ハイチの被災者に千羽鶴を送ろう、という活動がMixiで広がっているというニュースです。
ご存知の方も多いと思いますが、詳細を知りたい方は下記のリンクなどどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1391165.html
最初に色んなニュースサイトでタイトルを見たとき、「ん?良い事だと思ってやってるのか??」とびっくりしましたが、
読んでみると批判的な意見が多いようなので、安心しました。
いや、安心しましたというのはちょっと違いますね。
どちらかと言うと、「あぁ、自分が感じた違和感を皆感じてるんだな。」という、再確認になったという感じでしょうか。
上のリンクや(http://masuda.livedoor.biz/archives/51382613.html)に書いてある意見に
私はおおむね賛成です。千羽鶴作ってる暇があるなら募金でもしとけ、と。
救援物資は続々集まっているのに、届けることが出来ない状況のようです。
なので、一番助かるのは復旧の助けになる募金じゃないでしょうか。
ここからが本題なのですが、上記のリンク先や、
他のまとめ記事などでよく見かけたコメントがとても気になっています。
のような、「広島の時は賛美したのに、なぜ今回は批判するのか?」と言うコメント。正直意味が分かりません。
広島の千羽鶴は燃やされてしまったのを悲しんで、それを元に戻したいと言う活動でした。
日本人は千羽鶴の意味が分かります、千羽鶴に込められた気持ちを理解できます。
理解できるから、燃やされてしまったときに悲しくなるわけで、だからこそ千羽鶴を送ることに意味があったわけです。
千羽鶴が何か理解できないハイチの人にとっては、イキナリそんなもの送りつけられても意味不明な紙の塊です。
それこそ燃やすぐらいしか用途はありません。
しかも、広島に千羽鶴を送ったとき、広島は別に何の異常もありませんでした。
食料に困っているわけでもなく、たくさんの人が瓦礫に埋まってもいなかった。
何千人も人が死んだわけでもなく、食べ物のために暴動が起きる状況でもなかった。
千羽鶴を送るという事が「偽善」だとしても、受け取る心の余裕があった。
しかし、今のハイチの人々に「折り紙送ってくれてありがとう」という余裕があるでしょうか。
ハイチが落ち着いてから送るという事だそうですが、完全に復旧するのには5年や10年という月日ではとても足りないのです。
それまで待って折鶴を送るのならば、5年間少しずつでも募金して下さい。
私の近所の被害はそれほどではなかったものの、水も電気もガスも無い生活はとてもつらく、友人の親族がたくさん亡くなりました。
そんな状態の時に千羽鶴を貰っても全然嬉しくなかったと思います。
ダンボールいっぱいにパンでもつめて送ってくれたほうがよっぽど嬉しかった。
神戸の町は何も無かったみたいに復旧してると思われがちですが、今でも悲しみを背負って生きている人がたくさんいます。
復旧した頃に千羽鶴を送ることで「一人ぼっちじゃない」と分かってほしいなんて独りよがりはやめて、
今から、今すぐに助けになるものを送って下さい。
折鶴送ろう批判は別にいいんだけどそのときにmixi云々をことさら持ち出す人がよくわかんないんだよな 「これだからmixiは」とかなんかmixiは頭の弱い人が集まってることが前提になって...