はてなキーワード: ガンツとは
アマプラで無料の『来る』が話題になってたから見てみたんだけど、後半の霊能力者が各地から集うシーンがすげえ良かった。沖縄から来る旅行者気分のお喋りオバちゃんグループ!関西圏から来るおっさん2人とジジイ2人の寡黙なグループ!JK巫女!警官隊!
チェンソーマンの京都組なんかも良かったし、ガンツの大阪グループも素敵だった。格闘漫画でトーナメントやる前のキャラ紹介も基本的に好きだ。だいたいほとんどのキャラはすぐやられたりして消えるんだけど、その儚さもいいんだよな。誰が残るのかわかんないのもいい。
(地域性じゃなくて専門分野が違うドリームチームみたいなのもいい。オーシャンズ、シンゴジラの巨災対、『いつだってやめられる』の教授チームもそうだ。各人が特殊能力を披露するシーンは燃える。)
そういうの集めたデータベースとかないのかなあ。俺はこれみよがしな方言描写は基本的に嫌いなんだけど、各地から集まってきた実力者が喋ってるってシーンなら全然許せるどころかなんなら好きだ。「なまら暑いべさ」とか言いまくっててほしい。地域ステレオタイプをほんのり練り込んだ、どうせすぐ退場するからってことではっちゃけて好き勝手作ったキャラたちを見たい。
氷系の能力で固めた北海道組!(北海道は寒いんだからむしろ氷系は効果が薄いんじゃないのか?みたいなツッコミどころも愛嬌になる)
地味な四国組!
10年前だったらガンツのあの1シーンがそこら中にべたべた張り付けられたんだろうね
http://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
Twitterでも観測してるし、特にはてブにランクインして目立ってるから上のリンクの人のことについて"アンサー"するね。先に謝っとくけど、Twitterで観測してるやつらに対する怒りも全部この人に向けてるから、結構ひどいこと書いてるよ。ごめんね。
なんか「猫ブログの猫が死んだ途端関連グッズが出たら引くでしょ」とか言ってるけど、いや違うだろ。ワニは死ぬこと確定してたじゃん。
そりゃ猫ブログ運営が猫を死ぬこと見越してグッズ展開の準備を虎視眈々としてたら引くけど、今回のワニは非現実存在かつ、初っ端「100日後に死ぬ」ことが確定してたわけじゃん。そして死ぬまでがコンテンツだし、死ぬこと含めてのコンテンツじゃん。流石に同一視するのは無理でしょ。
ワニ3日目の「気をつけないと死んじゃうよ!」なんてワニのセリフも、「いや死ぬのはお前なんだけどw」というシュールさも込みの面白さでありコンテンツだったでしょ。そんなに死を商業利用されるのが嫌なら、あそこでふるい落とされろよ。なんで全部見てんだよ。
この人は「作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう」なんてゲスパー言ってるが、俺からしてみれば、人気増田に「アンサー書いた」なんてブログ貼り付けて、「私は物語の力を信じている」なんて持論かましていかに自分が繊細かつ漫画から力を得てきたかを自分語りしてる時点で、「お前のほうこそワニ作者の気持ちを鑑みずに銭ゲバだと勝手に思い込んで、しかもここぞとばかりに人気作品に便乗してブログ貼っ付ける自己承認欲求塊マンやんけ」としか思えない。
この人は「キャラクターの死と金とのどっちを優先するの」の2択に「金」を選んだワニ作者および関係者が嫌かつ、コンテンツそのものも嫌ということなんだけど、「客」という視点が抜けている。あのワニの漫画の100日目は2020年3/21現在、74.1万RT、ファボ204.1万もされている。つまりコンテンツ楽しんでる側の客は204万人がいいねしてんだよ。
この204万人はワニが死ぬことを楽しみにしてきたやつで、ちゃんと死んでよかったと思っていいねしてんだよ。製作者側が死をビジネスにして死者に敬意を払ってないというなら、それに群がってたこいつらはなんなんだよ。同様に死を楽しみ、コンテンツとして楽しんでた同類だろうが。そこに金稼ぎを見出すか、見出していないかの違いこそあれ、死を楽しんでた同類だろうが。きちんとユーザーにも怒れ。まあブログの宣伝のためのファッション怒りだろうからしないんだろうけど。
「作者が、自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感するのだが、(中略)今回のはその俎上にも上っていない、論外である。」
としてるけど、うーんなんだろう。じゃあアブドゥルを殺した荒木は自然と湧き上がってくる弔意があるはずだから、喪に服して連載を止めろみたいな話なんですかね。アブドゥルが死んだとき、「え?マジでアブドゥル死んだの?」と思っただけでページを捲った俺は死者に敬意を払えない人間ってことですかね。まあそれでもいいけど。
この世の大抵の漫画なんて、死をコンテンツとしてるといっても過言じゃないだろ。意外なキャラをどう死なせるかとか、クソキャラをどう惨たらしく死なせるかとか、死ぬ必要はなかったけど話の都合上このキャラは死なせたよねとか、そういう作品ばっかじゃん。ガンツとかまどマギとか学校ぐらし!とか。
そういう漫画は、「死は儚い」とか「親友の死を乗り越えて成長」とか(寒々しい)テーマ乗っけて話を展開させてるんだけど、「死」をコンテンツとしてるのは違いないだろ。そういうのワクワクしてるのが俺らユーザーなんだよ。それともテーマが乗ってりゃ満足なのか?今回のワニも、「死は唐突で理不尽です」みたいなテーマはありそうだけど、それでもこの人は許さなくて、「死を利用して喪に服す間もなく商業展開していくのが気に食わない」って話だろ? 俺には全部「キャラの死を利用して話を描いていく」前述の漫画と同じに見えるけどな。構成が違うだけで。
「ただ今回はメメント・モリ(死を忘れるな)的なものが作品の中核テーマとなっているわけで、『100日後に死ぬワニ』は『コマンドー』とは違い「死」そのものの重たさ、日常と地続きに唐突に・不可避的に訪れる喪失を描こうとした作品であろう。そういった作品が死をテケトーに軽々しく扱っているのはどういうわけだ。これはあまりにも不誠実だと思う」
いや、メメント・モリがテーマなのはそうだけど、「メメント・モリを扱うときはテケトーに軽々しく扱ってはならない」ってルールはどっからきたの。全部お前ルールじゃん。
アブドゥルだってテケトーに死んだだろ。「お前がピンチでも助けない」とか唐突に死亡フラグ立てて、その後すぐに仲間をかばって死ぬとか、テケトーやろ。少なくとも俺にはそう見えたぞ。
100日間丁寧に日常を描いて死んで見せたワニの方が、よっぽど丁寧にメメント・モリしてたけどな。
「コマンドーのキャラは適当に死んでもよし。俺の好きなキャラは軽々しく死んではないから重みが違う」なんて、人の死をランク付けするなんて何様だよ。
「ノスタルジックで怖くてサイバーパンクで懐かしくてホラーで悲しくて優しい雰囲気」に浸ること。
シリアルエクスペリメンツレインが好きなだけじゃノスタルジック好き、ホラー好き、悲しくて優しいのが好きなところを共感できないし、初期Salyuやリリイ・シュシュが好きなだけじゃホラーが好きなところや優しさやサイバーパンクが好きなところを共感できないし、仄暗い水の底からが好きなだけじゃサイバーパンク好きなところや優しさ好きなところが共感できないし、ノスタルジックなものが好きなだけじゃホラー好きなところを共感できないし、帝國少年好きなだけじゃホラー・サイバーパンク・ノスタルジー・優しさに共感できない。自分の中ではあの雰囲気は単一のものになってるから、そこらへん全部合ってくれないと全然共感できない。
だって同じ作品が好きでも楽しんでいるものが違うんだから、「ここがこういう感じでよかったよね」と言われても、『そうなんだ…』ってなっちゃうから…。楽しんでいるとある雰囲気を合致する人がいないと全然わかりあえた気にならない。
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どうせlily chou chou好きな人って大抵ロキノン系ロックも好きじゃん。ガチャガチャうるさいから嫌だ。言葉も安いし。「病み」を安っぽく表現していて本当にいやだ。
どうせ玲音好きな人って初期Salyu好きじゃないじゃん。仄暗い水の底からも好きじゃないじゃん。帝國少年好きじゃないじゃん。
どうせサイバーパンク好きな人ってノスタルジックなものや初期Salyuとか好きじゃないじゃん。
papa told meが好きな人って、惨劇館好きじゃないじゃんどうせ。25時のバカンス知らないじゃん。不夜城好きじゃないじゃん。伊藤潤二知らないじゃん。プラネテス知らないじゃん。それら全部とガンツとかエルフェンリートとかも一緒に好きな人いないじゃん。エルフェンリートの端正で怖くて神々しい圧倒されるオープニングの良さわかちあえないじゃん。papa told meが好きなだけじゃだめなのに
的な感じです