はてなキーワード: レイトとは
4歳から楽器を始めて30年以上、今まで辞める理由が無かった程度の感覚で、なんとなく続けてきた。
高校までは先生に師事してレッスンを受けてきたが、今思うとかなりいい加減で、その楽器を4歳からやっていれば必ず習うレベルの名曲をやったこともなければ、おっさんになった今はテクニックも荒れ放題と、本当に適当なアマチュアだ。
多分保育園・幼稚園の頃から続けてきた人の中では、自分は最も下手っぴな部類だと思う。
とはいえ、この歳になって弾けないままでは死ねないと思うほど弾きたい曲(どれも名曲で定番曲)が出てきたので、ウン十年ぶりにレッスンを再開した。
長年ヘタっていたテクニックが整理され、再構築されるのは本当に嬉しいし楽しい。
この調子で、願わくば還暦までに、プロでも専門家しか手を出さない、キチガイじみた難曲かつ、最高にエキサイティングな神曲を弾けるようになれば・・・などと夢が膨らむ。
さて、仕事にしろ趣味にしろ、何をやるかと同時に、誰とやるかも極めて重要なのは御存知の通り。
まあ、自分みたく中途半端でいい加減で、しかも諦め悪い奴がいないのは道理だろうけど、分かっていても結構寂しいもので。
でも似たような人間がいない程度ならまだいい。
正直な所、自分は同じ楽器の経験者とは全くノリが合わないので非常に苦手だ。というかその楽器を弾くのが好きな人とはいつもしっくり来ない。
特に近寄りたくないのが、小学校高学年くらいの頃に、確固たる自分の意志で楽器を始めた、いわゆるレイト組。
物心つく頃から楽器をやっていた人は、その楽器向けに書かれた曲だったら、音符を見れば「なんとなく」「適当」でも、その通りの音は出せる。
これは自分のようなヘタクソでさえそうなのだから、漏れ無く当てはまる話だろう。
しかしレイト組は、この「なんとなく弾き」を非常に嫌うのだ。特に上手い人ほどその傾向は顕著だ。
大学のサークルの先輩にそういうテクニシャンが何人かいたけど全員そうだったし、おまけに演奏の上手さを誇示し、ひけらかし、更には自分のヘタレっぷりをバカにしてきた。
ついでに女子にもモテてたけど、楽器であからさまな実力のひけらかしなんて必要ないじゃんと思っていた自分は好きになれなかった(自分のファンを増やしたいのは分かるけど)。
それから今習っている先生もレイト組だけど、やはり適当な音は一切許さない。そんな音を少しでも出すと目の色を変えて怒る。
まあ自分が弾きたい曲は遊び感覚では絶対マスターできないので、そこはもうレッスンを真剣勝負だと思って取り組むことにしたけど。
結局、小学校高学年くらいから始めて上手な人は、そこまで弾けるようになるのに相当頑張ったのだろう。
ましてやプロになるなんて、自分みたいな怠け者には想像出来ないような努力と修練なしには無理なのは間違いない。
だからこそ、なんとなく弾くのが、それで弾けたつもりになっているのが人一倍許せないと。はい、全くもって正しいです。
とても真摯な人達なんだろうけど、音楽ってそれだけなのも勘弁・・・と思うのだ。ちょっと息が詰まるというか。
スマホがレイトアダプターまで浸透したと言える今、一つ警鐘を鳴らしたい。
疑問があっても自分の頭で考えず、どっかの誰かが一人で考えた薄っぺらい情報に頼りすぎるようになる。
疑問を検索しなかったら、もしかしたらそれについて深く考えたかもしれない。
しかし、検索という行為によってそれは「何と無く」わかった気になり、中途半端な解決を生んでしまう。
そしてすぐ忘れるか、その疑問はもう二度と頭を過ぎらなくなる。
こういった無駄な作業がくせになり、一日の大半をスマホをいじくって終わる人がいかに多いことか。
文章作成も操作感や紙面の問題から、紙やパソコンより短く、推敲されないものに成らざるを得ない。
自分で書いた文章の文脈は把握しにくくなり、理論的な文章をデザインすることは難しくなるだろう。
結果、質の悪い文章が乱発されるだろう。ツイッターがまさにそれだ。
今までの携帯で全く、あるいは極一部しか出来なかったことが、スマホによって中途半端に出来るようになったこと、それに中毒性があることが全ての原因だ。
劇場で上映されている、『オペラ座の怪人』25周年記念公演 in ロンドンは音がずれています。
これから見に行こうと考えている方(特に絶対音感のある方)は、ご注意ください。
私は、途中で気持ち悪くなり、退場いたしました。
なぜ音がズレているのか問い合わせメールを出したところ、
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観させていただきました。
音が半音下がっている箇所がありました。
私は絶対音感があるので、音のゆらぎが気持ち悪くなり
ご回答のほどよろしくお願い致します。
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ご指摘の件、ロンドンのUniversal Pictures International(UPI)に
問い合わせたところ、以下のことが判明いたしました。
この公演の撮影は、フレームレイトが25フレームの規格の機材で行われました。
DCP(Digital Cinema Package)という世界規格に変換する必要がありました。
この規格のフレームレイトは24フレーム、すなわち1秒間に24コマの映像が収録
されます。
収録音声を早回しにすると音が高くなり、
遅回しにすると音が低くなる現象は、容易に想像できるかと思います。
今回は、1秒間25コマの速度で収録された音声を
1秒間24コマのスピードで再生することとなり、25分の1秒分遅回しにすることに
よって、
その分、音程が低くなったというのが、理論上考えられることです。
非常に微少なスピード差であるので、これによって半音以上の音程差が生じると
は考えにくく、
絶対的に音感の鋭敏な方には判る可能性がある一方、
UPIでは、DCP上映にあたり同様の指摘を受けたのは、今回が初めてという説明です。
更に日本国内のスタジオに取材してみたところ、楽器や声の音質や、旋律、音の
高低により、
特に差が目立って聴こえる箇所があるのかも知れない、ということです。
音程の問題を解消する手段としては、音声のスピードを変えずに再生するため、
映像を毎秒1コマずつ間引いて24フレームに合わせる方法がありますが、
これを用いると、今度は映像の方に飛んでいるような現象が生じる可能性があり、
なぜフレームレイトの違う機材で撮影を行ったのか、という疑問が生まれますが、
これはアナログ時代から世界各地で異なるビデオ信号が採用されていた歴史があり、
それに伴い英国では25フレームというフレームレイトが一般的で、
UPIとしては、日本での上映を心待ちにされているお客様のために最速の実現を
目指した結果、
限られた時間と環境の中で出来うる限り最良の映像と音声を送ったつもりだった
ということです。
これまでの説明で我々の理解するかぎり、ご指摘くださったお客様は、
ごく少数の並ならぬ鋭敏な音感の持ち主でいらっしゃるということが言えそうです。
我慢を強いることとなりましたことをお詫び申し上げるとともに、ご理解を賜れ
ればと存じます。
今回のご指摘を真摯に受け止め、今後の課題とさせていただきます。
なお、DVDおよびブルーレイにつきましては、音程の問題を修正し、
Really Useful Group(RUG)の監修と承認を受けたものを発売する旨、UPIの確
認を取りました。
日本で発売されるDVDおよびブルーレイは、UPIの制作するマスターに基づくもの
です。
いや、正規料金払うのって 新幹線でグリーン車乗るようなもんだろ。
自由席もあるのに、グリーン車のっといて 高いもヘッタクレもない。
正規料金というのは、安い日に日程を合わせたり、事前にチケット用意したりという面倒を金で解決している感覚だから。
正規料金払ってる奴は別に文句も何も無いだろ。
そもそも、個人的にはレイトで見るから気にはならんが、プレミアムシートみたいに3000円という席だって売れてる時代に席の値段を言ってもなぁ。
ちなみに、気に入ってる映画はプレミアムシートがある場合はプレミアムシートを取ってる。
映画ってそういうもんだろ。
TOHOとかなら、6回見れば1回無料で、デフォルト15%OFFだし・・・。
普段レイトで貯めといて、レギュラーで見なきゃいけないときに無料を使えば、結構得。
他もサービスやってる。
どうせ日本人なんてデフォ1000円にしたら 高い500円にしろって言い出すんだから、正規料金が安くなることは無いと思われる。
日本では基本正規料金は高く、割引を多くが基本。 これは、店がそういうという事じゃなくて、客のモラルが低いから!だからしょうがない。
日本映画がオワコンになることはあっても、映画はオワコンにはならんよ。
そういう意味では、日本は映画やアニメにかける制作費が少なすぎて逆にどうにもならない。
海外のように、はじめから世界中で売ることを前提に金抱えて作って薄利多売路線じゃないと儲からない。
それに1800円ってなんだよ・・・それが気になるなら、映画の日に行くとか、チケット屋で前売り買うとか、
あとは、配給しているところの関係者 たとえば下請けとかやってそうなやついないの?流してもらうとか。
安く手に入れる方法は幾つかあるのに、定価で計算されてもね。
ちなみに、レイトが好き。
すごい空いていて、自分の部屋みたいだし、大画面だし 安くなった分でポップコーンとコーラのセットを買って たまの贅沢を楽しんでいる。
Facebookは既に世界最大のソーシャルネットワーキングサービスでトラフィック規模でも既に世界最大級である。
mixiなどの国内サービスと比較するまでもなく既に成功して確立したもので、「はじまる」という表現を用いることができるほどNewChallengerではない。
Facebookを模倣して作られたサービスは日本でも多く、はてなスターだのmixiアプリだのといったところで、ルーツをたどると原型をFacebookに見ることができるものも多い。
なのに何故今頃ギークでアルファブロガーと称される人達がFacebookが始まりそうだなどとのたまっているのだろうか?
Facebookの何かが変わったとでもいうのだろうか?
好意的に解釈すれば、日本のユーザーが急に増えてコミュニティの移動がおきてるまえぶれをとらえることができる。
自分を振り返ればここ数ヶ月でいままでまったくなかった友達申請がでてきたのも確かだ。
Twitterにいたアーリーアダプターの連中がレイトマジョリティに追い出されて移動しているのかもしれない。
可能性としてそれはある。
だが、好意的にとらえなければいやらしさが目につく・・・
わかりやすくしてみよう。
http://www.youtube.com/watch?v=wHc3NmYKzto
2011年1月、映画「ソーシャル・ネットワーク」が丸の内ピカデリー他で全国公開!
僕の妻は美人だ。
ただし、性格がきつい。
結婚してからはさらにきつい。
そんな彼女の妹と、事情があって一緒に暮らし始めて一年以上が経っている。
義妹も妻ほどではないが、なかなか美人だ。
そしてなにより、性格が良い。
どうしても、義妹の方に目が行ってしまう。
男だからだろうか。
この夏などは、リビングでは短パンからスラリとした足を露出させ、よく昼寝していた。
僕はよく、なめるように視線を送っているが、まったく無防備だ。
部屋で寝るときも、ドアは開けっ放し。
朝、義妹の部屋を通るたびに、美しい肢体を見せつけられる。
胸元がはだけていると、ああ、もう少しで乳首が見れるのになあ、と、首の角度を色々変えながら見てしまう。
ある時は、帰ってきたら、バランスボールに乗っていて、胸がムニュって状態でお帰りなさいって。いや、それよりムネ、、
それでも、義妹とのあらぬ事を色々想像してしまう。
いいよね?想像するだけなら。
コミックLOとかで少女とのセックスを想像するのと同じで、実害はないよね?
それとも、よこしまな思いが浮かぶのは、それだけでダメなのか。
追記:
なぜかブクマとかされたので、、
いや、「外見で選ぶと後悔する。性格で選ぶともっと後悔する」を信条としてるので、今のままでいいんだ。
実は妹は姉の事が嫌いで(理由:性格キツくても周りに許されてるから)、旦那の浮気で結婚生活が壊れてしまえ!と思って隙を見せてんのかもな(増田から手を出す形になれば妹は完全に被害者面できる)。気をつけろよー。
大丈夫だ。わきまえている。それに義妹は誘ってるわけではないんだ。
昨日は絶対領域が気になった。さらにそれが足組みされたけど、大丈夫だ。
今朝の夢は、うつ伏せに寝ている義妹のはみ出たおっぱいを触って、義妹は嫌がらなかった夢だが、大丈夫だ。
「もげろ」
気持ちだけ受け取っておく。
http://anond.hatelabo.jp/20100626154643
結論は題名に尽きると思う。
あなたのいる環境がどうなのかは知らない。周囲がプロ予備軍なら、厳しい言葉がかけられるのは当然なので何も言わない。以下は関係ないので読み飛ばしてもらいたい。
しかしあなたのサークル仲間が基本的にアマチュア集団なら、あなたはその人たちを見下すべきじゃないと思う。レベルが低いプロはプロ失格なのは当然だが、それは裏を返せばアマチュアはレベルが低いからと言って非難される筋合いはないということでもある。
私も学生時代に似たような風潮があった。ちなみに状況は別の増田が書いてた
に近い。もう少し絞ると、それなりに名の知れた総合大学のクラシック音楽系サークルで、要するにアマチュア集団の中に、ごく稀に突然変異的にプロになる人が出現するという環境。
このサークルにはだいたい
・有名音大でも狙えそうな感じだけど、(少なくとも当面は)断念して普通の大学に入ってきた人
・アマチュアとしては腕が高いが、音大生と比べれば並以下のレベル
・ど素人
の3層があって、人数比をちょっと誇張気味に言うと1:10:100ぐらいの感じだった。一番下のカテゴリの人は幽霊会員になってしまう人から、それなりに熱意はあっても壁を破れない(理由はだいたい、生育環境とかレイトスターターだったりとかその辺)「アマチュアの鑑」みたいな人まで多様だった(ちなみに私自身はメンタリティや生育歴的には「ど素人」なのだが二番目のカテゴリに分類されていた)。
それで、私が嫌だったのは二番目のカテゴリの人の中に一番下のカテゴリの人を見下すことがちらほらいたこと。特に、上に書いた「アマチュアの鑑」的な人は、ときどき熱意が空回りして「痛いクラヲタ」的になることが多かったが、そういう人が最大の標的になっていた。しかし私に言わせれば二番目のカテゴリの人は環境に恵まれた割に熱意が足りない人が多かった(だからそのレベルにとどまった)のだから何をか言わんやにしか見えなかった。
で、面白いことに一番上のカテゴリの人は誰も見下さなかった。で、その理由を挙げれば題名のようなことに尽きると思う。彼らはアマチュアとプロの違いというのをサークル内では一番わかっていた人たちだ。プロは言い訳無用で人生賭けてやっているわけで、そうでない人を同じ基準でしばき上げるのは単なる価値観の押しつけに過ぎない。逆に、二番目のカテゴリの人の中には「自分はそんじょそこらのアマチュアとは違う」と下らないプライドを募らせた人が多かった。「本物と比べれば自分なんて大したことはない、でも自分はお前らとは違うんだ」と。
みっともないと思うだろう。私もそう思う。しかしあなたのやっていることはどうなのだろうか。もしあなたのいるサークルが基本的にアマチュアの同好会であり、それをあなたが見下しているのであれば、「草野球チームを本気で負かせて喜んでいるプロの二軍選手」と同じぐらいみっともないのではないか。
野暮を承知でわかってない人向けにパヒュームのファンが解説するよ!
・GAME = アルバム「GAME」のこと。
・計算しすぎ = 「チョコレイト・ディスコ」の歌詞「計算する女の子」より。
・チョコレート = 同上
・アイドル状態 = Perfumeはアイドルなのかアーティストなのか立ち位置が微妙だと言われる。ここでは立ち位置がアイドル寄りになっている、の意。
・リサイクル = かつて公共広告機構のリサイクルのCMに出演しており、それがブレイクのきっかけの1つになったと言われる。
・普通の女の子にもどる = キャンディーズの有名なセリフ。同じ3人組なのでよく比較される。
・プラスチック = 「ポリリズム」の歌詞「ああプラスチックみたいな恋だ」より。同曲は上記CMで採用された。
・また同じことを繰り返す、とても大事な = 「ポリリズム」の歌詞より。
・新しい場所でうまくやっていく、そのうち慣れてくる = 「ワンルーム・ディスコ」の歌詞より。
追記:
この会話すげぇ、って真に受けてる人がいるけど、この文章自体は「なにそれこわい」って2ch系の最近話題になったコピペ・テンプレが元ネタだよ!知りたかったらぐぐってね!
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51259975.html
たまに定期的にこういった話題が出るんだけど、そのたびに三木道三ファンとしてはいたたまれない気持ちになる。
そもそも「一発屋をからかう」とはどういうことだろう?
読者も三木道三がどういった人物か詳しくは知らない人も多いと思うので、先ずはWikipediaのリンクを張っておきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E9%81%93%E4%B8%89
1990年代初頭というとまだバブルの余韻をひきずってトゥナイトとかでお立ち台ギャルがTVに出てた頃。
クラブというと六本木の高級クラブが世間一般常識の頃に、アンテナの高い若者に支持されていたクラブミュージックがレゲエ、ヒップホップ、グランジだった。
(もちろん他にもロカビリーとかテクノとか、それぞれ好き好きはあったけどとにかくファッション&ミュージックはTVで全く取り上げられないほどマイノリティだった)
関西ではいろんなミュージックが試されていたけど、その中でも三木道三の歌う「ド演歌+レゲエ」スタイルは飛び抜けてうまかったんだ。
当時の関西がそうだったのか、今で言う「フィーチャリングなにがし」だったり「コラボレイトなにがし」だったり、仲間や後輩と一緒に組むスタイルも、関西のクラブシーンを熱くさせたし社交性や面倒見の良さが評価された。
この頃の三木道三のインディーズレーベルを知らない人は、ニューミュージックが好きならきっと損してると思えるくらい、すばらしい楽曲を提供してくれてる。
(「MIKI-FM 1997ヘルス」とか「MIKI-FM 1998メガヘルス」とか)
そのご「キミにミキ」みたいな楽曲をメジャーでも提供できたらひょっとして三木道三って全国でも通用するんちゃう??っていう関西の人たちの期待もあって、三木道三はメジャーレーベルと契約を交わす。
三木道三はやってくれた。きたいどおりに「Lifetime Respect」という名曲を生み出した。
今までマイノリティだった関西クラブシーンはこの曲を一斉にFM802にリクエストする。
もともとが名曲なので、FM802で聞いた他のリスナーも三木道三のファンになってリクエストはさらに伸びる。
(ちなみにFM802とは関西圏のFMラジオでアイドルの曲は一切流さないという関西の音楽ファンにとっては聖地のようなラジオ局)
あとのシナリオは皆さんもご存じ、三木道三は変に肩肘を張ったのか名曲を生み出せずその後はヒットに至らないわけだが、
関西クラブミュージックシーンで三木道三ほど音楽に貢献した人を誰一人悪く言わないのに対して、カウントダウンチャートを上からとりあえず聞いてる「自称」音楽通に限って一発屋の三木道三をバカにする両極端な土壌が出来てしまった。
ここから僕は「そもそも一発屋とは何か」というのがわからなくなってしまった。
そもそも、なぜ、みんなは一回でも「音楽的表現の流通」に成功した人を笑うの?
なにを笑ってるの?可笑しいのは「音楽」なの?「表現」なの?「流通」なの?
音楽を芸術から商品に貶めたのは他ならぬバイヤーなのは周知の事実だけれども、
そもそも音楽を商品として扱ってきたのは消費者なんじゃないの?
バイヤーはその期待に応えるのは人類歴史上連綿と続いてるだけじゃないの?
音楽を上から下まで「売れる」商品を集めてるだけで満足してるのは消費者で、
そういう行為が「日本のレゲエ」っていう音楽的文化を殺してるのに気付いていないの?もしくは気付いてるけど黙認してるの?
(べつにここがレゲエじゃなくても「日本のロック」でもなんでもいい)
欲しくなければ買わなければいい。
流行ったからつられて買って、あとになって「一発屋一発屋」とからかう創作活動のどこに未来はあるのか。
「一発屋一発屋」というけど一発でも当たった凄い人をお前達は尊敬しあがめよ、とは言わない。
中には自分も2発目、3発目と当てるように努力してる人も居るだろうし、そうでなくても一発当たった人はやっかみの対象になるのも理解の範疇だ。
だけど、三木道三ほど日本の音楽文化にレゲエという要素を取り入れて貢献した人に対しても、メジャーレーベルでしか評価できなくて、その評価が一律「一発屋一発屋」というからかいがほとんどな現状を見ると、良質な音楽との接触の機会を自ら狭めているのはこういった「カウントダウン上から下までそろえておけば大丈夫」な層なのかもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=LSPI25MVLWM
何をブレイクしてんだって。
見つかっちゃったな……っていう感じが。
ブレイクするっていうのはバカに見つかるってことなんですよ。
ブレイクしないっていうのは目利きの利くちょうどいい加減の人に面白がられている時期なんです。
「チョコレイト・ディスコ」くらいの時が一番輝いている、ってか優秀なんですよ。
ただ「チョコレイト・ディスコ」をきっかけに「チョコレイト・ディスコ」に群がる獣たちがいるでしょ。
「チョコレイト・ディスコ」でやってたというそれだけの理由で来る(テレビ業界とかの)人たちがいるでしょ。
見つかっちゃダメなんですよ。
初めは小学生の頃か。
実物のスペースインベーダーの記憶はない。
しかし、それを皮切りにアーケードゲームのみならず、ゲームウォッチ、ケームセンター嵐などを経て、ファミコンが登場する「ゲーム」の時代だった。
「ゲーム」がコンピューターゲームの意味になった時代だった。小学生も「コンピューター」にワクワクした。
21世紀はコンピューターにより人工知能ができる。そんな時代だった。
でも、アルファベットを知らない小学生にBASICは難しかった。ぴゅう太がせいぜいだった。
「PRINT」で文字を表示する。「GOTO」で行き先を変える。それは分かった。でも何をすればよいか分からなかった。
だから「ベーマガ」で16進数を打った。でも動かなかった。何度も調べ、直し、試した。デバッグした。
でも動いた。自分の入れた文字で数字でコンピュータが動いた。自分で動かした。動かせた。
高専に進んだ。Turbo Pascalでコラムスもどきを作った。
小学生のころから6年が過ぎていた。
Turbo Cも使った。IDEで使うそれは、インタプリタのノリだった。
FM-Rでレイトレースもした。一晩かけて、エラーが起きていた。
でも、構造化プログラミングを学んだ。ポインタも学んだ。マシン語の知識が役立った。
Solarisも使った。EmacsやXも使った。オブジェクト指向も知らずC++にも触れた。
awkやsedで正規表現を学んだ。そしてperlに出会った。
コラムスもどきを作ってから6年が過ぎていた。
perlで掲示版の書き込みをチェックし、madokaで遊んだ。CGIを書いたりした。
perlと出会ってから6年が過ぎていた。
はてなに出会った。JavaScriptに出会った。
Bookmarklet、greasemonkey、Ajax。オブジェクトだらけだった。
初めはゲームだった。でも最初だけだった。
気が付いたら24年が経っている。
今、pythonで書いている。
ようやく、言語の違いには慣れてきた。でも、まだLISPを使った事はない。
道はまだまだある。未知の世界につながっている。
作りたい物が本当は何かは分からない。作れる物が本当は何かは分からない。
どんなふうに動くのかは分かってない気がするけれど、分かっている事もある。
それが今の私のstatusだ。