はてなキーワード: サンリオピューロランドとは
私はもがちゃんの事が大好きで、かれこれ5年程度推し続けている。
でんぱ組在籍時代はあの6人のでんぱ組が大好きだったし、私にとって本当に支えだった。
もがちゃんにとってもあの6人のでんぱ組は大切というか、彼女の言葉を借りれば「全て」であって、私と同じ様に大事にしていると思っていた。いつかの冠番組で、でんぱ組がこの6人で無くなるなら、つまり一人でも加わったり抜けたりするならでんぱ組を辞める、と言い切っていたのが凄く印象に残っていた。だから不仲説や脱退したがってる、みたいな噂は全然信じて無かった。
2017年1月のライブで、6人でのライブの凍結が発表された。もがちゃんは元々精神的に安定している方では無いので、環境が劇的に変わるであろう事を勝手に心配していたけれど、しばらくは元気そうだった。むしろライブで忙殺されていたのが緩和されたので、少し余裕すらある様に感じた。
状況は急転した。5月にサンリオピューロランドでのイベントを当日体調不良でドタキャンし、その時期から突如調子を崩していた。活動で多忙とは言えない状況下で何故こんなに調子を崩してしまったのか、裏で何が起きているのか、考えてもなんのヒントも見つけられず、目に見えて自体は悪化していた。
ショックだった。ショックだったけど、脱退を知らせるブログでも6人のでんぱ組に対するもがちゃんの想いが綴られていて、あれだけ大事にしていた6人のでんぱ組を捨てざるを得ない程のことが裏で起きているのだろうと考え、必死に受け止めた。
脱退理由は心身の不調とされていて、私はこれを信じている。ただ、何故心身をそこまで壊してしまったのかに関しては、(当時ライブは無かったのにも関わらず)ライブ活動の忙しさなどに触れぼやかす情報しか無く、正しく具体的に語られた事は私の知る限り無いと思う。
もがちゃんは脱退後、数ヶ月で割とあっさりソロ活動で復帰した。復帰まではしばらくかかる、あるいは復帰自体できないかもと思っていたので、嬉しかったし何より安心した。でもこの時以来、私の中で違和感を感じる事が一つだけ生まれた。
それは、自分の脱退で6人でんぱ組が失われた事に強い罪悪感を感じていないように感じた事。
これはもう、完全に私の感覚なのだけど、自分のせいで、自分の脱退であの6人のでんぱ組が失われる事になったと思っていないように感じる瞬間が節々にあった。というか、その罪悪感があったらあんなにすぐソロで復帰できていないと思っている。
その違和感に特に私が自覚的になったのは2018年の大阪生誕のもがちゃんの最後の挨拶で、「ぼくはファンの事をもう二度と裏切りたくない」と言ったあと、「本当はぼくとしてはファンのみんなを裏切ったつもりはない」と付け足すように言った時だった。具体的にどういう事なのか腹落ちはできないまま、違和感だけが膨らんでいった。
ねむちゃんの脱退に関してもがちゃんと事前に話していたという記事を見て、ねむちゃんの脱退経緯をちゃんと知りたくなって、特集記事やねむちゃんの書籍を買って読んだ。
私の中に強烈な引っかかりを生み出したのは、LINE NEWSの次の一文だった。
「初夏」とは5月頃だ。つまり、もがちゃんがあの、ピューロランドのイベントをドタキャンし、一気に調子を崩した時期だ。
ここから先は私、つまり一人のもがちゃんのヲタクの妄想でしかない。
私は公平な目線で解釈をしているつもりだけど、所詮もがちゃんのヲタクなので、きっと私にとって都合のいい解釈が入ってしまっていると思う。
それでも私はもがちゃんを信じたいし、こう解釈をすれば全て受け入れられるし、前よりもがちゃんの事が、そしてなんだっらねむちゃんの事も好きになっている。
芸能人の事を完全に理解することなどできないし、私はこの物語を信じることにしている。
2017年初夏、年末の大阪城のライブでねむちゃんが脱退しようと思っている、という事をねむちゃんからもがちゃんに直接伝えた。ただそれは、誰よりもあの6人のでんぱ組にこだわっていたもがちゃんにとっては受け入れられないものだった。ねむちゃんに対しても厳しい反応を返してしまい、その反応もあり二人の関係が冷え込み、ねむちゃんはインスタに「5人と1匹」の投稿をすることになる。ただとにかく、でんぱ組があの6人で無くなること、自分が同じステージの上で見送ることになることは、もがちゃんにとっては耐えきれないことだった。
そのことがストレスになり、心身を壊してしまい、もがちゃんはでんぱ組を脱退した。心身の状態的にも、その背景的にもあの辞め方しか無かった。大事にしていたあの6人のでんぱ組を自ら捨てたのでは無く、失われる事に耐えられず辞めるしか無くなってしまった。
(でんぱ組の方はこの脱退を受け話合いが持たれ、未鈴ちゃんがねむちゃんに頼み込み、ねむちゃんの脱退は延期された。これはまろやかな狂気2にもはっきりと記載されている)
「あの6人のでんぱ組」をもがちゃんが壊したのでは無いので、精神的な部分での立ち直りは私の当時の予想より早く、あっさりソロ活動に復帰できたし、「本当はぼくとしてはファンのみんなを裏切ったつもりはない」と漏らしてしまう。もがちゃんにとって「でんぱ組.inc」は「あの6人」である事が全て。だからでんぱ組に戻れば?というファンに対して、「それはできません。ねむいないし。」と答える。
2017年のねむちゃんの生誕で、もがちゃんがゲストで来た回。もがちゃん脱退直前のこのイベントに私は参加しておらず、二人がどんな風に「不仲説」の話をしたのかを知らない。
まろやかな狂気2を読むと、何が話されたのかはイベント参加者以外には秘密、という事なので内容を聞くような事はできないが、こんな処にこんな長文を書いてしまったのも、このイベントに参加されていた人がこの文章を読んで、どう思うか知りたい、というのが正直ある。
昨日ツイッターを見たら、毎週のようにイベントに参加している。
公式サイトにも本人のブログにも案内がない。もはやツイッターが一番の情報源。
1つも行けない。ゆっきーは愛しているが、小さな1イベントのために往復ウン万は払えない。
関東の人たちは毎週のようにゆっきーに会えるのかと思うと、涙でディスプレイが見えない。
地方民がアイドルの追っかけで金がなくて臓器を売ったとかよく見るが、とにかく交通費がきつい。
行きたいなぁ。下の3つの内、どれか行けるなら7日の青木志貴とのトークイベントが気になるな。
「デレマスでキャラの絡み合ったか?」という人もいるかもしれないが、違う。華枕だ。
ゆっきーと言えばアサガオ、アサガオと言えば添い寝。つまり、ゆっきーと言えば添い寝だ。
昨今、インターネットの片隅で話題になっている「『おそ松さん』が2期に入ってつまらなくなった/人気が壊滅的に落ちた」問題を考える。以下の内容は、1期の途中で松にハマり、今現在2期を楽しく観ている人間の個人的な見解である事に留意されたし。
※長いよ!
■議題その1「つまらなくなったのか」
さて、1期と2期の違いを考えてみる。1期は実験的ギャグアニメとして、様々なパターンの話が作られた。その中でも、派生松の元になりやすい、パロディ系(例:F6、女子松、デリバリーコント、なごみ)は、腐女子の燃料として発火性が高い。また、感動モノ系(例:エスニャン回、十カノ回)も、男性的というより女性的な感性に訴えかけるものに思える。
しかし、2017年末現在、2期に入ってからの、パロディ系『げんし松さん』『三国志さん』は、腐女子人気が出やすいテイストではない。また、感動モノ系は『松造と松代』の1本のみ。内容も「松造が松代とご無沙汰」という下ネタがベースになっているので、シリアス度は低め。また、女性の共感が得やすい内容でも無い。
(勿論ギャグも求めているだろうが)1期の様な、女性向け萌えも求めている人にとって、2期は今一つ物足りなさがあるのではないか。
放送がない間、アプリゲームや雑誌等で、派生松の元ネタが量産された。けれど、2期発信の派生松はほぼ盛り上がっていない。そして、2期に入り、女性が抱く萌えには繋がらない要素(例:照英さん、1話でのファン描写)も多くなった。これらの要因が「つまらなくなった」「2期に入って変わった」という感想を抱かせる理由だと思われる。
2期1話で分かる通り、『おそ松さん』というアニメ作品(各種コラボは除く)は、女性向けを意識して製作されていない。2期に入り、下ネタ・不条理ギャグについてこられる人だけをターゲットにした「自己責任アニメ」へと完全に舵を切った。故に、ついてこられない人は置いて行かれてしまったのだ。
面白い/面白くないは、あくまで個人の感性に基づくものなので、算数の解答のように、明確な答えを出す事は出来ない。とはいえ、上記のような要因は、批判の理由の一端として挙げられるだろう。
ただ、個人的にはF6が女性向けに作られたものというより、女性向けコンテンツをデフォルメ化した笑い(いわばコロッケのモノマネのようなもの)だと思っている。それは2期1話のファン描写の視点と、何ら違いは無い。そういう意味で、1期と2期で変わったとは、私は感じないし、1期も2期も変わらず面白い。なんなら2期の方が好き。『超洗剤』『返すだス』辺りが好き。
■議題その2「人気が壊滅的に落ちたのか」
答えはいいえ、だ。正確に言えば「1期のような乱痴気騒ぎは収まったが、いまだに根強い人気がある」だ。そもそも1期がおかしかったのだ。円盤が8万枚売れて、オタク以外にも認知され、流行語にもなった。そんなアニメ作品は、稀である。
それが2期に入って、むしろ正常な状態になったように感じる。そもそも、2期の円盤は1万枚売り上げている。普通にアニメ作品としてはヒットの部類なのに、何故「2期大爆死乙wwww」などというまとめサイトが作られなければならないのか。
とにかく、「2期までの長い2年間、何も動きが無かったから、ファンが冷めた」という意見には、真っ向から反論したい。
ますゲーム。アプリゲーム、コンシューマーゲーム、ブラウザゲームと乱立した。そのクオリティはまちまちで、ゲーム内イベント時期が被ったり、ゲームシステムが完全にあん●タだったりと問題は多かったが、それでも「派生松の最大手サークル」としての役割は無視出来ないものがある。
次に、リアルの公式イベント。2.5次元舞台、着ぐるみ松による6つ子バースデーイベント、おそ松EXPO、サンリオピューロランドでのコラボ記念イベント、センバツ上映会。私が足を運んだイベントだけでもこれだけある。他にも、(私が当選しなかった)『松野家のなんでもない感じ』リリースイベントなど、多くのイベントがあった。アニメが放送されていない間に、1つでも公式イベントがあればお祭り騒ぎになるジャンルが多い中、これだけイベントがあるのは、凄い事だ。また、「コラボビッチ」「多すぎてついていけない」と批判の声も多い、各種コラボもリアルイベントの中に含んで良いだろう。
そして何よりドラマCDや『おうまでこばなし』といった、公式監修の作品が世に出ていた事は大きい。アニメの本放送が無いだけで、公式からの供給も、断続的とはいえあったのだ。
2期記念イベントで、6つ子の中の人が、ゲームや『おうまでこばなし』などの収録で頻繁に『おそ松さん』の仕事をしていたので「久しぶりな感じがしない」と仰っていた。私もこの発言を聞いて、その通りだと感じていた。アニメが放映していなくとも、ずっと『おそ松さん』を追いかけていたからだ。だから、2期が始まるまで供給が全く無かったが故にファンが離れた、という指摘はいささか見当違いだろう。
ここまで「2期までの間に動きが無かったから人気が無くなった」という指摘には反論させて頂いた。ただ、2期までに人気が無くなった理由として、もう1点指摘されており、そちらに対しては一切の反論を持ち合わせない。
それは「『おそ松さん』ファンのマナーがなって無さ過ぎてファン人口が減った」という理由である。もうこれについては全面敗訴です。SNS上でもリアルでも、他の『おそ松さん』ファンと殆ど交流していない私ですら、自分の身に降りかかった「本当にあった『おそ松さん』ファンの怖い話」の3つや4つはすぐに出てくる。『おそ松さん』ファンが何かちょっとアレな件に関しては、見て見ぬふりは出来ない。皆様にご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。いや本当に。自分はちゃんとしてるって思ってるかもしれないけど、外野から見たら充分ヤバい奴だからな。言動には気をつけような。私も気をつけます。
では、そもそも『おそ松さん』ファンは、著しく減ったのだろうか。確かに、円盤の売り上げは減った。だがしかし、ネットで言われてるように、『おそ松さん』はオワコンでファンが全然いないアニメではない、と私は感じる。これは決して、私がファンだから擁護しているのでは無い。実体験としてそう感じるのだ。
前述したように、私は『松野家のなんでもない感じ』のリリイベに当たらなかった。松ステ第2弾の先行は全公演全落ちが当たり前だった(ただし、舞台に関してはキャストさんの人気も加味されるので、『おそ松さん』人気の有無だけでは語れないのも事実である)。センバツ上映会には複数回、色々な松の部屋に足を運んだが、どの回も席は殆ど埋まっていた。平日の昼間でも、ナンジャタウン来園者の多くは『おそ松さん』ファンだった。『おそ松さん』コラボ中のアニメイトカフェへ開店直後に赴いた時も、すぐに客席の8割が埋まった。ラストオーダー直前のタワレコカフェへ飛び込んだ時も、客席の大半が埋まっていた。直前に告知された上、平日だったにも関わらず、着ぐるみ松の撮影会には少なくとも80人は集まっていただろう。
本当にオワコンなら、チケットは百発百中で当たらないとおかしいし、各種コラボは閑古鳥が鳴いていないとおかしい。けれど実態としてはそうではないのだ。そう、『おそ松さん』はまだまだ人気のあるアニメなのだ。
ネットを毎日やるようになったのは小学五年の時。兄からPCをお下がりしてもらって、自分専用のマシンを手に入れた。
その時期は専ら、SRCというスーパーロボット対戦風のゲームを作れるソフトで、
自分の好きなアニメのキャラを活躍させるシナリオを作って公開していた。
そのコミュニティでは知り合いが何人もできたけど、次第に興味が薄れていった。
最初は兄の部屋で見つけたエロ同人誌。そこに描いてあった手コキシーンを参考にしてオナニーを発見した。
ネットでエロ動画を探すようになり、セックスへの欲求が一気に高まっていく。
どうにかしてヤリたい……! しかし、俺はここで学校で彼女を作るという選択肢は取らなかった。
同級生は顔も身体もガキなのでぜんぜん欲情しなかったのだ。帰宅部なので先輩の知り合いもいない。
ちょうどその頃、兄の部屋で雑誌「SPA!」を見つけた。十数冊あるうちの一冊が「出会い系特集」だった。
俺はその中に書かれている「出会う方法」を実践した。だが、その方法では出会えなかった。
おそらく雑誌で記事されたことによって競争率がぐんと上がったのだろう。俺はこの失敗で挫けるような男ではなかった。
何人かの女性とはメール交換までいけたのだ。もっと方法を工夫すれば「イケる!」、そう思ったのだ。
俺は競争率の低い場所で戦うことにした。そこで選んだのがぽっちゃり系の女性が相手を求めるサイトだ。
同時にプロフも作った。自己紹介で一気に掴もうと思った。けっこう顔は中性的なのでイケメン風の写メを取って掲載した。
そして、とにかくアタックして、アタックして、アタックしまくった。
交際なんて煩わしいことしたくないのですぐに「セックスしたい」と言った。とにかく言いまくった。
だが、無常にも「セックスしたい」と言った途端、冗談と取られたり会話が途切れたりして、なかなか進まなかった。
「焦らなくていいよ。高校生ぐらいになったら好きな人とすればいい」というようなことを何人にも言われた。
だが、俺は諦めなかった。そうやって、二十人ほどにアタックしただろうか?ついに女神が舞い降りた。
「会いたい」といったら「いつがいい?」と返ってきた。「すぐに会いたい」と言うと「じゃあ次の金曜はどう?」ときた。
俺は意を決して「会ったらすぐにホテル行きたいな」って言った。すると相手は……「いいよ」と。
思わず「ほんとに?」と打っていた。相手は気にせず「ブラジリアンスタイルだけど引かないでね」と言ってきた。
そして次の金曜日、池袋の駅構内で待ち合わせをした。俺は彼女を見つけるとあまりの嬉しさに彼女の身体に飛びついていた。
彼女は俺よりも身長が高かった。ぽっちゃり系の巨乳で、抱きつくと身体全体が埋まるような感覚になった。
柔らかくて、いい匂い。それが第一印象。彼女に連れられてホテルに行った。キスをして服を脱がされて、一緒にお風呂に入った。
浴槽の中で初めて挿入した。騎乗位でぐにぐにと刺激されて、そのまま中でイッた。あまりの気持ちよさに放心状態。
そのまま浴槽で何発もヤッて満足して帰った。なんだか身体全体が軽くなって、今なら何でもできそうな気がした。それが中二の夏。
このまま彼女をセフレにして定期的にヤろうと思った。だが、そう簡単にはいかなかった。彼女から返信が来なくなった。
しつこくメールすると「あんたみたいなガキを本気で相手するわけないじゃん」と返ってきた。ショックだった。
「醜い豚っ鼻しててさ。詐欺だろ、あの写メ」と唯一のコンプレックスを指摘され、ひどく傷つけられた。
……違う相手を探そう。俺はすぐに立ち直った。一度成功したことで、かなりの自信がついていたのだ。絶対すぐに見つかると確信していた。
俺は出会い系から足を洗った。出会い系はもう個人運営の良質な場所がなくなっていき、金儲け目当てのサクラばっかりになっていた。
SNSへと乗り換えた。しかし、その頃はもうミクシィは某流出ショックのおかげでみんな性別や住所を隠すようになっていた。
俺はおかず目当てに海外のコスプレサイトを見て回っているとき、偶然とあるSNSサイトを見つけた。
そこは語学学習を目的としたサイトで、外国語の練習相手を探す名目のSNSだった。すぐに登録した。もちろんイケメン写メで。
日本の女性もかなりの数登録していた。それも皆、かなり細かい住所まで公開している。俺はすぐに近所の女を探した。
そしてメッセージを送りまくった。とにかくコピペで送った。何人もの人間から返信がきた。
みんなクローズドなSNSで安心しているのか、出会い系よりも障壁が低かった。そうやって会話して、デートにこぎつけた。
三人の女性と同時進行で会った。バンド好きOL、留学を目指しているOL、夫が徴兵制度でロシアに帰っている主婦。
この三人をローテーションで回し、向こうの予定が合いている日があったらとにかく会ってセックスさせてもらった。
この頃俺は月五千円お小遣いをもらっていたのだが、そのすべてをこの三人に会うための交通費などにあてていた。
しかし、ここである危機が訪れる。俺は携帯電話を持っておらず、この三人との連絡はすべてPCで済ませていた。
それが中三の夏になると、受験のためにと父親から専用PCを取り上げられてしまったのである。連絡が取れなくなった。
仕方なく俺は受験に打ち込んだ。その甲斐あってか、中の上クラスの進学校に合格が決まった。晴れてPCが俺の元に帰ってきた。
半年以上ぶりにネットに接続し、俺は驚愕することになる。俺がネットに離れている数カ月の間に、SNSサイトが閉鎖していたのである。
更なる不幸が襲った。使っていたヤフーメールが、何ヶ月もログインしていなかったので、メールがすべて消えていたのだ。
これでもう、三人と連絡をとる手段は完全に失ってしまったのだ。頭がくらくらする思いだった。
使い勝手のいいSNSサイトを失った俺は、次にどうやって出会うかを考えて、しばらく右往左往していた。
そんな時、携帯電話所持の許可が出た。そこで俺の目の前に現れたのが「モバゲー」だった。
ここならイケるかもしれない……いや、イケる! 今まで培ったノウハウを生かせば、こんなところ楽勝なはずだ。
事実、楽勝だった。俺はすぐに30代のバツイチ女をゲットし、サンリオピューロランドで初デートして、すぐにセックスした。
しかし、この女とは何回か会ってセックスしたが、こちらから連絡を絶った。デート代を親の年金からくすねてると知ってドン引きしたのだ。
この頃の俺は鬱屈していた。高校で上手くスタートが切れず、損な役回りでイジられるポジションを強いられるようになったのだ。
パシリみたいなことをさせられ、俺は学校に行くのが日に日に嫌になっていた。電車に乗るのが憂鬱だった。
そんな中、一駅しか離れてない場所に住む女と知り合う。彼女は20代半ばの派遣社員だ。これが人生の転機となってしまう。
彼女とはすぐにはセックスせずに、しばらく普通にデートっぽいことをしていた。何故なら彼女は処女だったのだ。
そうやってデートを重ねているうちに俺はだんだん彼女が本気で好きになってきた。同時進行で学校での立場はどんどん悪くなっていた。
俺は毎日学校の帰りに彼女の家に行った。合鍵を作ってもらい、帰ってくるのを待つ。学校でのストレスを発散しようと彼女を抱いた。
彼女の家には定期で行ける。合鍵も作った。俺は次第に学校をサボリ、彼女の家でゲームしたりするようになった。
学校をサボっていることが親にバレたが、何故か怒られはしなかった。俺は親に退学すると伝えた。
了承してもらい、俺は学校をやめた。条件が合った。高認試験を取って、大学に行けと言われた。
そのことを彼女に話すと、彼女も実は中退して大検で進学していたことを知る。俺は彼女に試験の勉強を見てもらった。
週の半分以上を彼女の部屋で過ごした。親は何も言わなかった。彼女に参考書を買ってもらい、勉強スケジュールを作ってもらった。
昼はそれで参考書をガリガリと進め、夜は進行具合や疑問点を見てもらい、セックスをした。
それまでのようにただ自分の快楽を求めて腰を振るんじゃなく、どうやったら彼女が幸せになれるかを考えながらセックスした。
シナモンに会いたきゃ、行くべきははてなじゃない。サンリオピューロランドだ。