はてなキーワード: YOUとは
You are my sunshine!
The memory of my mother, going with her three children, with my little baby sister and my two younger brothers, going to the gas chamber, is the worst memory that I carry with me for the rest of my life.
My name is Max Eisen, and I'm a survivor of Auschwitz.
I saw her walk, I remember, all I could see was her back.
Carrying a baby in her arm, and my two little brothers.
Six million Jews were murdered in the Holocaust. Over 1.1 million of those were killed here, in Auschwitz-Birkenau.
I was fifteen years old when I arrived here, May of 1944.
A9892. Hungarian Transports.
Max has returned every year for the past two decades to tell his story.
Here we are,
I want you to sort try to smell what this place smelled like.
Can you hear the voices?
Scratches with their hands. They were trying to go through cement walls just to get away from the gas that was killing them.
Imagine 2,000 people fighting each other for a breath of air.
You could to say that this is the last will and testament of people who died here.
From darkness to light, what a wonderful thing it is to know that you're alive.
Every year Max joins the March of the Living, in memory of those forced on 'death marches' from the camps.
Some 12,000 people recently marched with Max from Auschwitz to Birkenau on Holocaust Remembrance Day.
I'm thinking of my family, who have to no markers, no graves, whose ashes have been blown to the four corners of the earth.
I don't know how I survived.
I'm amazed how I survived.
(sigh)
I'd like to tell a lot to the world.
Respect each other, no matter what religion or colour you are.
Hatred against Jewish people is alive and well all over the world.
I come back here to tell others not to go down this terrible road of hatred and intolerance.
And,
This place reminds you to beware of hatred.
from BBC.
趣味の一環として翻訳していて3大困ること、2つはこれまでに書いてきた「日本語にその語彙のない言葉」「現地で有名だが日本ではそれほどでもない固有名詞」なわけだが、もう一つが表題のものだ。とはいえこれはダジャレに限った話ではない一般的な言葉遊びも含まれる。
「夏休み、ハートはドキドキ!」という映画がある。既に10年前の映画だ。残念ながら前回書いたような全セリフ字幕収録なんてことはしてくれないDVDが発売されているのだが、とある日本人女優が出演していることもあり、是非とも日本語字幕付きで見たいということで野良英語字幕からの翻訳を試みたのだが、これが意外と困難を極めた。
先達はありがたいもので、その苦労が書かれている文章がある。「夏休み、ハートはドキドキ!」という映画に野良字幕(だと思う)をつけた人がその苦労話を書いたページがある。もう既に元のページは失われていて、Internet Archiveにしか残っていないのだけど、以下がそれだ。
タイ映画 ピットタームヤイ フアジャイワーウン 「夏休み ハートはドキドキ!」 ปิดเทอมใหญ่ หัวใจว้าวุ่น Hormones
この人も字幕は他所に公開しなかったようだが、苦労話を書かれているだけでも参考になるのはありがたい。
คำผวน(カムプアン)は日本でも地味に流行ったことがある。これを知っている人はそこそこの年寄りだと思うが「スネークマンショー」の「ジャッキー大山」が「こなさん、みんばんは」という形で多用していた。今、念のために調べてみたところ、スプーナリズムというらしい。こなさんみんばんは、みたいに意味の通らない言葉なら、通じるかどうかは別として日本語字幕でも再現可能なのだが、苦労話にもある「パンディー犬」(パンダ熊のคำผวน)や、自分をさして「猿」とするようなคำผวนはどうにかして訳さないといけない。前者はしょうがないので言葉をそのままカタカナ書きして意味をカッコ書きで付け加えた。問題は後者だ。
そもそも後者は何のคำผวนなのか。答えは別ページに用意されていたらしいのだが、さすがにアーカイブにも残されていない。本人がトホホ、といいながら訳した言葉を信じて、"ลิงจั๊กๆ"(リンチャクチャク)は"รักจริงๆ"(ラックチンチン)のคำผวนであろうとあたりをつけた。日本人はどうしても"チンチン"に反応してしまうのだが、"จริง"(チン)で本当に、"ๆ"(その繰り返し)で内容を強調するので、"จริงๆ"は「すごく」と言った意味になる。決して男性器とは関係がない。
そこまではいいとして「本当に愛している」をどうダジャレで訳せば「サル」が絡むようになるのか。3日断続的に悩んだ挙げ句、「愛ささる」という方言混じりのくだらないダジャレになった。他にいい訳があればご提案いただきたい。ちなみに野良英語字幕でこの辺どうしていたかというと、まるっきり無視されていた。คำผวนを利用したダジャレナゾナゾもあったが、คำผวนは無視され、ビールを用いたナゾナゾに勝手に変換されていた。そんなのでいいのかどうかは自分にもわからない。
คำผวน以外にも言葉遊びはある。別の「I fine thank you... love you」という映画には英語の空耳的なダジャレが多用されていた。奇しくもこの映画にも「夏休み ハートはドキドキ!」にも出演していた、とある日本人女優が出演しているのだが、だから言葉遊びがあるのかと言われれば偶然の一致だろうと思う。
具体的にはGuysがกราย(クライ、口語的にはガイ、近くで)に聞こえると言うので「I'm good. And I'm glad to meet you, guys?」が「私はコック ガス台では魚を近火で焼きます」という意味の文章でのダジャレに変換されていた。見てわかるかどうかはわからないが、全部ダジャレ変換しているわけではなく、脚韻的に最後の部分だけダジャレ変換しているだけだし、goodがcookに聞こえるというのは日本語でも流用できるのだが、guysはどうダジャレ訳すればいいのだろうか。一応やってはみたのだが、あまりにひどすぎてここには書けない。勘弁していただきたい。
fakku you
When I met you there was spring light
And breeze in the street
In the distant summer night of that day
I neglected loneliness
As I passed through the autumn day
A warm winter street
Even if you fall you will stand up again
I drew some strength
Created my future
Carved out slowly changing days.
I should be able to overcome
Because I have a dream
Something that I want to protect.
I don't know the reason
Then I can have more faith in myself.
People look towards
The other side of sadness
This is what the sight of your back has told me
At my side
I could cry with longing to live in the moment
A dream
Without end
Must lead to somebody's future.
Don't give up
Whenever
I found
Something that I want to protect
If we do not learn anything from this matter, Sensei should be really erased, and future really fade out.
I've very interest why he had to work as a part-timer in ramen shop after he'd studied Islamic culture in Kyushu University .
Hi, What do you think about this matter, and what do you think about what we have to do?
警察に捕まるん?
👮🏾♂️👮🏾♂️👮🏾♂️Hey Masuda! You criminal! We’ll arrest you, bastard!!👮🏾♂️👮🏾♂️👮🏾♂️
Even if those memories vanish, other things will remain.
Things that would've turned out differently without you, or never happened at all, these results of your actions will remain.
>実力がないけど勝たなきゃないんだから、勝つためならルール内でなら何をしてもいい、という考え方はよくないよ。
>完璧なルール作りが至難であるのだから、ルールには書かれてなくてもモラルでもって禁ずるべきことはあるし、
>それによって負けてしまうのであれば、それはまだ勝つべき存在ではなかったということで敗退を受け入れるべき。
>そして地道に力をつけて、堂々と勝てるようになった時に勝てばいい。
例えば1992年の星陵高校・松井秀喜の5打席連続敬遠についてはどう思う? 当時の明徳義塾高校の馬淵監督は「当時の星陵には一人、松井と言うプロが混じっていた」と回想している。素人の高校生が、事実上プロの松井にどうやって勝てばいいわけ?
>勝ち進むことが最優先目的であり最上の価値だと考える人間は「ルール内なら何をやっても、結果を出せばいい、結果が全て」とか言う人もいるけど、その価値観はよくない。
FIFAの大会行動規範には「勝つためにプレーする」という文言がありますけど?
1.Play to Win
Winning is the object of playing any game. Never set out to lose. If you do not play to win, you are cheating your opponents, deceiving those who are watching, and also fooling yourself. Never give up against stronger opponents but never relent against weaker ones. It is an insult to any opponent to play at less than full strength. Play to win, until the final whistle.
>卑劣な振る舞いをしたことで、一般人がサッカーという競技に興味を失ったり、子供が失望したり、世界から日本への信用(実力の有無への信用ではなく、誠実さへの信用)を失ったりして、それでもなお決勝トーナメント進出には無上の価値があるなんていうのは間違ってる。
卑劣かどうかは、主観によるよね。前述の松井五打席連続敬遠について言えば、当時は高知県民は比較的好意的に受け止めていた。
>別の言い方をすれば、大会内の順位ではなく、競技や日本サッカー界へのイメージへの影響なども含めてが結果なのであって、「結果が全て」ならそういうことも含めて考えるべきだ。
そんなことを言い出したら、ハリル前監督や西野監督の「ベスト8を目指す」という目標設定自体がおかしい、という話になてくる。
http://mubou.seesaa.net/article/460211645.html
「殺されるに値する発言」というものは、間違いなく世の中に存在しているだろうが、単に法が殺人をNGと言ってるだけだ
法が殺人や暴力をNGだと言ってるから、どれだけ公で罵倒されようが(低能先生やHagex氏のことではない)、殺したり殴ったりしてはならず
「言論()」で返すか、法的手段で訴えるか、管理会社などの枠があれば頼るか、屈辱にまみれて耐えるかなどを選択しなければならない
そうでないと思うなら、アメリカのスラム行って「F○ck you」と言ってみればいい
その大前提を置いたうえで
hagexさんが殺されるに値する発言をしていたかと言えば、私の感性からはNoだと思える
だが、
とまで言われると、首を傾げざるを得ない
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/10/132154
「推論」であるなら、それなりの推論が導ける記述であるが、スルー。
とまでは思えない。
I want to defeat the me that's dragging this failure around. I don't want to forget my failure. But if I carry it with me as a bad memory, and keep running away, I'll never change. I think there are things you learn to do trough failing. Will you get revenge with me?
I'm really glad for them. The truth is, I thought that falling in love when you knew you'd have to part seemed pointless.But when I saw them together, I was happy from the bottom of my heart. Maybe worrying about future parting so much that you miss out on happiness in the present is waste.
Yes, Someday, we'll part. Maybe be forgotten. But we're living in the moment in full throttle!
私は怒っています。私は純粋な一般的在日外国人ですが、私の怒りを日本を代表するテクノロジ会社であるはてなに告発します。私の感じた、あたかも燃え立つもみじのような怒りに聞き耳を立てて頂きたければ幸いです。
私は日本が好きです。東京の外資系テクノロジ会社に勤めています。日本は良い国です。アニメが好きですし、和食、コスプレ文化も好きです。日本の女性は熱い情熱的で好きです。あたかも羽であるかのように軽い体重を保持する女性が多いことです。私は日本文化に深い興味関心をお持ちですので、日本語の勉強をしました。私は日本語検定準一級を取っており、私の日本語能力は立て板に水です。
私は先日、友達を伴って熊本に観光に行った時のことです。私共は熊本城を観光しました。すばらしい体験でした。夜は地元寿司を食べることもできました。
私の怒りの体験は、大好物であるウニ軍艦を食べている時のことです。なんと、私の右隣に腰かけていた男性が、寝耳に水を刺すがごとくに話しかけてきたのです。
"Good afternoon."
これはどういうことでしょうか。私は日本語で日本の板前に寿司を注文したのです。彼の目は節穴であるのか。あるいは目に鱗がはさまっているのか。どちらか分かりません。繰り返しになりますが、私は日本語検定準一級を取っており、私の日本語能力は立て板に水です。「こんばんは」を聞き取ることなど、などお茶の子さいさいです。彼は私の驚きなどどこ吹く風で続けます。
なんと愚かで気の利かない質問でしょう。旅行の中で好きではない寿司を食べようと思うでしょうか。彼の得意げな得意げな顔が癇に障りました。
その後もくだらない会話をいくらかしましたが、私にとっては苦痛そのものでした。京都人であったらこう言ったでしょう。
「あなたの英語はほんまに流暢ですね。私はあなたのほんまに流暢な英語を聞き取れませんどすえ。」
彼女は八つ橋をお土産に差し出す必要もあるでしょう。あたかもロリポップキャンディであるかのように甘い笑顔と共に。
東京ではこのようなことはありませんでした。彼はきっと、ガイジンがめずらしいのでしょう。彼が友人のインドネシア人には決して話しかけないのにも怒りがこみ上げました。
私は観光をしていたのであり、英会話教室をしていたのではありません。また、私の日本語能力は立て板に水で日本語で話してくれてもいいのです。ガイジンには日本語ができないという強い偏見は侮辱でありました。