はてなキーワード: 腹八分目とは
子供のから指先が震えやすくて、緊張もしてないのに手が震えたりしてそれが原因でからかわれたりした。
少し大人になって、どうやらそういう症状になるときっていうのは血中の糖度が低いからだということがわかった。
その頃から、空腹や血糖値の低下を感じたらチョコレートやビスケットを食べてしのぐ癖がついた。
外出先で急な低血糖に襲われることもよくあることだったので、いつもかばんにもアメやチョコレートとジュースを持ち歩いていた。
太りやすい体質と思いこみ普段から食べる量と運動には人一倍気をつけているのに、なぜか体重が増え続ける。
お昼とか外食行くと自分は半分だけ食べて残しているのに、毎年の健康診断では体重は増えていく一方だった。
朝は週4回、40分のウォーキング。
炭水化物は基本的に朝と昼だけ。しかもお昼はお茶碗1/3程度。
粉物をさけ、できるだけタンパク質と野菜類を、それも腹八分目で終わるように食べていた。
それでも増え続けた体重が標準から10kgオーバー近くに達した時点で、意を決して強烈な食事制限をかけた。
朝はおにぎりかパンを1つ。昼はそれにインスタント味噌汁を加えたもの。夜食はプリン一個。お酒はコップ2杯まで。
その間、空腹を感じたらストックしてある一口サイズのチョコレートを口に放り込んだ。
それでも一日平均して5個位だ。
それによって、体重は年齢でいう平均まで減らすことができた。
それからも空腹時に甘いものを食べてごまかす生活を続け、なんとか体重を維持できるようになったが、それでも食事の量は人並み以下のはずなのに一向に減る気配がない体重が疑問だった。
ところが、しばらくして低血糖のような症状に陥る頻度が増えてきていることに気づいた。
チョコレートを食べる頻度と個数が増え、その分食事を減らしても体重は増えていった。
その頃から気分が鬱になり悩むことも増え、ドライヤーをしたときの抜け落ちる毛の数が増え始めた。
たたでさえ以前から急に便意を催すような弱かったお腹は、とくにお腹を壊していなくても水っぽい便が1日に4~5回でるようになった。
それも、一回につきすっきりとした感覚を得るために最低でも15分はトイレにいる必要があった。
飲み物にも日常的に甘いモノを欲するようになり、だんだんとそうした欲求が制御できていないことにも気づいた。
ちょうどその頃、はてなの10周年記念か何かで、「20年来のつらさがほぼ消えたことについて」という大人気増田を読んだ。(トラバは自重する)
実に症状が似ていたので、もしやと思いまずは間食をチョコレートからナッツに変えた。
それから糖質という言葉を調べてみたところ、人参や根菜などの糖質を野菜だからと普段から多く摂取していることに気づいた。
そのため、炭水化物以外にも糖質の高いものをできるだけ生活から遠ざけることにしてみた。
昼:仕出し弁当。ご飯半分。揚げ物や根菜など、糖質の高いものは食べない。
夜:肉か魚100gくらい。つけもの、サラダなど。炭水化物はある一定以上の量を食べない。
間食は昼前と15時くらいにナッツを10粒程度ずつ。
はじめのうちは低血糖を恐れるような生活だったが、1ヶ月もしないうちに持ち歩く荷物からお菓子が消え、飲み物はミネラルウォーターに変わった。
うっかり週末に食べ過ぎたりすることもあるが、以前ならそのまま体重に跳ね返ってきたのが今は2日もすればもとの体重に戻るようになった。
低血糖にはまだ多少なりやすいものの、ドライヤーで抜け落ちる髪の毛が半分以下に激減した。
あの記事を盲信するわけではないが、自分にとって糖質という意味を正しく理解して行動することは人生において大きな意味をもたらしてくれたようだ。
最後にこれを書くと茶化すようで気がひけるのだが、漏らさなくなったことをきっかけにもう増田を卒業しようと思う。
ダイエットの真実を知る自分にとってみれば、ライザップが詐欺まがいであることは一目瞭然だ。
みんなダイエットのことを分かってなさすぎる。
体重や体脂肪なんて日々の生活習慣を積み重ねた結果なんだから、変えたきゃ生活習慣変えるしかないにきまってるんだよ。
生活習慣っていうのは、主に環境と欲で構成されるのだから、まずは自分で変えられるところから生活環境と欲をコントロールするんだ。
30過ぎてから最大85kgあった体重を今現在67kg体脂肪19%まで減らした俺が教えてやる。
まずは生活環境。
一歩も動かないでも何でも手の届く位置においてないか?
いつもおそうざいを少し余計に買って帰ってないか?
一つ一つの影響は小さくでも積み重ねれば大きな結果になって帰ってくる。
種類もそうだし、日々の積み重ねという意味でもそうだ。
つぎに欲。
ダイエットの失敗で一番多いのは、欲を我慢することだ。
我慢した欲はなくならない。つもりつもって爆発するんだ。
そこで、たとえば満腹の欲求を満足の欲求に変えるんだ。
自分がよくやったのは、腹八分目くらいのときにカロリーの高いものを少しだけ食べるということだ。
それによって満腹じゃなくても満足できるようになった。
今でも手元にアーモンドチョコレートがいつも置いてあり、空腹を感じ始めると口に放り込むようにしている。
インスタントのみそ汁やコーンスープだ。空腹感が和らぐだけじゃなく、なんとなく気持ちも落ち着くぞ。
欲をコントロールする上で大切なのは、幸福感の総量を減らさないということだ。
人間は一定の幸福感がないといつかそれを取り返そうとしてしまう。
例えば満腹の満足感のかわりに、翌朝に感じる身体の軽さを幸福感に変えるんだ。
目覚めとともに、「あぁ、このスッキリ目覚められる幸福感サイコー!」って言い聞かせるんだ。
それが実感できるようになってきたら、満腹になりたい自分に言ってやれ。「それよりも朝の目覚めのほうが気持ちイイ!」とな。
同じようにもう一杯お酒を飲みたい気持ちも、朝の目覚めの幸福感に置き換えた。
あとは外食の楽しさをトレーニングで流す汗の気持ちよさに置き換えたりもした。
こういうことを繰り返していくことで、少しずつ習慣は変わっていく。
気がつけば、自分のなりたい自分を作り上げてくれる習慣の上に立っていることができるんだ。
ダイエットに裏技はない。今の自分とは積み重ねてきた習慣の結果にすぎないのだ。
今の自分を取り巻く環境と幸福感を捨て、なりたい自分が欲する環境と幸福感を手に入れることだ。
逆を返せば、今の環境と幸福感にしがみつく限りは、一時的に変われたとしてもいつかは必ず戻ってしまうということだ。
分かったらまずは自分でやってみることだな。
うちの金魚は5歳である。名前はあるが、個魚情報なので一応伏せておく。うちにやって来たときには生まれていたから、正確な誕生日はわからないけれど、まあとにかく大体5歳である。金魚の年齢で5歳というと、まだまだ生きられそうに思えるが、実のところすでに寿命は近い。うちの金魚は金魚すくいでよく見かける赤いやつではなく、背ビレのない、背中が丸みを帯びているあの形である。たまにテレビに映る何十歳のでっかい老魚とちがって、このタイプは比較的るい弱だし、体もそこまで大きくはならない。ましてうちの子はあまり食べずに育ったから、年のわりに貫禄がなく子供っぽくみえる。
でも小さいくせしてなかなか骨の折れる魚生を送ってきた。うちの水槽に来た当初は2匹の仲間と一緒に泳いでいたが、いつか彼らはこの世を去り、今では大きすぎる住処に1匹で生活している。氷水みたいに冷たくなった冬の水中で、じっと身を縮めるところなどを見ると、なんだか可哀そうになって、新しいのを連れてこようかとも考えるが、ついつい先延ばしにしていたら、数年にわたって彼をひとりぼっちにさせてしまった。ひどい飼い主だ。
彼の魚生に転機がおとずれたのは昨年の秋だった。ある日私が散歩していたら、金魚すくいをやっている店を偶然見つけたのだ。これはチャンスだと思った。彼の家に仲間をふやすべく、逃げまわる黒デメキンを私は必死の思いで掬い上げた。袋に入れられたデメキンが不安そうにきょろきょろするのもかまわず、駅への道を急ぎ、慎重に電車に乗り、2時間近くかかってようやく家に着く。水温を調整してからデメキンを解放してやると、はじめこそ2匹は戸惑った表情を浮かべたが、一晩すぎれば仲良しの兄弟のように水の中でぐるぐるたわむれていた。いよいよ彼の魚生に春がやってきたのだ。私はほほえましく2匹の姿を眺めた。
しかしそれは春ではなかった。長い冬の始まりだった。デメキンの体にぽつぽつと、白い点が散らばっているのをある時発見したのである。これは「白点病」と呼ばれる、金魚の命にかかわる大病で、私が以前飼っていた金魚の多くもこの病に敗れ去った。そして恐ろしいことに、白点病は他の金魚に伝染する。すぐさま治療薬を入れ、消毒用の塩を投入したものの、数日後には、カゼひとつひいたことのない彼の体にも白い点々が認められた。私は頭が真っ白になった。彼が死ぬなど考えたこともなかった。
日がたつにつれ2匹の体力は徐々に奪われていった。年嵩のため体力に乏しいのか、まず彼が水槽の底でじっとするようになる。まだ体の動くデメキンが、友の体を犯す白い虫(白点病の正体は寄生虫である。恐らくデメキンが持ってきてしまったのだろう)を、口で突いて取り払おうとする様子が私の胸を衝いた。それでも彼は動かなかった。私は覚悟を決めていた。
ヒーターを入れて水温を上げ、虫が死滅するのに一縷の望みをかけたけれども、ある朝起きたら、デメキンが底砂利の上に横たわっていた。元気だった方が先に逝ってしまった。迎えたばかりの友達をも彼は見送ることになった。黒色の落ちた小さな体のまわりを、ゆらゆらと泳ぐ彼は、水温上昇の効果があったとみえて少し回復したようだったが、涙を流しているように私の目には見えた。金魚に感情なんかあるわけない。でもそう見ずにはいられなかった。
3匹の仲間と別れたうちの金魚は、きょうも水槽内を元気に泳ぎまわっている。白い点などもうどこにもない。あの後も幾度か死にかけたのに何もなかったかのようにまたひとりで生活している。不思議なやつだ。水槽を観察していると、エサを求めて口をぱくぱくさせてくるが、ごはんは一日一度・一つまみまで。金魚も腹八分目が長生きの秘訣である。
「何故あなたは、メタボを放っているんですか?」的アンケートを中年男性に取ってると思う。
★そういうアンケートで、多数の回答を集めるのは
「メタボを解消したいが、スポーツ施設が近くにない」的選択肢。
・・・だが、本当にそのアンケート結果は正しいか?「本音の回答」か?
★「メタボを解消したいが、運動の時間がない」「メタボを解消したいが、スポーツ施設が近くにない」は、
いわば「優等生的」回答。
一方「メタボ解消なんてメンドクサイ」とか「特定検診なんてかったるい」的な回答が「本音な回答」。
★「そもそも、メタボなママで何が悪い?俺は一生暴飲暴食で楽しく生きるぞ~」
というウラヤマシイ、いや自堕落な本音回答も本当は多いと思う。
しかし、「役所からやってきたアンケート」となると、回答者は無意識のうちに「優等生的回答」を選びがちになる。
果たして、無意識のうちに「お利口さん」になった回答を「正」として、各種行政を遂行するのは正しいだろうか?
結局、市民のホンネとずれた政策をしてしまい、課題解決から遠ざかってしまわないか?
★これが「綾小路きみまろ総研」みたいなホンネトークが許される雰囲気の機関によるアンケートなら、回答者も本音を語る。
だから、政府は素性を隠して、綾小路きみまろ総研(?)に調査委託した方がうまくいく。
政策目標を実現したいなら、まず「市民のホンネを聞き出せるようなアンケート」を行うのが入口である。
★実際、「国民健康栄養調査」で申告された「毎日の食事での塩分摂取量」より
欲、捨てなくていいんじゃない?
「欲を捨てる方法」なんて書かれると世の中「欲深い」と「欲がゼロ」のどちらかしかないように見えがちだけど、
欲求はそんなに簡単に片付けられないものじゃないかな。
お金を稼ぐのだって飯を食うのだって、人から認められるのだって立派な欲求だし、そいつを原動力に人が生きてるんだから別に後ろめたい思いをすることはない。
(もし金を稼いで成功することが汚いと思うのなら、その思いが「自分よりお金を持ってる人への妬み」から生まれてきていないか先にチェックしたほうがいい)
それに、全ての欲を捨てる!みたいな極端な決心をしてしまうと、本人も指摘しているように「欲を捨てよう、も欲だ」「○○してはいけない、も欲だ」・・・と
自分自身の決意に雁字搦めになって、最後は何もできずに菩提樹の木の下で断食瞑想するしかなくなってしまいそう。
(それでヤギの乳がゆを娘から恵んでもらえるかどうかはまた別の話だ)
何かの宗教の改組になりたいなら別だけど、今の生活の辛さを改善することが目的ならあまりいい手じゃないように見える。
「世の成功者は欲まみれだ」のような過剰な妬みとか、
「書き込んだ増田に反論されるとイライラしてしょうがない」みたいな過剰な自尊心とか、
自分を苦しめてる過剰な欲求が自分の中に潜んでいないか探して、そいつを適切な分量に収めてあげるのが一番楽になるんじゃなかろうか。
いや、なんでもいいけど。
自分の常識は正しいから、故に、あいての常識は間違っているという思想はグローバル化社会では通じないぞ。
食べ物は残すのが美徳ではなく、食べ物は満腹になるまで提供するのが幹事の美徳だ。
結果、満腹になるまで提供したので わずかに残る。ということであって、残すのが美徳ではない。
故に、客は 満足満足もう満腹ですと、わずかに残すということだ。 食べきるという行為は おかわりという意味だ。
日本の場合は 食べ物は残さないのが美徳ではなく、腹八分目に抑えるのが美徳で結果残らない。という事だ
食べきれない量が出てきたら残すのが当たり前。