を選抜するうえで役に立たない?そこには社会的な非効率性が存在している?
それは正直わかりません。もしかしたらそうかもしれないし、そうでないかもしれません。そんなの、誰にもわからないでしょう。
とりうる方策は、大学教育の目的(ここでは「よい会社にはいれること」になってしまうわけですが)の達成スコアがその大学への入学の難易度に反映するような仕組みをつくることだけでしょう。実際の具体的な選抜の方法は各大学が試行錯誤のうえ見いだしていくしかありません。
結局は各大学の目的達成スコアの歴史がその大学のブランドを決定し、その大学への入学難易度を決めるのです。そう考えれば、すでに何十年ものモニタリングをへて形成されてきた大学のブランドには、おおむね一定の有効性がある考えるのが妥当でしょう。学校教育の成績と社会でのスキルがまったく相関していないとすれば、この制度が何十年にもわたって存続しえたはずがありません。
もちろん、「もっとよい制度」はありうるとおもいます。それは否定しません。事実、世界の選抜システムが日本とおなじわけではありません。しかし、そうした批判は、(1)「もっとよい制度」を具体的にデザインして、(2)その制度が優れたものとなりうる根拠を論理的にしめしたうえで、(3)何年、年十年かそのシステムを走らせることによって実績をつみかさねる、ことによってしか現行の制度にかわることはできないでしょう。そんな途方もない!と思われる方は、現行の選抜制度はこのプロセスを生き延びてきた制度なのだということを忘れるべきではないでしょう。
現行の選抜制度の非効率性についての結論はこの通りです:非効率かもしれないけど、非効率じゃないかもしれない。すくなくとも何十年も存続しているんだから、そんなに悪くはないんだろう。文句があるなら、もっといい制度をデザインしてからにしてくださいよ。
最後に、もっとも重要な点ですが:お金のある家庭のひとほどいい教育を受けられて、いい大学にすすめる、というようは不公平は存在しているのでしょうか?もしこれが本当だとすれば、学歴主義は間違いなくけしからん制度です。機会の平等という、近代社会の基本原則に抵触します。
この文脈でよく引き合いにだされるのが「東大進学者の両親の平均年収は1000万円をこえている」というはなしです。Presidentなんかでもよくみるはなしです。
この話を聞いたときにいつも思うのが次のようなことです:それって疑似相関なんじゃないの?ほんとの要因は遺伝で決まる能力なんじゃない?「親の能力高い→親の年収高い」、「親の能力高い→子供の能力高い→子供の学歴高い」、という因果関係が存在しているだけで、「親の年収高い→子供の学歴高い」というのは疑似相関であって、因果関係ではないんじゃないの?(疑似相関の意味がわからない人はググって下さい)
だから、被説明変数を「大学志願率」として、その決定要因を探りたいのであれば、最低限、「親の年収」にくわえ、「親の学歴」をいれるべきでしょう。このモデルで「親の学歴」が有意で影響大となる一方、「親の年収」の影響力が下がるのであれば、その結果は、「子供の学歴を決めるのは親の年収だ」という主張があやまりであることを支持するものになります。
また、「親の年収が高いほど子供の教育にお金がかけられるのでいい大学に行けるようになる」と主張したいのであれば、そのままずばり「○○時点教育投資額」のような変数も決定要因にいれてみればよいのです。
「お金のある家庭のひとほどいい教育を受けられて、いい大学にすすめるのは不公平だ」と主張したいのであれば、最低限これぐらいの論拠はしめしてほしいものです。
そんな論文ないものかな?と思い、google scholarで「教育 学歴 年収」といれてみたところ、そのままずばり、次のようなレポートがでてきました。
(1) 自分が大学に進学するとどれぐらいのリターンがあると考えているか(主観的ベネフィット)
(3) 保護者が子供の進学にかかる資金を負担できると保護者が考えているかどうか(主観的資金調達能力:保護者)
(4) 保護者が子供の進学にかかる資金を負担できると子供側が考えているかどうか(主観的資金調達能力:高校生)
(5) 中三時点までにどれだけの教育投資を行ったか(中三時点既出教育投資額)
(7) 性別
結果は次のようなものだったようです:「すべての経済変数が、大学進学希望に関して予想される形で影響を及ぼしていることを意味している。また同時に、親学歴を含めると大学進学行動の予測を7割強の確率で行えることを表している。また、標準化したロジスティック偏回帰係数に注目すると、進学行動を強く規定しているのは、保護者最終学歴(父親)、主観的資金調達能力(保護者)、性別、主観的資金調達能力(高校生)、主観的ベネフィット、中三時点既出教育投資額、客観的資金調達能力の順となっている」
要するに、父親の学歴と、親が資金を負担できると考えているかどうかという主観的評価の影響がもっとも大きく、中三までにどれだけの教育への投資が行われたか、親が客観的にみてどれだけの資金負担能力をもっているかは、もっとも影響が小さかった、という結果になったわけです。
この結果をうのみにするわけではありませんが、これを見る限り、「お金のある家庭のひとほどいい教育を受けられて、いい大学にすすめるのは不公平だ」、という主張はかなり論拠があやういということになります。
今回はまず、対象の範囲を「社会において実質的に機能している『学歴主義』って、会社の書類選考上のスクリーニングだけだ」という風に限定しました。つぎに、「書類選考上のたんなるシグナルにすぎない学歴で候補者を切り捨てるなんてけしからん!」という「学歴主義批判派の主張」を、「入社時にシグナルとして使われていることなんてはじめからわかってるんだから、そのシグナルを身につけられるようにがんばっておけばよかったじゃない」というリーズナブルな批判にさらすことで「良い大学にはいる上で社会的な非効率性や不公平は生じているか?」という問いに変換しました。そのうえで、「現行の大学入試制度は非効率か?」「現行の大学入試制度は不公平か?」という点についての若干の考察を加えた結果、「おそらく、非効率でもなければ不公平でもないだろう」という暫定的な結論がみちびかれました。
多くの点で不十分ではありますが、すくなくとも理にかなった論旨の展開にはできたのではないでしょうか?