とてもよくわかる。
(👊👁👄👁)🤜 シュッシュッ
最近、縋るように好きになったゴミクズのおかげで自分の気持ちが分かってきたので、ここに書き留める。
共感は特にいらないので、こういうゴミ人間もいるんだなって感じで、軽く見てほしい。
恐らく、今から5年ほど前…の15歳の時だろうか。
それ以前の事はほとんど覚えていない。
母親は殴る人だった。
私は飯を食わなかった。
それを見て母親は殴ってきた。蹴られて、ごめんなさい許して食べるからと言う私を、ハッキリ覚えている。
殴られて思ったのは、
親に殴られる悲しさと、怒りだけ。
それを慰めてくれる人は誰もいない。
だから心に悲しさを押し込めて、何もかもを考えない様に、引き篭もることにした。
親や周りが入れようとする普通の檻なんて知らない。他人の事なんてどうでもいい。ただ自分の為に好き勝手に生きる。それに何の疑問も抱かずに。
勿論、周りからはちょっと変な奴として扱われた。でもいじめられる事は無かったし、それなりに楽しく生きていた気がする。
(今となっては幼少期にお前が私を閉じ込めたからこのゴミクズとしか思わないが…)
初めて疑問を持った。
私が生きる意味って何だろう。
異常なら生きる意味はないのでは?
そこで今度は逆に今まで生きていた衝動を押し込めて、眠っていた私が代わりに生きる事にした。普通の檻に入る為に。
15年間生きていた、乱暴で衝動で革新的で、変化を恐れず他人を気にせず自分の為に生きる衝動性。
もし他人を殴っていいなら喜んで殴るし、
殺せるなら喜んで殺すだろう。
血の赤を見てみたい。
今楽しそうに(私?彼?)と話している君をナイフで裂いたらどんな顔をしてくれるだろう?どこを切れば温かさに触れられるだろうか。
親に殴られていて反撃できなかった弱い(衝動性を私と言えばいいのか、彼と言えばいいのか、わからない)が、少しでも強くなれるだろうか?
小さい頃は魚を釣っては内臓を掻き出す事に喜びを感じていたし、ミミズを引きちぎりそれでも個々に動く姿を見て悦に浸っていたのを、覚えている。
…いや…そんな奴が生きていて良いはずがない。
好き勝手な衝動を抑える理性となった私は、俗に言うやさしい、普通の…つまらない人間だ。
窮屈な世を生きる為とはいえ、衝動性を、弱い私が抑えられるはずがない。
気付いたらあらぬことを喋っていた。
気付いたら他人を傷つけていた。
気付いたら他人を泣かせていた。
親から受けた傷のせいで
法に縛られているおかげで
他人を殴る事は無かったが。
第一印象でやさしいと見られていた人たちから向けられる視線は、
辛い?悲しい?
いや嬉しかった。
やさしい私は本当の私ではない。
それに気付いて貰えることが、他人を傷つけられたという実感が、何よりも嬉しかった。
周りの人間は、優しい私だけを求めてくる。
親も誰も、他人を傷つけたい好きに生きたい衝動性、もう一人の(彼?私?)を認めてはくれない。
それでも今まで私の代わりに暴れて、怒って、守ってくれた、たった1人の私のヒーロー。
出来ることなら好きな事をさせてあげたい。
好きに暴れさせてあげたい。
こんなゴミでも認めてほしい。
生きていていい許しが欲しい。
ワイは大学生時代のガードマンのバイト先で、若白髪まじった40~50台の塾講師ゆうとった仙台出身独身男性の先輩が詰所での世間話で白髪の多さはいつからなん?て弄られとって、『(よく言われるよ、まあけっこう若い時からだよ、でも流石に)オチンチンに白髪はえたの見つけた時は感動したけど』って真顔でネタゆわはって周囲の老中年期の先輩方からオチンチンテ...て引かれてはったのを覚えてるやでー
▼レジ袋ください
大きめに表示します。
・レジ袋ください
・レジ袋いりません
・わりばしください
・スプーンください
・フォークください
画面最下部にある項目にチェックいれたら表示されます。
口頭の補助として使うといいかなーと。
日本に帰国したとき、「あぁ、もう同じ場所には戻れないんだな」と思ったことがありました。
たったの9ヶ月しか故郷を離れていないのですが、まだ若かったこともあって、自分や周りの「成長」とか「変化」というのはずいぶんと速かったのでしょう。
彼女たちは彼女たちの道を歩み始め、同時に私は私の道を歩み始めたこと、そしてきっとそれらは、時代を共有した頃のように交差することはおそらくもうないのだろうな、と感じました。
きっと多くの人が、ある程度年を取ったら、故郷に戻りたくなるものなのでしょう。
ほとんどの場合、寂しく思うのは、「過去の記憶」であり、今そこに戻ったとしても、同じものはもうないかもしれない、というのが現実。寂しいけれど、じゃあ自分の決断を後悔しているか?と聞かれると、答えは「ノー」です。
いつまでも同じ場所にいられないのは私だけじゃないし、周りも変わります。みんなそれを言葉には出さないけど、体でわかっている。
思い出は思い出だから良いものであり、それがずっと現実だと、ちょっとそれはどうかな?と私はきっと思ってしまうでしょう。
世の中には、自分で見届けられる成長と変化があり、見届けられない成長と変化がある。
見届けられるものを楽しむ。
「きっとこの国に骨を埋めるんだろうな」と感じ始めたときに思ったことです。
私にとっての「ホーム」は、毎日帰る場所。「ただいま」と言って、鍵をガチャリと開けて、夜ご飯を食べて、シャワーを浴びて、眠る場所。
RDSのコネクションプーリングって、接続を早くするよりもコネクション数を予測可能なものにするのが主眼でしょ
https://dev.classmethod.jp/articles/rds-proxy-connect-benchmark/
政権与党にはほとほと失望してるし期待もしてないから、野党にはもっと議席を拡大して政権交代は難しくてもせめて圧力をかけて政権の危機感を煽ってほしいと思ってるよ。
今のところそれがプライオリティとしては最上位だから、諸々イマイチな部分には目をつぶって野党に票を投じ続けてる。死票バンザイ。
でもはてブで与党批判コメントは殆どしない。所謂はてサの面々がブコメ全部遡ってこぞって星付けてくるのが嫌だからな。
くだらないと思うか?理由を教えてやるよ。以前俺のブコメをブックマークして曲解中傷コメント付けてきたはてサ野郎のIDが通知に表示されるのが嫌で嫌で仕方ないからだよ。
やった方は忘れていて能天気に星付けてくるんだろうが、やられた方はずっと覚えてるからよ。あいつら普段は自分たちはさも高潔で立派であるかのような態度だが所詮そんなもんだ。そうやって日頃の振る舞いで恨みを買ってるってことをしっかり覚えておけよ。
*
(つか非表示にしてるんだから通知でも非表示にしてくれよはてなさんよ そしたら俺だって文句言わねえよ 棲み分けさせてくれや)
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まあそれはそれとして都知事選は難しかったわ。小野は割とまともそうだったが「維新」の文字列を見ると失神してしまう体質なので結局宇都宮に…
餃子は論外。アホ与党と同じレベルになってどうすんねんアホ共がよ
支持政党ではないが与党とは違う真っ当さを期待してた分余計にガックリきたわ
あと隠す気のない伏字で王将持ち出したのも姑息で嫌だったわ…貧乏学生時代はたまに豪遊したい時のご馳走だったからよ…
まあこれを責めるなら与党の不祥事を責めろという気持ちは分かる。
だが俺もお前も全てのニュースにコメントすることはできないし、する義務もないし、誰かにそれを強制する権利もない。
他者をコントロール下に置きたいという人間の根源的欲求を完全に断つことはできないが、一歩分距離を置くところから始めよう。それについては俺も頑張るわ。
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例えば、あるコメントや記事に対する反論や批判は一定の範囲内において許容されるべきだが、「コメントしていない人」を引っぱり出して罵倒するのは明らかに行き過ぎだろう。
つか何かある度いちいち「はてサだんまり」だの「ネトウヨだんまり」だの不毛すぎんだろいい年こいていい加減にせえよお前らというお気持ちがありますわよ。
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政党には当然広報担当がいるんだろうが、餃子とか首相の犬撫で動画とかが通ってしまうあたり与党も野党も本当に内輪ウケの支持しか見えなくなってきているのかもしれん。
これがエコーチェンバー?サイバーカスケード?知らんけど、そう言う俺たちもきっとどこかのカスケードを手斧片手に漂ってるんだろう。
ただまあ、あの一連のツイートを内輪ウケと自覚してやってるんだとしたらいよいよおしまいだとは思う。さすがにそんなことはないと思いたいのでちゃんと反省して?
10年くらい前の政治家たちがおっかなびっくりツイート始めてた頃を思うと隔世の感があるね。
・意味のない伏字、隠す気のない伏字はかえって印象が悪い(ex. 「餃子の〇将」「はて〇ブック〇ーク」)
・はて〇ブック〇ークにおいて、コメントを残すかどうかは本質的に自由
・餃子は焼/揚/水問わずいついかなる時も美味であなたの味方である
以上
(👊👁👄👁)🤜 シュッシュッ
絵を投下する以外何もしない垢にしてみては?
(絵のキャプションは人間味を感じさせるので感情の対象にされやすい。本でいう後書きに近い効果がある)