スマホがレイトアダプターまで浸透したと言える今、一つ警鐘を鳴らしたい。
疑問があっても自分の頭で考えず、どっかの誰かが一人で考えた薄っぺらい情報に頼りすぎるようになる。
疑問を検索しなかったら、もしかしたらそれについて深く考えたかもしれない。
しかし、検索という行為によってそれは「何と無く」わかった気になり、中途半端な解決を生んでしまう。
そしてすぐ忘れるか、その疑問はもう二度と頭を過ぎらなくなる。
こういった無駄な作業がくせになり、一日の大半をスマホをいじくって終わる人がいかに多いことか。
文章作成も操作感や紙面の問題から、紙やパソコンより短く、推敲されないものに成らざるを得ない。
自分で書いた文章の文脈は把握しにくくなり、理論的な文章をデザインすることは難しくなるだろう。
結果、質の悪い文章が乱発されるだろう。ツイッターがまさにそれだ。
今までの携帯で全く、あるいは極一部しか出来なかったことが、スマホによって中途半端に出来るようになったこと、それに中毒性があることが全ての原因だ。
そんなに長時間何を検索してるんだ?
検索で得る知識のことを「借り物の知識」と僕は考えている。借り物の知識から「自分の知識」としない限りは、その知識というのは本当の役に立つことはない。だから、なんでもかん...