はてなキーワード: 折り紙とは
子育てが難しい時代になったのではなくて、子育てがいちいち短期で評価される時代になってしまい、親は辛かろう。
子供が普通に成績が良かったりするケースが多いのかどうかは知らんけれども、
はた目から見ていても母親がイライラしているのがわかって可哀想に思う。
子供が言う事を聞かない、と。
いや、よく聞いていると思うけれど。
評価が客観的じゃないのが子供にはばれているので、信頼はされていないよなあ。
言ったことをすぐにやらないとか。
いや、あなたの指示はぶれるので、次は何を言うのかと待っているのではあるまいか。
声を荒げてもついては来ないです。
子供の面倒でイライラしている姿はあまり見たくない。それは子供だってそうじゃなかろうか。
自分が人生を楽しんじゃうほうが子供には魅力的にうつると思うんだけれど、
ただしその楽しみ方に若干のずれは感じる。
子供により違うのだろうけれど、なんでも出来る優秀な子供が魅力的に思う人生って
クリエイティブな事であって、消費ではないんかもしれません。
一生懸命歌っているとか、折り紙折っているとか、なんでも良いんですが、
少なくともお買い物したり、スポーツクラブ行ったり、エステ行ったりは魅力的には見えないと思う。
なにか一芸があると良かったですよね。
勉強が教えられないから、「勉強しなさい」としか言えなかったりして
とても悲しいのはわかります。
脅しは通用しないし、交換条件も通用しませんよ。
出来る子はお見通しです。
このままじゃイライラがもっとつのってしまうのではないかと心配です。
Oinが無理とか、そんなのどうだって良いじゃないですか。
父親だってOinの問題解けませんよ。
東大の方がOinより易しく感じますよ。合格人数多いもん。それにワンチャンスじゃないし。
それより子供にあった学校探しましょうよ。成績良い方なんだし。
人生にはどういう知識が必要か、なぜこの勉強が必要なのかっていうこと教えてわかるレベルなんだから。
そういう家庭は僕は見たことがあります。
家庭教師を雇うのは賢いと思った。
お母さんが勉強できないんだからアウトソーシングするのが正解。
うちはアウトソーシングしたがらないけれど、それは教育放棄じゃないと思うんだけどなあ。
今クラスメートを見ると、良い家庭教師だった連中は結構良いパパになってる。
素朴で良い嫁だと思います。
ニコニコして歌をいつも歌っていれば良いのに。
父親がたまたま勉強は教えてくれて、いろいろ面白い趣味も知っていて、
しかも母親から叱られても慰めてくれる、という状態は良くないと思う。
父親が厳しく接すると二人で厳しくすることになってしまう。
まずは母親がやさしくなってくれないだろうか。
と、直接言うと、
でも、他のお母さんたちはそうじゃない、と言う。
いやいや、お母さんが均一だったら気持ち悪いでしょうよ。
ある日、昼で仕事を体調不良で早退して、御堂筋線に乗って家に帰宅しようとしたところ電車にいきなり飛び込む。
その後、怪我は頭に2箇所、全身打撲。警察と鉄道警察に保護され警察署へ。ダイヤへの遅れは出なかったそうだ。
警官2名に両手を拘束されて、ワゴン車のような車でいきなり2時間ほど大阪市中心部から走ったところにある
最初は診察室で診察。医師に「あなたはここで入院することになります」と言われる。
最初、ナースステーションの中にある、全面透明なガラスで覆われた部屋に案内される。お手洗いは、部屋の外。
お茶だけ飲んでつき返して終わる。
翌日ドアが開けられ、朝食だといわれロビーのようなところへ。
オーブントースターが置かれていて パンとジュースを渡される。
患者たちは仲良くみなで話し合って食事を楽しそうにとっているが。
ちなみに治療に必要な薬は時間ごとにワゴンにのせられて各々の病室に配られる。薬の管理は自分ですることができない形になっている。
そこで見たのは、老人の山。山。山。 老人ホームかと思った。
後でその老人たちには少々痛い目にあうことになる。
一般病棟にうつっても個室の病室なのでさほどかわらない。自分はお茶を部屋にいれ寝て過ごしていた。
スルト「ドンドンドンドンドン」とたたく音。医者の往診かと思うと違う。
まったく知らない老女が立っている「ここは私のお部屋なんですよ」とにっこり。
しかし部屋移動が行われていてネームプレートは私の名前になっている。その人は別の部屋になったのだろう。看護士を呼び、
そのまま誘導をお願いする。が ニコニコその老女は後をついてくる。「@@ちゃんが遊んでくれるって!」と
あとで聞いた話だが、この病院では老人患者(認知症)を多く抱えており。その認知症患者の世話を比較的若く軽症の患者に任せているそうだ。
実際この老女はずっと退院まで、お手玉だの折り紙だのにくっついていた。まさに金魚のフン状態。
どこにいくにもついてくる そんな感じだった。
しかし。精神的に私は検査を経て「統合失調症(破瓜型)」と診断されていたのですが 実際に「他人(老人)の部屋など見られるはずがない。
かなり疲れ切っているのだし、他人にまで注意はいかない。私のように、老人の世話を任されていた若い患者は数人いたらしく、みなやはり
一様に疲れ切っていた。老人によっては性的なことまで行おうとセクハラまでしていたという話も聞くし、深夜まで元気な老人は多かった。
そして老人の世話を押し付けられていた患者はみな一様に調子はよくなかった。自傷に走っていたものもいたし、首をトイレでつった人もいた
それでなくてもベッドでずっと休み続けている人も多かった。何より目がつかれきっていた。
自分もやはり疲れきってしまい、老人と唯一離れられるトイレで、ストッキングを使い、荷物をつけるひっかけ棒を使い、首を吊ってしまった。
意識はなくなってしまったらしい。数日その間保護室に入れられた。
保護室には老女から覗ける位置のドアがないため解放されることができた。
入院からまた2ヶ月ほどが過ぎたが、次々とやはり人が押し付けられてくる。
「@@さん(私のことは)世話が上手だからね~」冗談じゃねえよ。死ねよ。
胸を毎日執拗に触ったり下着の色を聞いてきたり服を脱がそうとする男性老人
などが私にはあてがわれた。
なお服を脱がそうとした男性老人は、私が怒りを覚えてしまい、頬をけりとばしてしまった。
そんな入院から3ヶ月。一応もう実家に帰るという形で入院の方を終えた
とはいえ、自力ではほとんどまっすぐ歩けず、もう薬の副作用で常に眠気が抜けず
症状は治まっていない状況だった。
※なおこの本人は。その後も療養生活を続け
昨日朝、11時ごろ 自力で農薬を飲み亡くなられたとの事です。合掌
父親を慕って何が悪いんだ
説明出来るもんなら説明してみろバーカ
でさぁ、オチは「名前の由来が『春のような優しさ』であることを思い出して覚醒」ってのもねぇ…
結局過去にすがっちゃうんですか、そうですか
説明出来るもんなら説明してみろバーカ
唐突に思い出して「ごめんね…すぐに思い出せなくて…」って、そうじゃねえだろ、自立しろよ
父との思い出という枠から一歩も抜け出ないで何が成長だよ、ふざけんな
お前の考えてる自立って具体的に何のことだよ
説明出来るもんなら説明してみろバーカ
お前の考えてる自己って具体的に(略)
お前の考えてる本人の決意って具(略)
説明出来るもんなら説明してみろバーカ
あとさぁ、人格形成に幼少期の体験が大いに影響があるといっても、生後5年で人生が決まってしまうというはあまりに救いがないんじゃないか
誰がそんなこと言ってんだ
説明出来るもんなら説明してみろバーカ
やよいより難易度が上がって別のところから立脚してかないといけないだけだね
明日のナージャでも見てろバーカ
俺はなんていうか、
誰かに吹き込まれた「自己」とか「自立」とかいううすっぺらい概念を得意満面で唱えるカスが大ッ嫌い
中学生ぐらいまでならそれでもいいけど
どーせもっと老けてるとっちゃん坊やなんだろ?
あのなぁ、これのどこが「いい話」なんだよ?
やよいパパはイケメンで優しい理想の父親、理由は知らないがやよいがまだ5歳ぐらいのときにポックリ逝去
これ、「優しいパパが死んだ」のではなく、「死んだ優しいパパ」という便利な搭乗兵器を用意したに過ぎない
極度に理想化された父親像に自分を重ねることで、「父親は敬うべきもの」という価値観を子供に押しつけるための兵器だ
自分は「故人」という絶対無敵の鎧を着込んで、一方的に娘を反撃のできない「愛」で蹂躙して楽しいか?
実際には「感謝されるべき父親」は生きている ここが非常に欺瞞を感じるところ
母子家庭ではあるが経済的に困ってるわけではない、というのも都合がよすぎてなぁ…
まぁ、途中までは父と娘の愛情の表現としてありだと思いましたよ
「パパとけっこんするぅー」なんてのはよくある話でしょう、ええ
でもさぁ、「ママにはないしょだよ」ってお前…明らかに結婚の意味がわかって言ってるよなそれ
悪い意味での「理想の娘」が反映されすぎてゲロ吐きそうになったぞ
父親の穢れた願望、は言いすぎにしても、あまりに話が母親不在すぎてなぁ…
でさぁ、オチは「名前の由来が『春のような優しさ』であることを思い出して覚醒」ってのもねぇ…
結局過去にすがっちゃうんですか、そうですか
唐突に思い出して「ごめんね…すぐに思い出せなくて…」って、そうじゃねえだろ、自立しろよ
父との思い出という枠から一歩も抜け出ないで何が成長だよ、ふざけんな
どこまでも自己の欠如したやよいというキャラクターが、ファザコンパワー爆発で折り紙怪人を倒したって、なんの冗談だよ
やよいは神のごとき父親にあやつられているお人形で、まったく本人の決意が見えてこない
「娘はだまって父に感謝して言うこときけ」ってことだろ?わかってんだよこっちは
あとさぁ、人格形成に幼少期の体験が大いに影響があるといっても、生後5年で人生が決まってしまうというはあまりに救いがないんじゃないか
やよいは愛情をたっぷり受けられた、でも受けられなかった子は…? 一生荒んだ人生を送れ、と?
本来ここでウルフルンが愛の欺瞞性を説くところなんだろうけど、今回ただのサンドバッグだったなぁ…
まぁ、話そのものはそこまで悪くないし、演出もよかったでしょう
でもさぁ、放送直後にTwitterでスタッフが脚本家名指しで持ちあげんのがスゲー気持ち悪いんだよね
ベテラン脚本家だし相当な権力あるんだろうなぁ、ああいやだいやだ
教職課程の実習で児童養護施設に1週間ほど通ったことがある。わずかな期間だったけど、それでも施設の窮状を端々に感じ取ることがあった。
男の子たちは穴の開いたスニーカーで穴の開いたサッカーボールを追いかけていた。昭和の話じゃないよ、ほんの7~8年前の話。
女の子たちはみんな楽しそうに折り紙をしていた。でもその折り紙が充分になくて、通販のカタログを千切って折り紙として遊んでいたんだ。それが二十歳そこそこの私にはすごくショックで、言葉が出なかった。今考えれば、広告で折り紙することなんて良くあることなんだけどね。
それで、大学のデザイン実習で大量に買わされ、少ししか使わなかった折り紙を子どもたちに差し入れたいと思ったわけだ。けれど、1週間実習でいるだけの私が施しのようなことを、しかも使い残しを渡すことが正しいのかどうか分からず、3日はぐずぐずと躊躇っていた覚えがある。結局は施設の先生に相談して、同級生の分も集めるだけ集めて受け取って頂けた。子どもたちからも対面で御礼を言われたのだけど…そのうち2人の子からは実習が終わるまで口をきいてもらえなくなってしまった。残り物あげるという行為によって、逆に子どもたちと自分の間に、ひどく隔たりを作ってしまったんだ。自分の懐が痛まないから、別世界のことだから、無責任に物をあげることが出来たんだと、猛烈に自分が恥ずかしくなったよ。寄付という行為は、すごく難しい。
あの時、折り紙を渡したことに後悔はしていない。喜んでくれた子もいた。でも自分が恥ずかしいと思ったことも事実で、それは寄付をする上で避けられないことなんだろうと思う。善意だろうと偽善であろうと、大なり小なりのエゴが含まれていることを自覚して、反発も受け入れなくてはいけないんじゃないか。
はじめの伊達直人さんは確かに善意の方が勝っているのだと思う。でも、こうやってマスコミに取り沙汰されるようになると、何かそのうち善意だけではなくなっていくような気がして怖い。既に面白半分の人も出ているようだし。施設としては助かるだろうから流行を妨げるようなことは言えないけど、匿名での寄付ということが何かの逃げになっている面もあるんじゃないかと思う。
No.306
■タイトル あともう少し☆
■氏名 フェイトちゃん
■日時 2010/08/29 19:09:42
応援してます!頑張ってください!
No.290
■タイトル お父さんお母さん育ててくれてありがとう
■氏名 渚
■日時 2010/08/29 16:37:00
私は小さかった頃に病気になってしまったのでお父さんとお母さんは大好きなお
私は体が弱くて高校3年生を3回もしましたが、何とか卒業し2回目の3年生の時に
お父さんとお母さんのおかげです。
No.289
■タイトル 頑張って!
■氏名 陽菜
■日時 2010/08/29 16:36:10
同じ「はるな」ということで親近感が湧きます(笑)
私は学校の寮で、寮長の姉と視ています。
昨夜は姉が寮長なのに「一晩中視る!」と言いだして消灯時間を過ぎても自分の
部屋に戻ろうとしませんでした(笑)
私は幼くして母を亡くし、以来姉を心の拠り所にしてきました。でも、シスコン
は卒業ですね。はるなさんを見ていてそう思いました。
でも今は、姉と二人で見る24時間テレビ、この幸せな時間を楽しんでいたいです。
No.288
■タイトル 大好き
■氏名 なぎさ
■日時 2010/08/29 16:34:10
友達も家族もみんな大切で好きだけど
お兄ちゃんが一番大好きです。
でも照れくさくて「大好き」なんて伝えられない
「大好き」どころか恥ずかしくて「ありがとう」すら言えません。
でもいつかちゃんと伝えたいと思います。
ずっと見てるからねお兄ちゃん… 大好きだよ…
No.287
■氏名 ゆり
■日時 2010/08/29 16:32:56
私は自分の人生を恨んでいる。自分の人生に全然納得していない。でも、24時間
テレビを見ていたら、人の生きる力が伝わってきた。つらいことがあっても、そ
れでも前を向いて人生を歩んでいく力強さを感じた。
もしかすると、人生もいいものなのかなって・・・私の人生も捨てたのもじゃな
いのかなって、そう思えた。
だから、私も前を向けるように、何かしてみようと思う。これから、今すぐに。
だって、人は10分ぽっちだって、待ってはくれないんだから。
No.285
■タイトル はるなさん、がんばってください
■氏名 おかざき潮
■日時 2010/08/29 16:28:56
はるなさんがんばってください
私は今お父さんとみています
私は小さいころ体が弱くてすごく苦しかったんですけど、お父さんがずっと一緒
にいてくれて病気と戦ってくれました
今はすごく元気です!
はるなさんも今苦しいけど最後まではしってください
No.280
■氏名 つぐみ寮一同
■日時 2010/08/29 16:25:21
昨日から島の寮でみんなと一緒に応援させていただいてます。
はるなさん頑張ってください!
僕たちもこの寮を守りきるために頑張ります!
No.279
■氏名 ひろし
■日時 2010/08/29 16:25:35
地球に「ありがとう」の言葉が広がるといいなと思っております。
No.278
■タイトル 大切な人
■氏名 直井
■日時 2010/08/29 16:24:37
だからぼくは唯一出来る事「ありがとう」を伝える事を怠らないようにしています!
音無さん、ありがとう!
No.267
■氏名 ことぶき
■日時 2010/08/29 16:16:00
今年友人に進められてはじめて24時間テレビを見ました!とても感動しています!
私の家は若干余裕があるので、できるだけたくさんのお金を募金してきました。
是非、恵まれない人たちのために使ってください。
No.266
■タイトル 応援してます!!
■氏名 特車2課
■日時 2010/08/29 16:16:22
私の職場はちょっと特殊で、とても大変なんです。
でもいざとなるとみんなで力を合わせて、とてつもないパワーを生みだします!
出演者の皆さんもチームワークで乗り切ってください!!
No.261
■タイトル がんばってー!!
■氏名 山中さわちゃん
■日時 2010/08/29 14:17:25
私は高校の先生をしています。
ですががんばって楽しくしてます。
部活には障害者の子がいるんですが、周りのサポートもあり、学園祭ライブも成
功しました!!
みんなありがとう!!
No.255
■氏名 りっちゃん
■日時 2010/08/29 14:15:01
最後の学園祭が終わってしまい、寂しい気持ちでしたが、この番組を部活の皆で
見ている今、とても楽しいです。
大切な仲間達とこの番組を見れることがとても嬉しいです。
応援しています!
No.254
■タイトル がんばって!
■氏名 前原圭一
■日時 2010/08/29 14:14:17
毎年6月から忙しくなって見れませんでしたが、
今年初めて24時間テレビを見ました。
とてもいい内容で心も温まりました。
はるなさん、マラソンがんばってください!
テレビの前で応援しています!
どうか完走してください。
それだけが私の望みです。
No.251
■氏名 浅羽特派員
■日時 2010/08/29 14:11:16
いつのまにか夏も終わり、ついに24時間テレビがきた!ランナーの愛さんはム
リをせずに最後まで走り切って!僕は合宿で山にいたのですが帰ってきました!
No.239
■氏名 キョン
■日時 2010/08/29 13:59:35
とても勇気を貰いました。
ありがとうございましたアッーーーー!
No.237
■タイトル ありがとう、君に会えて嬉しかったよ
■氏名 最後の送シン者
■日時 2010/08/29 13:56:50
僕は最初、何のために生まれてきたのか分からなかった。でも、彼と出合って人
間の愛を感じた。僕は彼を好きになった。たぶん、彼も僕を好きだった。
でも僕がいると彼は幸せになれない。だから僕は自ら消えることを願った。
24時間テレビを見てもう一度彼に会おうと思いました。ありがとう24時間テ
レビ。
No.235
■氏名 ういうい
■日時 2010/08/29 13:55:31
友達の瞳もマシュマロみたいにふわふわです。
憂ちゃん、いつもがんばる君の横顔
ずっと見てても気付かないよね。
夢の中なら二人の距離縮められるのになー。
夢のような時間ください。
そして応援してくれる部活のみんな、そしていろんなことを教えてくれる憂ちゃん
ありがとう!!!
No.232
■タイトル フンガー!!
■氏名 美羽
■日時 2010/08/29 13:54:45
私は小学6年生ですが、今までは友達とふざけてるだけの人生でした。
これからは一日一日を大切にしていきたいです。
No.231
■タイトル 祝福の風
■氏名 Hayate.Y
■日時 2010/08/29 13:52:59
私は幼いころに両親を亡くし、更に病気で車いすの生活をしていました。
でも、海外から来た親戚や友人のお陰で、笑顔で過ごすことが出来ました。
今は、病気も治り、その友人と同じ職場で働くことが出来ました。
私は、その親戚と友人にありがとうの言葉を送りたいです。
そしてはるな愛さん、みなさんの応援という祝福の風を受けて、がんばるんや
で~!!
No.219
■氏名 草薙素子
■日時 2010/08/29 11:32:41
私も幼い頃に大きな事故にあって大変な思いをしたことがあります。
そのときにたまたま病室が一緒だった人が、不自由な体で折り紙を折ってくれた
んです。その折り紙はまだ大事にとってあります。
私たちに元気を与えてくれて、本当にありがとう。
No.211
■タイトル ありがとう
■氏名 みっちゃん
■日時 2010/08/29 11:27:50
私には大切な友達がいます
今は世界中で困ってる人のために一生懸命頑張っているのでありがとう芳佳ちゃ
んと伝えたいです
No.209
■タイトル 柱になれ
■氏名 手塚
■日時 2010/08/29 11:27:13
はるな愛さんの、勝利に向かって突き進む姿は
我々テニス部員の志気を高めさせてくれます。
頑張ってください、応援しています。
No.200
■氏名 和ちゃん
■日時 2010/08/29 11:22:36
24時間テレビ、多くの方のチャレンジを見て勇気をもらっています。
私も、ショートケーキのイチゴを取り合って以来二ヶ月間絶交している幼馴染の
友達に、
はるなさん、みなさん、頑張って!!
じゃ、私はこれから生徒会に行きます。
No.198
■タイトル 本当にありがとう
■氏名 碓氷拓海
■日時 2010/08/29 11:21:14
この番組を見て鮎沢さんに告白する勇気を貰いました。みなさんも頑張ってください
No.194
■タイトル 私も頑張ります!
■日時 2010/08/29 11:19:13
私の先輩は色んな所にシールを貼るので困っていました
はるな愛さんの頑張りを見て、そんな先輩についていこうと思うようになりました
私の地方ではまだ学園祭のライブはやっていないので頑張って成功出来るよう頑
張ります!!
No.187
■タイトル 頑張ってください!
■氏名 みっちゃん
■日時 2010/08/29 11:16:08
私は走るのが苦手なので、はるなさんは凄いと思います!
最後まで頑張って走ってください^^
お菓子を食べながら応援しています^^
o.183
■氏名 ジュドー・アーシタ
■日時 2010/08/29 11:14:21
今仲間達と一緒に観てます。
以前俺も大人の都合に付き合わされて大変な時期があったけど、仲間達がいたか
ら乗り越える事ができた。
24時間マラソンは大変だと思うけど、「辛い」とか「キツイ」とか、自分の頭だ
けで考えるな!
はるな愛さん、頑張ってくれ!!
No.171
■タイトル ありがとう
■氏名 山中
■日時 2010/08/29 10:25:17
放課後に部室にあつまりお菓子を食べたりみんなと会話したり・・・もちろん
ちゃんと練習もしています。
時にはやんちゃもするけどそんなみんなが私は大好きです
イモトさん頑張ってください
No.168
■タイトル がんばって
■氏名 高町なのは
■日時 2010/08/29 10:23:13
がんばってください
今局の友達と一緒に見てます。
私もフェイトちゃんも応援してますなの。
No.167
■タイトル 大好きをありがとう!!
■氏名 あずにゃん
■日時 2010/08/29 10:21:57
私は部活の先輩と顧問の先生と友人にありがとうを言いたいです。
面と向かっては恥ずかしいのでここで伝えます。
今の私があるのはみなさんのおかげです。
本当にありがとうございます!!
No.143
■タイトル がんばってください!
■氏名 ムギ
■日時 2010/08/29 09:58:40
24時間テレビのみなさんがんばってください!!
No.141
■タイトル やったね!
■氏名 たえちゃん
■日時 2010/08/29 09:58:19
いま私はコロちゃんとテレビを見ています。じんじんと暑い日ですが
めげずに頑張ってください。辛くてなきたいときは泣けばいい
いまから叔父の家にいってくるんで実は見れませんでもみんな頑張ってね!
No.140
■タイトル がんばって!
■氏名 とみたけじろう
■日時 2010/08/29 09:58:31
はるな愛さん頑張ってください!
僕はとある村でカメラマンをやっているんですが、
ぜひはるなさんを撮りたいです!
気分をリフラッシュしつつ、頑張ってください!
No.121
■タイトル がんばってください!
■氏名 シンジ
■日時 2010/08/29 09:49:48
はるな愛さん壮絶なマラソンだと思いますが逃げずにがんばってください!!
ゴールしたときはともに泣きましょう!そして心のそこからおめでとうと言わせ
てください!
No.112
■タイトル ありがとう
■氏名 高町なのは
■日時 2010/08/29 09:46:17
その一言の大切さを24時間テレビを通して見つめ直したいと思います。はるな
No.111
■タイトル はるなさんがんばって!!
■氏名 秋山澪
■日時 2010/08/29 09:46:30
No.109
■タイトル 楽しみです
■氏名 大河
■日時 2010/08/29 09:45:47
夫と一緒に拝見しています。おしゃれというのには興味があるので楽しみです。
ですが私は背が低いので参考になるかは分かりません(笑)
No.23
■タイトル がんばってください!
■氏名 中野 梓
■日時 2010/08/28 15:44:24
24時間テレビの皆さん、がんばってください!
軽音部の皆さんと見るつもりです!!
*ちょこっと加筆・修正
バンクーバーオリンピックで盛り上がってるが、98年には長野で冬季五輪があった。自国開催というのはやはり盛り上がる。ワールドカップも然り。
で、自分も長野五輪には1日だけ観戦に行った。アイスホッケー。アメリカvsカナダの試合を見たかったが、さすがに人気カードなのでチケットは売り切れていた。そこでカナダvsスウェーデンの試合を見る事に。ちょうど土曜日で休暇をとる必要もなかったし。チケットはゴール裏で15000円くらいだったと思う。まだ社会人掛けだしの自分には交通費含めいい値段だったが、オリンピックだし仕方ないと思った。
開幕する前の長野五輪はいまいち盛り上がりに欠けていたような気がする。でも開幕すると一変。スキージャンプやらスピードスケートやら、それはそれは盛り上がった。直前になって他のゲームのチケットも欲しいと思ったがその頃には既に売り切れており、あとは現地のダフ屋頼み。
当日、開通間もない長野新幹線でひとりではじめての長野に行った。試合は夜だったので、まずは街をぶらぶらした。チケット買えれば午後の試合を観ようと思ったが、意外とダフ屋はいなくて、いてもやはり値段が高くて手が出なかった。駅前でスポンサーのテントを覗いたり、善光寺にいったり、「おやき」を食べたりした。寒いながらも街は日本人、外国人入り混じってカラフルで 華やかな様相だった。
会場はビッグハット。駅前からシャトルバスが出ていた。駅まで戻ってさらにぶらぶらしていたところ、郵便局の露天が出ていて記念切手などを売っていた。外国人もいたがどうやら局員さんが言葉がわかってなかったらしい。片言の英語で通訳をしてあげたところ、無事買えた様子。お礼にピンバッチをもらった。SUOMIと書いてある。要するにフィンランドのこと。嬉しかった。
ビッグハットには少し早めに着いたので、ビッグハットの前にあるNHK長野放送センターで展示品など見て時間をつぶした。現地の人とも触れ合いがあった。ボランティアをやられているとかで、本番は見れないが練習とかリハーサルを見たとかお話を聞いた。ビックハットもNHKも新しい施設。オリンピックに向けて街や道路も整備されたという。そして別れ際、折り紙で折ったマスコットをもらった。今でも家にあるはず。
時間になったので、ビッグハットへ。ほとんどの観客は日本人だが、地元チームを応援するカナダ人やスウェーデン人もいたし、演出はNHL風で、まるで外国のようだった。席の近くに座っていたカップルとお話した。既に何試合か見ているそうだ。普段、知らない人とはあまりしゃべらない人見知りな自分だが、そうさせる高揚感がオリンピックにはあった。
ハーフタイムか試合前か忘れたが、周囲が騒がしかったので何かと思ったらフィンランド代表のスター選手、ティム・セラニら選手がゴール裏で観戦してた。セラニしか知らなかったもので選手が何人いたかは不明だけど。サインや写真を求めている人がいたので自分もサインをもらいにいった。そういうことは普段しないんだけど、やはり高揚していたんだろう。セラニは快く応じてくれた。ちなみにセラニはバンクーバーにも出場している。
残念ながら試合の内容は覚えていない。観に行く事が目的だったので何となくそれで満足しちゃったのかも。
試合が終わると既に22時近くで、シャトルバスで長野駅に戻る。そこからは夜行列車で東京に戻ってきた。夜行列車というのも初めてで、なんか楽しかった。
オリンピックは競技だけではなく、人との交流や街の至る所でのイベントも含め楽しかった。その後、日韓W杯やドイツW杯も現地で体験する事になるが、世界的スポーツイベントに参加することは本当に楽しい。若い頃にそういう体験が出来てよかったと思う。将来、日本でこのような機会があれば、是非皆さんも参加してイベントを楽しんでもらいたい。もちろん、外国に観に行ってもいいと思う。
以上、12年前の思い出。
ハイチの被災者に千羽鶴を送ろう、という活動がMixiで広がっているというニュースです。
ご存知の方も多いと思いますが、詳細を知りたい方は下記のリンクなどどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1391165.html
最初に色んなニュースサイトでタイトルを見たとき、「ん?良い事だと思ってやってるのか??」とびっくりしましたが、
読んでみると批判的な意見が多いようなので、安心しました。
いや、安心しましたというのはちょっと違いますね。
どちらかと言うと、「あぁ、自分が感じた違和感を皆感じてるんだな。」という、再確認になったという感じでしょうか。
上のリンクや(http://masuda.livedoor.biz/archives/51382613.html)に書いてある意見に
私はおおむね賛成です。千羽鶴作ってる暇があるなら募金でもしとけ、と。
救援物資は続々集まっているのに、届けることが出来ない状況のようです。
なので、一番助かるのは復旧の助けになる募金じゃないでしょうか。
ここからが本題なのですが、上記のリンク先や、
他のまとめ記事などでよく見かけたコメントがとても気になっています。
のような、「広島の時は賛美したのに、なぜ今回は批判するのか?」と言うコメント。正直意味が分かりません。
広島の千羽鶴は燃やされてしまったのを悲しんで、それを元に戻したいと言う活動でした。
日本人は千羽鶴の意味が分かります、千羽鶴に込められた気持ちを理解できます。
理解できるから、燃やされてしまったときに悲しくなるわけで、だからこそ千羽鶴を送ることに意味があったわけです。
千羽鶴が何か理解できないハイチの人にとっては、イキナリそんなもの送りつけられても意味不明な紙の塊です。
それこそ燃やすぐらいしか用途はありません。
しかも、広島に千羽鶴を送ったとき、広島は別に何の異常もありませんでした。
食料に困っているわけでもなく、たくさんの人が瓦礫に埋まってもいなかった。
何千人も人が死んだわけでもなく、食べ物のために暴動が起きる状況でもなかった。
千羽鶴を送るという事が「偽善」だとしても、受け取る心の余裕があった。
しかし、今のハイチの人々に「折り紙送ってくれてありがとう」という余裕があるでしょうか。
ハイチが落ち着いてから送るという事だそうですが、完全に復旧するのには5年や10年という月日ではとても足りないのです。
それまで待って折鶴を送るのならば、5年間少しずつでも募金して下さい。
私の近所の被害はそれほどではなかったものの、水も電気もガスも無い生活はとてもつらく、友人の親族がたくさん亡くなりました。
そんな状態の時に千羽鶴を貰っても全然嬉しくなかったと思います。
ダンボールいっぱいにパンでもつめて送ってくれたほうがよっぽど嬉しかった。
神戸の町は何も無かったみたいに復旧してると思われがちですが、今でも悲しみを背負って生きている人がたくさんいます。
復旧した頃に千羽鶴を送ることで「一人ぼっちじゃない」と分かってほしいなんて独りよがりはやめて、
今から、今すぐに助けになるものを送って下さい。
ラオスでチュービングして洞窟探検して、バックパックに水とフランスパンのサンドイッチを入れてiPodでレッチリのカリフォルニケーションかaround the worldを聞きながらバイクで疾走したいです。走り飽きてどこかの川のほとりで休んでいたら、アメリカの爆撃のせいで義足になったお爺ちゃんと、アメリカの悪口をひととおり話し合いたい。そして珍しそうに俺を見る子供達に折り紙を折ってあげた後、一緒に川で遊びたい。宿に戻ってバイクを返し、テラスがあるレストランで真っ赤な夕日を眺めながらビアラオを飲み、ラエリーとガザの壁とメルカバについて小一時間語り合い、酔いつぶれて前後不覚になったぐらいで宿に戻り、食べ忘れてぐしゃぐしゃになったフランスパンのサンドイッチを食べながら、友人に絵はがきを2通出してから、日記をつけて眠る。
道具を使っていいなら、折り紙とかペンキ塗りとかで例えるのが分かりやすいかも。
【人生の勝ち組・ありむー万歳。ありむー万歳。ありむー万歳。】
もちろん、はてなーとしての才能は折り紙付だ。若くしてはてなスターのエキスパート。
OFF会神のまなめやその他大勢のはてなーたち全てから絶対的な忠誠を集めている。
抜群のマーケティングセンスでツイッター『y_arim』を1716人にフォロワーされ
大成功を収めたことは既に伝説となっている。
『らめぇ』では日本のオタク文化の背景にあるニコニコ動画とありむーの溺愛関係を
世界へと発信し熱い視線を集めている。
2009年にはゼロアカ優勝。師東浩紀の後を継ぐべく絵に描いた餅のような
二世フリーライダーの成功ロードをひた走る。
新月お茶の会門下でも出版界のために無駄なものを切り捨てる策士。
初音ミクプロデューサーとして一万部デビューの研ぎ澄まされたデビュー感覚。
初音ミク武道館ライブ:プロデューサーありむー自らがついに降臨す!?
初音ミクをこよなく愛する日本一のIT企業のブロガーに愛されるプリンス。
んー、高校のときはいろんなジャンルの本読んでいた気がするな。ということで思い出して書いてみよう。
【読んだもの】
漫画:ブラックジャック、三国志、水滸伝などなど、あるの全部読んだ。
小説:『黄泉がえり』(何となく手にとって読んだ)だけ。ライトノベルは手にとれなかった。ハリーポッターも無理。
それ以外:パズル系の本10冊以上、数学オリンピック(予選問題だけ)、大学への数学(理解できん)、ペンギンの本、家庭の医学、ブルーバックス、睡眠に関する本、折り紙、色、タバコ、歯、絵本20冊以上、護身術、宇宙(の絵がメイン)、心理学(病例とか? 頭がいい人は目が大きい人が多いとか)、その他いろいろ。。
あと、化学や物理の分厚い辞書開いたことあったけど誰も使わないだろうなって思ったかな。文学とか歴史とかは読まなかったけど、本を身近に触れる環境があるだけでだいぶ違うと思う。ライトノベルなんて絵がダメで手に取らなかったし(5ページぐらい読めたら読んでたと思うけど)。
ああ、中学生が投稿したのか。中学の頃なんて昼休みしか開いてなかったし、ろくに選択できなかったような。
・ゲームクリエーターになるには、ゲーム業界に就職したいあなたへ、五体不満足、FFの画集、広辞苑、、、
高校の頃は教室に居辛くて昼休みに図書室に行ってただけ。そしてパズルに興味を持ってたからそれを関連に読んで、読み尽くしたら興味のある本を読んだ。当然、放課後にはろくに図書室に行ってない。部活行ってたし。頭(学校の成績)も悪い方で、今も偏差値50以下の大学。。まあ、こんな普通(以下)の人でも機会があったから本を読んでいたんだし。それに図書館の本を1割も読めないんだから、そういう本があってもいいでしょ。
とにかく、恣意的に「いらない本」って決めてしまったら触れる機会がなくなってしまう。題名だけでも触れる機会があることが重要。そもそも図書室(図書館)に行く人自体少数だし、視野が広がる程度に本はあったほうがいいと思う。
いつまでも子供だと思っていた自分の娘に彼氏がいることが判明。
正直かなりうろたえた。だって全然そんな素振りなかったし、昔から全然変わってないのに。
なんか援助交際だのなんだの性が乱れた世の中だけどうちの子だけはまだ彼氏の一人もいなくておぼっこいままだ
とか何故か思い込んでいた。
でもいた。彼氏。
俺だけ知らなかった。
お母さん(嫁のことだけど俺もお母さんって言ってる)は知ってた。息子(娘からしたら弟)も知ってた。
知らないの俺だけだった。
娘はもう20超えてる。大学生だ。
つーことは、つーことは、やっぱ、やっぱそうなのか?
やっぱ…やっぱ…したのか?下世話な話だが…セクロスしちゃったのか…?
いや…いやまさか…
いやでも…
あああああああああああああああああああああああ
考えると物凄い鬱になる
さっき、高校生の娘が彼氏つれてきたってのを読んで、一週間前こんな気持ちになったのを思い出したんだ…
俺だけ知らなかった…
「だって別にいちいち言う事じゃないでしょw」って娘は言ってた
確かにそうかもしれないけど…けど…でもじゃあなんでお母さんには言ってるの…
娘はお母さんには何でも話すけど俺にはあんまり話さない…
何も話さないとかじゃなくて、別に普通に会話はするけど、悩みとかそういう深い話はもっぱらお母さんとだ…
息子もそうだし…
俺はお母さんからそれを間接的に聞くだけだ…
まあ確かに聞いても俺どうしようもできないけど…
特に頭よくなかった俺の娘なのに、なぜか娘は頭がよくて、まともに塾も通わせてないのにとっとこ東大行った。彼氏も同じ大学っていうから東大生なんだろう。そうするといい物件なのかもしれない。お母さんは会ったことがあるらしい。そのお母さんが「普通にいい人」って言うんだから多分そうなんだろうとは思う。っていうかだからなんでお母さんだけなんだ…
にしても気になるのはやっぱりヤってしまったのかどうなのか
下世話だと思いつつ気にならざるを得ない
本当あのVIPの記事の父親の気持ちが分かる。小さい時オムツをうんこにまみれながらかえてやったあの日々が急に思い起こされる。
父の日に、幼稚園で書いた「お父さんありがとう」の似顔絵とか急に思い起こされる。
掃除頑張ったで賞もらったといって金の折り紙でできたメダルを嬉しそうに持ってきた小学生の頃が急に思い起こされる。
高校受験のとき、絶対落ちたと泣いてた娘が次の日受かってた事が分かって俺まで泣きそうになった日々が急に思い起こされる…
全然娘になんていうか、そういう、性っ気というか、そういうの全然感じなかったのに、あいついつの間にそんな…嫌だああああああああああああああ
思春期になっても「お父さんと同じ風呂入りたくない!」とか「お父さんのパンツと一緒に洗わないで!」とか全然言わなかった子なのに…
ああああなんか物凄いムカつく。大人気なくムカつく。手塩にかけて育てた娘をなんでぽっと出てきた男に攫われていかないといけないんだよ!!みたいな感じだ
どんだけいい男であろうがムカつく。かといってダメな男だったら更にムカつく。
あああ……でも最低キスくらいしてるんだろうな……泣ける……なんか凄く泣ける……
追記。
俺が結婚した時、お母さん、つまり嫁の父はもういなかったんだよ。
まあそれでも同じ事したっちゃしたんだけど
何かと不器用なことで悩んでいる。
まず、体育。球技がだめ。ボールをうまく扱えない。サッカーも小3で始めたが1年もたなかった。気がついたら感じる劣等感。
バレーでボールが飛んできてもうまく返せない。なぜかボールがまっすぐ上がらない。なぜかサーブが入らない。
サッカーで飛んできたボールをうまくトラップできない。見当違いな方に蹴ったボールが行く。シュートなんてもってのほか。
バスケなんて論外。あんな小さい輪っかに入るわけないっつうの。だいたいドリブルができない。ボールがついてこない。
当然他の種目もダメ。短距離走だけは平均ぐらいあったから何とかなったけど、長距離走なんか下から3番目から5番目くらい。
器械体操系はちょっとできたけど、別にめざましい活躍をするわけでもなく。
あと、カナヅチだった。中二のときは「生物は進化し陸に上がったのになぜわざわざ退化する必要があろうか」などと言っていたなあ。
図工、あるいは美術。
どうやったら絵が描けるのか分からなかった。大してやっていることは変わらないだろうになんであんな作品の質が変わってしまうのだろうか。
裁縫、ミシンなどは必ず残らされていた。終わるの後ろから3番目か5番目くらい。出来も下から3番目から5番目くらい。
先生の注意を反芻してしっかりやろうという意思はあるはずなのに、できない。
思うように手が動かず微妙にずれる、もしくは何かしら注意点とかやり方を忘れてやってしまう。
さらに、気がついたら作業が遅れている。友達と一緒にやっているように見えて、気がついたら二倍くらいの差がつく。
遅い上に雑でしかも回りにやり方聞いて迷惑をかけるという最悪な奴だ。
調理実習は野菜をとってくる、プリントを引っ張り出す、フライパンを洗う、箸を洗う、皿を洗う、そういうことしかしなかった。いや、できなかった。
音楽。これはもうちょっとましだった。小2からピアノを始めていたからだ。1年でやめてしまったが。
しかし、ましだというだけで、別に何もなく。
リコーダーは、指が回らなかったか音がちゃんと出なかった。まあ、それだけならみんなそうだから別に平均くらいなのだが、なぜか「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」を持っていたためにプライドは高く、ちょっとできないだけでずいぶんな劣等感を感じた。
そして、音痴だった。音を外す。歌っていると気がついたら音が外れている。「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」は歌には効果を発揮してくれなかった。リコーダーとか音がはずれるとそれを敏感に感じられたが、歌だと何も感じなかった。
中学に入って吹奏楽部に入って楽器を始め、結構頑張って楽器に関するコンプレックスはできずにすんだが、歌うことにおける音痴は直らなかった。カラオケなんかとんでもない。
授業だけでない。他の場面でもそうだった。
休み時間にするあやとり、折り紙。全然出来ない。あやとりなんかさっぱりだし、折り紙も、まず紙を半分にしっかりできない。裏側の白いのがはみ出る。どうやったらそうならずに折れるのか皆目分からない。
スキー、スケート。家族みんなができるのに自分はできない。中学のときに、4つ下の弟は思う存分滑っているのに自分は全然できなかったという記憶が残っている。
あと、自転車が乗れない。気がついたら乗れないままだ。
プログラミング。中学時代、周りにオタクが多かったんだが、彼らのうち何人かがプログラミングを始めた。自分も始めたが挫折。なぜかエラーが頻出する。周りはそういうこともなく形になっていった。
ゲームも苦手だ。対戦ゲームは最初っからへただし上達も遅い。後から始めた人の方がすぐうまくなるからやる気をなくす。ボードゲーム、カードゲーム、テレビゲーム問わず。
文化祭の準備で木材を切ったり、塗ったりするのも自分はできなかった。あまりに遅いし、あまりにできあがるものの質が悪いからだ。
とりあえず娯楽という娯楽、作業という作業において人より遅く、質が悪かった。
勉強だけはそこまでひどくなかった。
だが、これらのコンプレックスは消えない。何をやっても他人に劣る。
他人(いわゆるステレオタイプとしての一般人)よりできることは、まあ楽器がちょっとできるというだけだろうか。
でも、プレゼンテーションとか演説とかは得意。初対面となかよくなるのは得意。
しかし、人と比べると、当然のようにできることが出来ない上にしゃべることしか能がないのは本当にどうしようもない人間。さらに、病弱だとか家庭環境が悪いだとかのハンディキャップがあるわけではない。
悲しくなってくる。
このような悩みを共有できる人はいないのかねえ。
とりあえず聞いてほしくて増田に書いてみた。
何が悪くてこうなっちゃったんだろう。幼少時にずっと図鑑読んでて絵本も読まず折り紙とかそういうことを全くしなかったからか?
それとも、何事も続かない性格だったからか?
定義はとりあえず
としておく。
※表記は
1軍:2軍:3軍:それ以外
(パーセンテージのほうが分かりやすいと思うからそうするよ)
このころから、2,3人明らかに顔がよくて女子から人気あるやつがいた。
ボール遊びじゃなくて砂遊びとか室内で塗り絵とかしてるやつを3軍に含めようかとも思ったが
1軍も砂遊びやたまに折り紙とかやってたのを思い出して含めなかった。
そして周りに溶け込めない奴も1人か2人くらいいた記憶がうっすらとある。
なんとなく、3軍の下地みたいなものが見え始めた。
テンションが「あまり高い方ではない」人間同士が集まり始めたのだ・・・!
そして相変わらず溶け込めない奴が少し。
ヲタ層がハッキリ見える。特に体育の時間それは明確に現れる。そして拡大。
ちなみにここまでイケメンがずっと2割なのは感覚としてそう思っただけで深い理由はない。
30人クラスで15人男だとしたら、
顔が良くてスポーツできて面白い奴が常に3人はいたからってのが根拠なんだがw
「あのグループにだけは入っちゃ駄目だ・・・」みたいに。
そのせいか、1軍に上がろうとしたり3軍に居場所を求めようとする2軍が目立ち始める。
これ以降、この25:45:25:5の比は変わった感じがしない。
気付いた人もいるだろうが、この比のポイントは
「1軍と3軍の割合が同じ」
ということである。
あくまで俺の感覚なのだが、
休み時間、昼休み、遠足で目的地付いてまったり自由行動してるときなんか見ると
イケイケグループの群れとヲタグループの群れの大きさがほとんど同じなのだ。
類友とはいったものだが、うまく階層が別れているなあと感心したものである。
あと、幼小中高大全てにあてはまることとして、
「5%くらいは集団に溶け込めず悶々としている」
ってことがある。
100人いたら5人。なんかそれっぽくない?w
余談だが1と3の集まりは見て一瞬で分かるんだが2が難しいのよな・・本来一番多いはずなんだが。
あと、個人的には「ヲタ趣味のあるイケメン、顔のスペックからすれば普通に1軍に属すことが出来るのだが
その趣味故に2軍・3軍で居場所が中途半端な奴」が嫌いだった。
女で言うとしょこたん。
なんつうか、
「話しかけて来んな」
「その顔でこのグループにのこのこやってくるってのはからかってんだよな」
「俺ら見て何優越感に浸ってんの?どうせすぐ恋人出来て二人で
ヲタ趣味楽しんで増田に嬉嬉としてノロケエントリー書き込むんだろ、けまらしい。死ねばいいのに」
みたいな。
まあ、憧れの裏返しな訳だが・・・w
折れれば、だが、結構開くの早いから複雑な折り紙は難しいんじゃないだろうか
同じ性質の合成紙が入手可能だから、こんどやってみよう。