はてなキーワード: 斎場とは
最近在宅勤務が続いていて精神的によろしくなく、気持ちになったので20才台のうちに死んじゃった友達のことを書く。
死んじゃったNちゃんが、一度目に死にかけて入院して一時退院して会いに来てくれた時、ビール飲みながら俺は彼にこう言った気がする。「死ぬのも生きる俺の人生じゃないからどうしようもないけど、Nちゃんが死んだら俺は悲しいから、死なないで欲しいなあ」結局彼は目的を完遂してしまった。彼はなんていうか、精神的にパンクでありつつ、小心者でもあり、一緒にバンドをやっていた時に俺のベースを1本ぶち折ったりするようなハチャメチャなところがあった。ガキ大将的に人に好かれる才能があったと思うし、彼のことを好いている人も多くいた。雨が降る地方都市の、線路っぷちの斎場に彼の友達がたくさん集まった。彼の両親は彼がどのように生きているか細かくは知らなかったらしく、長髪の、刺青の、金髪の、強面の若者たちがどんどん集まって彼を送ろうとしていることに驚いていた。斎場のスタッフは椅子が足りなくなって走り回っていた。俺はどうしても彼の死に顔を見られなくて、はっきり言えばリアルを確認することにブルって、とうとうそのまま彼を灰にしてしまった。葬式の最中思い出した出来事。昔Nちゃんと他の友達とカラオケに行ったときに、誰かが人を失神させるにはこうするんだみたいな話題になった。Nちゃんが実験台になって、あっけなく頸動脈をグッてされて失神した。戻ってきたときNちゃんはきれいに落ちるとスゲエ気持ちいいわ、みたいなことをテンション高く話していたな。そんな情景がグルグル回っていた。
うちのバンドのボーカルだったMが行方不明だ、という知らせを聞いたのが何きっかけだったか覚えてない。ドラムのSが電話してきたのか、フェイスブックだったか、ツイッターで回ってきたのか。Mが車ごといなくなって、俺たちのライブは1週間後に迫っていた。出ないっていう選択肢はなかった。まだひょっこり戻ってくる可能性もあったから、メンバー全員で出演するって話になったと思う。なんかMがヤ○ザ関係のトラブルに巻き込まれたんじゃないかとか、結局前と一緒で借金で首が回らなくなってどっか隠れてるんじゃないかとか言っていた。Mのツイッターはいなくなる直前まで普通に人生を楽しんでる風だった。ぽっかり空いた穴に落ち込んだ、そんな感じさえ覚えた。
結局ライブの数日前、Mはこの世からいなくなってしまった。海岸で車ごと燃えてた、って話だけ聞いた。それって映画みたいだな、北野武映画だなって思った覚えがある。何となくだけどそういう結末もあるだろうなと思ったのでそこまで驚いた覚えはない。いろんな人に迷惑かけるだけかけて、そのままいなくなったような感じ。葬式は密葬で行われたようで、俺は結局Mが本当に死んだのか、いまだによくわからない。メンバーと一緒に墓参りにでも行くか、って話も出たけどそのままになっている。
その後バンドには新しくボーカルが入り、新しくギターが増え、新しくメンバーが出戻り、元気にやっている。死んでしまった2人には悪いけど、あんなところで人生辞めてしまったのはもったいないなと思う。あと、死んでしまったがためにもう彼らは若さを失うこともないし、思い出は美化され続けるんだろう。そんなところもズルいと思う。結局俺たちはそれぞれにそれぞれの人生を抱えて、ほんの一部の人生を共有して生きていくのだ。
霊柩車って斎場から火葬場に運ぶためだけにあるわけじゃなくて、病院から自宅など遺体を安置する場所へ運ぶ時にも使ってる(霊柩車じゃなくて寝台車と呼び分けてるけど)。
旅行や出張先でバタンと倒れて病院で死亡確認、普通は火葬せずに遺体のまま自宅とか斎場に運ぶ(最近は遺体を安置するためのホテルみたいな施設が斎場にある)。
100kmくらいなら休憩せずに運べるだろうけど、500kmもあったら休憩もするだろう。食事もするかもしれない。
だから日本でもマックに寄る霊柩車がいてもおかしくはない。緑ナンバーだから遺族も一緒に乗れるし、同乗した遺族がお腹が空いてマックへ行こうと言うかもしれない。
車はストレッチャーが入る大きさの車で、今はアルファードとかエルグランドみたいなミニバンも多いから気が付かないだけだと思う。アルファードのハイヤーもあるから緑ナンバーのミニバンくらいじゃ気にならないし。
最近在宅勤務が続いていて精神的によろしくなく、気持ちになったので20才台のうちに死んじゃった友達のことを書く。
死んじゃったNちゃんが、一度目に死にかけて入院して一時退院して会いに来てくれた時、ビール飲みながら俺は彼にこう言った気がする。「死ぬのも生きる俺の人生じゃないからどうしようもないけど、Nちゃんが死んだら俺は悲しいから、死なないで欲しいなあ」結局彼は目的を完遂してしまった。彼はなんていうか、精神的にパンクでありつつ、小心者でもあり、一緒にバンドをやっていた時に俺のベースを1本ぶち折ったりするようなハチャメチャなところがあった。ガキ大将的に人に好かれる才能があったと思うし、彼のことを好いている人も多くいた。雨が降る地方都市の、線路っぷちの斎場に彼の友達がたくさん集まった。彼の両親は彼がどのように生きているか細かくは知らなかったらしく、長髪の、刺青の、金髪の、強面の若者たちがどんどん集まって彼を送ろうとしていることに驚いていた。斎場のスタッフは椅子が足りなくなって走り回っていた。俺はどうしても彼の死に顔を見られなくて、はっきり言えばリアルを確認することにブルって、とうとうそのまま彼を灰にしてしまった。葬式の最中思い出した出来事。昔Nちゃんと他の友達とカラオケに行ったときに、誰かが人を失神させるにはこうするんだみたいな話題になった。Nちゃんが実験台になって、あっけなく頸動脈をグッてされて失神した。戻ってきたときNちゃんはきれいに落ちるとスゲエ気持ちいいわ、みたいなことをテンション高く話していたな。そんな情景がグルグル回っていた。
うちのバンドのボーカルだったMが行方不明だ、という知らせを聞いたのが何きっかけだったか覚えてない。ドラムのSが電話してきたのか、フェイスブックだったか、ツイッターで回ってきたのか。Mが車ごといなくなって、俺たちのライブは1週間後に迫っていた。出ないっていう選択肢はなかった。まだひょっこり戻ってくる可能性もあったから、メンバー全員で出演するって話になったと思う。なんかMがヤ○ザ関係のトラブルに巻き込まれたんじゃないかとか、結局前と一緒で借金で首が回らなくなってどっか隠れてるんじゃないかとか言っていた。Mのツイッターはいなくなる直前まで普通に人生を楽しんでる風だった。ぽっかり空いた穴に落ち込んだ、そんな感じさえ覚えた。
結局ライブの数日前、Mはこの世からいなくなってしまった。海岸で車ごと燃えてた、って話だけ聞いた。それって映画みたいだな、北野武映画だなって思った覚えがある。何となくだけどそういう結末もあるだろうなと思ったのでそこまで驚いた覚えはない。いろんな人に迷惑かけるだけかけて、そのままいなくなったような感じ。葬式は密葬で行われたようで、俺は結局Mが本当に死んだのか、いまだによくわからない。メンバーと一緒に墓参りにでも行くか、って話も出たけどそのままになっている。
その後バンドには新しくボーカルが入り、新しくギターが増え、新しくメンバーが出戻り、元気にやっている。死んでしまった2人には悪いけど、あんなところで人生辞めてしまったのはもったいないなと思う。あと、死んでしまったがためにもう彼らは若さを失うこともないし、思い出は美化され続けるんだろう。そんなところもズルいと思う。結局俺たちはそれぞれにそれぞれの人生を抱えて、ほんの一部の人生を共有して生きていくのだ。
私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする
末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った
昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た
誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう
徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた
総入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね
誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中
掌の中で命が消えていく哀しい時間
段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった
その時を迎えた父は、寝た様に見えた
ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに
だけど、違う
腹膜が1mmも動いてない
それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した
開いた口と閉じた瞼
苦悶さは一切見えない
モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ
まるで着くの待っててくれたみたいだ
昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?
それぐらい不思議な早さだった
末期がんの診断出て2年
思っていたよりも長く父は生きた
その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて
末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホや家事や料理を始めた
引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネットで競馬したりLINEやyoutube視聴やポケモンGOもしだした
炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った
庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい
あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった
今回は自宅で看取れたので良かったと思う
祖父の時は病院で心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う
お医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う
今コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た
って母がずっと言っていた
…お父さん
私もありがとうって思ってるよ
朝が来た
真っ白な光の風景
暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た
父がいなくなってから初めての一日が始まる
しっかり務めるよ
一日後に見た父はダブルのスーツ着せてもらえてて安置してもらってた
顔は一日前に見たままだった
胸には花束が載っていた
父が庭で育ててた花で作った花束
ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ
もう一度、声をかける
訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった
出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった
線香をあげてから、頭を撫でる
暖かかった頭
髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体
変わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった
斎場へ
先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた
車はクラウン
ああ、トヨタなんだ
父はレンタカーはトヨタって決めてるぐらいトヨタに絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった
(偶然なのか帰りに捕まえたタクシーもトヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)
白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた
ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた
庭いじりが好きで実家も深い山の中の人だから、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく
注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく
ダブルのスーツをパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった
余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった
知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った
粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる
みんなで父にお礼を言った
泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり
各々の別れ方だった
そして、横、縦と閉まっていく扉
その時は終わった
それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった
物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える
ようやく終わったなー。そんな感じ
真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった
三週間前ホスピスに入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父
整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送しやすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分の意識で切り替えたとも聞いた
二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事
祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う
言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う
私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした
モルヒネで意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました
少し気持ちが落ち着いたから今書く。亡くなった後だと書けないだろうから。
おばあちゃんが大好きだった。長男教のジジイと違って自分に優しかった。両親共働きで寂しいときに遊んでくれたのはおばあちゃんだけだった。お手玉したり神経衰弱したりしてた。料理も作ってくれた。
おばあちゃんは常に癇癪起こしてるジジイの横にいて諌めてたりしてた。おばあちゃんはジジイより先に老人ホームに入ったんだけど、ジジイはしょっちゅう会いに行ってた。その時にジジイがおばあちゃん好きだったってようやくわかった。
おばあちゃんて幸せだったのかな。田舎の農家に嫁がされていびられるは夫は癇癪持ちでフォローしなくちゃいけないわ、孫は一人も結婚しないままだわ…「孫が結婚するまで死ねない」って言っててすごく長生きしたのに本当にすみません。兄弟全員モテないんです。
老人ホームに週一で面会行って親戚の人含めたら週三で面会行っててすごく元気だったんだけど、コロナのせいで面会行けなくなって元気なくなったみたいで入院になった。入院中も一切会えなかった。
今日にとうとうってことで電話きてようやく面会に行けたけどもう話せなかった。でも電話より実際は元気だからーってノリですぐ帰されたのに夜にまた電話かかって本当にヤバイことになった。会いに行ったけど常にアラーム鳴ってた。
悲しいことに生きてるおばあちゃんに会いたい人達は皆高齢だったり免疫低下する薬飲んでたりで、この時期に病院には来れない人しかいなかったから誰も面会に来ない。
親もコロナにかかってるかもしれないので病院に迷惑かけられないから泊まれないで帰った。葬式するにしても超家族葬になる。家はど田舎だから葬式盛大にやる地域だしジジイの時もめっちゃ大変だったけどジジイは喜んでるだろうなとは思った。
面会もされず、葬式にも人が来ないっておばあちゃん寂しいだろうな。本当にごめんなさい。
でもコロナにかかってたら葬式どころか最後の面会もなかったし、そもそも医療崩壊起きてるのかみたいなときにコロナでもない90代を入院受け入れしてもらえるか疑問なので恵まれてたのかもしれない。コロナで家族亡くした人達に本当に悪いけど、そう考えなきゃおばあちゃんが可哀相すぎて嫌になる。ごめんなさい。おばあちゃんがそんなこと考えてるわけないから完全に自分のエゴです。ごめんなさい。
書いてて辛くなったけど本当に死なないでほしい。コロナ終息するまで生きてほしい。親戚苦手だけどお通夜も葬式も49日も一周忌も頑張るから。迷惑じゃないから。100歳まで生きてよ。
本当にコロナ許さない。寿命だろうがなんだろうか知るか。おばあちゃん本当にごめんなさい。
9:45追記
今葬儀の手配が終わりました。本当はこれを書いた30分後には容態が急変して病院に呼び出しされてたので、すぐ消そうかと思ったら1ブクマついてて残してました。今落ち着いて見たら優しい言葉たくさんついていてびっくりです。ありがとうございます。
おばあちゃんに増田やってるなんて言ったこともちろんなかったけど笑 今日はおばあちゃんにたくさん言葉もらったよって話しかけてみます。
親父はおばあちゃんはあえてコロナの時期に亡くなったのかもよと言っていました。気を使う人だったので、家族葬だったり親戚呼ばなくていいこのタイミングを選んだのかも、と。そうかなー?
夜勤だったがほぼ警備室に詰めるだけだったので楽で時給も良く、さらに通夜ぶるまいの残りを食べさせてもらえる事もあり貧乏学生には非常に嬉しいバイトだった。
警備室には各部屋の監視カメラ映像がありそれをぼけーっと眺めている時間が大半。
お葬式は日中に終わってしまうので、俺たちが働くような夜勤の時間帯で監視カメラの映像に映るのは半通夜が終わり誰もいない祭壇だけが映されている事が多い。
それでも寝ずの番をされる方も少なからずいて明け方まで故人との別れを惜しむ人もいる。
ある日、いつものように余った寿司を頂いて警備室でウトウトしながらハッと起きると棺桶に顔を伏せて悲しんでるご遺族の映像が映ってた。
時間は夜中の1~2時位だったと思う。
「若い人なのかな?気の毒に」と思いながらそのモニターを見ていると、そのご遺族の方が突然パッと顔上げて思いきりモニターの方を見てきた。
解像度がよくないから表情は分からなんだけど、さっきまで棺桶に突っ伏して悲しんでいたご遺族の方が突然カメラの方を見つめているのは明らかだった。
監視カメラだから相手には分かりようがないんだけど、思わず怖くて目をそらしたが少ししてまたモニターに目をやるともうずーーーーっとこっちを見てるんだよ。
怖くて怖くてモニター消そうと思ったけど消し方分からなくて、モニターが視界に入らないように必死に本とか読みながら夜警から帰ってくる同僚を待った。
2ちゃんにあった実況板にあったskypeで知らない人・国に安価で突撃リレーラジオ
DJ名はひろしの嫁で、
繋がりも薄くなってしまったけれど基本はPCを使ってインターネットをする時代で。
2019年の今と違って、youtuberなんかいなくてUstreamがちょっと出てきたくらいで、
今みたいに実名ありきでなくて、
世界中の知り合いでない人とも繋がることができる世界だったのかと思う。
だいぶ長くなるかもしれないけど、今日のことは記しておきたくなった。
2019年3月23日に心不全で亡くなったと彼のお仕事仲間の方から
facebookのメッセージを通して3月28日の夜に連絡がきた。
3月30日の13時から火葬場に行く前に斎場でお別れの会を開催しますと。
12年前のリアルな世界では、プロデューサーとして一流な仕事人と聞いていた。
でも、Skype上では酒、タバコ、女、鉄道、アニメが大好きで
すぐに下ネタに走るし、ド変態だし、セフレいるし、すぐにヤろうとかいうし、
お金持ってるはずなのに、たまに本当に金欠でお金貸してとか言って踏み倒すし、
強引でくずだなあwだと思っていた。
本名も知っている仲で、オフあったのも数える程度だったけど会っても同じ感じで
でもなぜか、嫌いになることができなくて、
猫が好きで、酔っ払ってすぐ仕事とはこういうものとチャットで語り出して
むしろ仕事の姿勢の話はほんと尊敬していて不思議な魅力のあるナイスミドルだった。
ここ5年くらいは全く連絡していなくて、
こないだつい3週間前に偶然facebookで誕生日のポップアップが出てきて
おめでとうとメッセージを入れたぐらいだった。
そんな彼が亡くなったと。
そんな彼の訃報が本当だったら?
12年前に、俺を呼べるくらい仕事で成功するいい女になれよ、と口癖のように
チャットでも、通話でも、オフで会った時も言っていた姿がよぎった。
嘘だったら、嘘でもいいし。
本当に最期なら挨拶したいと思って、今日、3月30日に横浜の斎場に足を運んだ。
もし本人が生きていてちゃんとした喪服で行かなかったら、
怒られるなと思って喪服も昨日急いで10着ぐらい試着して1着買った。
電車の中で、もしかしたら生前葬かもしれないとか考えたりしていたら目的駅に着いた。
話しかけると目的地は一緒で、彼に仕事を頼んでいたクライアントさんだった。
彼女も先日これからお願いしますと挨拶したばっかりで、びっくりなんですと。
そんな話をしていたら、斎場に。
受付して10mもしない先に彼の棺と思い出の品々があった。
お線香の匂いがして、棺の右隣にお母様とご親類の2人立っていて。
女性が2人泣いていて。
お焼香の仕方もおぼつかなくて、きたよと挨拶したけれど本人と顔をあわせるのが怖くて
棺の中は見れなかった。
棺の横にはサッカーのユニフォームの写真や猫を抱っこしている写真もあって、本人だ。と思った。
仕事仲間で今回の会をお手伝いしている方が
時間になったら献花とお見送りに向けて声をかけますと言われて待機することにした。
同じように待機している人20代くらいの2人組に話を聞くと、
4、5年前に知り合ってスポーツ関連の仕事を紹介してもらったんです。
お酒とタバコがだいすきで、仕事のオンオフがはっきりしていて熱い人でしたよ。と。
もう一人同世代の方とも話したら、
仕事に熱く、クライアント先で話し出したら10分ぐらい一人ノンストップなんですよ。と
笑いながら話してくれた。
12年前に私が思った印象とあまりリアルも変わらないんだな。と思った。
私も正直にネットで知り合った友達と伝えると、みんな意外そうな顔をしていたけど、
彼らしくいろんなことに手を出してるね。と笑っていた。
そんなことを話していたら、時間になってお母様のご挨拶があった。
お母様に挨拶させるなんて。
彼のお父様が若くに亡くなって、形見の結婚指輪をはめて大事そうにしていたことを思い出し、
なにやってんだと悲しくなってしまった。
ご親族がお棺を開けてYシャツにネクタイ、上着、彼の苗字が書いてある日本代表の青いユニフォームをかけてあげて。
マルボロだったり、ミニカーだったりを入れて献花の時に最期に顔を見て挨拶した。
昔と比べて白髪やしわが増えていたけれど安らかな顔をしていた。
ぽんさん、
相変わらずスーツが似合うね。
なんでか涙でちゃうなあ。
スカ凸のDJさんたちもきたがっていたよ。
リアルの人の話きいたけど、あいかわらず若い人への応援が熱いね。
喪服6万円のなんだけど、もっとちゃんとしたやつ買ったほうが長く使えてよかったかな?
昔、服を買うなら一流のやつを買って長く使えって言ってたもんね。
ちゃんと仕事できてるかな。ぽんさんがいういい女になれてるかなあ。
そんなことを心の中で思いながら最期のお別れをした。
霊柩車に乗って彼の棺はお母さんと、弟さんと彼女さんの3人と斎場を離れて
お別れの会は終了した。
どういった人選をされたかわからないけど、この場に来れてよかったと思う。
なぜかと言ったら失礼だけど、意外と彼が亡くなったことが悲しくて、
亡くなっても、なお人の死に慣れろよと、勉強させてもらっている気がする。
笑いながら、俺職場でも私生活クズだけど仕事は尊敬できますよねって言われんだよね。と
語っていたのを思い出した。
彼と色々12年前に話した思い出の中で一番印象に残っている言葉がある。
よく聞く「俺は会社の歯車だ」と愚痴るやつは歯車じゃねえ、会社にとっては埃なんだからと。
いま社会人として仕事をしている私の礎になっている言葉でもある。
実行できているかはわからないけど、これからもこの言葉を大切に仕事人として歩んでいこうと思う。
先に逝った飼い猫のポン太を撫でられているかな?
落ち着いたらまた、お墓に会いに行くね。
安らかにねむってね。
きこより。
コンパクトな予行演習
安さ優先の一人旅といえ、ユースホステルで眠れる自信がなかったので、予約サイトで一番安いビジネスホテルを取ったは良いものの、2泊7,000円のホテルは風呂トイレと洗面室は共用の上、冷蔵庫もなく、カーテンを開ければ階下に斎場というなかなかの感じで一瞬たじろいだ。
バス移動もコンパクトだったが、このコンパクトさも結構なものだ。
ともかく部屋に荷物を置いて、一旦2日後の新幹線の切符の購入と夕食の為に広島駅へ向かう。
日はすっかり暮れていた。
広島駅で切符を購入し、尾道ラーメンで腹を満たした後、ホテルに戻る為、煌びやかな夜の広島を歩く。
「ホテルに戻りたいっていう安心感は旅に結構重要なんだよな、高くてももう少しホテルを選べば良かったかな」と思いながら、夜風に当たっていると、長距離バスの疲れか眠気が襲ってきた。
一階に備えられた共同浴場は小ぶりの銭湯の様な感じで、「他に呼び名は無いといえ『大浴場』は盛りすぎなんじゃないか」と思った。
しかし、小さいながらもサウナも併設の浴場は、ユニットバスより余程つかれを癒すのにもってこいで、「サウナに個室の寝室がついていると思えばこれはこれで悪く無いかもな」と思い直した。
旅の最終日は大分の別府温泉だが、ここで一先ず先に湯治の予行演習だ。
昨日の午前中に斎場で「行ってらっしゃい」と送り出すことができた。
数日内に私が選んだかっちょいい紺の袋に入って帰ってくる予定。絨毯にヒゲが1本ちょこんと落ちてたのでこれは保管。
斎場でもお姉さんに「しっかりした猫ちゃんですね~」と言われてちょっと笑った。
うちの猫を見た人の感想はだいたいそうだったし、私も形容を問われた場合「存在はかわいいが見た目は・・・うん、しっかりした猫」だったから。
5kg超えの猫をキャリーじゃなく箱で抱えて行き来するのは運動不足の上腕にはかなりつらくて、受付で腕がプルプルして受付票書くのにかなり苦労したのには参った。
夕方から夜中にかけて、コメントをちょこちょこ覗いて都度泣いてた。
えぐられたような痛さが和らいだ。本当にありがとう。
あの姿を見た瞬間の衝撃と、一晩で酷使した上腕二頭筋はまだ熱をもってじくじくしているけど、「いってしまった」ことに対する事実に対しての感情は落ち着いてしみじみしたものになりつつある。
一人暮らしの動物飼いの必須条件は「動物より先に死なないこと」なので、少なくともそれは果たせた。それだけは頑張った、私。
気づかぬ間にいかせてしまったけど、じゃあ、それを目前で見てたらどうだったか考えたら、ヘタレな私はもっと耐えられなかったと思う。やっぱりあいつは空気読むやつだった。大体接し方が保護者チックだったし。
とにかく良い猫だった。本当に良い猫だった。
エイズキャリアなのは引き取った後の検査で判明したことなので、「あちゃー」と思ったし怯えもしたがもう縁を結んだものなのでそんままズルズルの10年だった。ので、その辺は特に偉くないしいいやつではない、です。
奴が頑張って発症させずここまで来れた、人間換算70代で、周囲の70-80代が元気だったし「何なら、このまま猫又クラスいっとく?」とちょっと欲かいてた。甘かった。反省。
おう、ぜひそうしてくれ、いや、ください。もふもふいちゃいちゃしてイラっときた猫に蹴り飛ばされるor噛みつかれるまでセットで。
ほんそれ。実感。飼い始めた瞬間「私、なんかすごい飛んでもないことに手ぇだしてる?」とちらりと思ったけど、こういうことだったんだな。
昨日1日ほんと辛かったけど、365日×10年+α(計算できてない)の間すごい楽しかったから、その楽しさ幸せの時間の長さと比べたらその代償としては「この痛み、なんぼのもんじゃい」とも言えるのかもしれない。
踏んでない。踏まれたほうが多い。
面白くはなかったが、体は入れ物と感じた瞬間。物事こんなあっけなく終わるんだな感。
何故、カニ?と思ったら、カニいた。確カニいたよ!笑った。ありがとう。
正直すみません。でも「死んだ」「死んでしまった」よりも一番その時しっくりきたので。
こればかりは縁次第。辛かったけど「だから、もう二度と飼わない」とは現時点では思ってない。ただ40代一人暮らし、今後を考えると迂闊なことはできない。ひとまず保護ボランティアさんに支援の差し入れするつもり。
明日は、興味はあるものの飼い主馬鹿が過ぎるようで手出しできなかったフォトブックサービスにチャレンジ予定。端末いろいろ漁ったら、幸いに自撮り機能のお試しで2ショット撮ったのが残ってた。撮っててよかった。
あと獣医さんいお礼を言いに行かなけらばならない。緊急時はかけて良いといわれてはいたが、夜中0時という超非常識な時間に電話したのに周囲から犬猫の声が聞こえてて残業中の模様だった。うちの子も入院時はそうやって手厚く診てもらってたんだろう。激務だ。
最後に繰り返しになりますが、コメントを寄せてくださった皆さま、本当にありがとうございました。モニター越しの多数の声がこんなに心強くて支えられるなんて思ってもみなかった。ただただ吐き出したいだけだった。今までこういうエントリは読むだけだったけど、これからは自分も何か返していければ、と思います。
再び猫へ。お前は本当に良い猫だった。幸せだった。ありがとう。お前のちょっと良い話やアホエピソードは、ネットのどこかに書き散らせてもらうし酒の肴にもする。見守ってなくてよいから、ただただ飼い主の心の肥やしになるがよい。ありがとう。