もー!
きっと大台突破してたのにー!
って合計しても、行ってませんでした。
あーあー、あともうチョイだったのに残念。
また次頑張りましょう。
久しく大台のチャンスだったのに、
悔しいわ~!
まだまだ日々の鍛錬が足りないわね。
朝はしっかり食べないとね!
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そりゃクソだと思うけどあれが衆院選に出るからなんだっていうの
程度が低すぎてほんとうんざり
なんではてなは長谷川豊がなんかするたびトップニュースになるの
もはや重要性で選んでると言うより
自分たちが的に掛けた奴がまだ息してるのが気に入らないとか
「有名アニメ監督で、アニメーター時代に監督に姿勢を教わらなかった人などほぼ皆無」
そのとおり。
そのとおり。
「最初は無能アシスタントだったのが有名漫画家になった例はゴマンとある」
有能そうな人の方が有利なんじゃないだろうか?
少しは可能性が見える人の方が有利じゃないだろうか?
「人が死んでいるんだぞ」という言葉の意味がわかった気がしたけど、しばらく経ったらまた判らなくなった話。
私は「人が死んでいるんだぞ」という人が何を意図しているのか分からない。
こちらの場合は発言者が何を意図しているにせよ、結局は「仕事をしろ」ということだろうから、別に困らない。
人が「会社は学校じゃない」と言う時、意味するところは次のどれかだろう。
・カリキュラムが組まれていて先生がそのとおり教えてくれるわけじゃないぞ。
・お前はサービスを受ける側じゃない、提供する側だ。受け身で居るな。
・学校では努力も評価されたかもしれないけど、会社は違うよ。成果出して。
これらのどの意味であったとしても、「わかりました」と答えて、ちゃんと仕事をすれば問題ない。
しかし「人が死んでいるんだぞ」の場合はそう簡単じゃない。(私にとっては)
おそらくその意図は時と場合によって違うのだろうけど、どう反応するべきかの着地点がわからない。
「人が死んでいるんだぞ」から感じるべきことは、こんな感じか?
・死者を冒涜するな。まずは死を悼め。
これら全ての意味が含まれているとして、「関係者は責任を明らかにしろ、部外者は不謹慎な反応をするな」ということだろうか。
しかし、この手の発言をする人の中には普段は標準語なのに「人が死んでるねんで!」と茶化したり煽っているかのように言う人も居るので
「不謹慎な反応をするな」という意図なら、矛盾していることになる。
だから「人が死んでいるんだぞ」という言葉は、自分にとって長らく意図がハッキリしない言葉だったのだが、
自分に向けて言われる機会が有るわけでもなく、Twitterなどで観測しても反応しなければそれで済むので、そのままだった。
それでこの間、小説『Before The Fall』(Noah Hawley著) を読んで、「人が死んでいるんだぞ」という言葉の意味がわかった気がした。
実業家の家族とそのボディーガード、招待された夫婦と売れない画家を乗せたプライベートジェットが海に墜落する。
画家は実業家の幼い息子を抱えて海を泳いで浜にたどり着き、生還する。
墜落の原因がわからないまま報道は加熱し続け、次第に画家にも疑いの目が向けられる。
とりわけ一人のニュースキャスターは画家を攻撃し続け、番組で彼の過去や私生活を暴くなど叩きまくる。
これを読んで、「人が死んでいるんだぞ」=「恥を知れ」で腹に落ちた。
「お前の品性は下劣だな」を死者がいるという事実を使って反撃されにくい形に変換しているのではないか?
でも冒頭に書いたように、しばらくしたらまた解らなくなってきた。
言葉は難しい。
会議とか相手に迷惑かかるような行事に遅れるのはアカンけど、正直始業時間に遅れるとうるさい会社はバカだと思う。
社会人としての信頼とか言うけど、始業時間とか会社にみんな居て何が効率的なのか。
自分に甘くなるとか言うけど、厳しくしたって業務に影響ないだろ。
家の会社はバス通勤なので自家用車じゃない限りバスの時刻表に縛られ、そのバスに乗るために電車の運行に左右され、そのしわ寄せが家を出る時間に影響する。
無遅刻無欠席で何もなく、金が1銭も出ないのに始業10分前に着くくらいなら、1分遅れて有休1時間消化する方を選ぶわ。
勤勉さの無駄遣いだよね。
自分のツイッターで敵対勢力への罵倒を繰り返すって、今から思えば完全に橋下のやり口なんだけど、
あいつが大阪でいろいろやっていた時は、ここまでやることなすこと全否定はされなかったはずだぞ。
自民党と敵対するポーズをしておけば、何やってもある程度許される空気が日本のメディアにはある。
それから敵を設定して騒ぎ立てるという点では、小池の手法もまさに彼らと地続きだ。
ところが、こちらもポピュリズムとの批判は全くと言っていいほど目にすることはない。
メディアではとにかく森だの都議会のドンだのとのバトルを煽っているようにしか思えないのだ。
いつも謎なのは、勉強の内容自体には理由や文脈まで把握することを求めるのに、形式に関しては最終的には盲目に受容しなければならないという理論でカットアウトしてしまう場合がよく見られること。理性的でもないし、勉強させる効力もない態度で終わってしまう。
たいていこの話は勉強できる人たちと勉強できない人たちが交わる場所で生じる。だが、勉強できる人たちは勉強に苦を感じないので勉強する理由を探索する必要がない。また一方で、勉強できない人たちは勉強する理由を欲しているけれども勉強をできないのでその理由を探索できない。
だから、この手の話で一番納得がいった答えは、なんのために勉強するか分かるようになるために勉強するってことかなと思う。
なんで勉強するのかわからないならば、勉強して分かるようになればいい。それは勉強してみないとわからない、勉強してもわからないかもしれない。けれど分かるようになることがある。勉強をする理由が知りたいならば勉強するしかない。
つまりこれは勉強できない人たちに宗教的決断を促す行いなのだ。
なので、勉強する理由がわからないのに勉強しなければならない人には、勉強を続ければ言葉では表せないけれどなぜ勉強をするのか分かるようになるという宗教的事実(?)と、それまでの間に苦痛なことを耐えるためのテクニックを指示するっていうのがベストであるように感じる。それ以上の理性的ななにかが用意できるのだろうか。ほんとうは信仰心なんてものに頼ることは理性の観点からは望ましくないのかもしれないけれど、まずは宗教者が正しいということを受け入れる心性がなければ理性は手に入らないという仕組みになっているように思う。理性が手に入ってからようやく勉強する理由にたいしてどうこう言うことができたり、それを理解したり実感できたりする。それまでは信仰しなければならない。
はじめの段階でこれを受け入れるにはある程度知的活動による充実感を得たことがあるという宗教体験がすでにあるか、あるいは他の場面において日常的に信仰心をもつという習慣があればよいようで、実際にそういう人たちは勉強する理由を理解していなくても勉強を続けられるみたいにみえる。
「ちゃんと読んでる?」って書いた「俺」です。
>何故別人の作ったルールを守れなどと妙な事を言い出したのか。
だから、そんなこと言ってないでしょ。
俺が言ったのは「勝手ルールに従えとはどこにも書いてないよ。」
ほんと、「ちゃんと読んでる?」だよ。
「漫画がどうとかいう増田が頓珍漢なのさ」って書いた人の意見が
至極まっとうだと思ったから。
以上。
俺が口を挟んだからややこしいことになりました。
申し訳ない。
コトコトうるせえやつだなーシチューかお前は
著作物には多種多様の権利が発生する中で、今回Jが言い出した事は
今まで目こぼししてきた事を、金が足りなくなったから目こぼしをやめて金を集めると言ってるだけなんだが。