正直、ナチズムに繋がらない表現であればセーフなんじゃないの?アイドルのコスプレがナチの軍服っぽかったってのも批判されたけど、危険なのはナチズムであって衣装ではないでしょ。
そんなのが批判になるんであれば、映画なんて散々ナチスについて描いてきた。思想にまで触れてる映画『帰ってきたヒトラー』なんて完全にアウトなんじゃないの。しかも、ジョークとして扱われてる始末。
少し、身を引き締めたいと思っている。それは変な事が立て続けに起きているからだ。一昨日の夜から、珍しい事故が4連発でおきた。
1つ目。夜中の1時に近所で火事が起きた。テレビでも取り上げられるほどのやつで、辺りは騒然とした。匂いも感じた。全員無事だったらしくホッとした。
2つ目。翌日、子供と散歩にでかけた。途中、消防車が停まっていたので、子供に見せるために近寄ったら、車の大事故が起きていた。見る限り4台くらいの玉突き事故で、その後人がたくさん集まってきた。死者は出ていないそうでホッとした。
3つ目。その日の午後、子供と自転車で動物園に行った。その帰り道、すれ違ったオートバイがスリップ横転し、突き当たりのブロック塀に当たった。すぐに警察が来て、辺りは騒然となった。転倒者は一応無事そうに見えてホッとした。
家に帰って、家族に報告すると3つ起きたら、これ以上は起きないでしょ。と言われ、少し気持ちが落ち着いた。
だが終わらなかった。
なんだか、怖くなった。
そして、最後。いつもならあり得ないのだが、出勤する前に子供が起きて来て、パパ行かないでと強くゴネた。
え、俺この後なんかあるのかな?
この増田奥さんの方じゃね?
そんな必須条件ないよ。
冷静になって考えてみてほしいんだけど、たかが民間資格保持者の有無で開業が左右されると思う?
臨床心理士なんていてもいなくても変わらない。
別に人生乗っけてるとは思わんけどな。どんなスポーツも地元愛とかアイデンティティーを共有してるようなチームを応援するもんでしょ。ワールドカップで日本代表応援してるときみんな人生乗っけてんの?
あの議員は嫌いだし辞めてもらいたいけどサッカーに関して言ってる事は正しい。
凄いのは選手であってお前ではない。
オマケに負けたら不機嫌になるし、サッカーの勝敗を日常に持ち込むなんて幼稚すぎ。
これに対して「殺害予告されても仕方のない事をした」と言いだすし。
自分は3箇所の精神科かかったことがあるけど全部の病院に臨床心理士いたから。
詳しくないけど精神科開く際は臨床心理士がいることが必須条件なんだと思う。
医師がいないカウンセラーだけでやってるカウンセリング事務所(?)的なところもある(指摘してくれた増田が言ったのはこういう所のことか?)
そこにもいい人がいるんだとは思うんだけど行ったことないからよくわからない。
カウンセラーは国家資格でないから民間資格が乱立してて色々な人がカウンセリングしてるみたいだけど、
でも臨床心理士とかカウンセリングは経験が大事なので勉強も大事ではあるんだけどそれだけじゃない。
前はもっと酷くて、一時期は普通の投稿よりもスパムのほうが多いくらいだった。
今年に入ってようやく「はてラボ人間性試験?」というクイズ形式のスパム防止措置が導入されたんだけど、はてなーがスパマーにクイズの答えを教えちゃったりして(海のギャングとは?の答えをわざわざご丁寧に教えていて苦笑)、またスパムが復活しつつある。
生きづらさを誰かに話したとき、「わかる~」と共感してほしいこともあれば、「それはわからない」と言ってほしいこともある。
周囲との間に齟齬が生じたとき、それが当たり前であるかのように流してほしいこともあれば、今こうだったよと指摘してほしいこともある。
人それぞれに、状況のそれぞれに、正解が違うのってめんどくさいな。
働き手不足ということもあって、
ミスしたところで辞めさせられる人って滅多にいないような気がするし(犯罪犯したとかぐらいな気がする)、
仕事をある程度やってみないと自分がどこでミスしやすいかわからなくて、
ミスを減らすための試行錯誤や対処法も作れないし(自分はマルチタスクが苦手で手順書書いてそれに付箋貼るの必須)
それでもミスはするし、
仕事でミスしない人なんていないししょうがないし(会計とかはダブルチェックして会計士にさらにチェックしてもらうしその過程で間違い発見なんてよくある)
そうは頭ではわかってるんだけどうーんっていう。
自信は経験に基づくというし、
昨日は出来なかったけど今日出来た事を自分で見つけてあげて自信つけていくのがいいのかなと思う。
仕事出来なくて辞めさせられるかもしれない、人間関係悪化するの嫌だと思うと本当に怖いんだけどね。
こういうことを書くのは本当無責任で簡単だなって思うんだけど、実際仕事でストレスは感じるだろうし。
逃げたいし。
カウンセリングって精神科医のいるお医者さんでのカウンセリングだよね。
嫁にすらいいとこ見せなきゃいけないみたいな感じがあるらしく、
傍観してた
全部ネタだったとしても、十分楽しめた内容だった
実際、ヒップホップをやっている人間の中には、誰かを刺しても失うものがないものもいるし、前科持ちだっている
襲撃されることだってありえる
物を一方向からしか見ることができない人間がYouTuberの視聴者に多いようだ
名前は「親」のものではない。では、「子供」のものか? と言えば、それも違う。
「親が子に贈る最初のプレゼント」みたいなお花畑理論を聞かされると、心の底からぞわぞわするんだが、
ああいうそれこそ「何の根拠もない」名づけ理論を信じてる人間がいることに、時々当惑する。
増田、アンタのことだ。
「あなたの所有物」に「あなたが名づける」なら、それはあなたの自由だ。その名前が名づけられるものへの贈り物だといいたいならそう言っても別に構わない。
だが子供は「あなたの所有物」ではない。あなたとは別の人格を持ち、別の人生を送る他人だ。訳あって、たまたま10数年共に暮らすことになった、他人だ。
そこを勘違いした人間が、お花畑理論を振りかざし、子供に関わる周囲の人間に噛みついて回る迷惑な毒親となる。
名前というのは、これから子供が生きる人生、社会の中で出会う人と共有される、一つの符丁だ。人間の名前とは、何をおいてもまず「社会のため」に必要なものなのだ。
そこでは親の「想い」とやらはどうでもいい。
例えばアンタが飼い犬に「タウマタファカタンギハンガコアウアウオタマテアポカイフェヌアキタナタフ」とか名付けても、別に誰もあなたを咎めはしない(馬鹿にはされるだろうが)。だが、それを子供の名前にしようとしたら、全力で止められるだろう。役所の受付ですら書類を突っ返すかもしれない。そこにどんな「親としてのご立派な想い」があろうと、そこはくつがえらないんだ。それを忘れてはいけない。「社会にとって利のない」名前は社会によって拒否されるんだ。
これは、字画判断がどうという話をしてるんじゃないぞ。俺が問題視してるのは、何をおいてもまず嫁さんに対するアンタの態度のことなんだ。
想像するに増田は、字画判断とかいう「非合理的なもの」が、自分の人生にまつわってくるのが「嫌」なんだろう。だが、アンタの「嫌」という感情だって十分に非合理的だ。いい年をして、理で全てを説明できると思ってるなら大馬鹿を通り越してお目出度いとしか言いようがない。自分が「理」に縋る「理由」はなんだ? 「理」のないものに身をゆだねる不安の源泉は「理」で説明されるべきことか? 全てを理で説くならそもそも「こっちがいい/悪い」などという「価値」の概念こそ真っ先に捨てるべきじゃないのか? だが、あらゆる「価値」概念を放棄したら、人間としての健全な社会生活など送れないだろう。
人間は、「理」以外の価値も持たなければ生きていくことはできない。絶対の価値規準など、ない。だから、重要なのは他者の価値規準を知り、認めつつ、共同の価値規準を創出していくという姿勢であり態度なんだ。増田がすべきことは、嫁さんが「画数にこだわる」って知った時に、「なるほど、俺にはそういう発想がなかったけど、そういう発想をするひとがやっぱりいるんだ」と気付いて、「なるほど分かった。じゃあ画数のことも考えながら、いい名前を付けることにしようぜ」っていうことだったはずだ。
なのに、「画数?は?」みたいな対応をした、と。馬鹿か? 馬鹿なのか? 社会性ゼロの子供か? 小学生でももう少し相手への気遣いをするぞ?
今すぐ嫁に謝ってこい。そもそもそんな「どっちでもいい」ことで、妊娠中の嫁の負担増やすことにそれこそ「何の意味がある」んだよ? 人間の社会で、メスの仕事が子を産むことなら、オスの仕事はメスが安心して子を産める環境作ることだと有史以前から決まってるだろうが。名前など、一でも二でも、分かりやすく周囲が呼びやすい符丁でさえあれば子は育つんだ。それよりもっと大事なことが目の前にあるだろ。
不合理に満ちた世の中で、誰でも不安で何かに縋る。それは別に悪いことじゃない。ただ、少しばかりの寛容さと、だまされない賢さ、それは必要だ。姓名判断とやらに何十万何百万をつぎ込むのは、それは愚かな行為だ。だが、画数を気にするのに、現実にどんなデメリットがある? 小さいことでいちいち嫁の不安をため込むと、そのうちとんでもない宗教にハマったりするぞ。夫の支えというのは、そのくらいプライスレスなものなんだぜ。