中学生の国語の授業で出た課題で「なんでもいいから随筆を書け」というものがあった。
当時影響を受けまくっていた椎名誠の文体で「なぜクラスの女子は笑うときに手を叩くのか」という題で体験と分析を交えて原稿用紙10枚位に書いて提出した。
その時に担当の国語教師に言われた「君のは随筆じゃなくて論説文だろ」という言葉は、十数年経った今でも未だに納得できていない。
なぜ人は笑うときに手を叩くんだろうね。
なるほど、ミソジニーはこうやって作られるのか。参考になる。
シビリアンコントロールはしやすいに超したことがないからなあ。
オムツというものは、子供か老人が履くもので、大人になればオムツを履くべきではないというのが、ひとつの社会常識になっている。
(障害や病気によってオムツを履かざるを得ない人や、ネトゲ廃人でトイレに行く時間が惜しい人、オムツプレイが大好きな人もいるだろうが)
しかし改めて考えてみると、オムツを履くべきでない理由というのが、実に根拠薄弱であることに気付く。
オムツを履けばどこでも用を足せる。
そう考えると、実は社会を変革しうる革新的なガジェットであるような気さえしてくる。
もちろんデメリットはある。
公衆トイレは無料で使えるのに対して、オムツを買うのにはお金がかかる。
大人用であれば1枚あたり数十円といったところか。
あるいは、全人類がオムツを履くようになれば、技術開発が進み価格は低下するだろう。
合理的に考えるならば、やはりオムツを履いたほうがいいという結論になるはずだ。
俺も履いていない。
実に不思議だ。
さもなければ「一家に一台核兵器」な状況になりかねん
そもそも間接的民主主義は国民が一定の水準のバカであることを前提にした制度である
何が問題なの?
そもそも、正社員なんてのはそれぐらいでいいんだよ。
教育システムに権限を持っていなくても、財布を握ってればいいんだよ。そこが「それに予算は出さない」と一貫した態度を取ればいいだけだからね。
「8日前に知っていた」ことに対して怒るのは、8日というタイムリミットを政府が知っていて早急に警報を出して対策をとるべきだったと言いたいのだろう、と読んでしまう。
地震津波の可能性を書かせなかったことに対して怒っているのなら②の方だけど、そう受け取るにはその人物の発言は不自然で、語気が強すぎる(8日前と言う必要がない)。
国語の文章としてサラっと読んで回答すると、登場人物の感情は置いといて、その前の文の正しい解釈が答えのはずだ、と②を選ぶと思う。
わかるわー。
男って、できないところが何か一つでもあると他の男に比べてダサいんだよね。
資格がない、学歴がない、収入がない、料理ができない、育児ができない、仕事ができない、気配りができない、情けない。
総括すれば「頼りない」につながるんだけど、ほんと上に一つでも当てはまる男ってほんと価値がないよね。わかるわー。男だけど。
さわやかな日曜日の朝、香ばしいコーヒーのにおいに導かれて、寝起きのぼくはママに挨拶しにいこうとしたけれども、
その前にパパを起こしてあげなきゃと思って、「パパおはよう!」って元気に寝室のドアを開けた。
「おいおい、今日は日曜日だよ」と、ねむたそうに言うパパは、きのうまで働きっぱなしだったから、疲れているのはむりもない。
パパのボールはとっても速くて、バットのスイングも力強いから、ぼくの最高の練習パートナーなんだ。
「ねえねえ、公園に行こうよ、起きて起きて!ママがコーヒーを淹れて待ってるよ」
「勘弁してくれよ。もっと寝かせてくれ」
ぼくはがっくりして、いったん寝室を出ようとするものの、ドアをにぎる瞬間にひらめいた。
よーし、ベッドで暴れちゃえ!
その日の夜、ぼくが部屋で読書をしていると、ママがノックした。
「パパのボールはつぶれて、バットは折れちゃったんだって。ママ、今からお見舞いに行ってくるね」
ああ、もうパパとは野球ができないんだって思ったら、急に泣きそうになったけれど、ぐっとこらえて、
「ぼくも行く」と言う。
「だめよ、あなたはお留守番していなさい。ごはんは作っておいたから、食べて待ってて。なるべく遅くならないようにするね」
夕飯の野菜炒めはすこししょっぱかった。
ランプの明かりがほのかに照らす薄気味わるい部屋の中で、自分の咀嚼する音を聞きながらちょこんと座っていると、
にわかに朝の記憶がよみがえってきて、きょう初めての涙がほろほろ流れた。
「お前もいずれは立派な大人になるんだぞ。パパはいつでもお前のそばにいる。」
いつかパパの言った言葉が頭をかすめる。
パパのようなかっこいい大人になりたいのに。
なんで置いていっちゃうの。
ぼくは、パパともういちど野球がしたい。
ママからの電話は、のこった野菜炒めの皿を冷蔵庫の中に入れようとするときに鳴った。
「入院中、DVDを見たいってパパが言うから、わるいんだけど、あなたパパの書斎から探して持ってこられる?」
荷物であふれるパパの書斎を探っていると、見慣れないパッケージのDVDが目にとまる。
"豹変"ってなんて読むんだろう。これを持って行って、パパに聞いてみよう。
そう思ったときだった。
ぼくのボールとバットは、みるみるうちに大変化を起こし、大人の階段を一気にかけ上ったのだ。
その瞬間、ぼくはすべてを悟った気がして、パパに申し訳ない気持ちになった。
その中のそこそこの国立大も出てて比較的良い企業に務めてる、ちょっと良いなと思ってた男性が居たのだけれど、BBQの準備の手際が悪すぎて幻滅した。
BBQマシン設置に手間取る、火を上手く直ぐに起こせない、女の子たちがせっかく皮をむいた野菜を串に刺す時ポロポロと落とす、焼き始めたら焼き始めたで焦がす。
普段爽やかに見えた彼のショボさがBBQで露呈し本当にダサくて幻滅だ。
私の故郷、試される大地では父も兄も男友達もパパっと準備できていて、男の人は全員そう言うの得意だと思ってたのに、あんな男性もいるんだと幻滅してしまった。
そもそも考えたことがない。
それじゃダメだよね。国が予算出してるんだからさ。独立しようが国から予算もらってる以上は研究意図を明確にし、その研究が将来何の役に立つか(これは可能性でいい)まで主張できるようにならないと。
それがない文系の研究にたいして価値はないよね、予算減らそう、というのは当然の成り行きだと思わない?
たとえば企業が人材を採用するにあたっては、その人材が会社が人件費を払うにふさわしい人材か、というのは重要だよね。
国が予算を出すにあたって、それにふさわしい研究かどうかを選別するのはなんら問題ではない。これが差別だとか言うならトリアージはナチ、だよね。
世界のトップレベルに伍して活躍するわかりやすいヒーローで、科学者とかよりとっつきがいいからでしょ。
「どういうバカなことを書いているのか?」という興味本位で読んでみたい
人にしてはお粗末だね。
2.友達との交流やデート=ごはん、だと考えていて海や山にいくなどのアクティビティはほぼない
3.ニートといいながらマイルドなデスクワークの仕事についている
4.勝ち組だと思い込んでいる
5.買い物の7割以上がAmazon
偉大なる先増田様:http://anond.hatelabo.jp/20140516104142(削除済)
自分はワールドカップには全く興味ないので、普段は全く読み飛ばしているのだが、
今日は「代表23人のプロフィール欄」に書かれている「あること」が気になった。
なんと選手23人のうち11人が「著書」を出してる。
「出版界が芸能人やスポーツ選手に頼らざるを得ないお寒い状況だ」ということが、
★というか、こんなに著書を、それも「サッカー以外の分野の本を」書かせるのは
野球選手はここまで「野球以外の分野」について著書を書かないし、
「道を拓く力」「上昇思考」「夢ノート」「心を整える」「明日への足音」・・・
多分、自己啓発業界のゴーストライターがいて、名義を貸してくれるサッカー選手を探し回っているんだろう。
★こういう本の購入者って、「サッカーファン」が買っているというより、
自己啓発本ばかり買っている残念な人、それも選手の名前も知らないような人が、
「日本代表が書いた本!」というPOP広告に騙されて購入してるイメージがする。
自己啓発本を読み漁る人って、結局読むだけで実践しないんですよね。だから残念な人。
★そういえば、たまにネットカフェに行ったら、自己啓発本(ナポレオンビルの類)が「販売」されていた。
きっとネカフェにたむろするワープアが、「現状打破」の為に購入するんだろうが、
そんな本読むより、資格取得本を読んだほうが1億倍役に立つと思うのだが。
結局こういう人って、自己啓発本読んでいるだけで、「なんとなく、将来が拓ける気がする」という
オメデタイ人なんだろうなあ。
★多分、この手の自己啓発本って、そのままブックオフの特価コーナーの常連になるんだろうなあ。
サッカー選手系の自己啓発本は、まあそれよりは高値取引なんだろうが、そもそも中身がスカスカだから、高値が付くはずがない。
中身スカスカという点では、田母神・百田・竹田辺りのネトウヨ本と同列。
★百田や田母神の本の方が「どういうバカなことを書いているのか?」という興味本位で読んでみたい気がする。