はてなキーワード: ADHDとは
自分はASD、ADHDの気がある人間なんだけど、ちょっと長めに語らせてほしい。
一度敬体で書こうと思ったけど、面倒くささが勝ったのでこの語り方で。
先日、「お隣さんに届いた荷物を渡す」件で色々あった。
とはいえお隣さんと共用みたいなもんで、一歩外に出ればお互いの玄関先は覗ける程度。
最近はよく、うちの頼む届け物と一緒に、そのお隣さんの荷物もまとめて頼んで、後で渡している。
普段は親がやり取りしてるんだけど、仕事で不在なのでその日の荷物を渡すことを頼まれた。
普段こういう荷物のときには、親が電話なりインターホンなりで合図を入れて、
向こうが受け取りとか、代金の支払いをすることになっていた。
でも今回は互いに合図をする必要がないように、
親が「玄関先に置いておかせますので~」と前もって電話してくれていた(し、それを自分も聞いていた)。
「夕方ごろに何度か様子を覗いてもらえれば置いてあるかと……」とも。
親の指示はこうだった。
「メモも一緒に渡しておくから、これに書いてある向こうの荷物を玄関に置いておいて。
冷凍・冷蔵品は特に気を付けて、発泡スチロールに入れておいてね。」
で、自分はうちの玄関先に、冷やすものと常温のものを別にまとめて置いておいた。
発泡スチロールの中にはドライアイスを入れておいたし、そもそも外気温は低い地域だ。
向こうに渡すためのメモ書きも、風で飛ばないようにと、濡れも冷えもしていない保冷剤で重しをしておいた。
しばらくして陽が沈んだ頃。
メモ書きは風で飛んではいないようだけど、荷物はそのままだった。
お隣さんも忙しいのかと思って、外気温も下がっているし特に気に留めず放っておいた。
朝になると荷物はなくなっていた。
「普段は合図をしているけどそれをしなくていいように、と電話を掛けたのに!
何で"うちの"玄関の前に置いておくの!!」
聞いてしばらくして、ああなるほどと思った。
同時に、それを言われていないんだから分からない……とも戸惑った。
こういう事態は一度や二度ではない。
頼まれごとをするたびに2回に1回はこういうすれ違いでやらかしている。
つまり親は「お隣さんの荷物なのだから、お隣さんの玄関先に置いてきなさい」
ただ、自分の中にその考え方はまるでなかった。
お隣さんの家にお邪魔したことはないし、まして敷地にすらほとんど足を踏み入れていない。
「玄関先に置いておけば、お隣さんが様子を見て持って行ってくれる」
お隣さんに電話をしなくていいように、という気遣いに甘えて電話での確認もしなかった。
「もうしばらく口も利きたくない」と言われた。
何度もやらかしてそのたびに失望されているので当然と言えば当然の仕打ちなのだが、
こういう事態になるたびに「その当たり前をどこで察すればいいんだ」とモヤモヤする。
「暗黙のルールが分からない」とか、「指示が正しくこなせない」とかの特徴からして
ASDなどの発達障害の気がある、というか結構強いと自覚している。
親はこうした自分の障害について学んで理解してくれている(と、恐らく親本人も思っている)人なのに
いざその特性を発揮してしまうと、こうして関係が崩れるほどに怒られる。
今回は特に、お隣さんという第三者が巻き込まれて迷惑を被ったので、
叱られるのは理解できるというか納得できるし、反省も大いにしている。
ただ、任務を「分かってる」側の人間が「分かってないし、理解にも難がある」人に仕事を依頼して
その後でやらかしに気づいてこっぴどく叱られる、というこの図式は
「指示する人が気を付けよう」
つくづくこんな適当な世界の回し方で上手くやってきた人類という生物が
勝手に期待して勝手に怒って、結論は「"お互いに"気を付けましょう」にしかならないのだろうか。
気を付けられればそれはもう障害じゃないと思う。
どうすればいいんだ。
発達障害には適職はあるんだけど、グレーゾーンや知的障害、低IQはごめん、ないかも。
人間って頭の良さでここまで発展してきたから、人間なのに頭が悪いのは鳥でいうとこの飛べない状態だからその時点で自然淘汰されて当然だし生き残れないんだよ。
ただ発達障害においては一つのステータスが定型発達より優れる場合があるから、そのタイプの人間なら道がある。
通常の考え方をせず、更にこだわりが病的に強くないと頂点に立てない。
発達障害のグレーゾーンはどっちつかずの中途半端だから一番になれるほどのこだわりももてないし、かといって普通に暮らせるほどステータスが高いわけでもない。
このタイプが学生時代のバイト先に一人いたけど本当に仕事できなくて尻拭いさせられて無理だったし、下の子には偉そうに接して先輩にはヘコヘコするから嫌いだった。
低IQは怒られることが多すぎて保身を一番に優先するからそのせいで問題が悪化し周りが迷惑する。
平和な職場にそいつが一人現れただけで優しくて良い人から消耗し潰れていき、いい先輩が疲れ切って最終的に鬱になってしまった。
グレーゾーンの人もそのことに悩み一生懸命生きてるのはわかる。ただ一番やばいのは「自分は普通だと思ってるやつ」であって、悩んでるような人ではない。
発達障害でも、多少賢ければそれをカバーすることができる。これは全員にいえるけど、客観視して自分と人との違いに気づくことができる人は伸びる。
ということで、発達障害には適職はある。
具体的には
ADHDが強いタイプは、音楽、デザイン、イラスト、漫画、小説、企画や脚本、ゼロから何かを生み出すことに優れている。
ASDが強いタイプは物や数字やルール、すでに決まっている物に強い。なのでルールの中でやる物に対しては優れている。
特性の混ざり具合によっては最悪になる場合がある。(ADHDの「見通しの甘さと不注意」、ASDの「完璧主義」が強い場合、考えてた通りにことが進まず途中で投げ出し結局何もなし得ない人間になる)
適職はあるが特性の出方による。
発達障害疑いの者です
昔からコミュ障、人の気持ち分からない、環境の変化が苦手、物忘れが尋常じゃなく多いなどなどあったけど、努力が足りていないんだなって頑張ったり落ち込んだりストレスで全身どこかしら痛めつつ周囲の環境に恵まれてなんとか生きてきました
まあ大学進んだらプレッシャーとできないことだらけでパンクして、案の定ドロップアウトしましたけどね
それからは引きこもったり焦って一念発起して就労支援受けたりして、働いた先でいびられたり追い詰められたりして
最近は「そういう特性なんだから、社会も受け入れよう!見守ろう!」みたいな言説が出てきていますが、できない自分も迷惑かける他人も辛いのに…?と思ってしまいますね
そもそも自分の場合、IQは普通、目立った歪さもない、まあ自分で選択肢に丸するやつはゴリゴリADHDもASDも当てはまるね!って感じだったので、よく分からない
どうやら自分だけでは厳しいかもしれないとおずおず人や福祉を頼れば「できるのにやらないだけ」とか、自分に合った方法が分からず試行錯誤していたら「なんでできないの?」とか言われ、かと言って頑張ってやってもそれが普通ラインなので
これ以上人に迷惑かけるのも、しんどい思いするのも嫌になっちゃったな
自分みたいなやつでも程々に生きれば健康で文化的な最低限度の生活ができるようになってほしいし、今の普通を頑張っている人達が裕福に暮らせる社会であってほしい
なーんて甘えをひとりごちる自分が嫌だね
教養とは、ここでは大学学部で学ぶ教養課程程度の知識をモノにしていると仮定したい。
ADHDって飽きっぽいからこの教養を身につける課程をクリアしてジェネラリストになるのが難しい(興味のないことを継続するのが難しい)が、東大出身とかだとド根性でクリアした人とかいて、これがまた強いなって思うのよ。
ADHDは飽きっぽく考えが飛び飛び、これは裏を返すと発想が次々に浮かぶクリエイティブな人とも言えるわけで、その発想が教養知識に裏付けされるとまあ、強い。俺みたいな凡ADHDはせいぜい発想が飛ぶと言っても