はてなキーワード: 石垣空港とは
上司の東北人が陰湿すぎて無理です…って言ったら大問題になりそう
ロッテ・佐々木朗希 吉井コーチも懸念する「関西弁恐怖症」の克服度
「(佐々木が)関西弁は怖いと言っているらしいから、標準語を使おうかな」
さる1月30日、ロッテの吉井投手コーチが石垣空港に到着した際、ドラフト1位の佐々木朗希(大船渡)についてこんな発言をしていたと「スポニチ」が報じて話題になった。
関西・和歌山出身の吉井コーチに対し、佐々木は東北・岩手出身。関西弁はしゃべりのテンポが速く、漫才でいうツッコミで「アホ」「どついたろか」などと言うのは日常茶飯事。
特に東日本の人間からすると、「言葉がきつい」「怒っているみたい」との印象を抱くことが少なくない。
「これが、案外、バカにはできない。実は、関西弁が怖いと言ってつい尻込みして、コミュニケーションをうまく取れないという新人選手が意外に多いんです。
特に、東北地方出身の選手は、おっとりして控えめなタイプが多い。関西出身の選手とは言葉や行動のリズム、テンポも違う。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200208-00000021-nkgendai-base
話したい事が、たくさんある
自分という人間は雑な割には心配性で、空港に到着したはいいものの、本当に出発の日取りや場所を間違えていないか、まだ安心できない。
ベトナム航空302便。あった。
ひとまず安心だ。
しかし、自分のことではないとは言え、残念な情報も目に飛び込んできた。
共に最近災害に見舞われた地で、まだ爪痕が残っているのかもしれない。
ここは出発の場だが、全ての人が目的地にたどり着くことは出来ないみたいだ。
そう考えると、憧れの地にやって来られた自分は、幸運というより他ない。
ここで、タンソンニャット国際空港の名誉を回復しておこう。
初日に「石垣空港の様な質素さ」というなんだかどの方向にも角が立ちそうな言い方でターミナルを表現したが、それは到着側の旧ターミナルで、2016年に増築された出発便のターミナルは巨大で緩やかなアーチ構造を持つ、立派という表現がぴったりの建物だった。
3:00
心許なかったスマホとタブレットとレンタルwifiを充電できる電源を探り当て、しばらく充電するに任せていたが、同じ椅子に座り続けるのも疲れ、一旦充電を切り上げて、ターミナルを一回り。
突き当たると、おそらく工事業者が壁一面のガラスにシートを張っていた。
充電できる別の席に座って調べると、あの工事と関係あるかはわからないが、2025年を竣工目処に、ターミナルを新設する計画があるという。
この地を訪れ、また、この地から旅立つ人は、更に急激なカーブを描いて増えそうだ。
でも、たくさんの愛と希望が、その胸に似合う気がする。
4:15
シンとしていたタンソンニャット国際空港も俄かに賑やかになってくる。
フライト情報を確かめると、帰国便のチェックインは始まっていた。
椅子に座ってこの旅行記を書いていると、隣でゴージャスなお姉さんが電話で会話している。
中国語だ。
ちょっと不機嫌そう。
でも、きっと国に帰れば、土産話もたくさんあるだろう。
彼女は乗らないのかも知れないが、目当ての帰国便は成田行きなので、カウンターには続々と日本人がやって来る。
彼らもベトナムで見た何かを、大切な人たちに話すのだろう。
笑顔で話してくれるといいなと思う。
でも、みんなにたくさん、話したい事がある。
Day 1
羽田の深夜便だった前2回の旅行と違い、今回は成田発で、昼出発。
しかもややメンタルに不調を抱えているとあって、余裕を持った出発を心掛けたかったが、時間を勘違いして、ギリギリで成田エクスプレスに駆け込み、その上方向を間違えて折り返すという失態を演じてしまった。
肝心な時には何かバタバタする傾向がある自分なので、「またやってしまったー」と思ったが、どうやらチェックインには間に合いそうで、成田エクスプレスの車窓から畑を眺めながら、「この旅行に行って何になるんだろう」と愚にもつかない事を考えた。
別に何が起こるわけではない。
ただ若い頃からずっとボンヤリあった心象風景、雨のベトナムで川を眺めながらお茶や料理を食べる、その画をこの目で見て来るのだ。
メンタル不調なんて、ボンヤリするのに格好の舞台装置じゃないか。
前回の香港旅行では、事前に広東語のフレーズをいくつか覚えて行ったが、「話せるものの聞き取れない」という致命的な見落としがあり、結局中学校時台成績2の片言にもほどがある英語と、メモによる筆談で乗り切ることになった。
ベトナム語も広東語と同じ声調言語(音の高低と発音で意味が決定する言語)であり、しかもその声調というのが「コブシを効かせるようにいちど下げて上げる」「波のようにうねって上げ下げして上げる」という難解極まるモノで、もう「ありがとう」「これください」「トイレはどこですか」以外のコミニュケーションは投げている。
今回搭乗したベトナム航空は、ベトナムのフラッグシップのようで、エコノミークラスといえど、タイガーエア台湾や香港エクスプレスとはモノが違う。もちろんTGATやHKEXが悪いって訳じゃないけど、地上職員は日本語ができるし、機材も大型で安定していて、シートには枕やブランケットが用意され、機内食も出る。
さらに、シートにはモニターが設置されていて、映画その他も見られる。
海外に行くときはその地のポップカルチャーを予習して行きたいのだが(香港前に発見したアガサ・コンは最高だった)、ベトナムはまだYoutubeでの情報が少なく、これと言った映画やアーティストを発見できずにいた。
そこでモニターをポチポチやっていると、果たして良さげなベトナムのアーティスト(多分)を発見したのだった。
英語詞の曲とベトナム語詞の曲が半々。音楽性はR&BとEDM(ダブステップの様な強めじゃないムーディーなやつ)とジャズを掛け合わせた様な感じで、ジャスティン・ティンバーレイクを思わせる。
機内では検索できないので、あとで調べよう。
朝飲んだ安定剤が効いているのかな、憂鬱な気分が後退してきていい感じだ。
ややあって、海外旅行なら一度は聴いてみたい、「pork or fish rice ?」というフレーズと共に機内食がサーブされた。
ベトナムの航空会社なのに機内食で和食が出るという不思議仕様でもっぱら噂のベトナム航空だ。
ここで「fish」と答えれば和食が出て来る事は間違いなく、折角の海外旅行、しかも出発便の機内食が和食というのもどうかという事で、「pork」と答えると、豚の唐揚げの煮物をチャーハンにぶっかけたようなご飯と、海鮮春雨サラダ、パン、デザートが出てきた。
春雨の方はヤムウンセンとかそれに類するもので明確にアジア料理だが、ぶっかけご飯の方はなんだか分からない。
付け合わせが椎茸の煮しめだったり、桜の形に型抜きされたニンジンである事も地味に混乱する。
味はというと、エコノミーでこれだけの物が食べられれば充分満足で、その後、暖かいコーヒーのサービスがあったり至れり尽くせりだったのだが、あれはベトナム料理だったのだろうか。
カラトリーがまとめられた袋の底に、スパイスの小袋が入っており、「甘利香辛食品株式会社」と書いてあった。京都伏見の会社であるという事だった。
機内食で腹を満たし、少し微睡む。
眼が覚めると機内は消灯されていた。
英語のスポーツチャンネルを見ながら、「早くホテルで横になりたいな。でも何を楽しめるんだろう?テレビをつけても何言ってるか分かんないだろうし」という思いが浮かんで来る。
チャンネルでは、MTBのアーティストが大木やバランスボール、建築物やワインディングロードなど様々な障害をキッカーにしてトリックをキメていた。インスピレーションを色々なものから受けて、驚くべきビデオやショーを生み出すらしい。
他の人からは無意味に見えるものに価値を見出して楽しみ、アートを生み出している。
意味不明に見えるけど羨ましい。
普段の自分もそういうキャラなんだけど、ダメかもなぁと感じてしまう。
多分、朝飲んだ安定剤が切れる頃合いだ。
自律神経失調症で襲って来る不安と無力感、安定剤を飲んで感じる旅行への期待。
正常と狂気の境は曖昧だと思っていたが、こうして自分そのものだと思っていたものが揺れ動くと、もっと根本的な、「自分」や「個性」というものが虚ろなものに思える。
深追いはしないでおこう。
しばらくして血糖値が安定すれば、少し収まって来るに違いないから。
「間も無く、当機はホーチミンに到着いたします。到着は19:30、ホーチミンの気温は38℃です。」
機内アナウンスに耳を疑った。
今年の異常熱波は関東平野の都市化が高気圧をブーストしており、バンコクより気温が高い、なんだったらユーラシア大陸で一番高いとさえ思っていたが、勝手な思い込みだったようだ。飛行機を降りると湿った空気を感じる。日本人の歪んだプライドは常夏のホーチミンの湿った熱波が吹き飛ばしてしまった。
19:50、国際空港の入国審査というのはどこか陰鬱な雰囲気なものだが、イミグレーションを抜けてもタンソンニャット国際空港は静かだった。
改めて旅程について説明しておくと、3泊5日というのは、帰国便がこのタンソンニャット国際空港 6:25発であり、ホテルのチェックアウトが当日では到底間に合わないので、前日にチェックアウトして空港で出発便をまつ、という事だ。
帰りはここで夜を明かすんだろうか。
そう思って建物を出て驚いた。
なんと半解放の広大なスペースに待合ベンチが設置されている。
軒を並べる飲食店、溢れる活気、びっくりするほどの騒がしさ。
タンソンニャット国際空港はこの半野外のスペースも含めての空港だった。
「ははは、スゲーな!」薬が抜けてるに決まってる時間帯だが自然に笑ってしまった。
見たことがない光景だ。やっぱり先生の言う通り、この街に来て正解だった。
尖閣衝突:仙谷長官、中国に事前通報「今日、船長釈放」
「今日、釈放されます」。臨時国会召集を1週間後に控えた9月24日午前、仙谷由人官房長官から在日中国大使館の孔鉉佑公使に電話で連絡が入った。沖縄県・尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に衝突した中国漁船の船長釈放を那覇地検が発表したのは同日午後2時半。釈放決定は首相官邸中枢から中国側に事前通報されていた。
当時の政府の説明では、仙谷氏は官邸で柳田稔法相(当時)と協議中の午後0時半、法務省から連絡を受けた滝野欣弥官房副長官から検察の釈放判断を知らされたことになっていた。官邸は「検察判断」を強調していたが、実際には周到に仕組まれた政治判断だったことが、複数の関係者の証言から次第に明らかになってきた。
事件が起きた9月7日、海保を所管する前原誠司国土交通相(当時、現外相)は海保が15分ほどに編集した衝突時のビデオ映像を見て「ただちに逮捕、ただちにビデオも公開すべきだ」と官邸に報告した。中国の反発を警戒する仙谷氏は逮捕に否定的だったが、菅直人首相は前原氏に同調。石垣海上保安部(沖縄県)が8日未明に船長を逮捕した。ビデオについては仙谷氏が「(刑事訴訟法に基づく)証拠品だ」と主張し非公開と決めた。
転機は19日、那覇地検が請求し、石垣簡裁が認める決定をした船長の10日間の勾留延長だった。検察当局は国内法に基づいて粛々と対応し、仙谷氏もその「建前」を通したが、官邸関係者は「仙谷氏はその瞬間から釈放に動き始めた」と明かす。
仙谷氏は20日、菅首相と公邸で約3時間協議。内閣改造で外相に横滑りした前原氏、外相から民主党幹事長となった岡田克也氏も約30分間加わった。対中関係の悪化にいら立つ首相は「一刻も早く対応してくれ」と言い残し、国連総会出席のため22日にニューヨークへ出発。しかし、23日には中国からのレアアース(希土類)の対日輸出がストップし、建設会社の邦人4人の身柄が中国河北省で拘束されたことが発覚。状況は緊迫した。
日本時間の23日深夜、前原氏はニューヨークでクリントン米国務長官と会談し「日米安全保障条約は尖閣諸島に適用される」との発言を引き出した。仙谷氏は首相、前原氏と電話協議し、釈放の環境が整ったと判断。24日未明「近々、釈放する」と少数の関係者に伝えた。首相も日本時間の24日朝、オバマ米大統領との会談で「冷静にやっている。近く解決する見通しだ」と釈放を示唆した。25日未明に処分保留で釈放された船長を中国政府がチャーター機で石垣空港に出迎えた素早い対応の背景には、仙谷氏から中国大使館への事前連絡があった。
このころ、菅首相は11月に横浜市で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議をいかに成功させるかを強く意識していた。日中外交関係者は「中国側から仙谷氏には『APECに胡錦濤国家主席が来ても、このままでは菅首相との首脳会談はできない』と伝えていた。これが殺し文句だったと聞いた」と振り返る。
結果として、このタイミングでの釈放判断が「中国の圧力に屈した弱腰外交」との批判を浴び、首相や仙谷氏が「検察の判断」として責任を回避するような発言を繰り返したことが政権批判に拍車をかけた。
菅首相は臨時国会初日の10月1日の所信表明演説で「政策の国会」「熟議の国会」を掲げ、政策論争を通じて与野党の接点を探ろうとした。しかし、これ以前に菅政権の国会戦略は崩壊への道を転がり始めていた。
国会は尖閣問題が最大の焦点となり、最後は仙谷氏と、ビデオ流出時の馬淵澄夫国交相の問責決議可決という、予期せぬ展開で今月3日に閉幕した。尖閣事件の政治判断が混迷を招き、菅政権失速の引き金となった。
25. 2010年11月08日 23:44:01: RyfI6s7VuM
516 :名無しさん@十一周年[]:2010/11/08(月) 16:25:39 ID:F64VEnNi0
石垣島への渡航を試みているのですが圧力がかかっているのか現在一般人の渡航は厳しく制限されています。
佐々さんもおっしゃっていた被害者三人のうち谷岡氏、佐川氏については情報が流れているようですが
残る一人の坂田政巳氏については情報がネット上には流れていないようですね。
坂田氏は負傷したものの殉職はしなかったためあまり情報が出ていないようです。
坂田政巳氏の情報を持っている方は情報提供なにとぞよろしくお願いします。
http://www.zaitokukai.info/modules/bluesbb/thread.php?thr=677&sty=3&num=8321
石垣空港行きのチケットは余裕で手に入るし観光客のブログも毎日更新されてるのに。
なに言ってんだこのバカ。